第12話ㅤ籠の先の橋
◆◇
ㅤ私の
ㅤ私の掌の上に出来上がったものは大きな盆のような皿に入っている。さすがに三人分の量だったので、片手では持ち上げられないほど重い。意識していなかったけれど、
ㅤそれにしても魔女釜の混ぜ焼きは、それはもうかなりいい匂いだ。焼ける肉や魚の香ばしさと音が、立ち上る湯気と共に鼻腔をくすぐって、早く食べたくってもどかしい。クロもフリュエもそうだったんだろう、スプーンを並べて食べ始めると、それはもう早かった。
「これって何の肉?」
「浮き鷄のお肉ですよ!私の故郷では珍しいものだったので、つい嬉しくなっていっぱい買っちゃいました。でもやっぱり美味しいですね……!」
「浮き鶏ね。いいもの選んできたじゃない」
ㅤ浮き鶏とはそもそもなんだろうか。身体が浮いている鶏だろうか。
ㅤ冷静そうにコメントしてはいるけれど、それはもう火のついたようなスピードでかきこむクロを見て、笑みがこぼれて止まらない。よかった。うまく出来て。私は盆に乗った名の知らない野菜をすくい上げると、一口に放り込んだ。シャキシャキとした、歯応えのある食感。幼い頃は苦手だったけれど、大人になってからなぜか好きになったものだ。
「それはノダマって呼ばれる、葉野菜ですね。このあたりでは一年中育つ、玉のような野菜です。うわ、身が厚くて美味しいですね!」
ㅤなるほど、キャベツみたいなものかな。食感も味わいも、それに近いと思う。異世界で食べるものとしては食べ馴染みがあっていい。肉も魚も野菜も、どれも変わった味や食感がするような事もなくて、心底ホッとした。これでこの世界の食材が口に合わない変わったものばかりだったなら、ここで生きていく上では問題だったろう。
ㅤそうして私たちはあっという間に三人分の食材を平らげ、盆は空になった途端に粒子となって消えた。後には部屋に備え付けられていた食器棚から取り出したものだった、スプーンだけが取り残される。いつも思うけれど、やはりこの能力はすごく便利だ。だって、洗い物をしなくていい。そもそも容器を用意する手間や調理する時間だってかからない。場所も選ばないので、小回りも効く。
ㅤ自分で自分の能力にひとしきり関心する私に対して、クロは四肢を投げ出し、大の字になって油断した様子でベッドに沈んでいた。すっかり満腹になったようで、少し膨れているようにも見えるお腹をさすって満足そうにしている。フリュエはメモ用紙のように見える小さな紙にペンのような細長い棒でなにやらひたすらに書き込んでいた。
ㅤ食後のゆったりした空間。気づけば盆が消えてからだいたい一時間くらい経ったろうか。静寂を打ち破るようにして、クロがおもむろにベッドから上半身だけ起き上がる。
「そういえば地図、もらってきてくれた?」
「あ、もらってきましたよ!」
ㅤフリュエが未だ文章を書き連ねていたメモ用紙から顔を上げ、書き終えたらしいそれをくるくると丸めてリュックの中にしまうと、パンツのポケットから折り畳まれた茶色い紙を取り出して、テーブルの上に広げてみせた。
ㅤ十センチ四方の四角形の中に二回りほど小さな四角が詰め込まれたものが、道らしい直線に沿うようにいくつも並べられている。なるほど、これは私たちが町中で見た、鉄箱が積み上げられたような建物の事を表している。町並みを俯瞰すると重なってしまっているので、こうしないと何層になっているか把握できないためだろう。
ㅤそれぞれの四角形のそばには数字とともに文字が書かれていて、何層に何があるのか把握できるようにもなっている。
ㅤ私たちが駆け込んだ門から道を曲がり進んだ先に、警備と詰所の文字。ハズマに連れていかれた場所がここだ。となると、その対面に宿屋がある。あった。宿、とだけ書かれた横に、小さい四角が四つ収まった大きめの四角形が描かれている。つまりこれは、五階建てということだ。
