第11話ㅤ辻褄合わせ、盛り合わせ


◆◇


ㅤフリュエが部屋を出て行って少し経った後、私は部屋に置かれていた椅子に腰掛けてだらけていたのだけれど、それまでうつ伏せだったクロが突然ひっくり返り、口を開いた。


「さて。はじめましょうか」

「はじめるって、何を?」

「辻褄合わせよ。つまり情報の擦り合わせ。成り行きでフリュエと同行する事になってるけど、あたしとトーカ、そしてフリュエじゃあ、知ってる情報がえらく違うでしょう」

「うーん、たしかに」

「あたしの知ってる世界の知識はかなり古いものだし、あんたはそもそもこの世界について何も知らない。さっきはエンだなんてでたらめな通貨を言ってくれちゃったしね」

「いや、円はデタラメじゃ……」


ㅤそうだ。円という通貨は存在する。けれど、それはあくまで前の世界でのおはなしだ。今私は、別の世界でこうして生きている。元々の日本という国がまるまるこちらの世界に来ているとでも言うのなら話は別だけれど、さすがにそれはない気がする。この世界について明るくない事実はフリュエにあれこれ聞けばなんとかなるだろうと考えていたけれど、それじゃあダメなんだろうか。


「別に、わかんないことは聞けばいいわ。でもそれには限度がある。いい?あたしたち二人はワケありだとは説明したけれど、いくらワケありだからって、あまりに何も知らなすぎるのはよくないわけ」

「それはどうして?」

「この世界について欠片も知らないとなると、からよ。あたしの素性、あんたはわかってるでしょ」


ㅤかつてこの世界で巻き起こっていた戦争を止めた英雄、その模造品レプリカ。それがクロだ。にわかには信じがたい話ではあるけれど、森の中にあるという実験場なる施設で産み出された存在。

ㅤおそらく彼女が言うただの人間とは、この世界で平穏に暮らす一般人の事を指しており、そして私たちはそこに当てはまらない。


「英雄は、この世界の人間じゃない。彼女はこの世界に呼ばれて英雄になった。つまりこの世界について、始めは何も知らなかったの」

「私と同じ……?」

「そう、もしこの世界について何も知らないあんたが異世界からやってきたとバレたら、わからない。だからあんたとあたしで情報を擦り合わせて、辻褄合わせをする必要がある」

「成る程……!」


ㅤだからクロは、別の世界から来たという私の話に疑問を抱かなかったのか。合点がいった。

ㅤしかし異世界から来たということがバレただけで厄介ごとに巻き込まれかねないというのも、少し寂しいお話である。何せ、機能メニューという能力はこの世界にやってきたことによって与えられたものであると、大手を振って話せないわけだ。

ㅤもっともかみさまという存在だとか、世界を俯瞰して見る能力だなんて説明をされたことを信じてもらえるかどうかすら怪しいけれど、英雄の伝承がなんらかの形で今も伝え続けられているというならば、そこで異世界という単語に予期せぬ反応を示す人間がいるかもしれないという話になる。

ㅤそれでも私のイメージの中での異世界へやってきた人間の取り扱いとは乖離している気がして、やっぱり少し寂しかった。


「そういえば……クロは英雄のレプリカ、なわけだけど、例えば町の人とかがクロの姿を見て、英雄だー!って気付かれる事とかはないの?あと……英雄を捕らえた、ってのは、国っていうか民衆がやったこと……なんでしょ?」


ㅤクロが少し不機嫌そうな顔をした。なんだろう、触れてはいけない事だったろうか。


「表向きはね。考えてもみて。たったひとりの英雄を捕まえるために、民衆すべてが動くと思う?戦争を終結させた人間よ?……あたしの中のお母さんオリジナルの記憶には、朧げだけれど、彼女が捕らえられるまでの記憶だって残ってる……。先導した人間がいるのよ。そういう状況を作ったのはそいつで、主に行動を起こさせたのも全部そいつ」

