ミス・マッチ?! 

桜木エレナ

第1話

好きな人ができた。

久しぶりに恋をしてしまった―――。



私、町田美直まちだみなお。ただいま34歳。

とある会社で事務の仕事をしている傍ら、書くことが好きな私は、副業でウェブライターをしている。

「自由に、柔軟に、フレキシブルに」をモットーにしているうちの会社は、幸いにも副業オッケー(但し本業に支障が出ないことが絶対条件)なので、副業をしている社員は意外と多いようだ。


そして私、彼氏いない歴6年。年下の犬養くんに片思い歴・・・3ヶ月目に突入。


25を過ぎても、恋愛のチャンスがあまりなかった私は、28のときに婚活を始めて、そのときにできた彼氏と結婚するんだと・・・当時の私は思っていた。

いや、本心を白状すれば、前彼まえかれと結婚したかったわけじゃない。

でもあの人まえかれは、「背が高く、頼りがいのありそうな」外見で、そこは私が婚活所で挙げていた「理想の彼氏の外見」の条件にピッタリだった。

少なくとも外見は。


ただ、言ってることとやってること、つまり言葉と行動が一致してないんじゃないか?と思われる節があった。

例えば「俺はアウトドア派なんだ」と言った前彼に、「じゃあ友だち誘ってキャンプ行こうよ」と私が言うと、「俺、虫嫌いだから行かねぇよ」という返事がきた・・・。


それで結局キャンプは止めて、公園の広場でバーベキューにしたんだけど・・・『あなた、”アウトドア派”じゃなかったんですか・・・?』と、私は心の中でその疑問をずっと呟いていた。


しかもそのバーベキューのときだって、「俺は男だから料理しない」と言って、なんにも――肉を焼くことも――手伝おうとしなかったし!

もちろん、火を起こすことすらあいつはしなかった。

というより、普段から料理は私任せだったあいつは、火の起こし方すら知らなかったんじゃないかと、私は今でも思ってる。たぶん、だけど。


みんなそれぞれ分担して、色々な作業をしている間、前彼はもう一人の男子とタバコを吸いながら雑談に励んでいた。

「手伝おうか」という一言すら、なかった。


そんな前彼の姿を見て、私はあいつのことを初めて「カッコ悪い」と思った。

「私の彼よ!」と友だちに紹介することが、恥ずかしいと思った。


あいつの外見に、文句はなかった。

でも、中身・・もっと詳しく言えば、私たちの間には価値観の違いがありすぎた。

私は前彼の価値観を受け入れることができないと気づいたのは、つき合い始めて4ヶ月が経とうとしていた頃だったと思う。


それでも私は、前彼と別れようと思わなかったのは・・・前彼このひとを逃したらもう、結婚するチャンスはなくなると思い込んでいたからだ。

そのとき私は、「前彼と結婚すること」より、「結婚そのもの」に執着していた。

結婚することに女として生まれた意義があるんだと、完全に意味をはき違えて思い込んでいた。

だから「この人は私の結婚相手じゃない!」と、心の奥底では分かっていたものの、別れを切り出すことは、怖くてできなかった。

できないまま、前彼とのつき合いを、ズルズル引きずり続けていた。


でも前彼の方も、私と一緒にいることで、そういう・・違和感や、居心地の悪さのようなものを感じていたのかもしれない。

結局私が別れを切り出す前に、あっちの方から「もう別れよう」と言われて、私たちの仲は、ジ・エンドとなった。


前彼に「もう別れよう」と言われたとき。

私はあの人に、「ありがとう」と言っていた。


咄嗟に出た言葉だったけど・・それは私が言えなかったことを、あなたが代わりに言ってくれたことに対する「ありがとう」だと思う。

別れを切り出されて泣くどころか、「おまえ、なんでホッとした顔してるんだよ。ったく。拍子抜けだぜ」と、前彼はボソッと言ってたっけ。


その一件を経て、心の底からつくづく思ったのは、「恋愛って面倒くさい」だ。

誰かを好きになったときの、幸せな気持ちや楽しさ、嬉しさも含めて、誰かのことを思って悶々としたり、苦しんだり、不安になったり怒ったり、恥ずかしいと思ったり・・そんな風に味わう諸々の気持ち、体験、経験、全てが面倒くさいと思ってしまった。