ㅤフリュエは宿の場所から指で道を歩いていくようになぞると、ここから北側に描かれた別の箱の上で動きを止めた。
「ここが食材屋さんですね。お肉専門のお店とお魚と野菜を取り扱っているお店が隣同士になっていて、今日買ってきたものもここでまとめて手に入ります」
ㅤ食材屋を後にして、指で道に沿って町をさらに北上すると、服と書かれた四角形に、雑貨や本と書かれた四角形、集会所や喫茶と書かれた四角形が並んでいる。
「町の北側は商店街らしいです。南は住民街で、旅人には用がない場所だろうと、お店の人も言ってました。そして商店街を抜けてさらに行くと、鍛冶場と、町の外へ行くための大橋があります」
「大橋?」
ㅤ確かに地図上では、町の北端からさらに上へ向かって、線が二本伸びていた。
「アイリオスはもともと、過去に堅牢な国境砦となる役割を与えられて建てられた町なんです。町の北には二色の性質の違う土が巨大な割れ目を形成する縫合の谷が広がっていて、徒歩で旅を続けるには、そこに架けられた大橋を渡らないといけない」
「なるほど」
ㅤこの町が鎧のような壁に守られているのは、変調域に出没する生物から町人を守るためだけだと思っていたけれど、そんな歴史があったのか。これだけ大掛かりなのも納得がいく。
ㅤしかしフリュエは大きくため息をついた。
「ですが、あの巨大な蛇が町を攻撃するようになったせいで、橋の一部が壊れてしまい、今は補強作業中で一時通行止めらしいです」
「はぁ?」
ㅤクロが八つ当たり気味に地図をバシリと叩いた。
「それじゃあここから先に進めないじゃない!」
「そうなんですよね。私もアイリオスはあくまで目標の一つで、まだまだ先を目指すつもりでしたから、残念で……ですがお店の人によれば一週間もすれば通れるようになるという話だったので」
「一週間、ねえ」
ㅤ一応クロは追われている身なので、一つの場所に長居するのは当然落ち着かない。フィルターという追っ手を退けたはいいものの、いつ次の追っ手が来るかもわからない状況だ。出来るだけ早くあの森を離れるべきだと思う。しかし橋を渡る事ができないとなると、他の手段で先に進むことはできないんだろうか。
ㅤフリュエが首を横に振った。
「これが変調域でなければ、自力で谷を越えるということも出来たかもしれませんが……今は難しい、と思います」
ㅤ彼女は自分が少し前まで熊に追われていた事を思い出したのか、青ざめた顔をしていた。いくら自衛手段を持っているとはいえ、凶暴な獣に襲われ命を脅かされるのは恐ろしい。ちゃんとした生き物ではなかったとはいえ、私も狼に囲まれた時は、恐怖しきりだった。
「ま、時間がかかるならしょうがないわ。無理に動いてもいいけれど……頑丈なあたしはともかく、あんたが怪我でもしたら面倒だしね」
ㅤ斜めに私のことを見てくるクロは、旅の仲間として私の事を心配してくれているんだ。なんだか胸のあたりが熱くなってたまらない。顔が変に紅潮してやいないか。両手で頰を抑えると、いやに温かい気がする。いや、確かに橋を使わずに無理やり谷を越えようとして、私が足を引っ張ってしまったらよくない。
ㅤやはり早急に、私は私なりの戦い方が出来るよう強くなる必要があるようだ。
ㅤしばらく地図を眺めていると、クロは眉をひそめてある一箇所を指差した。
「この……黒く塗りつぶされているところは?」
ㅤ地図の南側にある住民街の端に、何も書き添えられていない四角形が七つほど寄せられていて、そこだけ色が黒くなっている。見た目だけで言えば、使われていない区画、だろうか。
