第8話 自分より子供の命が大切なんて母親はこの世に存在しねえ!


「ね? ねぇ?」


「ん……?」


「ちょ、ちょっと、私も触ってみていいかな?」


 顔を真っ赤にして泣き叫ぶ少年の腹に頬を埋め、うっとりする姉妹の様子に、そんなに気持ち良いのかと、そっと手を出す私です。さっきは、あんな事を言ったけれど、論より証拠って言うもんね。


 さっきまで激しく手足を振り回してたその子も、だいぶ疲れた様子でぐったりとしてきた。汗で額に張り付いた栗色の巻き毛も愛らしく、肉付きも良い。実に健康的な男児だね。


「ね~! 一口! 一口!」


「はいはい。食べるのはちょっと待ってね」


 私のその一言に、その子はひぃっと短く息を漏らし、気を失ってしまった。


「あ~あ……貴方、絶対この子に嫌われたわよ。おっかない蛇のお姉ちゃんって」


「え!? 嘘ぉ~!?」


 からかい半分言ってやると、パッと顔を上げて目をまんまるに驚いていた。どんだけ、小さい子が大好きなのよ?


「本当よ~……野生の生き物の場合、とっても繊細で神経質だから、あんまり構い過ぎると、それだけで神経参って、ぽっくり逝ってしまう事もあるくらいなのよ。この場合、悪い方へ寄って考えた方が良い。だから何事もほどほどにね」


 撫で撫で……撫で撫で……


(あ~、やっぱり肌触りが全然違う! なんてすべすべして、美味しそうなのかしら!? 食べ物? この村での生活? 睡眠? ん~……)


 ダンジョンの中で、何度も冒険者を襲っては食べて来たけれど、総じてお肌はカサカサで、皮も分厚く、戦った後の血はえぐみも多く、余り美味しい獲物では無かった。

 多分、この子の血も、これだけ泣き叫んだのだから、すっかりえぐみを増して、美味しくなくなっている事だろう。肌を押した感じの弾力が、だいぶ悪い。脈も……かなり弱ってる……きっと内臓も……ああ、熱を持ってしまっている。この分だと、何日か静養しなくてはならないかな?


「だいぶ弱ってるわね……このまま死んじゃうかも?」


「ええっ!?」


「ぐすん……一口でいいからぁ~……」


「こ~いう死にかけだと、あんまり美味しく無いわよ?」


「え~!?」


 肌触りを楽しんだ後、手首、腹部と軽く触診してると、すぐ傍の農家の窓が勢い良く開いた。


 実は知ってた。


 その窓の向こう、数人のヒューマンが押し合いへし合いしていたのを。言葉を荒げていなかったので音では聞こえなかったが、激しい様はその体温の上昇で、手に取る様に判っていました。

 他の建物内では、数名が息を潜めてじっとやり過ごそうとしているので、きっとこの子の親なのでしょう。


 振り向きざまに、魔法使いの杖で打ち払い……そう思って、振り返る。


 が、意外にも杖は空を切った。


 窓から宙に躍り出たのは、一人のまだ若い女だった。

 女はその勢い、こちらに向かって一直線。手には何も持たず、その子に似た栗色の瞳は、決意に満ちた輝きで、半ば赤く泣き腫らし、口元を歪ませていた。

 その表情に、私は物凄い圧を感じた。



「何ぃっ!?」


 ぐっと大きく張り出していた両腕をサッと縮ませ、前かがみになった女は、前転する様に杖の下を掻い潜った。


(しまった!! 懐に入り込まれた!!?)


 尻尾を振り回そうにも、傍らに2尾も姉妹が居るので、そう自在には動けない。

 周囲の建物が、後退の邪魔になる。

 幻覚の魔法も間に合わない。

 即座に、致命傷を避ける軌道を描こうと、したその時。


「お願いです!! 私はどうなっても構いません!! ですが、その子の命だけは!! 命だけはお助け下さい!!」


 ずざざっと私の腹の下ほどに滑り込んだ女は、ぺったりと頭を地面に付け、こちらに首筋を見せる様に平伏していた。



 フライング土下座……


 私は商売柄、旅の商人と交渉する際に、もう参りましたと相手が笑いながら土下座して、値切りはもうお終いとする事があった。そこまでさせてしまったら、次の交渉は少しこっちも負けてやり、バランスを取るのが普通で、それが取引を次にも続ける為の知恵というもの。

