第九話

 一通りの仕事を終わらせ、光司は研究室を出て鍵を閉めた。

 桜はもう図書館の仕事は終わらせているだろう。腕時計で時間を確認しつつ、駐車場へ向かう。


 構内の桜はそろそろ満開だろうか。学校らしく、メイン通りの両側にはびっしりと桜の樹が並んでいる。

 光司は、この花が咲くと、妹のことを思い浮かべる。

 同じ名前なのだから当たり前のようだが、光司の理由は少し違う。

 桜が光司の妹になったのが、この季節だったから―。


◇◆◇


 桜は、生まれてすぐ両親を亡くした。

 飛行機事故だったらしい。一番弱くもろいはずの桜だけが、生き残った。

 桜の両親と大学時代からの親友だった光司の父が、桜を養女にしたのが、光司が中学に上がるときだった。

 きゃっきゃとよく笑う赤ん坊で、小さな手でぺちぺちと光司の顔に触ってきた瞬間を、今でもよく覚えている。

 その瞬間、光司の中で、桜は『護らなければいけないもの』になったのだから。


 以来ずっと、光司は桜を『護って』来た。

 初めてのアルバイトをしようかと言い出した瞬間、不特定多数の野郎たちの目にさらされる桜を想像し、いてもたってもいられず、自分の勤務先に話をつけた。

 大学の図書館なら健全だし、自分のテリトリーだし、司書長の松野は信頼できる女性だ。

 

 まだまだ桜は自分の手の中で護っていかなくてはいけない。

 それが続けられる環境を作り上げられたことに、光司は満足していた。


◇◆◇


 ほぼ「知らない人」である河野に肩を抱かれながら、彼の発言に首をかしげる。

 私が桜の樹みたい?

 それは名前が『桜』だから…?

 今までも散々言われてきたし、男の子からはいじめの理由にもされてきたから、正直あまりいい気はしない。

 しかしバイト先の人に感情のままふるまうわけにはいかない。

 警戒心を抱きつつ、河野に問いかけた。

「私が桜の樹みたいって、なんでですか?」

 まっすぐな視線が向けられることに微かに新鮮味を感じながら、河野の手は桜の肩から彼女の髪へ触れようと動き始めた。

「ん?だって、華やかで堂々としていてみんなに注目されるところなんて、そっくりじゃない?」

 知らない男の手が自分の首筋に触れた瞬間、桜は寒気を感じて飛び退った。

 が、逃げようとした桜の手首を河野は逃さなかった。

「そ、そんなことないと思います…。確かに桜の樹はきれいだけど…」

「桜ちゃんだって綺麗だよ?初めて見たときはびっくりしたくらい。こんな子うちの大学にいたっけ、って」

 優し気な話し方とは裏腹に手首に徐々に込められていく力に恐怖を覚え、とにかく逃れたくて思わず叫んでしまった。


「ごめんなさい!私彼氏いるんです!」


 その言葉にその場で一番の衝撃を受けたのは、桜を探しに来た光司だった―。

 

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