「ああ、それなんですけど、お店の人に聞いても知らなくていい、の一点張りで……気になりますけど、どうやら入ってはいけなさそうな場所なので、行かないほうがいいかと」
「ふぅん」
ㅤクロは興味があるようだった。気持ちはわかる。人間というものは、入ってはいけないよと強く言われるほどに興味を抱いて、困ったことに入ってみたくなる。実際に入ろうとするかはともかくとして、もちろん良くない事だと重々承知したうえで、だからこそ。
ㅤだけど今は好奇心に駆られて知らなくていいと言われた事を調べようとしている場合ではないのだ。第一目的地である商店街が北側にあって、黒い区画は南側だ。それも端の端である。まったくの反対側なので、なにかのついでに行くということもない。
ㅤクロもそこまでして見に行く理由もないと感じたのか、興味を失ったように地図から目を逸らした。
ㅤそうしてベッドから立ち上がると、ヨレヨレになっていたシャツを正す。
ㅤ
「ま、なんでもいいわ。よし、休憩できて体力も戻ったし、さっさと買い物に出かけましょう」
「あ、それなんだけど」
「うん?」
ㅤ正直なところ、この世界にきてはじめての買い物は、かなりワクワクする。お金は持っていないけれど、この世界における販売システムとか、売っているものとか。何が待っているんだろうと想像するだけで、期待と興奮が抑えられない。もしかすると私でも扱えるような、魔法のアイテムだって気軽に売っているかもしれない。私はファンタジーもののロールプレイングゲームをプレイする時も、新しい街で商店の品揃えを確認するのが、楽しみの一つだった。
ㅤそれに今日は、もう一つの目的もある。
「服を買ったら、この……鍛冶場にも行ってみていいかな」
◇◆
ㅤレースがふんだんにあしらわれたフリフリの衣装を着て、クロが苦言を呈した。
「で、なんであたしはこんな格好をさせられてるわけ?」
ㅤアイリオスの北側にある商店街、賑やかな街並みの一角に、この町唯一の服飾店が存在する。
ㅤどれほどまで工夫すればここまで無骨な鉄箱の面影を無くせるのか、と思うくらいに服飾店は派手やかな外観をしていて、私たちが休んでいた一室の数倍はあるであろう大きさの鉄箱に、これでもかと色とりどりな飾り付けがくっついている。
ㅤ店の入り口にあるショウケースにはまるまる結晶で出来ているらしい綺麗な花がガラスの花瓶に活けられていて、私たち客の目を引く。ガラス細工の文化はあるんだな。この世界。別に高価だったりもしなさそうだ。
ㅤこのお店は衣服以外にも小物などの雑貨も取り扱っていて、店内を細かく見回っていけば数時間はかかりそうだった。
ㅤ店に入って早々緑のメッシュが入った髪をした、ガタイのいいオカマがやってきて、自らを店主と名乗り、ちんちくりんなクロの姿を見るや否や高速でおすすめの服を差し出したのだった。
「似合ってるよ、クロ。すっごいかわいい。私はそういうの、着ないけど」
「そうです、すごく似合ってますよクロさん!すっごく女の子らしくって……私もそういうのは、着ないですけど……」
「着ないんじゃない!あたしだってこんな動きにくい服、着ないけど!?」
ㅤキレ気味のクロの肩をオカマ店主がぽんとなだめて、何か物足りなそうな顔をしていた。
「あら、アタシは似合ってると思うけどねぇ?こういうの似合うってのもああた、才能よ?そもそもが可愛らしい顔してなきゃ似合わないもの」
「こんな才能、腹の足しにだってならないし、いらないんですけど」
「しょうがないわねぇ」
ㅤオカマ店主は残念そうにため息をつくと、あわよくばそれもクロに着せるつもりだったんだろう、既に手にしていた第二のフリフリ服を棚に戻すと、唸りながらいくつかの服を吟味し、候補となるものを取り出した。
