第4話ㅤ戦う者、戦うべきでない者


◆◇


ㅤ出来上がった剣を見て、クロが思わず唸った。


「できた?」


ㅤ刃渡り七十センチくらいあるだろうか。そんなに身長の大きくない私でも、まだ振り回せそうな重さだ。でも私がこれを握ったところで、剣術の心得もなければ、筋肉もない。振り回してもいいが自分も振り回されるのがオチだ。

ㅤ反面、目を輝かせて剣に釘付けになっているクロならば、存分に操れるだろう。多分。というかなんでそんなに目がキラキラしているんだろうか。


「これならナイフを持つよりよっぽど立派に、に対抗できる」

「何?あいつらって……」

「ん?いや……追っ手のこと」


ㅤ何やら含みのある言い方。


「剣が出来るなら、短剣だってもっと立派なものが出来るんじゃない?あんたもあのしょぼいナイフじゃなくて、もっと頑丈な武器を持っておいた方がいいと思うよ」


ㅤ確かにツギハギで出来が悪いとは思うけれど、散々な言い様だ。ナイフの形を保っているだけでも褒めて欲しい。でもしょうがない。数回振るうだけで割れてしまうなら、武器としての役割を担えない。そういえばまだ一度も使っていないけれど、この分だとスコップやオノも期待できないな。耐久度がEだった場合、すぐ壊れると思った方がいい。覚えた。序盤に得られる武器は得てして脆いものだ。

ㅤ今手にしている剣は、耐久度がCと出ていた。これがまたいまいち耐久度合いを測りかねる。でもまあ、数度でポッキリいってしまったナイフよりはずっと保つだろう。


「トーカ、その剣、私にくれない?」

「え?もしかして、これで私を襲おうと……!」

「あんたを襲ったところで何の得になるのよ」

「……それもそうだ」


ㅤいや待て。美少女に襲われるって絵面はすごくいい。もっとも、命を投げ売ってまで体験する価値があるかと聞かれれば、ちょっと悩むけれど。


「あたし、そういう剣の扱いが一番得意なの。刃渡りは長い方がいい。だからナイフよりはそっちのほうが扱いやすそうってわけ」

「あ、そうなんだ……作っといてなんだけど、クロにはちょっと長くないかな」

「あたしがチビだって言いたい?」


ㅤクロが頬をぷくっと膨らませる。いやまあチビかチビでないかって言えばチビだ。そしてかわいい顔でかわいい仕草をするのは卑怯で、反則だ。でも小さい身体で長い得物はさすがに振り回しにくいのではないかと思ってしまう。


「クロは私より体格が小さいけれど……ま、大丈夫か。私よりはるかに強くてしっかりしてるだろうし、どうせ私じゃこれ、扱えないだろうしね……。もちろんこれはあげるよ。というか元々剣自体、そのつもりで作ってみたわけだから」

「ふうん?」

「ほしかったでしょ?」

「まあね」


ㅤクロは不思議そうな顔をして剣を受け取り、具合を確かめる。剣は彼女の体躯に比べて明らかに長く、重そうに見えるけれど、その不相応さとは対象的に手軽に扱って見せるのだから驚きだ。彼女がそれをまるで舞うように振り回すのに合わせて、確かな質量を示すブゥンという空切り音が、静かな部屋内を何度も通り過ぎた。


「うん。いいかも。にしてもその能力、素材があれば、いくらでも作りたいものが作れる……世が戦争の真っ只中なら、あんたほど重宝された人間もいなかったかもね」

「でしょう。自分でも正直、使い始めはびっくりした。でも、まだわからないところばかりで」

「自分の能力なのに?」

「そう」

「ふうん……」


ㅤつい先ほどまで楽しそうに舞っていたクロは落ち着きを取り戻したかのようにおとなしくなって、剣をそばにことりと置き、床に腰を落ち着ける。


「ま…………自分の知らない能力とか、活かし方とか、誰でもあると思うよ」

「そういうもん?」

「そういうもん。あたしだって、まだまだ知らない自分の能力があると思う。なんというか、まだ自分が経験したことのない事が、得意だったりするかもしれないし」

「……なるほど」


ㅤそういえば私に力をくれたかみさまは、まだ何か説明していない力があるかのような口ぶりだった。

ㅤクロがぼそっと呟く。


「だから、誰も巻き込みたくはないかな」

「え?」

「んん。なんでもない。ほら、皮を使って……服をさっさと作ったら?作るための素材手に入ったんでしょ?」

「あ、うん。そうだった」

「……あと、剣は一本あればいいから。もう一本の角は好きに使って。そんで、さっさと寝ましょ。こんなところで夜更かししたって、なんの得にもならないし」

「私はこうやって話しているの、楽しいけどなあ」


 私がにこりと微笑むと、それに合わせるように、クロもにこりと微笑み返す。


「時間に余裕があったらそれもいいけど、あたしが追われてる身だってわかってる?」

「おっと、そうだった」

「また明日ね」


ㅤあんまり声を出すと良くないな。確かに。

 私は所持枠インベントリ内に収納済みのテツノジカの皮と、ガデン樹の蔓に意識を集中し、頭の中で皮の服をイメージする。上下を別で製作するのは手間だから、ワンピースタイプの服でいいかな。

