第15話ㅤ明日の戦いのために
◆◇
ㅤクロはどうにも不機嫌そうな顔をして、ベッドに腰掛けていた。
ㅤ眼前には彼女の分であるアッシュが調理した鹿肉の香味ナッツ炒めと、葉野菜ノダマをみじん切りにして白いソースを混ぜ込んだサラダが1セット置かれている。
ㅤ私とアッシュはあれから大風呂にもう一度浸かり汗を流した後、クロが回復したというので、鍛冶場に併設された作業場に置かれた、明らかに人数に見合わないサイズのテーブルを無理やり食卓にして食事をすることにしたのだった。
ㅤ鍛冶のイメージを掴むのに、どれくらい集中していたのだろう。宿で昼食をとったのはつい先程の出来事だった気がしていたのだけれど、指で額をぐりぐりしている内に気づけば陽は沈みかけ、町に夜の帳が下りていく様子を見て、思わず私のお腹が空腹を訴えてしまったのである。
ㅤ
「食べないの?」
ㅤ私には正直、何故クロが不機嫌なのか、その理由がわからない。
ㅤもしかするとうるさいのが苦手なのかもしれない。現在食卓を囲んでいるのは私とクロの他に、フリュエにアッシュ、さらに先程鍛冶場を訪れたばかりのジトとイルチェもいるので、随分と賑やかだ。
ㅤ彼女が実験場とやらでどんな暮らしをしていたか知らないけれど、そういった施設における実験対象というものは大概牢屋のような鬱々とした個室に閉じ込められて、実験の時以外は外に出ることは叶わない、そんなイメージが私の頭の中にある。どんな場所だったの?とは向こうから話されない限りは聞けないだろうなあ。
ㅤしかしこれほどはっきりと態度に出すとは、よほど気にくわない事でもあるのだろう。
ㅤいろいろな可能性を巡らせつつスプーンを口に運んでいると、私の右側に座っているジトがクロに明るく声をかけた。やだ、この子動くたびにいいにおいがする。入浴したての私も変な匂いはしないだろうけど。
「クロエちゃん、大丈夫?アッちゃんの作ったご飯が合わなかったかな」
ㅤ既に完食していたアッシュが、聞き捨てならないといった様子で顔を歪ませる。アッちゃんとはアッシュの事だ。
「ちょっと、人の料理が不味いものみたいに」
「だってアッちゃん香辛料いっぱい使うから、たまにすごく辛い味になってたりするんだもの。私は平気だからいいけど、人によっては苦手だったりするでしょ」
「食べられなかったら残せばいいじゃない」
「もー」
ㅤおそらくクロは辛いものが苦手というわけでもないだろう。だとしたら、あとはどんな理由かしら。単純に一日の終わりで疲れた、という話の可能性もある。
「イルはジトやジン様が作ってくれたものならなんだって食べられるけれど」
「ガデンの根の漬物とかでも?」
「…………あれは酸っぱいからイヤ」
ㅤアッシュは食べ終えた自分の食器を片付けると、何やら複雑な文字がびっしりと書かれた紙束を取り出し、あぐらをかいて読み始める。下半身は黒い下着姿のままだ。彼女は仕事場であり家でもあるここで過ごす際は、決まってこの格好でいるらしい。理由は単純明快。動きやすく、涼しいからだ。
ㅤ私に鍛冶を教えてくれた際に履いていたのと同じ下着を履いているけれど、細かいことは気にしないでほしいし、私にも聞かないでほしい。きっと衣装棚を開ければ同じものがいっぱいあるのだろう。
ㅤ紙束をめくり、唸るようにしてそれと向き合っていた彼女は、なにやら思い出したように手を叩いた。
「そうだ。ジトにイルチェ、あんた達、明日の予定ってある?」
「んー?」
「アタシ達、明日谷底を調査するつもりなの」
ㅤジトはもごもごさせていたものを一気に飲み込んで、興味津々だ。アッシュが谷底にある大地のエレメントに用があるのは知っているけれど、彼女も何か谷底に降るべき用事があるのだろうか。それに対してイルチェは面倒そうな顔をしている。
「谷底調査!?」
「ジト……アッシュの頼みなんて聞いたら、こき使われるよ?」
