第10話 【閑話】冒険者は賭博師と同じです!
そこは少し薄暗い部屋。
そわそわと落ち着かない素振りで、ケンはその扉に手をかけた。
「呼んでるって聞いてさ……」
「お入りなさい」
扉の向こうは、相変わらずほとんど家具というものが無い簡素な部屋。
ここは孤児院の地下室。最近になって、とある目的の為に使われ出したのだが……
「よお、おばさん。今日はあの日じゃないよな?」
妙に薄ら寒い。ケンはここが余り好きじゃ無かった。匂いも妙に甘ったるい気がするし、何とも居心地が悪い。
孤児院で支給される古着は、善意の寄付でまかなわれていて、体に合ったものがあれば良い方で、ケンは御多分に漏れず、ぶかぶかでつぎはぎだらけのズボンとシャツに、まるでそこから手足と頭が生えている風体で、髪は海風でぼさぼさだ。
割れ目の入った木靴を、神経質にカタカタと鳴らし、ケンは相手の返事を待った。
「ケン。今日はお話があって、来て貰いました。お座りなさい」
声の主は、最近この孤児院に関わり、食事の援助をしてくれている錬金術師の奥さんだ。
金の髪をアップにまとめ、紺色の訪問着をぴっちりと着こなし、如何にもな雰囲気。
みんな若くて美人だって言うけれど、要は裏町の美人局みたいなもんだろ?
言わせて貰えれば、錬金術師なんてみんな詐欺師みたいなものだ。
鉛を黄金に変えてみせますと、お金持ちの貴族や商家に取り入り、その為に「必要」なお金を口八丁手八丁で引き出すのが本業ってもんさ。
この部屋には、例のおばさんが座ってる椅子と、いつも持ってくる怪しげな器具を並べる小さなテーブル。そして、自分たちが座らされる小さな椅子がぽつんと並べられているだけで、半地下の明り取りの窓から、外の喧騒と共に光が差し込んで来るだけだ。
「なんだよ、話って……お、俺は忙しいんだよ!」
「まあ、お掛けなさいな。何か飲みますか?」
「いらない!」
胃からくらっと来る誘惑を、思いっきり否定した。
何を飲まされるか、判ったもんじゃない!
判ったもんじゃないんだ!
「そう……」
おばさんは、少し残念そうな様子で、テーブルの上で銅製の茶器?を、カチャカチャと鳴らし、自分のカップに、何やらどろりとした赤褐色の液体を注いで見せた。
まるで血みたいに真っ赤な!
「な、何だよそれ?」
「ぶどうと、りんごと、幾つかのベリーを合わせてジュースにしてみましたの。飲んでみますか?」
「い、要らない!」
「本当に? ほら、いい香りでしょう?」
そう言って、目の前を細長い銅製のカップがふわり、小さな円を描いて見せると、途端にケンの鼻腔は、新鮮で鮮烈なフルーツの香りに満たされ、それだけで空きっ腹の頭をくらくらにさせた。
「じゃ、じゃあ……少しだけなら……」
「あ~、良かった。ケンの為に作って来たのだから。後で弟君にも、ね?」
「う……ありが……」
差し出されたそれを一口飲んだだけで、ケンは言葉を失った。
これまで味わった事の無い、酸味と甘みが混然一体となって口の中に広がり、泣きたくなるくらいに鮮烈な香りが鼻を突き抜け、一息に飲み干してしまった。
「あ……あれ?」
手の中の、空になったカップを不思議そうに眺め、ケンはしばし時の経つのを忘れていた。飲み慣れないものを口にした性か、お腹の中が何やらぐるぐるしている気がする。
「もう一杯、如何?」
「ん……」
ケンは言われるがままに、杯を重ねた。
「今日、来て貰ったのは、二つ三つお話があるからなの。そのまま、聞いてくれるかしら?」
「あ、ああ……」
勿体ないので、流石に四杯目はちびちびと口を付けた。
「弟君の事だけれど、あの子は血の病を抱えています。それも、命に係わる……」
「嘘だ!」
即座に否定した。
弟のピーターは、確かに病弱ですぐに風邪をひいて熱を出したりするけれど、これまで何とか生きて来たんだ!