ㅤ首と手を通す穴を開けた一枚の布を、紐で括るようなイメージ。そうして一瞬でできた簡素な服を纏い、既に目を瞑っているクロに寄り添うと、疲れていたんだろう、すとんと眠りに落ちる事ができた。



◇◆


ㅤ起きていきなり何だけど、私は馬鹿だった。

 彼女の置かれた状況をわかっていれば、察せるはずなのに。

ㅤ命に関わる何かに巻き込まれている。そして、迷惑をかけたくない。となれば、人をずる賢く利用するような人間には見えなかった彼女のことだから、偶然出会っただけの私なんて置いていくだろう。そのほうがいい。私だって、彼女の立場だったとしたらそうする。ただ物を作り出せるだけの弱っちいアラサーなんて、命のやり取りにおいてどれくらい役に立てるかは、たかが知れている。

 そもそも戦う力を持たないなら、彼女に付いていったところで足手まといになること請け合いである。

ㅤ朝目覚めた時には、クロは姿を消していた。ランタンの火は消されていて、すぐ隣にいたはずの彼女の痕跡は、室内のどこにもない。

ㅤあれだけそばで寝ていたというのに。悔しい。まったく気づくことができなかった。どれだけ熟睡してしまっていたろうか、確かに異世界にやってきたばかりで浮かれていたこともあって、自分の体力のなさを忘れていた。疲れていれば眠りも深くなって、ちょっとした物音では起きられない。


「それにしたって……こんなホコリ臭い小屋で熟睡できるとか、図太いな、私……」


ㅤとりあえず気持ちを落ち着けて、外に出る。朝の森の中は時折鳥のさえずりが聞こえてくるくらいで、とても静か且つ穏やかだ。朝露の匂いがして、地面はうっすらと湿っていて冷ややか。時計はないからはっきりと確認することはできないけれど、冷たい空気を温め始めた陽光は、徹夜明けによく見るそれと同じだった。この世界の太陽が元の世界と同じ仕組みなら、登り始めた側が東ってことになるのかな。

ㅤ小屋の周囲には今私が付けたもの以外、足跡もない。きっとクロが消したんだろう。私を拘束した時や、鹿に襲いかかった時の身のこなしからして、彼女が只者じゃないのはわかっていた。もし彼女が私より早く起きて、足跡を残さないように走ってどこかへ行ってしまったとしたら、私には追いようがないだろう。


「……」


ㅤじゃあもう、諦めるしかない。彼女の方にだって関わるつもりがないのだ。だったら、これ以上は単なるお節介になる。

ㅤきっと他にも美少女はたくさんいる。かみさまが出会えるよう調整してくれたのは彼女じゃなかったのかもしれない。うん。そうだ。そう思うように、しよう。

ㅤ次に出会うのはどんな美少女かな。森を抜ければ、宿場町があるって言っていたっけ。旅人に人気の宿屋でもあれば、そこにかわいい看板娘くらいいるはず。あ、でも、その町で働いてる娘は旅に連れ出してはいけないか。なんにせよ、私が関われるレベルの美少女がいい。

ㅤ元の世界での私が平凡だったように、異世界でも平凡に、そして穏便に。かみさまから与えられた能力をうまく使って、よくあるスローライフを送っていけばいいんじゃないか。

ㅤそうだ。そうだろ。そうであるはず。


「………………でも」


ㅤでも。もしもクロに出会えたのが、これで最後だったとしたら。私が作った剣を渡して、そのままはいさようなら。


「………………そんなのは、いやだ」


ㅤかみさまは言っていた。自ら厄介ごとに首を突っ込めば、私の旅はたちまちのんびりとしたものではなくなると。それはつまり、危険度を自分で判断し、無闇矢鱈に首を突っ込むなということ。

ㅤしかし。しかしだ。

ㅤ偶然出会ったワケありの美少女が何者かに追われていて、命の危機が迫っている。それを黙って、見過ごせと?自分の命にも関わるから手を引けと?


