第24話 悪獣会、別の名を悪十!
パン焼き屋の集まる街角、ベイカー街の一画は、昨日まで確かに瓦礫の山が散乱する空き地だった。
焼き討ちに遭い、街から這う這うの体で逃げ出した様は、周囲の同業者にとって、逆らう事はどういう意味かを心胆を寒からしめる結果となり、そこに新たな秩序が生まれていた。
力に拠る支配、という。
暴力。
金。
人間の街を支配する力は、至極単純。
法治という建前。暴力という裏の顔。
人々は大なり小なり、それらと折り合いをつけて生きている。人間なら……
暴力団、愚連隊、冒険者ギルド、傭兵ギルド、商船(海賊)ギルド、様々な暴力組織が跋扈する街中は、常にそれらが互いに勢力を伸ばそうとにらみ合い、争い、繋がり、手先となり、血で血を洗う日々を送っている。
このベイカー街に、新たに根を下ろした組織は典型的な暴力団で、この界隈の顔役が『不慮の事故』で急逝したのを機に、脅し透かし甘言を弄し、他の組織に睨みを利かせ、懐柔し、ようよう一つのしのぎ場を削り取った訳だ。
「おうよ! おうよ!」
如何にもチンピラ風の男達が、ぞろぞろと道行く人々を威嚇しながら練り歩く。
髪も雑然と結び、無頼の徒を絵に描いた様な、むさくるしい恰好の男達が、ここは自分たちの庭だと、明示する為に。一色。深紅の布切れを、身に付け。
「おうよ!?」
「お……お疲れ様です……」
「へへへ……おうよ」
先陣を歩く男が、にやけながら、挨拶した男の頬をぺしぺしと撫でる。
朝食向けの仕込みが一段落した職人達は、これを苦い顔で見送るしか無い。
今や薪の仕入れ、粉の仕入れ、ありとあらゆる所に連中の手が回り、金を絞り上げる。逆らおうものなら、例の如くに家や仕事場を焼かれ、街から逃げ出すしか無い。
それが裏の秩序。
そいつを乱す奴はもういない、筈だった……
「おうよ?」
「へえ、ここでさあ」
判っちゃいるが、えらそうにふんぞり返る事で、誰が上か常に示さなければならない。そうしておかなければ、いつ自分の座を脅かす奴が出ないとも限らない。若いグリースはそう考えていた。
「おうよ」
顎で下っ端を使い、戸を叩かせる。常に上下関係を思い知らせる。これが大事なんだ。
正直びびってた。
確かに昨日まで何も無かったのだ。
話に聞いて、ボスから言われてやって来たものの、馬鹿の自分でも一晩で新築二階建てのまっさらな建物が建つはずが無い事は判る。
聞いた話じゃ、見た事の無い美人が居たとか居ないとか……
子分のノックに、内側のシャッターから、一瞬だけ青い瞳が覗き、油も乾いてそう経ってなさそうなまっさらな扉が、キイっと開く。
グリースも配下の子分達も、不意に通りで立ち止まった人達も、周りの工房で働いている者達も、どんな風貌の奴が出て来るのか、思わず息を呑んで見入ってしまった。
「は~い! どちら様!?」
「え?」
誰もが一瞬、ぎょっとした。
間口すれすれ。身の丈2mはあろうかという大女……が、一瞬で普通の背丈になる。
あれ? 気の性かな?