ㅤまず一つ目は、アイリオスに古くから伝わるものらしい民族衣装。黒地に灰色の生地を縫い付けた、赤いラインの入った軽装だ。上半身はノースリーブで、襟から腰元にかけて側面が大胆に開いているため、通常は肌着と合わせて着こなすらしい。下半身はハーフパンツなのだけれど、これまた側面に大胆なスリットが付いている。
「なんでこれ横開いてんの?いる?これ」
ㅤ却下されました。体の側面が露出するなんて大胆なデザイン、私は大いにアリだと思います。はい。というか露出に関して言えば、クロが初めに着ていたレオタードの方が、よっぽど際どい。彼女は得意の戦闘態勢としてよく屈むし、恥じらいなど無縁といった様子で足を開きがちなので、臀部や鼠蹊部が丸出しと言ってもいい彼女の格好は、大変目のやり場に困った。嬉しいけどね。
ㅤ続いてオカマ店主が取り出したのは、現在この町で人気があるらしい、とても可愛らしく、淑やかな赤いリボンのついたワンピース。いくつか色があって、背中が開いていて涼しい上に身体を美しく見せる事が出来るらしいのと、腰に仕込まれたゴム紐でシルエットの調整ができるのが売れている秘訣らしい。
「あー、こういうヒラヒラとしたのダメだわ。動きやすいのじゃないと。ていうかこれも開いてるじゃない。今度は背中?そういうのが流行ってんの?」
ㅤ今度も却下されました。続けて却下されたので、オカマ店主が口を尖らせる。
「もー!ああたせっかくすらっとしていて背だってお人形さんみたいで可愛らしいんだから、女の子が夢見る服だって着こなせるだろうに……我儘なのねっ」
ㅤオカマ店主はぶつくさ言いながらも、ちゃんとクロに似合いそうな服を選んでくれている。いい人だ。見た目は随分と派手なので、初めて見た時は驚いたけれども。人は見かけによらない。むしろこれくらい派手で自分の見た目にこだわっている人の方が、服飾センスは磨かれているんじゃないかと思ったりする。
「あー、じゃこれだわ」
ㅤオカマ店主が取り出したのは、襟に赤くて細いリボンを縫い付けた白を基調とする袖の短いブラウスに、一見するとスカートのように見える黒いショートパンツ。
「ふうん?動きやすそうでいいんじゃない?どこも無駄に開いてないしね」
「ああたそんなに開いてるのいやなの?体を見せたくないの?」
「隙間から毒虫を投げ込まれたり、暗器で突かれたりしたら嫌じゃない。身を守るための防具なのよ。服は。あたしにとってはね」
「あらいやだ、毒虫だとか。物騒ねっ」
ㅤどうやらクロはお気に召したようで、オカマ店主から服を渡されると、店内の試着スペースに引っ込んだ。シャツを脱ぐ衣擦れの音がする。店内にはほかにお客さんはいないので、別にその場で着替えてもいいのに。あ、決して彼女の身体が見たいとかそういうことではなく。決してね。
「彼女、ちゃんとご飯食べてないのかしら?背の低さはともかくとして、手足が細すぎるくらいで心配になるわ。アタシ」
「確かに細いですよねえ。私、二の腕や腿がすぐパンパンになっちゃうので、羨ましいです」
「ああたのそれは気が緩んでるからじゃない?」
「ヴッ」
ㅤ見事なクリティカルヒットに胸を押さえて崩れ落ちるフリュエをよそに、着替え終えたクロが試着スペースからニュッと顔を出した。
すごい。普通、新しい服を試着した時はもっと似合ってるかどうか不安になったりして、ゆっくり試着室から出てくるものだ。なのに彼女はどうにも自信満々で、この服は自分に似合って当然とでも言いたげな表情をしている。