「体が大きくなって体力が付けば、元気なる筈だって!」
「誰がそう言ったの?」
「……神父さんが……」
「そう……いえね。うちの旦那さんはね、違う意見みたいなの……」
それってどういう……?
すっと血の気の引く感触に、ケンはぶるっと身をすくめた。
「うちの旦那さんが、この孤児院に援助をしているのは、研究の為なのは貴方 も判っている事でしょう? 残念だけれど病気の子共は研究の対象外なのよ」
「どうするんだ!? 弟を! ピーターをどうする気なんだ!?」
「さあ、どうしましょう?」
立ち上がったケンの後ろ、椅子が転がり乾いた音を発てた。
「そこで貴方の問題です」
「俺の?」
「そう、私はこの孤児院に関わってから、孤児の皆さんには、先々身を立てる目標を立てて貰い、私はその支援をさせて戴いて来ました。ですが、ケン。あなたはまだ、何になるか、決めてませんよね?」
「ちっ……」
思わず舌打ちをした。
「判ってますよ。貴方はお父様やお母様、そしてお兄様と同じ『冒険者』の道を考えている。弟君の病気も、一攫千金大金を積んで教会の奇跡で、遺跡で魔法のエリクサーでも手に入れて、とかで治してみせる。
でも、そうやって、貴方のご両親も、お兄様も帰らぬ人となったのではないのですか?
貴方も、同じ様に病気の弟君一人残して、帰らぬ人になるとは、想像出来ませんか?」
「俺は……大丈夫……絶対帰る……必ず帰る……帰るんだ!!」
「誰もがそう考えている。誰もがそう願っている。そして、誰もがそう想いながら、道半ばで倒れて行く……冒険者とは、己の命をチップに、大博打を打つ、ただの博打師です。違いますか?」
「違う! 違う違う違う!! 冒険には夢がある!! 冒険には希望がある!! 俺は絶対冒険者になって、成功して! あいつの病気を治してみせるんだぁっ!!」
そう言い放つと、ケンは踵を返し、部屋を出て行こうとした。
だが、不思議な事に、扉はそこに無かった。
「え?」
「ケン。貴方、昨日武器屋で買い物をしましたね? 青銅製の小剣を」
「あれ? え?」
「それで、何をするつもりです? ゴブリンでも退治しますか? スライムでも退治しますか? ああ、もしかしたら木の実や薬草の採取にも使えそうですね」
ケンは背後に迫る気配に、ゾッと冷や汗をかいた。
すらり、視界の隅を金属の刀身が、その冷ややかで鋭利な輝きを放ちながら、ケンの右頬を撫でた。
「ここに、名も無き冒険者の遺した剣があります。冒険者と名乗るなら、この程度は振るえる様にならなくてはいけませんね」
パッと飛びすさるケンは、思わず懐にのんでいた小剣を抜き放って、対峙した。
錬金術師の女房は、手にした片手剣を軽々と振るい、ゆっくりと打ち込んで来る。
「くあっ!?」
それに合わせ、ケンは手にした重い小剣の切っ先を打ち合わす。
キン……
すると、ケンの小剣は、根元からぽっきり折れてしまった。
「青銅製の剣なんて、最初は切れ味が良くても、闘技場の闘士が一回こっきり使えれば良い程度のおもちゃ。せめて、鋼のになさい」
これまでこつこつ貯めて、はたいて買った小剣が折られた!
ケンは歯噛みして女を睨みつけた。憎くて憎くて仕方なかった。どうして、どうしてこんな事を!?
冷たい目だ。まさか、俺を殺す!?
