第8話 追いかける熊と北十字星



 崖の下から聞こえた、随分と情けない女性の悲鳴を聞いてしまった私達は、崖のふちまで寄って行って、恐る恐る崖下を覗き込んで見た。こちらが高い位置にいるので、悲鳴の主が新たな追っ手だとしても気づかれずに済む可能性もある。というか、追っ手だとすれば悲鳴をあげて助けを求めているっていうのもおかしな話だけれど。

 それより気になるのは、悲鳴よりも衝突音だ。何か強い力をぶつけたような音がした。続けざまに何かが倒れる音もしたので、もしかすると木でも倒れたのかもしれない。現に木の葉も待っている。とすると、悲鳴の主が木をなぎ倒したか、或いは。


「見て、トーカ」

「うん?」


 私はクロと一緒に仲良く地面に伏せている事にうっかり感激してしまっていたけれど、彼女が真剣な面持ちで崖下を見つめているのに気がついて、さすがに少しバツが悪くなった。ごめんなさい。ちゃんと見ます。でも動きがシンクロしたみたいでちょと嬉しかったんだ。

 慌ててクロが指差す先を追うと、街道を転がりまわるようにして、何かが急ぎ駆け抜けていくのが見える。

 白い、ローブを着た女性だろうか。フードを被っており、背は私より高そうで、パンパンに詰まった大きなリュックを背負って一生懸命足を動かしている。なぜ女性だとわかったかというと、彼女が着ているローブは体格に対してサイズが合っておらず、股下くらいまでしかない裾の下に細くて長い脚を覆うタイト目なレディースパンツが見えたからだ。さすがにクロと違ってちゃんとした靴は履いている。

 手には一見何も持っていない、ように思えたけど、ごめん、前言撤回。よく見ると片腕にゴツゴツした青い手袋を嵌めているようだった。もしかして、あれが武器だったりするのだろうか。

 私は隣で目を細め観察しているクロに問いかける。


「あれは……追っ手?」

「…………ううん。実験場で会った人間の顔を思い出していたけれど、見たことない……と思う。そもそも金髪なんて、実験場にはいなかったから」

「えっ!?」


 金髪。崖下を疾走している彼女はフードをすっぽりと被っているので、髪色はおろか顔すら確認できない。ところがクロは、彼女は金髪だと言ってのけた。動体視力が凄まじいんだろうな。やっぱり。私にはまったく視認できなかった。

 それにしても、金髪か。金髪、いいよね。金色の髪なんて、私からすればその存在自体がファンタジーだ。私だってもう少し若い頃に髪を派手な色に染める事に憧れこそしたけれど、うかうかしていたら社会人になり、すっかり機会を失ってしまった。職場にもよるだろうけれど、大体は派手な髪色の若手社員なんて、ナマイキだと思われてもしょうがないからできない。

 これでフードの下にとんでもない美少女がいたら関わり合いになるべきだと思うけれど、どうやら何かに追われているようだし、これ以上わざわざ面倒事に首を突っ込むのも考えものかもしれない……。私はなぜか余裕ぶって、ため息をついた。

 ん?

 何かに追われている?


「えっ、何に追われてるって?」

「わっ、何、急に?ちょっとびっくりするからやめてよね……それに、何に追われてるって……アレでしょ」


 クロが再度指を差す。そこには、フードの女性目掛け一目散に駆け寄る熊の姿。


「熊ァ!?熊いるの、ここ?」

「森の奥や山ならまだしも、こんなところにいるのはおかしいかもね。あいつフィルターの狼みたいに、初めはてっきりあのフードが呼び出しでもしたものかと思ってたけど……どうも違うみたい」

「明らかに追いかけて、逃げられてますからね……ってそれなら、助けないといけなくない?!」


 クロは眉をひそめて私の顔を見た。


「え、なんで?」

「なんでって、そりゃ、人が困ってたら助けるでしょ?普通」

「普通……普通か。そうかもね」


 クロは随分複雑そうな顔をしている。そういえば、彼女にとってその普通は適用されないかもしれない。

 かつて戦争を終結に導いたものの、その力を疎ましく思った民衆によって迫害された英雄。そのレプリカである彼女からすれば、困っている人を助ける、という行為に一家言あってもおかしくはない。その辺の複雑さはまだ触れていないけれど、漠然ながら大変だったろうな、と思ったりもする。

 けれど、結果としてそうなってしまったとしても。私は誰かが困っていたら助けるという行為を、間違っているとは思いたくない。だから彼女がどう思ったとしても、これは助けるべきだ。私はそう思う。

