第3話

犬養くんとすぐバイバイしたのは惜しい気がしたけど・・でも、あんなにたくさんしゃべったのは、今回が初めてだった!


私は枕を抱いてキャーキャー言いながら、ベッドでゴロゴロ転げ回ってあの時の、ドキドキした気持ちと胸のトキメキと、そして喜びを表現した。


・・・私、ヘンな顔してなかったかな。

間抜けな受け答えしかしてない気がするんだけど・・・でも、今更どうこう悔やんでも仕方ないよね。


そっかぁ。犬養くん、野菜作りやってる・・じゃなくて、実家のお手伝いしてるんだ。

だから健康そうで頑丈そうなガタイしてて、肌も日に焼けてるのね。

白い歯とのコントラストが、すんごくカッコ良かった・・・!


私は再び枕を抱いたまま、ベッドで2・3度転げ回った。


・・・でも。犬養くん、貸農園のお手伝いを時々してるってこと、周囲にはあんまり知られたくない、っていうような顔をしていた気がする。

嫌なのかな、貸農園のお手伝い。

規模がどんだけ広いのかは私も知らないけど、農作業は大変な重労働なのかもしれない。

でも・・でもよ?

それでも、お兄さんがヘルプを頼めば、犬養くんはちゃんと行ってる。

ということは・・犬養くんって実は、畑仕事が好きなのかもしれない。


「好きと言えば・・・彼女、いるのかな。それとも好きな人とか・・・いそうよねぇ!てかいるよね彼女!だって、あんなにイケメンで、しかも性格だってメチャクチャ良さそうだし!・・・少なくとも、優しくて礼儀正しい」


犬養くんが私に母のお悔やみを言ってくれたことが、私の中で彼に対する好感度をますます上げていた。


「いいなぁ。犬養くんの彼女は。きっと犬養くんには甘えて頼って、それでいて等身大の自分でいれて・・一緒にいるのが自然な感じなんだろうな」


私は枕を握り抱きしめたまま、ひとり呟きながら、色々なイメージを膨らませていた。

たとえば、犬養くんと私が、とあるカフェで向かい合って座り、笑顔で仲良くしゃべっているところ。

たとえば、犬養くんが私に手料理をご馳走するために、自分が収穫した野菜を使って野菜炒めを作ってくれていたり。

たとえば、横向きで寝ている私を、背後から抱きしめるようにして、二人ベッドで寝ている姿。

もちろん、収穫したばかりの、土がいっぱいついている人参を、誇らしげに掲げ持ってる私の姿を見て、眩しそうな笑顔と、愛おしそうな表情を、私に向けている犬養くんも・・・。


そういう未来さきのシーンを、いともたやすく想像できたこと。

更に言えば、そういうシーンがどんどん思い浮かんできたことに、我ながらビックリした。


これも、「充実した暮らし」に関するモノやコトに、私が焦点を当てて生きているせい、なのかな・・・。











翌朝。私は目覚ましをセットしていた7時より、数分前に目が覚めた。

ベッドに上体を起こした私は、両手を上げてグーンと伸びをした後、カーテンを開けた。

シャッという切れの良い音が、辺りに響く。


・・まだ外は薄暗いけど、今日はいい天気に間違いない。絶好の農作業日和じゃないの!


それだけでテンションが上がるのを意識しながら、私は心の中で「よし」と呟き、一日をスタートさせた。




父は、事もあろうか、千葉にある建売住宅を一目見て「買う」と即決し、誰にも――もちろん娘の私にも――相談せずに、サッサと引っ越しをした。

母が亡くなった数ヶ月後の話だ。

千葉には友人も、知人も、そして親戚等もいないというのに・・・。

どうして千葉なの?と父に聞いたら、思いもかけない答えが返ってきた。


『父さんは仕事を退職したら畑仕事がしたいと思ってたんだよ。母さんと一緒に。母さんと一緒にすることは叶わなくなったが・・それでも、もし母さんがまだ生きてたら、やっぱり母さんも“畑仕事をしたい”と言うだろうと思ってな』