「じゃあ、民衆が捕まえたっていうのは……」

「乗せられた民衆が、英雄が逃れられない、許されない空気を形作ってしまっただけ。実際に手を下した民衆なんて、きっと数えるほどだっていないわ。全部その黒幕の息がかかってる」

「そんな……」


ㅤクロは頭をぼりぼりとかいて、応急処置として顔に巻きつけていた眼帯代わりの布を解いた。

ㅤ端正な顔立ちに嵌め込まれるにしては異様な、無色の瞳。森の中で見たような光彩を今は浮かべてはいない。


「そもそも、お母さんオリジナルとあたしとじゃ、まったく似てないのよ」

「え、そうなの?」


ㅤああ、これは不機嫌そうな顔じゃない。心なしか、悔しそうな、寂しそうな、なんとも言えない表情をしているんだ。私には、今の彼女の表情からなにを思っているか計り知ることなどできない。


「あくまで受け継いだのはその力の一部と、記憶だけ。そして……あいつフィルターがあたしを6号って呼んだでしょ。あれってつまり、あたしの前に五人、それぞれ違う姿をした模造品レプリカがいるってこと」


ㅤここでそんなに模造品がいるのは何のために、と聞くのは間違いだろう。聞いてもいいけれど、もしクロが答えてくれたところで、それを受け止められるだけの余裕と情報処理能力が、今の私にはない。英雄の話自体、既に判明している情報だけで手一杯どころか手に余る。

ㅤもちろん、あの森の中で無我夢中だったとはいえ、フィルターに追われていたクロに向かって無責任にものんびり旅をしたいなどと言ってのけた責任として、彼女の事をしっかり理解する義務は当然ある。けれどそれは一度に理解しようとするのではなく、彼女にも無理に説明させず、少しずつでもいい、歩み寄るようなペースでもいいのではないかと、私は考える。


「……だから、あたしが町を練り歩いたところで、妙に目立たなければ、眼帯をしたただの白髪で褐色肌な少女として人の目に映るほかはない、ってわけ」

「それは、よかった」

「よかった?」

「だって、一緒に町を歩く事ができなかったら、それはきっととても寂しいから……」

「……まあね。もちろん、追っ手に気をつける必要はあるけれど。そう考えると、この町も早急に離れてもっと遠くへ行くか、変装したりするか……」


ㅤ嫌気がさしたのか、クロは大きくため息をついた。


「まあ、そうならないためにも、まずは設定を固める必要があるわ。フリュエにだって何か聞かれたら、ある程度答えないといけないでしょう。自分がどこの誰か説明できない人間と同室なんて、あたしからしたって気持ち悪いわ」

「設定、っていうと、例えばどこから来たとか、そういう話だよね。私はこの世界にどんな町とか、地方があるか知らないから、そこはクロ頼りになるけれど……」


ㅤ私とクロは仲良く同じ腕を組んだポーズをして、少しばかり唸ってみた。私としては正直、どの町出身とかそういう話よりも、どういう関係性かにこだわりたい。例えばお嬢様とお付きのメイドだなんて関係性はどうか。いや、格好からしてまず無理か。ただの旅仲間、にするのは味気ない。じゃあ、いっそ年の離れた姉妹だなんてどうか。


「姉妹ィ?いや、無理でしょう。そもそもあんたとあたしじゃあ、風貌からしてだいぶ違う。黒髪と白髪、肌の色も違う、背格好だって違う」

「デスヨネー」

「二人とも痩せ細ってるって点なら共通してるけどね」


ㅤえ、痩せ細ってる?そんなに痩せてただろうか。私は前の世界にいた時は少し太り気味だなあ、とお腹の肉をぷにぷにしながら悲観していたので、違和感が残る。そういえば私はこの世界に来てからというもの、自分の姿を見たことがない。