確かに似合っているけれども、オカマ店主の言う通り、袖口から覗く彼女の二の腕は、贅肉とは無縁そうに骨ばっていた。つい先程宿で彼女の裸を見たけれど、これほどまでに痩せていたかしら。お肉を好むにしては、脂肪がついてなさすぎる。どれだけ食べても太らない体質だったり、気づかないところで効率的なカロリーの消費の仕方をしたりしているんだろう。もしかすると、彼女がいた実験場が、あまり満足な量の食事を与えてもらえない場所だったのかもしれない。
だとすると、ほぼ料理担当である私が、彼女が健康をしっかり維持できて、腕の細さを心配されなくなる食生活を考えなくちゃいけないな。まずは、ええと。腕の肉を付けるために、お肉料理のレパートリーを増やすところとかかな。
「…………うん」
クロはオカマ店主が用意してくれた姿見で自分の姿をまじまじと見つめて、納得したようにうなずいた。
「これ、いくら?」
「あら、お気に入り?良かったわぁ。えとね、上下合わせて四十クロムでいいわっ」
自分の二の腕についた脂肪を指でぷにぷにさせていたフリュエが、我に返ってパンツの尻ポケットから小銭の入った袋を引っ張り出すと、月桂樹の模様が刻まれた銀貨を四枚取り出した。眩いばかりの銀貨だ。四枚でいいということは、一枚で十クロムということかな。
「思ったより……お安いですね」
「かわいい服を着せ替えさせてもらったお礼。やっぱり可愛らしい服は、それ相応に可愛らしい女の子が着ないとねえ。アタシじゃ肩幅がありすぎてダメだから」
果たして肩幅の問題だけだろうか。
「あんなフリフリの着せられて、見せ物にされたんだから、タダでくれてもいいくらいだと思うけどね」
「あら、ならもっといろんな服を着せるべきだったわねぇ。いいとこのお嬢様が身に着けるようなドレスワンピースとか、ちょおっとお子様向けだけれど、大きなリボンやぬいぐるみの付いたファンシーな服とか。あ、水玉模様の水着、なんてのもあるわよぉ?」
「………………」
「あらぁ、見事なへの字に曲げちゃって、かわいいお口が台無しよ」
皮肉を言うクロとそれを軽くあしらうオカマ店主のやり取りは、なんだか微笑ましかった。
ㅤ私はいうとクロが試着している間にそそくさと会計を済ませてもらっていた、一般的な旅人が身につける女性用の旅行服に身を包んで、服飾店を後にしてほっと胸を撫で下ろした。
ㅤクロがあんなに魅力的だったので、地味な私の衣服購入シーンはカットということで。
「にしても、すんなり新しい服が手に入ってよかったよ。クロが元々着てた服、よくわからない構造だったから、凝ったのが好きなのかな~って思ってたし」
「あれはあたしの身体に合わせて作られた服だけど、別に気に入ってたわけじゃないから……なんでもいいのよ。それに、
「でもほらここ、クロとお揃いなんだよ」
ㅤ私は服とは別個で購入した、自分の首に付いている赤いリボンのチョーカーを指差す。店内を物色していたら偶然見つけたもので、値段も手頃だったのでフリュエに買ってもらったものだ。
ㅤ
「でも、お二人共気に入った服があって良かったです!」
「こんなに買ってもらっちゃって、ありがとうね」
「いえいえ!……私もお二人みたいに、細いサイズの服が入るよう痩せないと……」
ㅤオカマ店主に気が緩んでいると言われたことを、まだ根に持っていたらしい。フリュエは痩せ具合というよりも、身長による服のサイズ感に困りそうだと思う。
「あ……それよりお二人共、あれ見てください!あれが現在補強工事中の、大橋ですよ」
ㅤ服飾店を出て北へ少し歩いた先。道の向こうにある町の外周に沿って立てられた鉄壁の門の周囲に、検問所らしき建物と、谷に掛かる大橋へ向かって続く石の階段が見える。
ㅤ大橋の周囲には工事用にいくつかの足場が組まれ、山のように積まれた資材と、そこでせっせと働くガタイの良い作業員たちの姿が見える。そんなむさ苦しい様子に混じって、赤いバンダナが目立つハズマと、上着を腰に巻き付け黒いチューブトップを着た栗色ポニーテールの少女が言い争いをしていた。