「でもほら、アッシュが前に言っていた蛇を撃退する武器!あれがあれば、私達やお兄ちゃんの仕事だって減るでしょ?でも私達が現場を離れるわけにもいかないしなぁ……」
「………………それなんですが」
すっかり空気と同化していたフリュエがおずおずと手を挙げる。随分静かだと思ったら、しっかり料理を完食している。ただ会話に入れなかったとかそういうわけではなく、ただひたすらに料理に集中していたのかもしれない。
「あ、ええと、ただ会話に入れなかっただけなんですが……話によるとあの巨大な蛇は、閃光に弱いんですよね?」
「あの蛇、目がいっぱいあるからか、強い光を集中して浴びせると帰っていくんだよねー。でも、どこにあの蛇の住処があるのかはわからないの。変調域に発生した生物って、皆それが発生した巣があるから、この辺の森を調査すればすぐ見つかるはずなんだけど……お兄ちゃんがいくら調査しても、見つけられなくてね」
「だったら、お力になれるかもです」
「どういうこと?」
フリュエは食事中外しておいた
ノダマの葉をフォークで串刺しにして、イルチェが怪訝そうな顔をする。
「なにこれ?……おもちゃ?」
確かに手に嵌め込まれていないと、おもちゃのようにも見える。現代で例えるならば、さながら戦隊ヒーローの変身アイテムのよう。食卓に置かれた
「確かにあんたにとってはおもちゃかもね。これは魔術補助手甲、魔術師が魔術を簡単に発動できるよう、予め呪文や術式を書き込んでおく魔導具よ……ここまでキラキラした派手なのは見たことがないけれど」
魔力を帯びている武器、と
「……いった!何すんのよ、アッシュ!」
「あんたはジトにべったりくっついていないで、もうちょっと自分の力で勉強して、珍しいものを見分ける観察眼とか身につけたほうがいいわ。これが帯びている魔力の量が分からない?」
「うぅ……だって、イルは魔力を扱うのとか、あまり得意じゃないし……うぅ……ジト~」
泣きべそをかいて自分に抱きついてくるイルチェの頭を、ジトがよしよしと撫でてあげている。正直うらやましい。私だって美少女によしよしされたい。しかし私が泣きべそをかいてクロに抱きつきでもしたら、しゃんとしなさいと突き放されそうである。現実は厳しい。
などと思っていたら、イルチェがアッシュに見えない角度で彼女に向かって舌を出しているのが見えた。なるほど、彼女はぶりっ子というか、策士なんだな。ピンク髪の子がそういった仕草をするのは、もはや王道であり鉄板である。かくいう私も好物でね。
「そうなんです、これはまさに魔術補助手甲でして……これに込められている魔術の主な属性は、星が導く力……星光なんです」
「せいこう……?」
ジトがちょっと間の抜けた声を出した。
「ええと、星光というのはつまり、星の光の魔力の事です。夜空に輝く星の光は、それぞれの星を構成する膨大なエネルギーの輝きが、遠い所から見えているもの……星光はそれを時空間転送によって呼び出したり、明かり取りによって収集したりして、星の光そのものを再現した属性なんです」
多分、この場にいる人間のほとんどの頭上にはてなマークが浮かんだろう。私もよくわからない。隣を見ると、クロはすでに考える事をやめていた。ジトは目が点になっていて、イルチェに至っては魔術補助手甲よりジトの方を見ている。アッシュはかろうじて理解しようと努力しているようだった。
「あ……ごめんなさい!つまりその、星のパワーです!星のパワー!通常の属性よりなんかすごいってことです!」
慌てふためき長い手足をばたばたさせるフリュエは、高身長な見た目と深い知識から来る大人っぽさとは対称的に、子供のようでかわいい。彼女が通っていた学園で一体何を起こしてしまったのかはしらないけれど、勉学に対しても人に対しても一生懸命である彼女の姿は、大きな間違いを起こすようにはとても見えなかった。
「星のパワーが……蛇を倒す力になるって?」
頬杖をついて疑っているアッシュに、フリュエは大きく二度うなずいた。
