第16話 ごめんなさいしてもいいですか?
デカハナ。その男はこれまで戦って来たどの冒険者とも違う、異質な何かを鼻って、否、放っていた。
身体の奥深く、まるで氷を呑んだかの痺れを覚え、柔肌が泡立つ。
嫌だ……嫌だ……嗚呼、嫌だ……
この男は危険。そう認識する。
ここで殺すべきか。殺すべきでしょう。でも……周囲に人が多い。
そして、後から来たあの男。こいつとほぼ同格の口ぶりだった。武装は一見して無い。だが、それを補って余りある奇妙な気配を感じた。魔法使いならやっかい……
ゆらり、どす黒い気配をまとい、すぐさま襲いかかるかに思えたデカハナは、逆に一歩下がり、そのおぞましい迄の嫌悪感を和らげた。
「おい!? そこに居るんだろう!? お~いっ!! てめえら、こっち来いっ!!」
血に塗れた、鋭い切っ先をまっすぐ私に向けながら、声高に叫ぶ。
手下の兵士を呼びやがった! なら、こっちも利用させて貰うまでさ!!
私は素早く、指輪に唇を触れた。瞬時に、イメージが固まる。
魔法の発動時に発する、淡い光を隠し、私は幻影を編み出した。
「隊長!」
「隊長!! 何がっ!!?」
「うあっ!?」
バタバタと駆け込んで来る気配が、一瞬の躊躇。そこだ!
『うははははははははははははあっ!!!』
デカハナと私の間に生じた闇が形を作り、高速に回り、そこから巨大な影が。
半分がコウモリ、半分が人。そのおぞましい高笑いと共に、赤く光る眼で周囲を睨み、口からぞろり覗く鋭い牙から鮮血が滴り落ちた。
「「「「「うわあああ!!?」」」」
集う兵士達は思わずたたらを踏み、すぐ後ろから駆け込む兵士達はたまらず追突し、ガチャガチャに巻き込んで転倒するやらもつれ合うやら。
「ば、化け物!!!」
「吸血鬼か!!?」
「うわあああああ!!!」
「囲めぇっ!!」
(ふふん。バカめ!)
「バカ野郎!! てめぇら、減給だぁっ!!」
「ふひぃぃぃぃっ!!」
「目っ! 目を見るなあっ!! 魅了されるぞっ!!」
乱れる気配を背に、私は音も無く滑り出した。
多少ぶつかって突き飛ばしても、この混乱なら判るまい。
私は逃げる方向とは反対へ幻影を動かし、注意を引き付けさせた。
(その幻影は、触れる事も出来れば、音も気配もばらまくぞ! さあ、踊れ踊れ!)
正確には、触れた様な気にさせるのですが……
すり抜け、そのまま屋上へ逃れても良かったが、波の音が聞こえたので、港の方へと抜けてみた。折角、港街へ来たのだから、どれ程のものか土産話にと。
いよいよと思われる程に、潮の香りが濃厚となり、次第に海風が鼻腔を通り、二つの肺を大きく膨らませる。一呼吸する度に、心地良さを覚え喜びに身が震えたわ。それ程に、市街地の臭いはきつかったの。
月明かりに浮かび上がる船舶の陰影は、青白く輝き、とても幻想的でした。
見張りの者が持つカンテラの灯りがぽつぽつ揺れ、眠そうにしている様子が微笑ましい。
ようやく港街へ来たという実感が湧きました。
私の影だけが、すうっと伸びて、もしかしたら驚かせてしまうかも? うふふ……
石畳の敷かれた港を、船を右手に眺めながらのんびり進んでいると、次第にそれも無くなり、葦の原みたいな海岸へ抜けました。ここには小さな漁船らしい船が何艘も引き上げられていて、人の気配は無いみたい。
左手は次第に平屋となり、作りのちゃちい掘立小屋みたいになっています。とても貧乏そう。最初の二階、三階建ての住宅地と比べたら、可哀そうなくらいに。
せっかくだから、波打ち際へ行ってみました。
尻尾のお腹が、さらさらとした柔らかい砂や、砕けた貝殻などに触れてこそばゆく、私の長く暮らしていた湿地沿いとはまた違った面白みがあります。
「風があって……気持ちいい……」
目を細め、海風に体を預け、内側に意識を。
心音はとくとくと静かで、肺は大きく吸い込む度に膨らみひゅうひゅうと唸ります。嗚呼、生きている。私は今、ここで生きているんだと、目の前にどこまでも広がる大海原を、それを照らし出す月明かり、さざめく波間のうねり、それら全てを実感し、心に刻みました。
最初は、嫌な所だと思ったけれど……
「来て良かったかも……」
私のつぶやきは、海風に乗って散り散りに消えてゆく。どこまでも、どこまでも遠くへ。
そんな感慨を、吹き飛ばす声が。
「野郎、こお~んな所に居やがったか!? ぶひひひひ……」
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