第4話 新司令との出会い、自分を忘れたい夜

「…命令により参上致しました」


 彼はそう言って定められた敬礼をする。今までの司令ならそれは省略することが可能だったが、どうやらこの新しい司令にそんな不用意なことをしたら、何が起こるか判らない、そんな気がしていた。

 つ、と新司令は執務を行っていたデスクについたまま、顔を軽く上げ、近くの椅子を示した。

 座れということなのだろうか、とGは思ったが、言葉に出されない以上、気にしてし過ぎないことはない。彼はやや行動に移すのを戸惑った。

 すると今度は、司令の手が、再び椅子を指した。今度はその示すところは明らかだったので、彼も大人しく椅子に座った。


「本名か?」


 不意に、その声が飛んだ。彼ははっとしてその声の主を真っ向から見る。感情を何処かの次元に置き忘れたような眼差しが彼をじっと見据えていた。


「…通称です。本当の名は****」


 口に出す時には、やや時と場所を選ばなくてはならない。それが天使種の「名」だった。

 天使種にとって、口にされているのは、彼らの本当の名ではない。通称だ。彼らが本当の名を正しい発音で口にすると、空間が歪むのだ。

 故にそれはよほどのことがない限り、口にはされない。自分の存在を証明する時。それが彼らの自分の名に関する共通認識だった。

 Gだの鷹だのというのも、そんな通称に過ぎない。

 この司令についても、同じだった。

 その名が本当のものである必要もないし、上の代から付けられたものではなく、自分でつけたものであっても全くおかしくはないのである。しかも「上の代」が存在しない第一世代であるのなら。

 元々人口がそう多くもなく、出自よりも何よりも世代が問題となる彼らには、姓は無かった。

 他の惑星の者にとっては、なかなか奇妙な風習に映ったが、彼らはそれで納得していたし、特に不自由も感じてはいなかったのだ。


「いくつめだ?」

「…七番目です」


 なるほど、と司令は短い言葉を投げた。そしてつ、と立ち上がると、ゆっくりと、音をさせずに彼の前へと立った。

 Gはまるで自分が尋問を受ける罪人のような気がした。動かないその端正な顔は、動かないまま、それでもじっと彼を見据えている。

 そしてふと、その手が動いたかと思うと、優雅に彼の目の前で移動し、軽く上官を見上げる形となっていた顎に手をかけた。

 その手の冷たさに、彼の全身は鳥肌を立てた。脳天から、足先まで一気に突き抜ける悪寒は、その指がゆるやかに動くたびに彼の中でうごめいた。

 あの友人とは違う。

 だけど、これはこれで、まずい、と彼は突差に感じ、必死で表情を固くする。それに気づいたのか否かは判らないが、司令はふっと手を離した。

 そして聞こえるか聞こえないか、という程度の声で、なるほど、とつぶやいた。

 何が「なるほど」なのだろう、と疑問には思ったが、ようやく開放された、という気持ちの方が、彼には大きかった。彼自身気づかなかったが、彼の顔には露骨な安堵の表情があった。

 だがその安堵も束の間のものだった。


「…近いうちに、ヴィクトール市の生産工場に奇襲がかかるだろう。貴官にはその鎮圧の陣頭に立ってもらうつもりだ」


 不意に新司令は彼に告げた。決してそれは大きくも強くもないが、彼に有無を言わせぬものがあった。


「レプリカントの」

「そうだ」


 ふっと、あのモニターの姿が彼の脳裏に浮かんだ。


「不満か?」

「…いえ、命令ならば」

「ならいい。下がれ」


 彼は一礼して司令の部屋を下がった。その間にも、司令はずっと、あの表情が判らない視線で、じっと自分を見据えていた。

 どういうつもりなんだろう、と彼は思う。前任の司令のように、自分に多少なりとも好意を持っているのなら、それはそれで判る。

 だが、あの視線は。

 何となく全身を、そして心の中まで見通されているような気がした。

 もしかしたら、本当に見透かされているのかもしれない。偉大なる第一世代には、そういう能力を持つ者も居るのだ。

 だけど何故。

 彼は不安になる自分に気づく。



 アンジェラス星域の住民… 他星の者はその名前の無い惑星の住民を、その星域の名にちなんで、「天使種」と呼ぶことがある。

 当初は冗談半分で使われていた名だが、彼らが「優秀な兵士」であることが知れ渡るとともに、その呼び名自体が冗談ではなくなってきていた。


 …本当に天使に近いものになってしまったんじゃないか?