ㅤ部屋をぐるりと見渡す。壁に備え付けられた衣装かけのそばに姿見が立てかけられていたので、慌ててその前まで走って行き、覗き込んだ。


「え……?」


ㅤそこに映っていたのは、急ぎ走ってきたせいか乱れたショートボブの黒髪をした、たしかに痩せ細った。記憶の中にある見知った私の顔ではなく、どこのだれかわからない若い少女が驚いている姿が、はっきりとそこに映っている。

ㅤ急造のワンピースがやけに似合う、あどけなさの残る少女の面影。しかしそれは例えば若い頃の私の姿に似ているだとかそういうわけではなく、本当に見覚えがない。


「一番無難だと思うのが、あの森を越えたずっと先にある名も無き田舎村で育った知り合い同士、って話ね。それがワケあって村を旅立って、フリュエが熊に襲われているところに偶然立ち会った」

「……な、なるほど。いいんじゃ、ない?」

「なに、自分の姿がどうかした?やけに歯切れが悪いけれど」

「や、ううん。なんでもない」


ㅤあっそ、とクロは鼻を鳴らして、おもむろに服を脱ぎ出した。


「じゃあ、それでいいわね。別にフリュエとこれから旅をするってわけでもないから、彼女にそこまで詳しく説明する必要もない。だから、適当に話を合わせるだけでいいわ。それで……」


ㅤ服を、脱いだ?

ㅤ私は自分の姿など途端にどうでもよくなり、急いで自分の手で顔を覆って、指の隙間からクロの方を見た。

ㅤ彼女は汗で身体に張り付いているらしいレオタードを、どういう構造なのかわからない脱ぎ方でまるで脱皮でもするかのように床に脱ぎ捨てると、部屋のテーブルに置かれたタオルで身体を拭き始めた。

ㅤやはり、胸に包帯を巻いている。何重にも巻きつけられた血で濡れた包帯で乳房はぐぐっと無理やり形を変えられて、平べったくなって彼女の胸部にくっついていた。彼女は包帯を破るように剥ぎ取ると、丸めて屑かごに放り込む。いよいよ素っ裸になった。形が良く重量もある胸が解放され、たわんと揺れる。

ㅤ褐色肌のせいもあるだろう、痩せぎすだけれど、健康的に見える美しい身体。スケべな気持ちを抜きにしたって、見惚れてしばらく目が離せなくなるほど、彼女の身体は細っこい四肢も含めてとても魅力的だった。痩せているけれど胸はしっかりとあるそのバランスは、欲しい要素が詰まっていて同性としても羨ましい。

ㅤというか今の私の身体、恐ろしいほど平べったいんですけど。クロより身長はあるからいいけれど。いや、薄さで言えば、前の世界の私も一部分だけで言えば悲しいことにそんなに変わらないんだけどね。悲しいことに。泣いてもいいかな。少し、泣く。


「あたしの名前、なんだけど」

「うん?」


ㅤクロは内腿の辺りを拭きながら、ちらりと私の方を見た。


「あたしは元々名前なんかないの。クロっていうのも、咄嗟に思いついた名前ってだけで」


ㅤああ。6号だから、6を逆から読んでクロ、か。成る程。気づかなかった。


「あんた、あたしの名前、考えてくれない?」

「いえっ!?」


ㅤ急に振られたので、思わず変な声が喉を飛び出した。クロの名前を私が考える。とは。


「これからあんたと旅をするにしたって、咄嗟に思いついた名前で呼ぶのも変な話でしょう。だから、あたしの名前の設定も考えておく必要がある」

「名前、かあ」


ㅤでも既に、彼女の事をクロと呼ぶのに慣れ始めている節がある。出会いがショッキングだったので、それによる印象も強い。だから今更変えるとしても、違和感が生じたりしないだろうか。


