第5話 冷たい手の、皮膚の、伝えるもの

「ヴィクトール市の工場に、もうじき連中は襲撃かけるだろうって」


 どうやらいつの間にかうとうととしていたらしい。シャワーの音で、目が覚めた。出てきた友人に、枕を抱くような形でうつ伏せに寝転がったまま、彼は告げた。

 おさまりの悪い明るい茶色の髪を拭きながら、起きたのか、と友人は声をかけた。


「レプリカか?」

「うん。で、たぶん俺の部隊が出かけなくちゃならない」


 鷹は彼の近くに腰を下ろした。拭き終わったと思ったはずでも、髪の端からは、まだぽたぽたと水滴が落ちている。


「…そうか。それを告げられた?」

「まあね。別にそれについては問題がないはずなんだけど」

「こだわってる自分が居る、と。…やっぱり気になっているんだ?」


 そうだね、と彼はうなづいた。


「こないだ、ニュース見たろ?」

「ああ。俺も君と一緒に居たろう?」

「あの時の、レプリカの首領の顔、覚えているか?」  

「ああ。綺麗な奴だったよな」

「それだけ?」

「得体の知れない感じはしたな」


 そうなんだよな、とGは髪をかきあげ、ゆっくりと身体を起こした。


「俺はつまり、副司令の言うように、レプリカを…『暴徒を一掃』という感覚に、なかなかなれないんだ」

「変な奴だな。君は他の戦場行った時にも、そんなことは言ったことはないのに」

「俺も、変だと思う」


 黒い長い髪を身体にまとわりつかせたまま、彼はひざを立て、両腕で軽くそれを抱え込む。


「そんなことやり慣れてるはずなのにさ。それに相手は機械なのに。何でだろ?俺、妙に罪悪感がある」

「罪悪感」

「うん。罪悪感。人間相手よりずっと」

「それは仕方ないだろ。所詮俺たちは」


 鷹は言葉をにごす。無論Gはその続きを知っていた。


 俺たちは人間じゃあないんだから。 



 応答はなかった。

 この司令は必要以上に喋るということをしない。だから鍵がかかっていない以上、この司令室には入ってもいいということになる。そうなっているらしい。

 Gは最初にこの司令に会った時と同じように、緊張した面もちで扉を開けた。あの時と同じように、司令は実務にいそしんでいる。


「参上致しました」

「当初の命令に首肯したにも関わらず今回の出撃を辞めさせてほしいと申し出たと聞いたが」


 間髪居れず、司令は彼に訊ねた。まるで無駄なことは一分一秒でもしたくない、というような口調だった。Gははい、と答える。

 話は彼の直属の上官から回っているはずだった。考えに考えた結果だった。


「自分はこの件についてはひどく動揺しています。恐らくは今回の出撃でも冷静な判断はできないものと…」

「…」


 Mはすっと音も立てずに立ち上がると、ぱん、と鞭で軽く机を叩いた。その音にGはびく、と身体を震わせる。 


「それはお前のする判断ではない」

「は…」

「お前は兵士だろう」


 兵士は上官の命令を聞いていればいいのだ、と言外に含まれている。


「…ですが」


 大きく鞭の音が、再び響いた。彼の背筋に冷たいものが走る。


「変更はしない」


 短い言葉が、決定的な答を突きつける。


「だが弁解は聞こう。何がお前を動揺させる?」


 既視感が、彼を襲った。司令は席の前を離れて、ゆっくりと彼に近付いてくる。違うのは、あの時は自分は座っていて、今は立っている。そのことだけだった。


「言え」

「―――僕はレプリカ達を、『一掃』するのに、罪悪感があるんです…」


 詰まりかけた喉から、それでも本音が滑りだした。

 司令は、微かにその長い髪を揺らせた。同じ黒い髪だが、Gのそれよりもはるかに長い。


「罪悪感か。どんな」


 司令は机にもたれかかると、鞭をその手の中でもてあそぶ。Gはそれからやや目をそらしながら、それでもできるだけ本当のことを口にしようとした。

 下手に嘘をついても、見破られるなら、本当のことを、核心に触れない程度に言う方がましなのだ。


「判りません」


 ぱん、と前より軽い音がする。机ではなく、司令自身の手のひらの上で起こった音だった。

 何が判らないのだ、とその音は無言の抗議に彼には聞こえる。


「ただ、僕には、あれがただの機械には思えないのです」

「では何だ?」

「…判りません」


 再び、ぱん、と音がした。だが今度は、無言の抗議ではなかった。


「判らないくせにその様なことを言えるのか」

「…」


 Gは言葉に詰まった。だが言っていることは嘘ではない。


「では言ってやろう。お前はあれを同種だと感じているのだ。同類だとな」


 彼ははっと顔を上げた。