ㅤ少女は背の高いハズマの肩ほどまでしかない身長をしているけれど、その差に負けじと激しい剣幕で、噛みつかんばかりにハズマの腰を叩いたりスネを蹴ったりしていた。
ㅤその様子を見た私たちは顔を合わせる。
「あれは……喧嘩でしょうか?」
ㅤクロが愉快そうに鼻を鳴らす。
「ふん、どっちみちあっちの方に用があるんでしょ?橋が今どうなっているか、下見がてら見物しに行きましょ。凶暴な女があの男と何を言い争っているかも、気になるしね」
ㅤそう言うなりずんずんと歩いて行ってしまったので、私とフリュエは慌てて後を追いかける。
ㅤ大橋に近づくにつれて、栗色髪の少女の怒号が聞こえてきた。
「だから、人を寄越してって言ってるの!分からない?人!ひーとー!あんた監督者でしょ?こっちに回せる人員の一人や二人、なんとかならないわけ?」
ㅤまるで猛獣のように組みついてくる栗色髪の少女を引き剥がして、ハズマがスネをさすりながら苦々しい顔をしている。
「あのな、俺だって寄越せる人員がいるなら、そうしてるさ。でもな、それができないからお前のところに誰も来ないんだ。そりゃそうだって話だろ。向かわせてないんだから。俺の言ってることがわかるか?第一お前は人をこき使いすぎる。昔っからの悪い癖だ。貴重な人員にお前を手伝わせて無駄に疲れさせるくらいなら、今はもっと優先すべきことがあるんだよ」
「もっと優先すべきこと!?あの蛇をぶっ倒すための武器作り以外に、優先すべきことがあるっての?」
「あるんだよ。この町の人を守る、っていう優先事項がな。鉄壁だって少しずつ剥がされてる。橋だって適度に修理しなきゃ、橋そのものがへし折られるかもしれん。それに谷底に変なのが住み着いてるってのは聞いてるから、ジト達に直接頼めばいいだろうが……ん?」
ㅤ見物しにきた私たちと、ハズマの目が合った。彼は何か思いついたように身体を硬直させて、しばらくこちらを見ていた。なんだろう、二人の話を理解しているわけではないけれど、話が動く予感がする。
「……ちょうどいい。おいアッシュ、こいつらに頼んでみればいいじゃねえか。金ならあるんだろ?こいつら、町の外であの蛇に襲われて、すごい速度で逃げおおせた足の持ち主なんだぜ。谷底に何が住み着いてたって、なんとかなるだろ」
ㅤアッシュと呼ばれた栗色髪の少女が、私たちをじっとにらみつける。
ㅤ厚手の作業用カーゴパンツを履き、腰元に上着を巻き付けた下半身とは対照的に、上半身は胸元だけを覆うチューブトップのみという大胆な服装をした彼女は、あどけない顔つきとは裏腹に筋肉質な腕を腰に当て、何やら私たちを値踏みするように観察している。
ㅤ歳は十代半ばくらいだろうか。彼女の格好と腕の筋肉のつき方からして、何か身体を使う仕事をしているのだろう。大橋の補強を行う作業員、にしては、鼻元や衣服のあちこちが煤けていて、焦げ臭い。もしかすると彼女は、この町の北端にある鍛冶場に勤めているのではなかろうか。
ㅤもし彼女が鍛冶師であったりするならば、私は彼女にこそ用がある。
「へぇ……」
ㅤアッシュは何かを測り終えたのか、ハズマの腕を引っ張り耳打ちして、不敵に微笑んだ。ハズマはやれやれといった様子で頭を抱え、ポケットから何やら小さな小袋を取り出してアッシュに手渡す。
ㅤどうしよう、またも新しい美少女だ。私はアッシュの笑みに特に不安を覚えるようなこともなく、新しい出会いへの期待に胸を高鳴らせていた。
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