「私は彼女みたいに戦えないかもしれない。でも」


ㅤお節介上等だ。私は何を願って異世界に来た。美少女と、のんびり旅をするためだ。

ㅤ確かにクロは戦う人で、私は戦うべきでない人だ。力だって弱い。彼女は私より小さいのに。いや、胸は大きい疑惑あるけど。それはさておき。

ㅤしかし戦う人だからといって、戦うべきだというわけじゃない。何か理由があって戦う場合がほとんどだ。そして、戦うべきでない人だからといって、戦わないというわけじゃない。

 向こうがのんびりできそうにないなら、、なんて気概の一つや二つ、せっかくの異世界でこんな大層な力をもらったんだ、披露してやるべきじゃないか。


「……うん、そうだ」


ㅤやっぱり、追いかけよう。追って、彼女の振るう剣が万が一にも折れた時、新しいのを作って渡してやろう。角もまだもう一本あるし。

 そう意気込んだはいいものの、彼女にもう一度会うにはどうしたらいいだろうか。追いつけるかどうかはともかく、後を追い続けるくらいはできるかもしれない。けれど、ここからどっちに行ったかすらわからないから困った。痕跡だってないし。

ㅤこういう時、自分が作ったものがどこにあるか探知できる力でもあればいいのに。ダメでもともと、頭の中で、私が作った長剣を握るクロがどっちの方角にいるかイメージして、その居場所を探ってみるも、当然まったく見当も付かなかった。

ㅤこうなりゃ自作品探知機を生み出すべきか。しかしレシピなど思いつかない。だってそんなものは聞いたことがないからだ。当たり前の話だね。

ㅤそうした焦りから生まれる非生産的思考にうんうんと唸っていると、視界の端を、ひゅんとなにかが駆け抜けていった気がした。驚きに目を凝らす。近くの茂みの向こうだ。シカが通ったんだろうか。なんだってこんな時に。空気がひゅんと抜けて、がさがさと音もした。そこを何かが通ったのは間違いない。

ㅤすると今度は、茂みに近づこうとした私の隣を、よりはっきりとした何かが通り過ぎた。


「野犬……いや、狼?」


ㅤこの森は狼も出るのか。私はぎょっとして、身構える。ツギハギのナイフならまだある。しかしやはりもっと頑丈な武器を作るべきだっただろうか。

 狼狽える私を笑うかのようにして、背後から少女のようであるけれどどこか大人びた声がかかった。


「ダメだよぉ。こぉんな森の中で、お嬢さんが一人。それもそんな野苺でも摘みに来た生娘みたいな格好をしてサ。せめて袖を長くして、手足を隠したほうがいい。森には毒虫だって多い。気がついたら刺されているなんてこと、あるかもしれないよ。あ…………ハハハ!毒虫は何も、文字通り虫けらだけって事はないよ。だって、いるところにはいる。ちょっと洒落て狼なんか従えているけどネ!」


 私が声の主の方へ振り向くより先に、後頭部に何かが突きつけられる。棒か、槍か。棒かな。ステッキみたいなものかも。刃物を当てられている感覚はない。だから咄嗟に命の危険は感じなかったのだけれど、だがしかし、後頭部に押し当てられた平坦で硬い棒からは、いつでも一突きでお前の後頭部を粉砕できるぞ、という確かな殺意が伝わってくる。

 まるでふざけているようだ。なぜそんな事がわかったのかというと、本人がそう言ってくれたからである。


「だぁいじょうぶ。命は取らないよ。ふざけているだけさ。でも、ま、ボクが命を取らないまでも、例えば君をこれで気絶させたりして、森の中に放っておいたりすれば、アラ大変!野生の狼達が君を食べてしまう、なんてことは、そう、あるかもしれないね?ないか?いやぁ、どうだろう」


 随分と、そう、特徴的な喋り方をする人だ。姿が見えないけれど、声の質は軽くて、若い。そしてとてもおどけている。さらにボクっ子だ。

 興味が湧いてくる。うまくやれば仲良くなれるかもしれない。いきなりきた、美少女チャンス。私は興奮する自分を落ち着けるべくふうっと息を吐いて、努めて冷静に対処しようとした。


「えっと……何の用で?」


 後ろの女性がまるでおもちゃのようにくすくすと笑う。


「何の用でって君、察しがついているんじゃないかい?それとも、ボクのようなやつが来るとは思ってもみなかった?」


 察しがついていないと言えばウソになる。少し離れたところで私を取り囲むようにして、狼が待機しているからだ。気配がする。なぜわかったのかはわからない。でもよく手懐けられているだろうから、もしかすると、素人でも気付くようにわざと気配を感じさせているのかも。