 勢いよく立ち上がった私に対して、クロは止めるような事はしなかった。多分、彼女もわかっているから。


「でも、助けないと!」


 しかし、クロも一緒に立ち上がってくれたのは、意外だった。


「おっ?」

「何、あんな風に言ったくせに、あたしが立ち上がるのはおかしいって?あのねえ、あんただけじゃ、あの熊はどうしようもないでしょ?」


 う、たしかにそうだ。私一人の力じゃどうにもならない。ということは、彼女も協力してくれるって事だ。なんだかとても嬉しい。


「ぎゃあああー!もうダメー!!!」


 耳をつんざく悲鳴が木霊する。やばい。そろそろ助けに走り出さないと。


「で、どう助けるわけ?」

「クロはこの崖、美味しいお肉の乗ったお皿片手に駆け下りる事はできる?」

「は?お肉?崖を降りるのなら簡単だけど……」


 フィルターに物を投げつけた時、所持枠インベントリの中身はあらかた放ってしまったけれど、一つだけ取っておいたものがあった。何やら特別な品らしかったので、加工できるならきっとふさわしいレシピがあるだろうと、お腹が減っても決して調理しなかったとっておき。そう、テツノジカを解体した時に手に入れた、記号付きのアイテム。

 ★テツノジカのモモ肉だ。

 モモ肉といえば、ムネ肉より柔らかくジューシーな部位だ。私は頭の中で分厚くて柔らかいお肉が、ジュージューと音を立てて焼き上がるのを想像する。やばい。よだれでてくる。むしろ私が食べたい、というかクロと二等分したい所だけれど、今はそれよりこっちだ。

 私はさっそく頭の中にぼんやりと浮かんだステーキのイメージ図を、もっと具体的に思い描く。


「テツノジカを捌いた時に、手に入ったものがあるの。普通の肉なら可能性は低いかもしれないけれど、これならきっと熊だって振り向く!」


 私の手のひらに上に、非常に、非常に美味しそうなステーキが皿に乗って出現する。


【テツノジカのモモステーキ】

ㅤ希少部位とされるテツノジカの腿を焼き上げたもの。とても柔らかく、肉汁もたっぷり。香ばしい匂いが人を惹き付ける贅沢なステーキ。バターなどがあればもっと美味しくいただける。


 私はよだれを垂らしたまま、ステーキをクロに手渡す。


「これを持って、ってうわ匂いやば。おっとよだれが……クロ、これを持って崖を降りて、あの熊をひきつけて!あ、つまみ食いしちゃダメだよ!」

「しないわよ!……ってこれじゃ、今度はあたしが襲われない?」

「大丈夫、熊がロックオンしたらそれを投げればそっちに行くはず……!」


 私も当て推量で言っているのはわかってる。けれど、今私達にできることはこれくらいしかない。熊がお腹を空かせていれば、ものすごく良い匂いのするステーキめがけて突進するはず。だから多分、大丈夫。

 いや、もし私が熊だったら、美少女であるクロの方に飛び込むかもしれないけれど。熊は私ではないから。


「クロが熊をひきつけるために崖を駆け下りてる間に、またあのナイフ作って投げるから!さすがにテツノジカの角はもうないから、剣は作れないけど!」

「ったく、後でちゃんとした料理振る舞いなさいよ!」


 クロは手のひらに乗せたステーキの皿をまるでウェイトレスのようにバランスよく持ち上げると、しぶしぶ崖に向かって走り出し、ひょいと飛び降りた。熊まで直線距離で三百メートルくらいだろうか。きっとクロならあっという間に駆け抜けられるんだろう。現に彼女は斜面などものともせずに、まるで風が吹いたかのように速やかに移動していった。ステーキから立ち昇る湯気が軌跡を描いている。

 熊が射程圏内に入ったのか、クロの姿勢がより一層低くなった。彼女の戦闘態勢だ。地にへばりつきそうなくらいに屈んだその姿勢は、よほど身体が柔らかくないとできない。今や彼女とステーキどちらが柔らかいか。いい勝負だ。

 いい勝負か?