だからそれ以降、恋愛はご無沙汰していた。

結婚願望も消えていた。

母が亡くなるまでは。


滅多に感情を表に出さない寡黙な父が、亡くなった母の冷たい手を握って、男泣きに泣いている姿を見たとき、私の中で唐突に「結婚したい」という願望が、ムクムクと沸き起こってきたのを感じた。


あれほど結婚なんて面倒くさいと思って避けていたのに。

だから、恋愛もしない三十路女になりきっていたのに・・・。


でも、結婚したい。いや、結婚できなくてもいい。

両親のように、どちらかが死ぬまで一緒に添い遂げて、死んだときには亡骸にすがってオイオイ泣くか、泣かれて、相手の死を悲しむことができるような、そんな関係を築きたい。

少なくとも、心から私を愛してくれて、心から愛することができる男性ひとに巡り会いたいと、そのとき強く、切実に思った。


だからと言って、婚活所に再入会して婚活に励もうとか、出会いを求めて合コンに行きまくるといった、具体的な行動は起こさなかった。

婚活に関しては・・前の一件で懲りたというのもあるけど、34になったとき、私は「結婚しなきゃいけない」という呪縛からは、もう解き放たれていたというのもある。


恋愛や結婚が、自分の人生のゴール、最終目的ではない。

私にとってそれらは、人生の節目であり、通過点になる。


だから私は、結婚や恋愛相手を探すための具体的な行動は起こさなかった代わりに、私自身が「今日も充実した一日を過ごせた!」と思える毎日を過ごすことに、焦点を当てることにした。


充実感があれば、日々の暮らしに満足する。

そして充実した日々の中の一部として、「恋愛」や「結婚」はあると思ったから。


そう決めてから私は、「充実した暮らし」に関するコラムを、とあるサイトに書くようになった。

そのサイトを見つけたのも偶然で、そこでライターとして採用してもらったのも、本当にトントン拍子にすんなり決まって、自分でもビックリした。


だた、私の頭の中には、「こういうことが書きたい」「ああいうことを書こう」といった、漠然としたアイデアはあるものの、書く具体的な内容は全然決まってない。

手探りの段階から始まった素人ライター副業は、こうして始まった。


本業の仕事が休みの週末になると、私は記事を書くために色々と考え、時には外に出て、実際に体験してみるようになった。

でも、「書くことが好き」とは言っても、あるテーマについてコラムを書くとなると、話は難しくなる。

私、読書感想文書くの、苦手だったし・・。

「書け」と言われて、すぐスイスイ書ける人がうらやましい・・・。


それでも私は、新たに「書く」「体験する」行動を起こしたことで、自分の人生が、段々変わっていくのを感じた。

もちろん、記事がまとまらない、文章が下手すぎる、とへこむこともあった。だけど、それ以上に毎日が楽しいと思えるようになった。

何より、日々の暮らしが充実してると思うことが多くなった上、微々たる額だけど、(「書く」という)好きなことをして、お金(原稿料)がもらえる。

しかも、私が書いた記事を読んでくれた誰かの役に立っているということが、お金以上の対価と喜びを得ていると思えるのだ。


私は進みたいと思う方向へ、ちゃんと進んでるという実感が、自分自身に対する自信につながった。


本業の事務職に対する意識も変わった。

今まで「単調」で「退屈」だと思っていた事務の仕事が、退屈だと思わなくなった。

仕事の内容は今までと変わりない「単調」そのものだし、仕事や、それ以外のことで、何か大きなことをやり遂げた!というような日でなくても、「生きた証を残すために何かやらなきゃ!」みたいな焦り、ひいては人生に対する焦燥感を感じることが、各段に少なくなった。


「最近の町田さん、落ち着いたね」と会社の同僚の何人かからは言われ、「なんかマッチ(私のニックネーム)、イイ感じに変わった」と、友だちや職場の人に言われることが多くなった。

外見のイメチェンだってしてないのに。不思議なこともあるものだ。

でも、それはきっと、「イイ感じ」に満たされている内面が、外見の、恐らく表情などに出ているからなのかもしれない。


充実感と満たされる気持ちが多ければ多いほど、幸せを感じることが多くなる。

それこそ、私が望んでいた生き方だったんだ―――。

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