「あの蛇は、強い光に弱いんですよね?この手甲を用いる事で発動できる魔術属性は星光、つまり眩しい光であったり、炸裂する閃光弾だったりを、私の魔力が尽きない限り、発動できるわけです。なので私が自警団の皆さんに協力して指示を仰げば、蛇を撃退する防衛策になれる。倒せるかは……わかりませんが」
「ははぁ……なるほど」
彼女自身が追われていた熊を撃退した時、使っていた魔術。魔術補助手甲から光の粒を発射して、十字形に展開したそれが熊を光の彼方へと飲み込んだ光景を、今でも鮮明に覚えている。
「あ……!そういえば今日の午前中、街道の方でピカって光るの、見たよね?イルチェ!」
ジトがばしばし自分の身体をはたくのを嬉しそうに受けながら、イルチェが答える。
「ジトが天気は悪くないのに雷だなんて、これから雨でも降るのかなあ、って言ったやつ?」
「そうそう!」
「それ、私が熊に襲われていたのを撃退する時に発動したものですね……!」
確かにものすごい光量だったので、この町から観測できてもおかしくない。アイリオスの町は鉄壁に囲われてはいても高い位置で天井が開いているので、建物の中にいなければ町の人も見ているはずである。
アッシュはどこか納得したようだった。
「アタシは午前中は鍛冶場にいたから見れてないけど、そんなにすごい光だったワケ?まあそれなら、あの蛇に通用するかもね……」
「蛇という生き物は本来夜行性ですが……昼間にいましたよね。あの蛇はどういう時間帯に襲って来るんですか?」
「向こうは変調域の生物だからね。通常の蛇の生態なんて通用しないわ。そもそもアタシ達が蛇っぽいからそう呼んでいるだけで、本当はもっと別の生き物かもしれない。だけど一つ言える事は、あの蛇はアタシ達人間が休む夜間には、絶対に出現しない」
なるほど、蛇の生態が通用しない。確かに私も蛇っぽいなと思っただけで、あんなにでかい蛇というのは神話などでしか聞いたことがない。この世界ならいてもおかしくはなさそうだけれど、アッシュ達の口ぶりから察するに、この地域においては元々存在しないんだろう。
しかし夜行性であるはずの蛇は日中決して行動しない、というわけでもないけれど、夜間まったく行動しないというのはずいぶんおかしな話だとは思った。町を襲うなら、人間の視界が効かない夜にこそ実行したほうが、あのでかい蛇にとっても襲いやすそうなものなのに。
なんというか、夜に襲うには不都合な理由があるか、そもそも夜に行動できないのではないか。そんな気がしていた。
「その代わり、朝は早いけどね~!あの蛇とは自警団のみんなで何度か戦ってるけど、朝五時に町が揺れた事もあったよ!」
「朝五時ですか……が、がんばります」
アッシュは先程まで目を通していた紙束に再度目を落とす。
「それなら、蛇の対処はフリュエが自警団に協力して対処してもらうとして、ジトとイルチェが戦力に加われば、谷底の調査も捗るわ。まあ、問題はジンがそれを許容してくれるかなんだけど」
「お兄ちゃんならきっと、私が頼めば大丈夫!」
「そういうもん?」
「そういうもん!」
「ならいいわ」
次々と進んでいく物事にいよいよついていけなくなったのか、イルチェが立ち上がった。
「ちょ、なんでイルまで谷底調査に付いていく事になってるわけ!?」
「そもそもあんたはジトが出かけるなら絶対付いてくるでしょ」
「ぐぐ……」
視線すら交わさずアッシュに言い当てられてしまったので、イルチェは黙り込んで、ジトにひっつくしかできなくなってしまった。まるで一昔まえに流行った腕に抱きつくマスコットのようだ。
クロもこんなふうに私に抱きついてくれたら、と私が横目で見ると、自分が不機嫌だった事など忘れたかのように出された料理をすっかり完食して、落ち着いた顔をしていた。
私はクロに顔を寄せて、不機嫌だった理由を聞いてみる。彼女は手甲の話に夢中なフリュエとアッシュ、二人の世界に突入しイチャイチャしているジトとイルチェに聞こえないよう、ひそひそ声で答える。