 それは彼が言うまいとしていたことだった。どれだけ表層的に本当のことを言ってしまおうと、その部分だけは言うまいとしていたことだった。

 何故、と彼は司令の顔を真正面から見据えた。だがその美しい顔は、ぴくりとも表情を変えはしてはいない。


「そんなこと…」

「我らが天使種と機械を同一視するなど言語道断」


 彼は弾かれたように身を引いた。その言葉は確かに自分の中にあったのだ。読まれたのか、と彼は突差に思った。


「今は読んだ訳ではない」


 司令は抑揚の無い声で続ける。


「それはお前の中にずっとあった言葉だ」

「僕の…」

「だがG少佐。天使種の何処が偉大だと言うのだ」


 司令は――― 第一世代の一人であるはずの者が、確かにそう言った。

 Gは耳を疑った。少なくとも、第一世代がそう口にするとは、彼は想像すらしたことがなかった。


「我々天使種は所詮は旧時代の人間と新天地の異相の生物が融合した新生物に過ぎない。それもあの惑星で生き残るための手段に過ぎない。それを何やら不死不老だからと言ったところで生物惑星であるHLM(ハーフリキッドメモリーズ)を頭脳に持つレプリカや生物的次元がややずれているゆえに生物の生気を取り入れ永く生きる古典的に存在している吸血鬼や魔物とどう違うというのだ?」


 その長い、抑揚の無い言葉に、Gは息を呑んだ。

 その言葉の全てを理解できた訳ではない。


 HLMが生物惑星? 吸血鬼や魔物? 


 引き合いに出されたもの自体が彼には理解のできないものだった。

 だが確かに彼はその言葉に混乱した。頭の中の何処かが、ひどく冷たく、すうっと醒めていくような気がした。

 身体中に、得体の知れない悪寒と震えが走った。それに気づいてか気づかないでか、司令の視線はずっと彼の上にあった。

 答を求められている。それに気付いた時、彼は愕然とした。

 答えなくてはならないのだろうか。


「…それは…」

「それは?」


 うながされる。近付く、大きく見開かれた深い黒い瞳から、目が離せない。


「こ、こたえられません」


 そう、答えられない。禁忌事項だった。

 誰も聞いていないような夜中、友人に愚痴のように漏らすのならともかく、この第一世代の一人に軽々しく口にしてもよいことではない筈なのだ。

 Mは黙って手の中の鞭を軽く手でもてあそんだ。その動作は、何故? と彼に訊ねていた。


「…それは…」


 ひゅ、と何かが空を切る音が聞こえた。そして次の瞬間、彼は自分の頬に鋭い痛みを感じていた。司令の鞭の先は、自分の頬に突きつけられていた。


「答えろ」


 Gは息を呑んだ。蒼の麗人は、無表情のまま、軽く彼の頬に突き立てたままの鞭を揺らした。その振動が伝わるごと、彼の背筋に恐怖に似た悪寒が走った。

 だがそれは恐怖に似ているだけで、そうではないことにも彼自身気付いていた。


「お前の考えを」

「…その通りです… 司令のおっしゃる通り…」

「何がその通りだ。言ってみろ。我らが禁忌を恐れているのか? 私の前だ。それが何であろう?」


 微かに、そのくっきりと線を描く唇が笑ったように、彼には思えた。くい、と鞭に込められた力が明らかに強くなった。


「…我々は、進化種でも神に近い存在でもなく、ただの複合生命体です」

 そして、この司令の言うことが本当なら。…レプリカが、ただの機械ではなく、何らかの生物だというのなら。機械の身体を借りただけの生物と言うのなら。


「レプリカをその意味で、追撃する資格などない者です…」


 頬に当てられていた痛みが消えた。微かに、ほんの微かにMの目が細められているように、彼には見えた。



 ―――何故自分がここでこうしているのか、彼には理解できなかった。

 ここが司令室の隣の仮眠室であることは理解できる。だがどうして自分がそこに。

 いや、経緯をどうこう言っているのではない。

 おいで、とあの蒼の麗人が手招きをした。だから部下である自分がこうしているのは、軍隊という組織の性格上、仕方がないことだった。

 だが、どうして自分がそれをよしとしているのかが、彼には全く判らなかったのだ。

 服を脱げ、と仮眠室の簡易ベッドに彼を座らせて、司令官は命じた。

 彼は言われる通りに服を取った。何をするつもりだろう、と一瞬考えた。答えは簡単なはずだった。だがそう疑問を持ってしまった。

 そしてその戸惑いは、彼の上官には、見通しのものだった。

 ゆっくりとその無表情のまま、Mは彼に近付くと、両手でぐい、と彼の顔を上げさせ、やや強引に唇を押し当てた。その見かけの優雅さからは想像もできない強引さに、彼は息を呑んだ。