「クロってのもそれはそれでいいと思うけどなあ……あ、そうだ、それなら」


ㅤクロが胸元をタオルで拭う。


「うん?」

「クロエ、っていうのはどうかな。ほら、それなら愛称もクロになるし、さっきまで私が呼んでいた説明もつくでしょ」

「クロエ……」

「だめかな」


ㅤクロは動きを止めて、クロエという名前の響きを確かめているのだろうか、何度か私によく聞こえない声量で呟いた後、身体を拭くのを再開した。

ㅤちょうどいいタイミングで、階段を登ってくる足音がする。ゆったりとした歩幅からして、フリュエに違いないだろう。


「じゃ、それでいいわ。それでいきましょう」

「オーケー。じゃあ改めてよろしくね、クロエ」


ㅤクロエは口角を少し持ち上げて、ふわりと笑った。


「よろしく、トーカ」



◇◆


ㅤやはり足音の主はフリュエだった。彼女は片腕で大きな紙袋を抱えて、息を切らしながら部屋に入ってくる。一体何を買ってきたんだろう。紙袋はなんだかゴツゴツとしていて、やたらとかさばっている。


「おまたせしましたぁっ!……きゃあ!」


ㅤフリュエが、クロに頼まれて私が背中を拭いている様子を見て、顔を紅潮させて仰け反った。危うく紙袋取り落としそうになるも、なんとか踏みとどまる。


「ごめ、ごめんなさい、私、邪魔者だったでしょうか……」

「邪魔って、何が?」


ㅤクロは片目を眼帯がわりに手のひらで隠して、部屋の入り口で狼狽えるフリュエを不思議そうに眺めた。

ㅤ私はというと、鼻息を荒くして不審がられないよう努めて、クロの背中に浮いた汗を拭き取っていく。


「そうだ。ねえフリュエ、何か薄い布と紐、持ってない?あたし片目を怪我しているのだけれど、森で眼帯を無くしちゃって」

「布と紐、ですか?ありますよっ」


ㅤフリュエは紙袋をテーブルの上にどかんと置くと、リュックの中から一枚のハンカチと紐の束を取り出した。なんか重量感たっぷりな音しましたけど。紙袋。


「ありがと。それ、トーカに渡してくれる?トーカ、背中はもういいわ」


ㅤ私はクロの綺麗な背中に泣く泣くお別れを告げると、フリュエからハンカチと紐を受け取る。もしかして、これで眼帯を作れと言う話だろうか。ハンカチは黒い無地のもので、紐は手芸用のものなんだろうか、伸縮性があって、しっかりとしている。ピンと伸ばしてもなかなか切れそうにない。

ㅤこれを眼帯に加工するとなると、ハンカチの縁に耳掛け用の紐を通し、縫う。そんな感じでいいんだろうか。こんな事なら前の世界で手芸もしておくべきだった。そうしたら、もっとうまくしっかりとした眼帯を作るイメージができたろうに。あまりに機能メニューが便利だと、自分の知識の無さに後悔ばかりが先立つ。

ㅤ私はハンカチと紐を所持枠インベントリにするりと収め、眼帯の完成図をイメージする。そうだ、せっかくだから、祈りの剣を作った時のように強い気持ちを材料に混ぜてみよう。あの時ほど力のこもったものには出来ないかもしれないけれど、例えばこの眼帯が、クロを災いから守ってくれるような、幸運のお守りになってくれるように。


【守りの眼帯】耐久度:D

ㅤクロエの左目を覆う黒い眼帯。彼女の眼を守るという強い意志が表面に宿っており、ある程度の魔を祓う対魔力効果を持つ。素材が脆いため、物理攻撃には弱い。


ㅤ思ったよりしっかりしたものが出来上がって、思わず息が漏れた。


「な、なるほどぉっ!」


ㅤフリュエが妙に高い声を出す。おもちゃをプレゼントされた子供のように目を爛々と輝かせ、私の手を強く握った。


「すご、すごいです。驚きました……たしかにこれはすごく便利なものですね……!」


ㅤ美少女にすごく褒められたので、鼻が高い。きっと側から見れば、今の私はピノキオのように鼻が伸びていた事だろう。おっと、いけない。あんまり調子に乗りすぎると、痛い目を見るからね。何事もほどほどがちょうどいい。伸びた鼻を戻すようなジェスチャーをする私を、クロがなにしてんだこいつ、と言わんばかりの表情で見ていた。