 私が何か不穏な動きを見せれば、後ろの女性の一声で、私の喉笛を噛み切るくらい容易いんだろう。それくらい、何かもうたっぷりと、私の後頭部からも、狼達からも余裕を感じる。

 心臓を鷲掴みにされているかのような状況で、私はどういう行動を取るべきか。戦うべきではない私が、だ。立ち向かっても、万に一つ勝ち目はない。それはわかる。それならばといざ口を開こうとしたら、後ろの女性に遮られた。


「ボクはね、ある少女を追っているんだ。おっと、キミじゃないよ。見たところキミも少女みたいだけどね。でもボクが追っている少女は……こう、なんというか、すごくエッチな格好をしている」


 なるほど。同じだ。思わぬところでクロに対する印象が合致した。


「だから、こんなところにいるキミもハッキリ覚えてるはずだ。ちなみにしらばっくれたりしてくれても、無為な時間が過ぎて、お互いが損するだけだよ?そもそもキミからは、彼女の匂いがするからね。間違いない。それでさっそく本題に入りたいんだけど、キミ、彼女から何か聞いたかな?」


 クロの匂いがするって?そんなに彼女と触れ合ったりしただろうか。しかしまさか彼女の命を狙う追手が、匂いを辿ってこようとは。いや、追いかけるなら嗅覚に優れる動物などに匂いを嗅がせるのは、常套手段かも。


「何か……?」

「そう。彼女、何か言っていなかったかい?情報さ。コミュケーションをとれば、何らかの情報がお互いを行き来するだろう。些細なことでもいいよ」


 彼女が口にしたことと言えば。


「…………誰かに追われている、とか」

「ああ、それ以外サ。誰に追われているかはもう十分わかってるだろう?まさしくボクだ。ボク以外いない。それ以外の情報がないか聞いているんだ。わかるよね?」


 こちらを煽っているかのような言い分に、ちょっとイラッとする。すでに結果はわかっているのに特定の反応を引き出そうとしているかのような、弄んでいるかのような。ならば、こう言うべきだろう。


「…………他には何も聞いてないよ」

「へぇえ、何も?」

「うん」

「……………………ううん、どうもウソをついてるようには見えない、ねえ。いや、わざと知らないふりをしているって可能性もあるけれど、君はそんなに役者じゃないように見える。っとそれじゃあ、キミは本当に何も知らないってことだ!これは困った!彼女、そう口を割るタイプじゃないしねえ。脅し損だ……あ、脅しって言っちゃったよ、今のなし、ってことで」


 後ろの女性の言いたいことは、つまりこうだ。

 自分が追っている少女、クロについて、何か余計に知っている事はないか。彼女が何か余計な事を口走っていないか。それを聞きたいのである。或いはクロが、後ろの女性が知らない何か重要な情報を握っていて、その断片だけでも私に話していないか引き出したい。

 後ろの女性は私の後頭部から棒を引っ込めると、私の肩をぽんぽんと優しく叩いて、くるりと背後を振り向くよう促した。そこで後ろの女性の姿が明らかになる。

ㅤ女性はぱっと両腕を広げると、少し腰を落として私に会釈した。


「どーも、ごめんネ。そしてはじめまして。私の名前はフィルター。あ、ちなみに、覚えても覚えなくても大丈夫だからサ。なんとなく頭の隅っこに置いておくくらいでいいよ」

「は、はあ」


ㅤクロと同じくらいだろうか、身長140センチくらいの小柄な女の子。栗色の髪を首元で二つ結びにして、妙にごわごわとしたオーバーサイズの白い軍服を着ている。見た目は小さな子供に見えるけれど、口調は子供のそれではない。

ㅤフィルターと名乗ったその女性は、どうも不思議なオーラを纏っているというか、雰囲気を醸し出しているというか、うまく言葉にできないのようなものが感じられる。まるで子供の身体に、大人の精神が入り込んでいるかのような。只者ではない。彼女の青い瞳を見つめていると、触れてはいけない何かに触れてしまっているかのような、ヒリヒリとした焦りが全身を震わせる。

ㅤ左手には先ほど私の後頭部に突きつけていたものだろう、彼女の背丈より長い棒が握られている。

ㅤ棒と言うより、杖と言うべきかも?握り手から少し歪んだ先端にかけて複雑な模様のようにも見えるひび割れが走っていて、不思議なことに呼吸しているかのようにざわざわと蠢く。見つめていると、地響きのような轟音が耳を打つ気がした。とにかく不思議な杖だ。