誰もが自分の目を疑った。
多分、何か高い足場に乗っていたのだろう。そう納得する者。
ぴょんと飛び出て来たのだろう。そう想う者。
認識阻害リングの効果は抜群です。
慌てて人の目線に合わせたシュルルです。
陽光に光を帯びる艶やかな金の髪を後ろにまとめ、胸元が大きく開いた深紅のワンピースは、女性らしいしなやかなラインを隠そうともせず、穏やかで愛嬌もある顔立ちの見目麗しい女性が、朗らかな笑顔で佇んでいた。
「あら? どうなさいました?」
「お……おうよ……」
グリースは口を半開きに、上から下までぎこちなく眺め、最終的に胸元で目線を止めた。
「でけぇ~……お、おうよ」
慌ててくいくいと、傍らで硬直している子分の袖を引っ張り、顎で忙しなく指示を出す。
何か不思議と幸せな気分になれた。
「おうおう!! てめえどこのもんじゃ!!? 誰に断って、ここに家建てとるんじゃぁっ!!?」
「何しようとしてくれてんじゃ、てめえっ!!」
「われっ!! なんとか言わんかいっ!!?」
「おい、こらあ~」
そこで、サッと両手を横に挙げ、グリースは子分たちのがなりをストップさせた。
「おうよ?」
俺ってちょっとカッコよくね? そう思いながら、グリースは女の豊かなまろみへと吸い込まれそうになる目線を、無理無理首をねじる様にして相手の目に合わせ、ガンを飛ばし、精一杯の脅しをかけた、つもりだった。
ところが、当のシュルルは例のオーク鬼もどきに比べたら、何か可愛く思えてしまい、至極当たり前の様に架空の旦那設定を持ち出して、ひとまず距離を置く。
「あら、ごめんなさいね。うちの旦那さん、まだこの街に来てなくて……宜しかったらお話だけでも伺おうかしら?」
「なんじゃぁ~!? 旦那、おるんかぁっ!?」
思わず、ズシ~ンと悲しい気分になってしまい、グリースはこぼれそうになる涙をこらえながらも、鼻水をずうっと吸い込んだ。
あ、なんか、すげえ良い匂い……
「え? だから、今は居ないのよ……」
「おるんじゃろっ!? 旦那がぁっ!!?」
思わず地団太を踏み、絶叫したが、何かおかしい気がして……いやそんな事は無い。
気が付くと、相手がくすくす笑ってやがる。何か落ち着かねえ。だが、なんてぇ~か悪い気はしねえな。くっとこう小首を傾げて、こっちを斜め見ている感じが、不思議と嫌に感じねえ。
シュルルは相手の気持ちが少し落ち着くのを見計らってから。
「あらら……この辺の地回りの方ね。
いやね、うちの旦那さんが、あまり家に籠ってるのも体に良くないって言うのよ。
だから、何かお店でも開いてみないかってね。
そういう訳で、私、ここでお肉屋さんでも開こうかと思うの」
「肉屋!? あ、あんた……イキリ屋、さんの、色か?」
肉屋と聞いて、頭に昇っていた血の気が、一気に引く思いのグリース。
黒い! 真っ黒だ! だが、そうなら上の上からそういう話が来てる筈! 一晩で瓦礫の山が新築のお店に化けても不思議はない! 俺が、俺が下っ端だからか!? だが、だったらオヤジにその話が来て無い!? 違う違う!! 訳、わかんねえっ!!
そんな相手の取り乱した様子に、シュルルは首を左右に振った。
「や~ね。うちは肉屋ギルドじゃないわよ。肉食振興ギルド。新しく作ったの」
「へ?」
グリースは余りに思いも寄らなかった答えに、変な声を漏らした。
「だって、肉屋ギルドに入っても旨味が無いじゃない? それ以前に入れても貰えないでしょうけど。
で、肉食を通じてみんな元気になろう、って事で肉の販売から食べ方の提案まで、外食ギルドと被らない様に、席も椅子も無しの屋台みたいな直売りのギルドを作ったのよ。
あなた、肉って種類、部位によって適した調理法があるって知ってる?」
「そ、そんなん、た、ただ焼いて食えば、い、良いんじゃねえのかっ!?」
「でしょ? 普通、そう思うでしょ?