 その認識が広がるのに比例して、その呼び名も広がっていったと言える。

 だが、その当の天使種にとっては、そんなことはどうでもよかった。

 彼らにとって大切なのは、自分達が他の惑星の人間とどう違うか、より、同種の中で、自分がどんな位置に居るか、であったのだ。

 すなわち、世代である。


「入っていいか?」

「構わないけど…」


 何があったんだ、と突然やってきた年下の友人に、鷹は訊ねた。やや不安定に寄せられた眉と、それでも軽く笑っているように見える、その薄い唇に、ふと鷹は不安を感じた。

 扉を閉めると、彼はまっすぐベッドに腰掛けた。


「司令に呼ばれたらしいな? 何かあったのか?」

「…別に無いよ。ただ、名前を聞かれて、世代を聞かれただけだ」

「名前と、世代か」


 つまりは自分が誰であるのか明らかにせよ、という。


「もしかしたら、異端分子を探しているのかも知れないよ。だってさ、偉大なる第一世代でしょ? 今度の司令さまは」

「おい」


 Gはそのまま背中を倒し、腕を上げて、光を避けるように顔を隠した。表情が見えない、と鷹はその左横に腰を下ろした。


「何、あんたらしくない。こっち来ればいいのに」


 片方の手を外して、ぽんぽん、と彼は自分の右横を叩いた。だが年上の友人は、その場から動かなかった。そして動く代わりに訊ねた。


「そうして欲しいのか?」


 一拍遅れて、彼は答えた。


「…たぶんね」

「君は何か今日は変だぞ?」

「変? 変かも知れない。たぶん変だよ」


 友人は、投げ出された彼の長い髪をもてあそぶ。気づいているのだろうが、彼はそれについては何の反応も見せなかった。


「どんなにあがいた所で、俺達は所詮、第一世代に追いつけはしないんだ」


 Gは吐き捨てるように言って、不意に手を顔から外すと、友人の方を向いた。鷹はあの時と同じ様な、やや不安そうな顔でGを見下ろす。


「おい」

「あのひとの前で、俺は、動けなかったんだ」

「だがそれは、…仕方ないだろう?」

「ああそうだ、仕方がないよな。あのひと達は、偉大なる第一世代は、確かにあの厳しい航海の末にたどり着いて、僕らの星の守護と最初に一体化できたんだよな。そんな人達だから、俺達後世代なんかより、ずっと能力も高いし、生存率だって高いし…」


 やめろ、と鷹はGの両肩を掴んだ。

 それは、言葉にはしてはいけない事項だった。アンジェラスの人間にだけは伝えられるが、それ以外の人間に漏らすことを許されない、彼らの本当の名と同じ、禁制事項だった。

 第一世代… 彼らの惑星に、地球から最初に移民としてたどりついた世代は、当初からそのように「適応」した訳ではない。無論当初はその惑星に住むために様々な苦労があったのだ。

 彼らはその「偉大なる」業績を上の世代から伝えられる。彼らがどうその地にたどりついて、どうやってその地をそれでも住める環境にしていったのか。

 そして、その惑星に当初から存在した「位相の違う先住者」とどう巡り会い、一体化したのか。

 特別なのは当然なんだ、とGはその話を思い出すたびに考える。

 確かに自分達もそれらと一体化してはいる。生まれてすぐに、「洗礼」のように、それは行われる。

 だが、生粋の「人間」であった者が一体化したものと違い、その生物間格差のずれが引き起こす特殊な能力は、世代を増すごとに薄れてきている。

 つまりは自分達は、その位相の違う「彼ら」の方に次第に近づいているのだ、と。

 大きな、ややつり上がった目が、肩を掴んだままじっと、Gの顔を見据える。


「君らしくない。どうしたんだ?」

「俺らしくない?」


 彼は軽く身体を起こすと、友人に向かってぐっと身を乗り出した。どうして自分がこんなにむきになっているのか、彼には判らなかった。だが言わずにはいられないのだ。この苛立ちを、焦燥感を。