 私が脳内で一人ツッコミをしながらナイフの素材になる木材や石をせっせと探していると、逃げ惑っていたローブの女性が何もない平地で躓いて、前のめりに突っ伏した。ぐえ、と空気が抜けたような声がする。

ㅤああ、このままではローブの女性に熊が追いついてしまう。


「トーカーーー!」


ㅤ何やら私を呼ぶ声がする。絶賛崖降り中のクロからのラブコールだ。彼女がたどり着きさえすれば、ローブの女性が助かる可能性はある。


「やっぱ無理だわーーー!」


ㅤえ、なんて。無理ですって。

ㅤ私はクロの方に視線をやって、思わず目を丸くした。祈りの剣に宿らせた不思議な力で傷が治ったとはいえ、やはりまだ無理をさせては良くなかったということだ。猛省しないといけないね、これは。

ㅤ何故って、一体どこで躓いたのだろう、クロもまた、下り坂を勢いよく転がり始めていたからだ。

ㅤ正直言うと、かなり危ない状況だったと思う。美味しそうな肉を抱えた少女が、坂を転がり降りて目の前にやってくる。熊だってだいぶ驚いた様子だったけれど、突然追加の餌が転がり込んできたみたいなものだ。自分が先ほどまで追いかけていた一人よりか一人と一つの方がお得だろうと、案の定地面につんのめったクロの方へ牙を向けてきた。

ㅤステーキの美味しそうな匂いも鼻孔をくすぐったに違いない。崖の上である私の位置からではどうかはわからないけれど、熊はステーキの方を注視している、ように見える。

ㅤしかし器用にそれを取り落とさなかったにしても、うつ伏せになってお尻を突き出したクロの体勢はなかなかスゴイ。

ㅤいや、スゴイとかじゃないでしょ。あの無防備さをなんとかしないと。


「クロ!起きて!熊がステーキに釘付けになってる間に!」


ㅤ熊がクロの方めがけ突進していく。彼女はなんとかその場で立ち上がると、器用に片腕で持ち上げていたままのステーキ皿を力強くぶんなげた。

ㅤ弧を描いて飛んでいくステーキと皿に、崖の上の私と、クロ、そして熊が釘付けになる。そしてべしゃりと音を立て、床に散らばった。ああ、勿体ない。あんなに美味しそうな匂いがしていたのに。

 そんなことを考えていたからだろうか。クロだけが咄嗟にあらぬ方向へ振り向いたのに、遅れて気がつく。

 カリカリと、歯車が回る音がする。それはクロの視線の先、熊の少し後方、今しがた必死に逃げ惑っていたローブの女性から聞こえてきた。彼女は右の手のひらに嵌めた青い手袋を、まるで熊に向かって手を伸ばすかのように広げると、何やら唱え始める。


「我等は星海の航海者、錨を上げ、帆を張り、鐘を撞く者」


 まるで彼女の声に応えるかのように、カメラのフラッシュを焚いた時のようなキューンという音が聞こえ、青い手袋に空色の光が走る。よく見ると手袋はただの手袋ではなく、複雑なパーツが組み合わさってできた精密機械のよう。

 メカだこれ。SF映画に登場するような、科学の粋を集めて作られたような必殺武器。手のひらからレーザーでも撃ち出せそうなやつだ。なんというか、突然剣と魔法の世界にそぐわないものが出てきたように感じる。いや、まだわからない。ああいういかにもハイテクなものがこの世界では、魔法で出来ている、の一言で済むかもしれない。近代的なロボットが混在しているファンタジーは何作か見たことがあるし。にしてもちょっと、いや、かなりカッコイイ。

 青いメカ手袋が纏う光は次第に大きくなり、直視できなくなってくる。風など吹いていないのに、こころなしか辺りの木々もざわつき、私の全身が総毛立った。私はこの輝きに恐怖を感じ、身を震わせる。だって、こういう武器が光り輝きはじめたという事は、それは攻撃の予備動作に入ったに違いないからだ。

 クロに逃げるよう声をかけようとした矢先、既にあまりの眩さに姿が見えなくなりつつあるローブの女性が叫ぶ。


「動かないで!すぐ終わりますから!」


 その叫びが聞こえたのかどうかはわからないけれど、クロはその場から動かなかった。続けざまに、青いメカ手袋の指先からアンテナのような細い爪が伸び、何かが解き放たれる。


「北天より飛来する白鳥」


 豆粒ほどの光の塊。青いメカ手袋に宿ったものを凝縮して放たれたようなそれは、細かく振動するようにして直進した後、二つに分かれ、さらに四つに分裂して、その中心に熊を捉えた。熊もその様子に釘付けのようだった。


「刻め、十字星……!」


 カチリ、とスイッチが押されるような音がして、四つの光同士が線で結ばれる。まさに十字星。点と点を結んだ線が十字の形となり、轟音を鳴らす閃光の帯となって熊の身体を包み込んだ。あまりに眩しい。何にも見えない。クロは大丈夫だろうか。激しい閃光と音で辺りが何も見えず聞こえなくなって、私は耳を塞ぐ事しかできない。