「眼帯、さっさと渡してくれる?」

「え、ああ、ごめん。はいどうぞ」

「ありがと」


ㅤクロが受け取った眼帯を付ける。うん、似合ってる。黒い眼帯は彼女の工芸品のように白い髪と対照的で、美しさの中にある確かな芯の強さを感じさせる。

ㅤ彼女は少しの間頭を揺らしたりして具合を確かめていたけれど、サイズ感もちょうど良かったみたいで、二度頷いた。


「クロさん、もしかして替えの服、持ってないですか?」

「ん、まあね」

「それなら後で服屋に一緒に観に行きましょう!トーカさんも!必死で逃げて、汗だくになってしまいましたからね……せっかくですから、服も私が奢ります!」


ㅤ宿代に食材費、さらに服代も奢ってもらえるとなると、さすがにちょっと申し訳なくなる。


「いや、そこまでしてもらうわけには……」

「いいんじゃない?本人が奢りたいって言ってるんだから。好意は素直に受け取っておくべきよ」

「いや、でもクロ……ある程度遠慮もしないと」


ㅤフリュエはニコニコして、猛烈な勢いで首を左右に振った。全力否定の意思表示だ。


「大丈夫ですよ!私、これでも貯金はいっぱいありますので……!」

「そういえば魔術師見習いで学園がどうのって言っていたけど、フリュエあんた、学生なの?学生だとしてもこんなところにいるってことは、研修とか?」


ㅤニコニコしていたフリュエの表情が急激に曇る。この世のすべてに謝りたそうな顔になってしまった。


「正確に言えば、学生、でした」


ㅤフリュエはリュックからゆったりとした大きめのシャツを取り出すと、クロに手渡す。クロはそれを遠慮なく受け取ると、頭からすっぽりと被り、袖を通した。フリュエは身長が高いので、彼女の身体に合わせたものを体の小さいクロが着るとシャツ一つで腿の辺りまで隠れてしまう。うわ、彼シャツを着たみたいですごくかわいい。そして裾から覗く太腿がすごくえっちだ。ともすれば下着が覗き見えてしまいそうな危険さがたまらない。

ㅤ下着が覗き見えて?いや、そもそも彼女下着穿いていなかった。

ㅤさすがにフリュエもまずいと思ったのか、次いでリュックから白い下着を一枚取り出すと、慌ててクロに穿かせた。ナイスと言わざるを得ない。穿いてないってのもまたオツなものではあるとは思うけれど、私はちゃんと穿いている方が好きだ。その方が可愛い女の子がどんな下着を穿いているか判明してしまうかもしれないっていうスリルが味わえるからね。いや、なにを言っているんだろうね。


「学生でしたって?」


ㅤ急に話題が元に戻ったので、私は勝手に面食らっていた。


「というより、処分保留、みたいな感じですね。私、ワケあってある失敗をしてしまって……。それで、授業に出られなくなったので、旅にでも出てみようかな、と……ええと、お二人のワケに比べると、遥かにちっぽけなものですけど……」


ㅤクロは黙って私と目を合わせる。たしかに私とクロは、かなり深いワケのある部類だと思う。異世界からやってきた世界を俯瞰する能力を持つ女と、数十年前に世界を救った英雄の模造品レプリカの組み合わせは、私だって理解できるくらいには普通じゃない。