「あんたはじゃあ、そう言える程俺を知ってるって言うのか? 俺だって知らなかったって言うのに…」

「知らなかった?」

「知らなかったよ。自分の中に、こんなに…」


 掴まれた肩を大きく揺すって友人の手を払う。そして無意識のうちに、自分の両手が自分自身を抱きしめるのが判る。袖を強く掴む。


 こんなに、誰かに対して、口惜しいと思う心があるなんて。

 口惜しくて、そして…


「こんなに…?」


 Gはぶるぶる、と首を横に大きく振った。彼はその感情の正体を自分自身に明かすのが怖かった。ひどく強烈で、そして…

 身体の中が、あやしくざわつく。


「…頼むから、俺を、捕まえていてくれよ」


 彼は戸惑う友人の身体に、その身体を預ける。シャツごしに感じられる友人の身体は熱い。ひどく今は、その熱さが欲しかった。

 そしてその声が、右の耳に飛び込んでくるのを待った。あの声が欲しかった。無条件に自分の意識を飛ばしてくれる、あの声が。


「…頼むから」



 世代間格差、というのは、年々大きくなるように彼らには感じられていた。

 世代の差、というものについて、彼らは小さい頃から教えられる。

 それは両親からである場合もあるし、両親以外の他の同族からである場合もある。

 人口が多くないその惑星においては、全ての一世代上の大人が全ての一世代下の子供の親である、という思想が行き渡っていた。

 そしてそれは、全て口伝である。紙やディスクといった、残るものに焼き付けることは許されていなかった。

 口にすることは、その惑星上では自由だった。

 ただ、その惑星にやってくる者に伝えることは許されていなかった。

 伝えようとすると何処からかそれを感じとった上位世代から、何らかの精神攻撃が来るので、それは不可能と言ってもよかった。何しろその精神攻撃は強烈で、さすがの天使種も、―――肉体はともかく、精神を完全に破壊されてしまうので。

 そしてその母星を離れたものについては。

 教育というものは恐ろしいもので、まず殆どの者が、それを口にするなどいうことは「考えない」。

 考えられないのだ。考えられなければ、口に出すことはない。

 軍隊の場合は、ややそれが緩くなるのは当然と言えよう。そこに他星の者が入り込む隙がない。そこは母星と大して変わらないのである。少なくとも、他星の人間の波動はそこにはないのだ。

 どれだけ下位世代になっても、その波動を感じ取る程度の感応力はある。

 だが彼はその中では自分は鈍い方だと思っていた。

 自分がそんなに何ごとにつけて感じやすい奴だとは、考えたくもなかった。

 実際、そんな感覚を自分に引き起こすのは、今現在自分の上に居る相手位だ、と考えていた。

 否応無しに理性を事象の地平線の向こう側へ飛ばしてしまうような、そんな相手は。

 ―――力の抜けた身体を、その熱い手で相手のいい様に扱われるのはとても気持ちがいい。

 特に、自分が自分自身であることに疲れるような日には。

 自分自身でしかないことを思い知らされるような日には。

 そんな時の行為には、自分が何やら自分自身ではなくて、一個の物になってしまったような、そんな感覚があった。それは明らかに快感だった。

 無論、昼間職務についている間にはまず考えることはないが、確かに彼はその時、そう感じているのだ。

 だが、そんな感覚を誰に対しても持っていたとしら、それこそ彼は冗談じゃない、と思う。

 とりあえず今までは、そんなことはないと思っていた。

 同じ様に右側から囁かれたとしても、この年上の友人のようなことはない。

 この友人にしたところで、それ以外の部分で、自分を果たしてそんな風にさせるか、と言えば…―――判らない。

 とは言え、この友人の熱さは心地よかった。頭の芯がぼんやりした状態の中で、手を絡ませたり首にすがりついたり胸を合わせたり…

 意識を閉ざす――― 眠りに似た快感に近かった。

 ずっとこのままだったら、どれだけ気持ちがいいだろう、と考えずにいられない程だった。


 だがあの司令は。


 あの司令に触れられた時、同じように、一瞬意識の何かが飛んだ。

 なのに、そこには、こんな熱さはなかった。代わりにあったのは、ひどい冷たさだけだった。

 何だったんだ、と彼は司令の部屋から出て自室に戻るまでの間、混乱する頭で必死に考えていた。

 あの冷たさは、この年上の友人の熱さとは逆に、眠っている所に水を掛けられたような感触があった。

 否応無しに、彼は起こされた。

 全身の寒気は、なかなか引かなかった。

 だからこそ、彼はこうやってここに来ているのだった。

 彼自身、言葉にできなくとも、したくなくとも、気づいてはいるのだ。

 熱さと冷たさという違いはあれども、両極端、つりあう天秤の度合いで、この年上の友人と同じくらいに、あの司令にも惹かれているのだ、と。

 とりあえず今は、その冷たさを忘れさせてほしかった。

 熱さでも痛みでも何でも良かった。

 自分が第七世代であることも、あの司令に惹かれかけていることも、何もかも。

 予感がするのだ。

 あの司令は、自分に何かの変化をもたらすような気がしていた。

 変化は、良かれ悪しかれ、不安なものだった。

 その不安をも、彼はなるべくだったら感じたくはなかったのだ。なるべく、遠くへ、遠くへとやっておきたかった。


 …俺はひどいことをしているな。


 飛ばしきれない意識の片隅で、彼は内心つぶやく。

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