「あたしそんなに不機嫌そうに見えた?」
彼女はハッキリした性格をしているので、思ったことがすぐに表情に出る。よく言えば感情豊かであるけれど、悪く言えば感情が筒抜けになってしまう可能性があるので問題でもある。しかし彼女は戦闘において物怖じする事がなく、フィルターに追い詰められても随分と余裕そうだったので、こんな日常的な場でこうして不機嫌そうな顔をするのは意外だった。
「不機嫌っていうか……対処の仕方がわからなかったのよ」
「対処のしかた?」
「実験場で面と向かって話す人間はいつも決まった面子だったし、こうして大数人で食卓を囲んで、話しながら食事する事もなかった。他愛のない会話をするのは、精々が
クロは悲しさと嬉しさが渦を巻いているような、なんともいえない複雑な表情をしていた。その色はどんな感情を表しているか、私には判断できない。なにせ逃げ出すくらいなのだから、実験場での彼女の扱いはもっと酷いものかとも思っていたけれど、こうして落ち着いて思い出話をできるくらいではあるらしい。
ㅤしかし、きっと。
「だから不機嫌そうに見えたなら…………よ」
「なんて?」
ㅤクロはあんたねえ、と照れながら私を睨みつける。私はなぜか彼女が言いたいことが理解できて、口元が緩んでしまう。クロの白い髪が、彼女の動きに合わせてふわりと揺れた。
「どう会話に混ざろうか、何を話そうかわからなくて、悩んでたせいよ!」
ㅤクロは思っている事が表情に出過ぎる。だからこそ、彼女が悩んでいる時も、隠しようのない感情が顔に出てしまうのは、仕方のない事であるのだ。そしてそれを私は愛しいと思った。
◇◆
ㅤ結局その日は夕食を終え、私達が疲れていたせいもあり詳しい話は明日の朝に持ち越すことになった。アッシュは食器をガチャガチャと乱暴に水場に突っ込みながら、寝坊しないように、とだけ言って手を振り見送ってくれた。ジトとイルチェはあの場に残っていたけれど、お酒を飲んだりするらしい。
ㅤイルチェのジトに対するベタベタ加減は極まっていて、全身で抱きつき頬擦りしているのを、ジトはニコニコしながら受け入れていた。あらやだ。カップルなのかしら。
ㅤアイリオスの町は夜になると壁や階段に備え付けられたランプの魔石に火が灯り、道幅をガイドするようになっている。なにぶんこの町は鉄箱の家ばかりで、窓はあるが格子に板で蓋をするもので夜は防犯のためにほとんど閉まっているため、ランプの明かりがなければ相当に暗い。
ㅤ道行く人達も手に様々な照明器具を持ち歩いているので、町の至るところで赤い光が明滅する様は、まるでたくさんの蝋燭の火が揺れているようで幻想的だった。
「お二人について行く事は出来なくなっちゃいましたが……」
ㅤアッシュから手渡された、この町でもっともポピュラーな火の魔石が火を灯すランタンを手に、フリュエはぺこりと頭を下げる。
「全然。アッシュもジトも言っていたけれど、あの蛇にはっきり対抗できる手段があるってだけで相当すごいよ」
ㅤフリュエは手に嵌め込まれた
ㅤ
「そういえばあんた……余裕そうにしているけれど、肝心の武器の作り方はイメージできたの?」
「うふふ。それはね……」
ㅤ私がうふふなどと普段しない笑い方をしたもので、クロがグロテスクな魔物でも見たような表情をしている。ドン引きしている顔もかわいい。
「アッシュの鍛冶は正直、鍛冶というよりは陶芸?みたいなやり方だったけれど、なんとなくで剣を作ってた時と違って、まだハッキリとしたイメージを掴めたから良かったよ」
「でもあそこでは作らなかったんだ?」
「作ったよ、一応。と言っても、ナイフくらいだけど……」
「ナイフ?」
ㅤ私は
【照準合わせのダガーナイフ】耐久度:D+
ㅤ先端を尖らせた、鋭利な鉄製のナイフ。切る、叩くといった行為より突く事に優れる、作業より戦闘向けの短剣。柄には鉄の強度に合わせたブラックウッドが使われている。