もちろん、本格的な農業を始めるのではなく、あくまでも自分が食べられる分を賄える量程の、いわゆる家庭菜園規模で構わなかった。

でも、東京のような都会で、庭(畑)付きの一戸建てを買うとなると、予算が足りない。

そこで父は、郊外や田舎の方へ視野を広げた。結果、千葉の建売住宅を見つけたそうだ。


実は、父が買った千葉の家の近くには貸農園があった。それも、その家を買うと決めた大きなポイントだったそうだ。

それまで住んでいたマンションから、その貸農園まで通う時間や、かかる交通費等を考えると、やっぱり住居の近くに畑があった方が何かと便利だから。

しかしその貸農園は、今年中に農園を止めて、駐車場に変わることになっていた・・と聞いたのが、家を買った後で・・・。

でも父は、そこで諦めなかった。


家からなるべく近くて、畑を貸してくれる他のところを探し、ようやく見つけたところ、そこは満杯で、キャンセル待ちの状態だった。

それでもいいと、ひとまず名前だけでも「お待ちリスト」に載せてもらっていたところ、意外と早く「空きができましたので」と返事が来たのが、つい先日のことで。

ようやく父と、亡くなった母の念願だった畑仕事が、今日できることになったというわけだ。


でも、父は今まで畑仕事に従事していたわけではない素人だから、初日の今日は、どのような野菜を植える(植えたい)のか、植えた野菜の育て方、手入れの仕方といった説明を地主さんから受けつつ、種まきをすることになっているらしい。


私は一旦、父が住む千葉の家まで自家用車を飛ばして、それから父と二人、それぞれ車を運転して、父が契約したばかりの畑へ行った。





「ここ?」

「ああ」

「へぇ・・・」


着いてビックリしたのが、貸畑は意外と広かったこと。

そして、父と同じくらいの年代の人だけでなく、私と同じ30代とおぼしき人たちも、それぞれのペースで畑仕事を楽しんでいることだ。

まぁ、私と同じ30代とおぼしき若者は、父と同じくらいの年代の人たちよりもかなり少なかったけど。


更にビックリしてしまったのが・・・。


「お待たせしました。ようこそ。犬養農園の・・・あ。町田さん」

「い、犬養くん!?」


まさか今日、こんなところで、あの・・私が片思い中の犬養くんと会えるなんて!

父が借りた畑の地主さんが、犬養くんのご両親と、お兄さん夫婦が経営されている貸農園だったなんて知らなかった私は、偶然のに、心底ビックリしてしまった。


「新規のお客様の名前、俺は今朝知って。“町田さん”って聞いてたから“あ”とは思ってたんだけど・・まさか本当に町田さんのお父さんだとは思わなかった」

「わ、わたしもねっ、全然知らなくて!ホント・・・ビックリした」


両目をパチパチさせながら、知らないうちに心臓がある左胸あたりを両手で押さえていた私に、犬養くんも、最初の方こそ「ビックリしたー」って顔をしていたけれど、すぐに私を安心させるような笑顔を見せてくれた。


こ、これっ!この笑顔がたまらなくステキなのよ!

しかも今、犬養くんは、に、あの笑顔を見せてくれている!

もうそれだけで、私・・・幸せ。ここに来た甲斐があったわぁ、と満足感に浸りきっていた私と、状況がよくのみ込めてない父に、「町田さんとは同じ職場なんです」と簡単に説明してくれた犬養くんが「じゃ、早速始めましょうか」と、その場を仕切ってくれた。



その場所(土地)によって、栽培に向いて(適して)いる野菜と、そうではない野菜がある。

犬養農園では、貸農園の土地でも育つ野菜の種や苗を販売していて、犬養さんが所有している畑――つまり犬養農園の貸農園――で畑仕事をする場合、種や苗は、畑の借主にあげている。

それら種や苗も、土地(畑)の借賃に含まれているそうだ。


「それだと畑仕事初心者でも、難なく始めることができますから」

「なるほどねぇ・・・。お父さん、どの野菜植えるか決めた?」

「ああ。これと」

「ニンジンですね」

「これと」

「キャベツと」

「それから、これと」

「これはレタスですね」

「あとはこれ」

「ズッキーニ。まだまだ大丈夫ですよ」

「う~ん。まだまだって言われてもなぁ。私じゃあもう何選んでいいか分からんから、犬養さんが選んでくれませんか」

「お父さんっ。そんなもう、他人任せで」と小声で叱る私に構うことなく、犬養くんはあっさり「はい分かりました」と答えて、すぐ選び始めた。


あぁ、犬養くんの即決断力が、ますます彼自身を頼もしく見せている!