ㅤだけど。


「でも、ワケの深さなんて関係ないと思うよ。確かに他人から見ればどれだけ深いかってのは、差があるように思えるかもしれないけれど。本人にとってはどんなワケも大事なものだと思うし」

「トーカさん……」

「誰だって何かしら抱えてるもんよ」


ㅤクロはぶっきらぼうな言い方をするけれど、決して他人を気遣っていないわけではないと、だんだんとわかってきた。彼女は自身が置かれた環境によるものか、口は悪いけれど、英雄の記憶を受け継いでいる事もあって決して愛想がないというわけでもない。時折見せる素直な仕草は、私の心を射止めるには十分すぎた。


「あたしたちのワケだってあたしたちの物だし、あんたのワケだってあんたの物。だから比べること自体、おこがましいって事よ」

「な、なるほど……」

「それに、旅をすれば気晴らしになるしいいんじゃない。あたしもトーカも、そういう気晴らしがしたくて旅を始めたわけだしね」


ㅤ話していると、クロのお腹がぐう、と派手な音を立てた。彼女は特に恥ずかしがる事もなく、むしろそのお腹を誇らしく見せるかのように伸びをした後、ベッドをばしばしと叩く。


「ほら、そんな話よりも早く食事をしましょ。そんで少し休んだら、買い物に出て服を買う。今日の予定はそれで決まりだわ。トーカだって、アイリオスの町並みを見て回ったりしたいでしょう」

「うん」


ㅤフリュエは調子を取り戻したように微笑んで、テーブルの上に置かれた紙袋を開き、中身を取り出して並べていく。経木に包まれた肉、葉のついた見慣れない野菜が数種類、みずみずしい果実、紐で束ねられた小魚数匹、小袋に入った調味料が数個。三人分とはいえなかなかの量があったので、私もクロも驚き、関心する。


「買い物をしている途中、レシピさえあればという話から思い出したんです。私が育った家でよく出ていた、郷土料理」

「肉に野菜に魚も使うの?」

「はい。魔女釜の混ぜ焼きって言います。私の故郷では、人との絆に強い魔力が宿り、より強い魔術師が育つとされていて、ご近所付き合いが何より重要視されていたんですね。なのでみんなで寄り集まって、一緒につつく事ができるこの料理がよく振舞われたんです。あとは魔術師がほかの職業の人と親睦を深めるためにも使われていたと聞いてます」

「魔女釜ってのは、いろんな材料を突っ込んで混ぜる釜の事を指してるわけね」

「そうですそうです!」


 魔女がかき混ぜる釜というのは、やばい薬を調合しているイメージが強い。およそ人と親睦を深める行為に用いられる単語ではないと思う。しかしフリュエはニコニコしてこの言葉を使っているあたり、彼女の育った地域ないしこの世界では、魔女という存在はより善いものである可能性もある。

ㅤクロが私を頼りにするようにこちらを見て、鼻を鳴らした。彼女はコミュニケーション手段の一つとして鼻を鳴らす癖がある。そんなに音も大きくなくてかわいい。


「混ぜ焼きってことは、これを混ぜて一緒に焼けばいいってだけよね。なら簡単じゃない?」

「そうなんです!調味料も買ってきました。本当は海の魚がいいんですけど、この辺りでは川魚しか手に入らないということなので、今回ばかりはご容赦を」

「親睦を深めるってことなら、今の状況にぴったりかもね」


ㅤまったく。お腹が空いているということもあるだろうけど、素直で積極的なクロはとてもかわいいな。こうなると、腕の振る舞い甲斐がある。いや、頭の中でイメージしたレシピでぱっと作るだけだから、手間はほとんどかかっていないのだけれども。でも私が与えられた能力だからね。誇ってもいいよね。


「はあ、お腹空いた。早く食事にしましょう」


ㅤ私はクロとフリュエの期待の眼差しを一身に受けて、クロの真似事をして自信ありげに軽く鼻を鳴らし、意気揚々と食材に手をかけた。



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