 その為にも、実は交渉に野営地を訪れる際には、蜂の子やはちみつたっぷりの巣とか、木の実をいっぱい入れた焼き菓子や、よく熟成した生ハムの脚の一本等を、商売とは抜きで、贈り物として用意したものです。また来て下さいね、って意味で。

 勝ち過ぎは良くない。後に禍根を残す。これ、商売の常識、と思ってます。


 ところが、この土下座は、自分の命を代価に子供の命を買いたいという、母親らしき人物からのお申し出。

 私1尾だったらイイけれど、さてどうする?


 尤も、最初から若いのを殺す気は無いのだけれど……


 そんな気持ちを込めて、姉妹達を眺めます。



「じゃ、じゃあ、今度こそ一口だけ……」


「おい、やめろ」


 前のめりに大鎌を振るおうとする姉妹に、杖を横薙ぎ。首筋にぴたりと添えます。


「うにゅ~……どうしてなの~……?」


「しぃ……貴方はどう思うの?」


「え? その? あたしは……」


 いつもあれこれ言っては、なかなか納得しなかったりするけれど、いざっていう時は戸惑って何も出来ない。そんな姉妹を、私は大好き。

 そんないつもの反応に私は頷いた。


「じゃあ、お母さん? 貴方の命を貰っていいのね?」


「はい!! 私の命で済むのなら……ですから! その子だけは……」


 くっと涙目で見上げて来る、その女は真剣そのもの。さて、どう安心させたものか……

 すると、背後から何やらおかしな気配が……


「……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ!! これはペテンか何かだぁっ!!」


「え?」


 うわわ、姉妹の病気かな?


「お、おい女!! お前、母親だなんて、嘘だろう!!?」


「本当です!! 私はその子の母親です!!」


「嘘だ!! 自分より子供の命が大切なんて母親はこの世に存在しねえ! 自分より子供の命が大切なんて母親はこの世に存在しねえ!!」


 そう叫びながらも、その子をしっかり抱え込んで、まったくこの姉妹は……どうやら、彼女のトラウマスイッチがONになってしまったみたいです。

 おいおい、泣かないでよ。涙、拭きなよ。


「返して!! その子を返して!!」


「嘘だ!! お前が母親であるもんか!!」


「本当なんです!! それに、この村には冒険者なんていません!! 隣の村です!! 夕べ、怪物を退治したって酒盛りをしてたから、間違いありません!! うちの村は、無関係なんですぅっ!!!」


「トリックだ!! これはみんなトリックなんだ!! うわああああっ!!!」


 ああ、やばいなあ~……


 そう想って、彼女からその子をひょいと奪いました。


「お、おい?」

「どうするの? ねえ、どうするの?」

「こうするの。はい、お母さん」


 私は、その子をお母さんに返してあげる。

 母親らしき女は、子供を受け取ると慌ててあやす様な仕草で、顔を覗き込んだり、額に頬を当てたりして、何やら名を呼んだりしています。


「あ~……とりあえず、日陰で、体を冷やしてあげると良いですよ。気付いたら、お水を飲ませてあげて下さい。だいぶ、消耗していますから。塩があったら、少し舐めさせてあげると良いかも」


「はい! ありがとうございます!」


「おい!? どうして!?」


「あ~ん……一口ぃ~……」


「は~い! 今、とても大事な事を聞きました~!」


 良いからあっちへ行きなと手で追い払うと、女は子供を抱えてパタパタと走り去った。


「大事な事?」


「ああ、あたしらにとって大事な話よ。それをあの人は教えてくれました」


 私は姉妹の目を見て、語りかけた。


「冒険者は隣の村に居るってね!」


「「あっ!?」」


 驚く姉妹を尻目に、私は戦闘終了と集合の合図を、指笛を吹き鳴らして数度送った。


 ぴゅ~いぴゅ~いと吹き鳴らし、それから傍らの農家に声をかける。出来るだけ、優しく。


「もう襲いません。村を騒がせてすいませんでした。どなたが、村長さんを呼んで来てくれませんか? お話したい事があります」

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