 だが重ねられている唇も、絡んでくる、軟体動物のような舌も、ひどく冷たい。まるでそこには情欲の一欠片もないかのように。

 彼は混乱した。

 これほど相手が冷たいことは、初めてだった。

 友人のそれは、ひどく熱かった。相手自身がそれを欲しがっていることが、触れ合う彼にもたやすく判る程に、熱かった。彼はその声と、その熱さに酔っていた。冷静な思考はそこにはなかったし、必要ともしなかった。

 なのにどうだろう。

 彼は混乱した。

 相手の冷たさは、彼自身にもその冷静さを要求した。

 彼は自分の頭の中が不気味な程にクリアになっていくのを感じていた。嫉妬も混乱も、そこで意識を手放して眠りにつくことを許されなかった。

 

「昔私は一人のレプリカと会った」


 Mは抑揚の無い声で語る。長い黒髪が、ざらりとGの胸や首筋に落ちた。彼はその長い髪に指を絡めた。しっとりとした髪は、その身体同様、ひどく冷たく感じた。


「ひどく長い時間を一人で生きてきたのだと奴は言った。何故かと訊ねたらまだ終わっていないからだと奴は答えた」


 何のことだろう、とGは気を抜けば途切れそうになる意識の中で、言葉の意味を追いかけようとした。


 これは自分にかけられている言葉、自分だけに――― 逃してはいけない。


「生きていることは辛いかと訊ねたら当然だと答えた」

「…」

「それでは何故生きているのかと訊ねたら撒いた種は刈らねばならぬからと答えた。判るか?」

「…撒かぬ種は生えません…」


 妙なことを言ってしまった、とGはやや気恥ずかしさに顔を背ける。だがそれはすぐに司令の手によって元に戻されてしまう。

 悪くはない、と言いたげに目前の顔は笑った。凍り付いたようなその笑みに、むき出しの肩に背に腕に鳥肌が立った。それが悪寒であるのか、快感であるのか、彼には既に区別がつかなかった。


「私は奴自身に何の恨みもない。だが私は私の現在の役目上奴を追撃せねばならない。だが幸運なことにそれが奴の望みでもある。だから私は奴を追撃しなければならない」

「望み、ですか…?」

「そうだ」

「どんな…」

「奴の望みは全てかゼロだ。全てかゼロになった時初めて奴らは自分達のあるべき姿に戻ることができる。中途半端な事態など奴らは必要としない。従って我々は奴らを一掃しなくてはならないのだ。このマレエフに奴らは集結するはずだ。我々がなすべきことはあの工場ごと奴らを消し去ることなのだ」

「司令、それは!」


 急に身体を起こそうとしたため、彼の中に強い痛みが走った。

 彼は眉を寄せて、再び脱力してシーツの中に倒れこむ。Mはその様子には何の感情も動かされなかったかのように、言葉を続けた。


「この任務は母星が中央と掛け合って勝ち取ったものだ。そして母星の評議会議長が私を任命した」

「―――何故」

「この任務だけは人間なぞにそれをさせてはならないのだ」

「だけど僕達は…」

「それは我々の明日の姿であるかもしれないのだ」


 Gははっとして上官の顔を見る。


「我々が何故我々の正体を口に出すことを禁忌としていると思う? それは人間にとって忌むべきものだからだ。そして奴ら自身自分達もまたそうなる可能性のあるものだからだ」

「…」

「怖いのは我々じゃない。奴らが怖いのは我々のように人間以外のものに変わる可能性のある自分達自身なのだ」


 視線が絡む。Gはのぞき込んだその上官の瞳が、ひどく深いものであることに、初めて気が付いたような気がしていた。


「そしてこの任務の完了と共に我々の母星は中央に対し一つ貸しを作ることになるだろう。この先に必ず起こる覇権の最終闘争において」


 政治が絡んでいる。判ってはいるのだ。

 だがその言葉を聞いた時、彼は再び上官から目を逸らした。何かしら彼の中で、納得しがたいものがうごめく。

 それに気づいたのかどうか、上官は口を閉じ、代わりに彼自身を大きく動かした。揺さぶられる感覚に、Gは大きく息を吸い込み、そして呑み込んだ。

 ひどく胸が痛かった。泣くのをこらえている時の、あの痛みによく似ている、と埒もないことを考えながらも、彼の思考はそのあたりをぐるぐると回っていた。


「何も命令を受け取ったからとて一族のためとは限るまい…」


 果たしてMのつぶやきも彼の耳には入ったのかどうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る