<トーカ専用効果>トーカが投げた時のみ、狙いすました獲物目掛けて一寸のブレもなく直進する。
ㅤ耐久度は初となるD+。きっとCほどはいかないがDよりは耐久度がある、ということなんだろう。それでもツギハギのナイフよりは圧倒的に耐久度があるのだから、かなりの成長だ。鉄を使ったというのもあるけれどね。
「刃が尖って……これって戦闘用?」
「そう。鍛冶のやり方を習ったあと、もう一度お風呂に入ったんだけど、そこでアッシュやジトといろんな話をしたんだ」
ㅤアッシュは武器防具の製造を生業としており、ジトは槍術の達人であるらしいので、それはもう参考になる話が湯船の中で聞けたのだった。
ㅤあとジトは普段から自警団の仕事のほかにトレーニングを欠かさずしているためか、腰のくびれや手足のしなやかさがえぐかった。思わず私が自分の身体を触って確認し、落胆してしまうほどに。今の私は私の知らない体であり、以前に比べれば十分細い方なのだけれど、それでもかなりえぐかった。あと彼女の後ろでイルチェが背中をガン見していた。
ㅤ「そこで私の戦い方を考案されてね」
ㅤ森を走ってわかったことだけれど、私は以前と同じように運動能力が高くない。クロがひょいひょいと森の中を進んでいくのを、小走りして必死について行くのがやっとだったし、フリュエを襲う熊をなんとかしようとした時だって、身体が動くより先に考えるだけで精一杯だった。
ㅤだからこの先クロと旅をするにあたって、やはり戦闘はクロに任せることになる。だがしかし、それだけでは私の気が済まない。強い美少女に守ってもらうというのは本望ではあるけれど、私は異国のお姫様でもなんでもないし、そもそも旅の目的はのんびり世界を見て回ることなのだ。クロの事情で厄介ごとに巻き込まれる事は当然覚悟しているが故に、それを解消する手助けは積極的にしたいと考えている。
ㅤそのために必要なのが、私が戦う手段、私の武器だ。アッシュは私の筋肉のついていない腕を触って首を横に振ったけれど、戦うなとは言わなかった。筋肉がないならないなりに、この世界では戦う手段があると言ったのだ。
ㅤジトも色々な戦法を提案してくれた。聞けば彼女の兄であり自警団のエースであるジンは武芸全般の天才であり、知らない武器を手渡してもたちまち使いこなして見せる腕前の持ち主で、本人も様々な武器を積極的に試していたため多種多様な武器種とそれを用いた戦い方を目にした事があるという。
そこで私に合っているのではないかと話に上がったのが、例えばナイフなどの投擲武器を
私は思いついた。
ならば私の攻撃が狙った獲物に当たってほしいと願ったなら、それを実現させる事だってできるのではないか。
「狙った相手に当たるナイフ……?」
「見てて」
私は
パカン。
ナイフは驚くほど正確に直進し、刃の先端が石の中心に吸い込まれた。小気味いい音がして、石ころは真っ二つになって転がる。さすがに耐久度がD+もあると、床に投げただけではまったく壊れたりしない。拾い上げて観察してみると、黒鉄の刀身は一切輝きを失っておらず、鋭利なまま。
フリュエが驚いて口を開けていた。私も驚いた。クロは驚くとかではなく鼻を鳴らした。
「なるほど。それならあんたが直接戦わなくても、あたしの戦いをサポートしたり、自分の身を守ったりはできるかもね。ただ……」
「ただ?」
「後方支援役を相手は嫌がるもので、場合によっては真っ先に狙われる事もある。その辺はあたしがカバーするとしても、支援役は支援役なりの立ち位置を覚えていかなきゃね」
「立ち位置かぁ……」
ㅤたしかにゲームにおいても後ろから矢を射ってきたり、支援魔法を使うキャラクターを真っ先に狙う攻略法は定番だった。だからこそ、自分の戦い方を邪魔されないような立ち振る舞いを習得する事は何より大事、ということなんだろう。
ㅤ私自身も支援役に徹するならそれはそれで、例えば祈りの剣のような回復効果を持つ道具を生み出すとか、思いつく限りの準備をするべきだ。
