第七話

「進藤桜です。よろしくお願いします!」

 今日は桜の初出社日。といっても桜の春休み期間中だけだから、正味10日の勤務先だが。

 勤務初体験の桜はガッチガチだ。どう振舞えばいいのか、言葉遣いは間違ってないか。ただでさえ周りは大人(=自分より年上)ばかりなのだ。

「進藤さんは航空力学科の進藤先生の妹さんなの。高校生だから春休みの間だけだけど、皆よろしくね。」

 大学図書館の司書長・松野さんが優しくフォローしてくれた。30歳くらいの優しそうな女性。面接で兄・光司に紹介されたのが松野さんで、桜は一気に安心感が高まったのだ。

「よろしくねー。」

「よろしく!へぇ、進藤先生の妹さんなんだー。」

「はい!よろしくお願いします!」

 二つ折りになりそうな勢いで頭を下げる。まずはスタートは間違っていなかったようだ。

 その後、最初は松野さん、その後は先輩たちの後ろにくっついて、本を分類したり管理用のバーコードシールを貼り直したり処分する本をダンボールに詰めたりして、あっという間に1日が終わった。


「進藤さん、お疲れ様。はい、これ。」

 体力的には全く問題なかったが、終日緊張し続けたせいで精神的疲労でヘロヘロになった桜に、松野は冷たいお茶のペットボトルを差し出しながら労わってくれた。

「うわー!ありがとうございます!」

「もうすぐ進藤先生が迎えに来るから、それまでは休んでてね。」

 ニッコリ笑って離れていく松野を目で追うと、桜には『休んでいてね』と言ったのに、松野自身は皆の作業の続きを始めた。

「あっ、私もやります!」

「いいのよー。桜さんはもう終業時間だし。私は作業が途中なのが気になるだけだから。」

「いえ!まだ全然疲れてないので!」

「あらー、嬉しいけど、せっかくのお茶が温くなっちゃう。冷たいうちのほうが美味しいよ?」

 桜が左手に握り締めたペットボトルを指差して、やんわりと押しとどめてくれた。

 そうだ、松野の好意を無にするわけにはいかない。

 そこで納得して、桜はおとなしくソファに座りなおし、お茶を開けた。


(松野さん、素敵だなぁ。私もあんな人になりたい…。そうか、バイトすると、家族や先生以外の大人と知り合える。そういうメリットがあるんだ。)


 『社会経験』の端っこをかじった気分で、桜は少し背筋が伸びた気がした。


 ぼんやりと松野の作業姿を眺めながらお茶に口をつけていると、後ろからドカッと堅いもので殴られた。

「っっっいったーーい!」

 案の定、バインダーを振り上げた兄が上から睨み付けていた。

「おまえなぁ!バイトの分際で何サボってんだ!松野さんがまだ作業してるのに!」


 だからそれは!と言い訳しようとして、やめた。

 もうお茶はちゃんと味わった。疲れも取れた。兄の言うとおり手伝うべきだ。


 兄の手からバインダーを奪い取って殴り返すと、第2発目が来る前に、桜は松野の下へ走っていった。

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