自然、剣の切っ先に。そして刀身を伝い、その柄に目をやった。そこで愕然と目を見張った。
「貴方には、幾つかの選択肢があります。弟君を連れてこの孤児院を去るか、うちの旦那さんの研究を手伝いながら、勉強して、弟君の病気を治す方法を自分で探すか、きちんとした仕事に就いて、弟君の病気の事は天命と諦めて、残された時間を共に過ごすか……もし、勉強したいと言うのであれば、出来る範囲で援助するつもりです」
色々難しい事を言われたが、頭に何一つ入って来なかった。
ケンは、剣の握り、その台尻に付けられた飾りを呆然と眺めていた。
「に、いちゃん……」
「……?」
「兄ちゃんの剣……兄ちゃんの剣だ!!? どうして!!? どうしてお前が兄ちゃんの剣を持ってるんだ!!?」
その飾りは、二人で彫った魚のそれ。出来は酷いものだが、兄は笑いながらそこに挿してくれた。
涙が溢れた。嗚咽が喉を突いた。
「返せっ!! 返せよぉっ!!!」
むしゃぶる様に飛びつくと、あっさり剣は腕の中に。だが、その重さにその場にひっくり返った。
「何で? どうして?」
ケンの兄は冒険者として、旅立ち、旅先でモンスターに襲われて死んだと聞かされていた。その遺体は、戦いのあった村に埋葬され、遺品は何も無かったのだ。
「それは古物商で買い入れた品です。良いでしょう。持ち主に何があったか、見せてあげましょう」
女は大仰な身振りで、何事かを呟くと、指輪の一つが僅かに光を発した。
すると、ケンの目の前に不思議な光景が広がっていく。
たちまち、そこは開かれたどこかの農村になり、誰かが冒険者出て来いと叫んでいる。
それは、まるで見て来たかの様な光景。
戦闘は唐突だった。
村の建物から、顔だけ出したエルフの女と、小さな羽の生えた生き物が「これでもくらえ!!」と叫び、眩く輝くエネルギーを放ったのだ。
ケンはその二人に見覚えがあった。
兄のパーティーメンバーの二人だ。
光は、恐ろしい姿の化け物を射抜いたものの、何の影響も無いかに化け物は恐ろしい高笑い。驚愕の表情を浮かべた、エルフの美しい顔が突然に爆ぜた。
赤い血煙をまき散らしながら、どうと倒れるエルフに、ドワーフが石弓を放ちけん制する間、ケンの兄が真っ青な顔でそのエルフの名を叫びながら駆け寄っては、物陰に引きずり込んだ。
悲痛な呼びかけが、建物の中から何度も聞こえ、物陰に隠れたドワーフも天を仰ぐような仕草をしてみせた。
次には激高した兄が、剣を片手に飛び出した。
慌てて、ドワーフがそれを抑えるも、左右から矢が飛来し、ドワーフの身体に次々と突き立った。
そして、兄の頭も爆ぜた。
視界の隅、何か石の様な物が飛んで、兄の顔面に飛び込んだのだ。
『こんなの嫌ぁぁぁぁぁぁっ!!』
泣きながら、逃げ出したフェアリーは、空高く飛んで逃げるのだが、風を切る音、ひゅんと何かを投げ放つ音。飛んでいく石らしいものが、フックかかった軌道を描き、回避しようとするフェアリーの小さな体を、中空で粉微塵に吹き飛ばしてしまった。
そこで不思議な映像は途絶えた。
「御覧なさい……これが冒険者の最後です。殺して奪う者は、いつか自分が殺して奪われる。それが冒険者というもの。冒険者だけは、いけません……」
呆然とするケンは、それでも兄の剣をしっかりと抱き続けた。
兄の名を、幾度も呟きながら。
「……もし、その剣を自在に操れる様になりたいのなら、警備隊の方に伝手があります。明日から、見習いになりなさい。鍛えてくれる事でしょう。弟君の話は、弟君とも話をしなければなりません。それで決めます。良いですね?」
溜息一つ。
少年の瞳の奥。何やらぎらついたものを認めた。
ケンが部屋を出て行くと、部屋の一部がぐにゃりと崩れ、そこから2尾の姉妹が顔を出した。幻覚魔法だ。
幻影に隠れ、息を潜めてケンの様子を眺めていたのだ。
「いいので御座るか?」
「ありゃ~、ヤル気だね♪」
「人には、生きる目標が必要……」
私は、ケンを突き動かそうとしている衝動の、余りの過酷さに胸を痛めた。
「弟君が、彼の重しになってくれる事でしょう」
因果応報。
殺し殺される、冒険者とモンスターの運命の輪。
それは人里深く、潜入したモンスター達にとっても、逃れる事の出来ない定めなのであろうか?
かくして物語はしばし時を戻し語られる。
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