第2話

犬養くんの存在を、恋愛対象として特別に意識し始めたのは、今から3ヶ月程前。ライター副業を始めて5ヶ月ほど経った頃だ。


犬養剛いぬかいつよしくんは、私と同じ会社に勤めている。だから犬養くんのことは、それ以前から知ってはいた。

でも犬養くんは営業で、私は事務。

つまり仕事上の接点はないので、仕事にかこつけて話しかける「きっかけという名のベタなテクニック」は、はっきり言わなくても使えない。


しかも、犬養くんは私より3つ年下だ(だから私は犬養「くん」と呼んでいる)。

私の恋愛で「年下の彼」というのは過去一度もなく、今後もあり得ないというのが、私の設定だった。

だから犬養くんのことは、最初から恋愛対象外だった。はずなのに―――。


ある日、彼の笑顔を偶然見たとき、母を亡くして間もない私の、意気消沈した真っ暗な心に、パッとあかりが灯ったような、そしてフッと心が軽くなったような気がして・・・。


心臓のあたりがドキンとしたのを皮切りに、それからドキン、ドキンと胸が高鳴り始めて・・・「あぁ私、今を生きてるんだ」って・・・思った。


これが恋?

いや、これが、「一目惚れ」ってやつ?


あのとき犬養くんは、私と話をしていなかったどころか、私に笑顔を向けたんじゃなかったのに。

ホント、恋の始まりはいつも・・ヘンなの。




私が会社で見る限り、犬養くんは、奇抜な服装スーツを着ているわけでもない。

一部の隙も無いような恰好をしているわけでもないけど、もちろんだらしない恰好もしていない。

お給料に見合った額のスーツを、きちんと着こなしてる。

営業という仕事柄、外に出て人に会い、なお且つ相手に好い第一印象を与えなければならないという、基本はしっかり押さえた無難なスタイルだと思うところに、彼の堅実な面を見た。

スーツとワイシャツ、ネクタイの色の組み合わせ、形、全てが彼に似合ってるところに、自分の良い所を知ってるんだなと思った。


髪は短め、というより坊主に近いところに、私は一人勝手に爽やかな清潔感を感じている。

背が高くて日に焼けて、意外とガッシリ系な体格の犬養くんだったら、真っ白なTシャツにブルージーンズという恰好も似合うはず・・・なんて、一人想像してニヤけてしまうなんて!


・・・少なくとも犬養くんは、前彼のような「“自称”アウトドア派」じゃあないと思う。

たとえアウトドア派じゃなくても、「俺、アウトドア派じゃないですよ」と、正直に言うようなひとだと思う。つまり、嘘はつかないオトコ

まぁどっちにしても、犬養くんは見た目、スポーツ万能か、何かしらのスポーツが得意って感じだから・・・ということは、私好みの「健康体」だってことじゃない!


あぁもう私ったら、なんで今まで犬養くんに目、つけなかったんだろ。と考えていた矢先、エレベーターのドアが開いて・・・。


本人の犬養くんが、入ってきた!


密かに驚いている(顔には出さないよう、気をつけていたつもり)私に、犬養くんは飄々とした普段のクールな表情で、「おつかれさまです」と言ってくれた。


「ぁ・・・!」

「おぉマッチだー。おつかれー」

「え?あ・・・」


よく見ると、犬養くんの隣に、私の同期の春日さんが乗っていた。

春日さんとは比較的仲が良いというか、同期の中では割と話す方だ(だから春日さんは仕事じゃない話のとき、私のことを「マッチ」というニックネームで呼ぶ)。

とは言っても、会社内で会えば、の話だけど。

・・今頃春日さんの存在に気づくなんて。どこまで驚いてたんだろ、私は・・・。


「か、春日さん。おつかれさまですー・・・ぇと、犬養くんも」


ば、バカ私っ!犬養くんには春日さんの後で、「ついで」みたいに言っちゃうなんて!