でも、実はもっと美味しくて、身体にも良い食べ方ってあると思うのよね~。
そこで、うちは皆さんの身体に合った食の提案をして行きたいのよ」
カラカラと笑うシュルルの様に、悪い奴じゃないと感じたグリースであったが、急激に膨らんだ不安にくいっとワンピースのたっぷりとした袖を引っ張り、小声で吐き捨てる様に忠告した。どうして、そんな事を言おうと思ったか、自分でも不思議だったが、この界隈で騒動を起こされるのも面倒だ。巻き込まれるのも御免被る。
「な、何だか訳わかんねえけどよ。あんた、その内、大変な事になるぜ。あ、あくまで裏の噂だけどよ、この街には『悪獣会』ってのがあるらしいんだわ。別名『悪十』。イキリ屋は、この街が出来た時からのお店<たな>でよ、何でもそこのメンバーらしいんだってばよ」
「何それ、面白い!」
「しっ!」
悪獣、その名を出した以上、他の連中に聞かれるのは不味い。
より小声で、ことさら詳しい話を教えて聞かせた。
「悪獣ってのはよ。このブラックサンを裏から牛耳る悪党どもの集まりよ。互いの利益を尊重する代わりに、何か利害がぶつかった時は、会を通じて話し合う。一々、血ぃ~流してなんかられるかってえ~寸法よ。そいつは、何でも十の組織が所属してるってえこった。
あんた、イキリ屋はあくまで肉屋だ。
だがな、そっち専門の組織もあるって事を忘れちゃいけねえ!」
「例えば?」
「あ、あくまで噂だぜ。だがな、イキリ屋の付け届けは、冒険者ギルドや、商船ギルドのギルド長にも行き渡ってるってぇ~話だぜ。どっちも、この街じゃ五本の指に入る暴力組織だ。奴等に睨まれたら、この街じゃ生きていけねえ!」
「あら? あなたの所はどうなの?」
「じょ、冗談言っちゃいけねえ! 何を好き好んで、そんなヤバイ連中と揉めるかっての!
ええか? 街から人が何人いなくなったって、肉屋を通しゃどうとでもなる!
どこに行くと思う?
ばらばらにしちまえば、人の肉だろうとネズミの肉だろうと判んねえんだってばよ!」
そう言って、グリースは自分の腹をぽんぽんと叩いて見せた。
話を聞きながらシュルルは思った。潰すか……と。
多分、こっちの動きは、昨日の内にハルが処理していれば、もう耳に入った頃でしょう。
そうなると、今夜辺りかしら?
それとも、先にハルが狩られるか……
面白くなって来たわ。
「あらあら。それで、この界隈で変な騒ぎになっても、そちらさんは宜しいのかしら?」
ふふふと浮足立つグリースを見つめ、ずいっとにじり寄った。
まるで蛇に睨まれた蛙。
グリースは、脂汗をたらり。
足が地にへばりついたみたいに動けねえ!?
「べ、別にうちとあんたん所は、まだ、な、何の関係もねえ!」
「あらあら。周りの店子が巻き込まれても、良いって言うの? それはあんまりなんじゃない?」
「み、見回りを増やす! それでええんじゃろ!?」
「夜中もね」
「ああ!」
必死こいて返答したら、そこでふっと圧みたいなものが消えて、息も楽になった。
「いいわ。それでこそ、よ。そういえば、あなたの所のお名前、伺って無かったわね?」
「レ、レッドサーペント! 赤い海蛇団じゃ、われ~……」
「グ~ッド」
シュルルは上機嫌に、右手をグリースへと差し出した。
「私達、上手くやれると思うわ。仲良くしましょう」
「お……おうよ」
陽光の如く暖かな満面の笑み。だが、まるで自分を一飲みにする様な、そんな強大な気配を本能的に感じ……る違和感は、魔法の力で阻害されてしまっていた。
それでもグリースは、その柔らかそうな手に、まるでおっかない物でも見るかの様に、恐る恐る手を出し、すかさずぎゅっと握られて目を白黒させた。
「シュルルよ。只のシュルル。宜しくね」
「おおおうよ、グリースじゃい! 赤い海蛇団のグリースじゃい! なめんなよ、こらあ……」
次第にか細くなるグリースの声。
誰の目にも、腰砕けになったグリースが、シュルルに一飲みにされたと映った。
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