もうこの人に背中預けてもいい、って感じ。

ううん、背中だけじゃなくて、身も心も全部・・・。


「・・・トマトにさやえんどう。あと、大根とネギは意外と簡単で、ニョキニョキ元気に生えてきますから、収穫し甲斐がありますよ。白菜も入れておきましょうか」

「そんなに管理できるかなぁ」

「大丈夫です。町田さんはお一人で畑仕事をされるんですよね?」と聞いた犬養くんに、父は頷いて応えた。


「だったら、植える野菜の種類を多めにして、少量で多品種の野菜を季節ごとに収穫する方が、後で楽しみが増えますよ。それに、その方が家庭菜園規模向きです」と説明してくれた犬養くんに、「あぁそうね」と私が、「なるほどなぁ」と感心した声で、父が言った。


さすが、実家が元農家なだけあって、犬養くん自身はまだ若くても、「時々週末ファーマー」でも、自分の農園で作れる野菜の知識はちゃんと持っていて、畑仕事は初心者で素人の私たちにも、分かりやすくキチンと説明してくれる。


「町田さんが来られないときは、うちの者がちゃんと世話しますので」

「ホント、至れり尽くせりなんだねぇ」

「うん・・まぁ、借主さんたちもそれぞれ事情があって、畑につきっきりってわけにはいかないときもありますから」

「この農園に決めて良かったよ」

「ホント、良かったね、お父さん」


犬養くんと父が選んだ苗や種を手押し車に乗せて、私たちは早速、第一回目の畑仕事にとりかかった。

「時々家業を手伝ってる」と言っていた犬養くんは、父や私のような初心者(しかも今回が一回目)とは違って、畑仕事は手慣れているように見えた。

サッサッと苗を植える手つきはカッコよく、まるで水を得た魚のようにイキイキして見える。

つなぎの作業着姿や、汗が光る、日に焼けた顔。ゴツゴツした大きな手には、土がついて・・。

その全てが、今、ここにいる犬養くんにピッタリとマッチしているように、私には見えた。


やっぱり犬養くんは、畑仕事が好きなんだ。

そして私は、そんな犬養くんが・・ううん、そんな犬養くんも、好き。


「・・どうしたんですか?町田さん」

「えっ!?いやっ。えっと・・・」


いやぁ。ついあなたに見惚れてしまってました・・なんて言えないし!


「やっぱ、土いじりは嫌ですか」

「え。なんで?」

「いや・・汚れるし。特に手の指と爪の間に土が入ると、なかなか取れませんからね」

「軍手してるから大丈夫じゃない?まぁ、それでも土ついちゃったら洗えばいいんだし。それより犬養くん、ここに土、ついてるよ」と私は言いながら、自分の右頬あたりを人さし指で示した。


軍手の、その場所に土がついていたことを、すっかり忘れて。


「あ。町田さんもそこ、土ついちゃいましたよ」

「あらっ。そうだった。軍手にも土がついてるんだった!しょうがないなぁもう私ったら。畑仕事が終わった後で洗うわ」

「今洗わないんですか?」

「今洗っても、また汚れるかもしれないじゃない。それに、土はばい菌じゃないんだから、ちょっとついたくらいで害はない・・・でしょ?」


よく分からなかったので、最後は犬養くんに問いかけた。


「ないです、けど・・・」

「けど、なに」

「あ・・女の人ってそういうの気にすると思って」

「あああぁ、そうよねぇ。私って、ホント、がさつで面倒くさがりだから。もっと見た目を気にしなきゃいけないんだろうけど」

「いやいや!そういう意味で言ったんじゃないです。ホント。俺はただ、ビックリして・・いい意味で、です。だから、気にしないでください。てかその・・町田さんは、見た目もキレイです」

「・・ぁ・・・あ、りがと」


・・・犬養くんが、「キレイです」って言ってくれたことが信じられないくらい嬉しかったけど、「見た目」と言ってくれたことが、それ以上に嬉しくて・・・。

私の心にじぃんと浸透するのに、数秒かかってしまった。


もう私、感激して泣きそう。なんだけど・・・畑仕事、再開しなきゃ!


犬養くんと一緒に、ってだけじゃなくて、犬養くんにステキな褒め言葉をもらったから、私はもっとがんばって、そしてもっともっと畑仕事を楽しんですることができた。


ここの新しい畑主であるお父さんも、楽しみながら作業できたようだ。

「土を触っていると、母さんを身近に感じることができた」と、穏やかな笑顔で言っていた。

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