心の中で自分を責めてる私に、犬養くんはもちろん、春日さんも全然気づいてない様子だ。

ていうか犬養くん、「私にはもう挨拶済ませたからいいや」的にほったらかし状態じゃ・・・。


ちょっとへこんでいたところに、春日さんが「これから飲みに行かないか」と誘ってきた。


「これからですか。う~ん・・すみません。私、明日仕事があって朝早いんです。それに、お酒抜きの状態で臨みたいなと思ってるので」

「え?マッチ副業やってんの?いつから」

「5ヶ月くらい前からです。母のことがあって、なんか元気が出るような気晴らしが必要だと思って」

「そっか・・」

「お母さんのこと、お悔み申し上げます」

「え!?な、なんで犬養くんが知って・・・」

「春日さんから聞きました」

「あ・・・・そぅ。そっか、そうよねっ」


何となく気まずい(と私は思った)雰囲気を払うように、ハハッと笑った私に、春日さんが「何の副業やってんの」と聞いてきた。


「あーっと、ライター業を少々。充実した暮らしに関するコラムを、とあるウェブサイトに書いてるんですよ」

「へぇ」

「実は、父が野菜作りをしたいと言い出したんです。でも完全な農業じゃなくて、なんていうのかな・・自分で管理できる分を、少しだけ。それで明日、貸してもらえることになった畑を見に行くことになってるんです。父一人だと心もとないし。ついでだから、そのことを記事にしようかなって考えてて。週末だけ農業をしている人とか、自分の庭で小さな家庭菜園してる人とかいるでしょ?」

「あぁいるいる。ここにも」

「え?」


春日さんが言って、親指を指した先には・・・犬養くんがいるんですけど・・・。


「こいつんところ、実家が農家やってんだって」

「昔の話ですよ。今は、町田さんがさっき言ったみたいな家庭菜園規模に縮小されてます。でも土地は余ってるから、それを畑仕事がしたいと言ってる人に貸してるんです」

「あ・・じゃ、犬養くんちって貸農園、やってるんだ」

「あぁそれそれ。そうです」


・・・きゃあ!私、今、犬養くんとしゃべってる!

しかもたった今、犬養くんは私のこと「町田さん」って言ってくれた!

ってことは、犬養くん、私の母が亡くなったことだけじゃなくて、名前もちゃんと知っててくれたんだ・・・。


嬉しい。すっごく嬉しい!


「・・・で、俺も時々手伝ってるんです。俺の場合、副業までは行ってないんですけど」

「あ、そう~」

「だからこいつも今日は飲みに行けねぇって。あー今日は一緒に行ってくれるヤツ、誰もいなさげだなー」

「大人しく家に帰れってことじゃないですか」

「えーっ!?やっぱマジでダメ?ツヨシくぅん。俺は寂しいなぁ」と大げさに嘆く春日さんに、犬養くんと私は、クールに「おつかれさまでした!」と挨拶をした。


「分かったよ。もう俺、帰るわっ!」

「俺も帰ります」

「あ・・犬養くんは・・」

「はい?俺はこっちです」


地下鉄の方向を指さしている犬養くんに、私は心底「惜しい!」と思っていることを悟られないようにしながら、「ああぁそう・・・。私はこっち」と、反対方向を指さした。


うぅ、またしても接点がない・・・。


「えっと、犬養くんも、明日は実家の方のお手伝いがあるんだよね」

「はい。明日は新規の方が来てくださるって聞いたから、ちょっと忙しくなりそうなんで、おまえも手伝えって兄に言われてるんです」

「そっか・・。あ、じゃあ、犬養くんも畑仕事してるの?」

「えぇ、まぁ・・・。両親は高齢で、広大な土地を二人で管理するのは難しくなってるから。それで貸農園を始めたんですけど、そっちの方の管理と経営は、主に両親と兄夫婦がやってくれてます。俺はホントに忙しい時の助っ人って状態です」

「そぅ。正直言って私、畑仕事ってしたことないんだけど、なんか、なんていうのかな・・楽しくて気持ちよさそうってイメージはあるんだよね」と私が言うと、犬養くんは、さも意外そうな、ちょっと驚いたような顔で「え」と私に言った。


「なに?私、ヘンなこと言った、かな」

「あ。いや、そうじゃなくて。土いじってる町田さんって、なんか・・想像してなかった、っていうか・・」

「あら。私、そういうことしなさそうに見える?」

「ぶっちゃけ、田舎生活とは無縁で、虫見たらギャーって騒ぎそうなタイプだな、と」

「う・・まぁ、そうね。虫で騒ぐのにも種類によるけど」

「なるほど。そうですね。ハハッ」


・・・きゃあっ!犬養くんが・・あの、遥か遠くの存在だった犬養くんが!

今、私と会話してくれて、しかも私が言ったことに笑ってくれてる!

あぁ、なんて爽やかな笑顔なんだろう。

ううん、笑顔だけじゃない。全身、全てが爽やかなひとだ!


私は胸をキュンキュンさせながら、一緒にクスクス笑っていた。

だけど、そんな楽しいひと時も、犬養くんが時計を見たことで終わりを告げた。


「あ。明日、朝早いんだよね。ごめんね、こんなところで引き留めたりして」

「いえいえ。俺の方こそ、町田さんに失礼なこと言ってすみませんでした。明日はぜひ、土いじりを楽しんできてください」

「ありがとう。じゃあ、ね」

「おつかれさまですー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る