 それがしばらく続き、やがて音が静まり視界が戻る頃には、なんと驚く事に熊の姿は跡形もなく、地面に焼け焦げたような跡が残っているだけだった。地面に座り込んだクロの姿も見える。目をパチパチさせていた。

 驚きに声もでない私達を他所に、ローブの女性はすっかり光を失っておとなしくなったメカ手袋を可動させて元の形に戻すと、慌ててクロの元へ駆け寄った。メカ手袋からは蒸気が漏れ出ている。


「だ、だだ、大丈夫ですか?怪我はないです?」

「え、ええ、まあ……それよりあんた、熊に追われていたけれど、そんな武器、持ってたのね……」

「あ、ええと、そうなんです。そうなんですけれど……」


 ローブの女性は目深にかぶったフードを捲り、素顔を顕にする。そこには二重螺旋構造のような形のサイドテールをした黄金色の髪に碧眼の、可愛らしい顔。というか私だけまだ崖の上なので、ここからじゃ会話に参加できない。まずい。それはよくない。私は急ぎ立ち上がると、足首を挫きそうになるのもなんのその、自分でも驚くべき速度で崖を滑り降りた。

 半ば飛び込むようにしてクロの元へ駆けつける。彼女は先程崖を派手に転がり降りたように見えたので心配したけれど、特に膝を擦りむいたりするような事もなく、随分と元気そうだ。ちょっと顔の回りが埃っぽいくらい。私が肩で息をしながら飛び込んできたもので、さすがに驚いた顔をしていたけれど。

 ローブの女性は私に会釈すると、青いメカ手袋を擦る。近くで見ると、益々メカメカしい。五指すべてを覆う指先から手のひらを通り、手首にかけても覆うような構造になっている。手の甲は覆われていないが手袋のように見えたのは、指の付け根から細いフレームが伸びていて、手首とつながっているからだろう。全体的に青を基調としているけれど、部位毎に濃淡が分けられていて、親指が嵌っている部分には文字のようにも見える彫金エングレービングが施されていた。幾つものパーツを何層にも重ねた複雑そうな見た目は、手袋と言うよりかは手甲に近い。


「あ、あなた達が隙を作ってくださったおかげで、ほ、本当に助かりました……私の武器は起動詠唱が必要なので、何かに追われていると発動出来ないんです……」


 クロはやれやれといった顔を見せる。


「肉を投げて引きつけるなんて奇策も奇策だったけれど、なんとか上手くいってよかったわ……というかトーカ、あたし、やっぱりまだ本調子じゃないから、あんまり当てにしないでよね」


 クロに睨まれてしまった。確かに奇策でした。すいません。私が申し訳なさそうにしていると、ローブの女性が泣きべそをかきながらぺこりと頭を下げた。


「お二人にはなんと感謝したらいいか……あ、ええと、私、フリュエって言います。本来なら健常域の間にここを通る予定だったんですけれど、モタモタしていたら変調域に入ってしまい……」


 健常とか変調とか、一体何のことだろうか。教えを請うようにクロの方を見やるも、首を左右に振られる。クロも知らない事なんだろうか。思えばこの世界に来てからというもの、おそらく異世界ものとしてはもっとも重要なが未だにされていない。今の時点でわかっているのは、せいぜいが何年も前に世界を巻き込む戦争があった事と、それを終結させた英雄という存在がいた事、そしてそんな英雄に降り掛かった残酷な出来事くらいだ。そのうちわかる範囲で、自分がうまく理解するためにも時系列をうまく纏めていきたい所。

 とりあえずわからない事はあとで聞いてみる事にしよう。それよりまずは、自己紹介をしなければいけないのではなかろうか。初めて知り合った仲だし。やばい。ちょっと緊張してきた。思えば私は今まで生きてきた中で、面白おかしい自己紹介なんて出来た試しがない。いや、面白おかしい自己紹介、なんて洒落た事は、必ずしもする必要があるってわけではないけれど。それどころか、長所や短所を言語化するのだってやっとなんだ。履歴書に書くのは未だ手こずるだろう。


「私はクロ。んで、こっちがトーカ。フリュエには悪いけれど、あたし達ちょっとワケアリで、だいぶ疲れてるの。よかったら、休める所までたどり着いてから話を聞かせてくれない?」


 私がまごまごしている間に、クロが言いたいことぜーんぶ言ってくれました。はい。ありがとうございます。


「あんた、どこからか逃げてきたわよね?そのなんとかいき、とかってのがなんなのか知らないけど、この辺がどんな所なのか、知ってる?」

「ワ、ワケアリですか……」


 もしかしてフリュエはちょっと引いてるだろうか。考えてみれば、謎のワンピース女と謎のハイレグ女が崖の上から転がり降りてきて、肉を投げて助けてくれたわけだ。字面にするともう相当酷い。そろそろまともな格好もしたい。クロにだって、ちゃんとした上着だって着せてやりたい。

