第17話 荒海のミスリル銀貨
サッと血の凍る感覚。
だが、このまま海へ飛び込めば! そう思った瞬間、飛来する何かの気配にヒヤリ。
咄嗟に合わせた。
右手のスリングを振り向きざまに振るうと、すぐ傍で放った石がパアンと砕け散った。
思わず顔を腕で守る。その間から、キラキラと輝く何かが空を舞い、スッと闇に消えるのが見えた。
ドッと汗ばむのが判る。
「ちっ! 銭ゲバ野郎! どうやって嗅ぎ付けやがった!?」
「驚いたよ……まさか、アレに合わせるとはね……」
漁船の影に、サッと誰かが隠れた。この距離だと、きっとデカハナって奴ね。
その向こう、声の主が余裕の歩みでこの砂浜に姿を現した。
びょうびょうと海風の重く唸る中、ピ~ンと1枚の大ぶりな硬貨を指で弾き、見ようともせずにキャッチ。すうっとその香りを嗅ぐ仕草。実にたまらないと言った風情で。
「いや、何ね。とても良いゼニの匂いがしたから、誘われてしまってね。はははは……」
「けっ! ゼニゼニってこのゼニクレイジーめっ!! 非番なんだろ!? どっかそこらの淫売の安宿にでもしけこんでな!!」
「何故? どうして? どうして、そんな事に大切な金を支払わなければいけないんだい? 金はもっと有効に使うべきだろう? こういう風に、ねっ!!」
闇を、一条の光が切り裂いた。
それを一拍の破裂音が弾く。
インインと金属の響く音が耳を打ち、海風の音をほんの少しの間、忘れさせる。
そして、コインは放物線を描いて、男の手の中へ戻って行った。
下手に動いたら、頭を叩き割られる。
妙な確信があった。これは魔法だ! 魔法の武具に違いない!!
姿が見えていない筈の自分に、こうも的確に被弾コースを放って来る。この風の中を。
身をよじる様に、続け様の早撃ち。それは即座に二つの破裂音へと変じた。
不味い……
焦りが身を焦がす。
あっちのコインは、使い回しが効く。こっちは投げる石がどんどん減っていく!
このままじゃ、じり貧確実だわ!
「本当に驚いたよ。僕の投げ銭に、ここまで対抗出来るなんてね」
むかつく、喜悦に満ちた声。だが、今日は透明化や幻影の魔法を使い過ぎて、そっちも残り少ない。下手な魔法を打とうものなら、こっちの頭を叩き割られるか、心臓を貫かれるか、どっちかに賭けて良い!
残る石は、二つか……
左手の指先で、スリング用の丸い石を確認した。
一瞬の沈黙があった。
すると、物陰から例のオーク鬼もどきが、やいのやいのがなり出した。
「何してやがる!!? さっさと片付けて、俺に手柄を寄越しやがれってんだ!!」
「まあまあ、そうがなるなって、デカハナの。こっちは楽しい一時って奴なんだ。みんなから、無粋って言われない?」
「うっせえ!! 非番野郎はすっこんでろってんだ!! 危なくて、手が出せねぇじゃねえかっ!!」
これにはヤレヤレと肩をすくめ、両手をお手上げとばかりに開いて見せた。
それでも、多分こいつは余裕だわ。
(あいつのコインにかかってる魔法が判れば、こっちだって……でも、もう……)
すると、そいつは静かな声で、実に申し訳なさそうに、こちらへ語りかけて来た。
「僕のミスリル銀貨は、狙った獲物は外さない。そして、不思議な事にどんな状況になっても、必ず僕の所へ帰って来るんだ。悪いね……そろそろ、そっちは弾切れなんじゃない?」
(くっ……)
口惜しいが、こちらは残弾2。
じりじり、波打ち際を後退しているけれど、まだ浅い!
「じゃ、まあこの辺で……」
ゆっくりとしたモーション。
私は、同時に2発打つべきか、一瞬悩んだ。だが、この状況で1発を合わせ、1発をあいつに命中させるなんて、自信が全くない。
ダメだ!
弱気な私は、1発を素早く放り込むと、ひゅんと回して投げつけた。
そして、いつもの破裂音が。だが……しかし……
「うっ……うう……」
砕けた石の欠片が飛び散り、私は唇を歪め、苦悶のうめきを漏らす。
そいつは、ひらり舞い戻ったコインをピッと見せて言い放った。
「こいつは『見せ金』……」
それから、こっちを差した。
「そいつは『裏金』さ」
焼ける様な痛みに、思わず左手から最後の石が転がり落ちた。拾おうにも拾えない。なぜなら……私の左肩に、まるで焼石を押し付けたかの様に、1枚の黒いコインが。
折れたり砕けたりした音はなかった。だが、この痛烈な痛みと痺れは、次第に砂浜へと倒れ伏す私から、力を根こそぎ奪ってしまっていた。
「女ぁっ!!?」
小躍りして飛び出したのは、デカハナだ。
「今、確かに女の声がしたな!? 女吸血鬼たあ~、攻め甲斐があるぜえっ!! げへっ、げへっ、げへへへへっ!!」
欲望だだ漏れのおぞましい声に身を震わせたが、どうにも体に力が入らない。
デカハナのどたどたと駆け込む様に、男は例のコインを鼻先に持って行き、やれやれと小首を揺らす。それから、おや?と、意外そうな表情を浮かべた。
「なるほど、そういう意味ですか……」
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