ㅤ正直、急遽何がいるかわからない谷底を調査するなんてことになった時はどうしたものかと思いもしたけれど、橋は修理中で通れないというし、こうして色々な事を学べる機会が得られたのは良かったんじゃないでしょうか。
ㅤ唯一の懸念点といえばクロを狙う新しい追っ手が来るんじゃないかという事くらいだけれど、どうもクロはそこを心配していないようなので、私も警戒はすれどあまり深く考えないようにした。
ㅤそういえば、血だらけになって逃げていったフィルターはどうなったのだろう。
「私も味方の後ろから支援するタイプなので、その辺りはよくわかります。あの時だって、独りでは
ㅤドアに差し込むとドアノブに変わる魔法の鍵を取り出しながら、フリュエはそう言った。
ㅤ宿の一室に入って壁に備え付けられた照明の火を付けるなり、クロがベッドに身を投げ出す。白くて長い髪がシーツの上に広がって、淡い照明の光を受けて雪のようにキラキラ輝いた。
「一応、魔術を扱う職にとって詠唱という手間がある分敵に狙われやすい、というのは永遠の課題とされていて、当然懐に飛び込まれると不利なので守ってくれる盾役がいる事を前提にしつつも、もし自分一人で戦わなければならなくなった場合のための戦術として、様々な研究が日夜行なわれているんですよ」
ㅤフリュエ曰く、魔術というものは神秘的な力を引き出すために、そこへ干渉するための暗号のようなものを、魔力を使って唱える必要がある。これは私が前の世界で抱いていた魔法のイメージと同じものだった。魔法使いモノの物語において多種多様な呪文が用いられるのは特徴であり個性であるし、私だって子供の頃に足らない語彙でオリジナルの呪文をノートにメモしたりした。
ㅤならばその呪文詠唱という手間を簡略化できるやり方があればいいと誰もが思うだろう。しかし魔術で引き出す現象は、そこへ至る方法に例外を含む場合、大きくブレが生じるものであるらしい。フリュエからそう教えられて、初めは頭にはてなマークが浮かぶばかりであったけれど、例えるならば料理のようなもので、魔術が料理、呪文が調理方法、魔力が食材と調味料であり、何かを省けば料理の味が損なわれ、満足な食事ができない。アレンジする事も出来ようが、適切な方法を知らなければ不味いものになる。そう説明された事で納得できた。火の魔術の呪文を簡略化しようとすると弱火になってしまったりする、ということだ。
「それでもこの
「なんかすごいという事はわかった」
「これがもっと研究が進んで、例えば
ㅤ手順一つ、ポンと隕石を降らせられるようになったら、この世界はえらいことになるだろうな、とぼんやり考える。もはや終末世界だ。
ㅤ既に時刻は深夜。壁にかけられた時計らしい文字盤の針が、月のマークを指し示していた。クロは既にベッドで布団にくるまって、すうすうと寝息を立てている。思えば今日は色々な事がありすぎる日だった。異世界に来て二日しか経っていないわりに、まるで一週間は経ったような濃密さ。クロを助けて、彼女の流す血だって見た。命の危機だって感じた。しかしそれらの出来事は恐怖ではなく、鮮烈的で忘れがたい思い出として、私の中に収まっているのだ。
ㅤ元の世界じゃ体験できなかったであろうなどという興奮ではなく、出会うべくして出会ったクロとの、大事な思い出。それが私にとっては愛おしい。
ㅤクロはまだ知らないだろうけど、彼女用の新しい武器の作り方だって、アッシュ達に考えてもらった。明日目が覚めて朝食を終えたら、アッシュの鍛冶場でそれの製作にも取り掛かろう。
ㅤ私は期待に胸を膨らませ、フリュエと一緒に明日の支度を済ませると、布団を敷いて横になった。そういえばこうして家族以外の女性と一緒の部屋で寝るなんて高校生の修学旅行以来だな、などと思っている内に、私の意識は深い眠りに落ちていった。
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