 ところがフリュエの反応は、予想の斜め上からやってきた。


「か、カッコイイです……!ワケアリって一度、人に言ってみたかったんですよね……私、生まれた時から周りに言われるくらいそれはもう普遍的で、これといった取り柄もなかったので、厄介事に巻き込まれるような事もなくって……」


 私とクロは顔を見合わせる。普遍的、だって。青いメカ手甲を付けた彼女が。厄介事に巻き込まれるような事もないって。熊に追われていた彼女が。クロは理解できないといった面持ちで、盛大に口をへの字に曲げていた。


「ええと、ここがどこなのか、ですよね。まずここは、鎧籠アイリオスから空挺の拠り所フラシャリテまでを結ぶ街道です。私はフラシャリテからアイリオスを目指す途中でした。休みたいということなら、アイリオスまで行けば宿屋とか、あると思います」

「アイリオス……アイリオスか」


 クロは腕を組んで考え込んでいる。おそらくお母さんオリジナルから受け継いだという知識の中に該当する単語がないか、脳内検索しているんだろう。にしても、鎧籠とか空挺の拠り所とか、町の二つ名なんだろうか。かっこいい。その単語だけで、どんな町かのイメージが膨らむ気がする。

 鎧籠というのは、なんだろう。町が籠のような形をしているのだろうか。その場合、鎧とは何を指しているのだろうか。わからない。

 空挺の拠り所、というのは、空挺というのが文字通りのものだとすれば、飛行する船が集う場所、つまり港町のような所だということになる。飛行する船。ロマンだ。飛行船なんて乗ったことはないので、興味が湧く。

 呑気に妄想する私とは対象的に、クロは悔しそうに舌打ちした。


「ダメだ。わからないわ」

「知識の中になかった?」

「………………そう。びっくりするくらい、欠片も引っかからなかった。お手上げだわ。こんなことってある?あまりにこの世界について知らなさすぎて、びっくりするくらい。少しこの世界の今について、調べる必要があるかもね。……ねえフリュエ、あんたはこれから、アイリオスを目指すのよね」

「はっ、はいそうです、クロさん」


 フリュエはうんうんと何度もうなずいた。なんだろう、クロに対して羨望の眼差しを向けているような気がする。確かにクロは立ち振舞いが格好いいから、憧れてもしょうがない。身長は低いし可愛らしい見た目だけれど。


「その口調も堅苦しいから、もっと砕けてくれていいわ。クロさんってのもやめて。そこのトーカなんて、最初っからあたしの事をクロって呼んだのよ。是非参考にして」


 ぶっきらぼうな言い方をしているけれど、まったく嫌そうではないのがかわいい所だと思う。


「休める所があるなら、それ以上有り難い事は今はないわ。だから、もしフリュエが良ければだけど、あたし達をアイリオスまで連れて行ってくれないかしら」

「そういうことなら、任せてください!……あ、いえ、まかせ、任せて!熊から助けてくれたお礼もしたいですし!あ、したいし!」


 フリュエの話によれば、アイリオスの町までは半日くらいあればたどり着けるらしい。思ったよりかかるけれど、休める町が道の先にあると分かっているだけでかなり有り難い。それは私にとってもクロにとってもそうで、二人共この世界において初めてまともな町を体験する事になるんじゃなかろうか。そう考えるとどっと疲れが湧いてきた気がするけれど、せめて宿屋までは頑張らないと。

 あ、待てよ。そもそも宿に泊まるためのお金を持っていない。さすがにこの世界についての知識はないけれど、通貨くらいはあるはず。瞬間作成インスタントクラフトの力を使って、売れるものを用意しておかないと。


「アイリオスについたら、宿をとりましょう!もちろん私がお支払いしま、す、するよ!」


 フリュエが天使に見えてきた。いや、金髪碧眼の美少女というだけで、私にとってはそれはもう大天使なのだけれど。おっと。浮気とかじゃありませんよ。クロさん。私は慌てて自分の口を抑える。またもうっかり言葉が口から漏れていやしないか。すぐそばのクロの方を見ると、目を細めてこちらを睨んでいるだけだった。良かった。セーフだ。ばれてない。

 彼女は目を細めたままフリュエの方を向くと、疲れた顔で優しい言葉をかけた。


「ねえフリュエ。砕けた言葉遣いが難しいなら、無理しなくてもいいわ……」



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