ㅤ一見武器としてはまともに使えなさそうなほどボロボロのように感じる。しかし、壊れていない。決して折れることもなく、軋んでいるようであるけれど、脆そうではない。魔力、かなにかで蠢いているのだろうか。何か妖しい魅力がある。

ㅤ杖に気を取られている私を見て、フィルターがおどけるように笑った。次いで右腕を振り上げ高らかに指を鳴らすと、私の足元をさっとなにかが通り過ぎる。急ごしらえの衣服の下はそのまま肌着なので、風通しの良さにひゃっと身が縮こまり、思わずフィルターを睨みつけてしまう。何をするんだ。


「ああ、ごめんごめん。狼達はいたずらっこでね」


ㅤ彼女のそばには、私を取り囲んでいた狼達の内の一匹だろう、灰色の狼が駆け寄っていた。よく見ればこの狼、妙な質感をしてる。ふさふさとした体毛ではなく、つるんとした泥のよう。しかし眼球もしっかり付いているし、息を吐く口からはよだれだって出てる。


「この子達はすごいんだよ」


ㅤフィルターは狼の頭をふわふわと撫でると、微笑んだ。その仕草は間違いなく、ペットを愛しむ時のそれだ。


「狼がモデルだから、しっかり狼としての機能を持っている。だから匂いを辿るのなんて、お手の物さ」

「匂いを辿る……狼がモデル……?」

「だからもし君が、あの子がどっちに行ったか隠そうとしても、決して敵わない。なにせ狼の嗅覚っていうやつは、人のそれよか圧倒的に優れているものだからね」


ㅤ私の背後から、残りの狼が近寄ってくるのがわかる。背後から向けられた狼の視線がチクチク刺さって、むず痒く、そして恐ろしい。

ㅤもしかしなくても、これはあれだ。クロを目撃した、関わった人間は、ただでは済まない。具体的にどうなるかは想像にお任せする。当事者である私は想像したくない、からなのだけれど、この様子はどう見たって狼の餌にされるのが明らかだろうね。

ㅤ命の危機が迫っているはずなのに、私は不思議と落ち着いていた。まだとって食おうとしてると決まったわけじゃないと楽観しているからだろうか?いや、そうじゃない。

ㅤフィルターは言っていた。

ㅤ狼としての機能。

ㅤ人より優れた嗅覚で、匂いを辿る。


「それってつまり、クロを追いかけられるってことだ……!」


ㅤ突然私が大声をあげたものだから、驚いたのだろう。フィルターや狼達の動きがぴたりと止まる。狭まっていた包囲網もまだ広がったままだ。


「今、なんて言ったんだい?そして、どうしてそんなにも嬉しそうな顔を……」

「ねえ、お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「あなたのその狼、人の匂いを辿れるんでしょ?私、あの子がどっちへ行ったかわからなくて、困ってたの。もう一度会って、伝えたい事があるのに」

「伝えたい事なら、ボクが」


 違う。それではダメだ。


「それじゃダメ。直接言いたい」

「……ボクじゃなくてキミが、直接?ははあ。どうもキミは今がどういう状況かわかってな」

「だああもう、わかってるって!あなたはあの子を追いかけて、命を奪おうとしてる!そんで、彼女と出会った私を、この狼達を使って、殺そうともしてる!さっきから狼が私の事狙ってるし、取り囲んでるし!そうだよね!?」


 フィルターは目を細めた。狼達はまだぴくりとも動かない。


「……………………ほう?」

「クロやあなたの事情なんて詳しくは知らない。実際彼女だって、教えてくれなかった。多分、私の身を案じて。姿を消したのだってそう。でも、私は彼女と知り合ってしまった」


 今まさに、私は厄介事に首を突っ込もうとしている。恐らくこのタイミングが、だろう。運命的瞬間。それでなくとも命の危機だ。生きるか、死ぬか。その瀬戸際。狼に食われて死ぬくらいなら、生きて厄介事に巻き込まれるほうがいい。

 その覚悟が、私にはできている。


「だから……彼女にもう一度会いたい。あなたのその狼なら、匂いを辿れるんでしょう。だったら、彼女を追いかけて、もう一度会う事ができるはず」


 フィルターはどこか呆れた顔をしていた。そりゃそうだ。今にも殺されようとしている獲物が、自分を生かし、あまつさえ願い事を聞けと懇願している。それを認める必要がどこにあるものか。彼女が私の願いを聞いてくれる可能性は非常に低い。けれど、クロを追いかけられそうな唯一の手段を、ここでみすみす逃すわけにもいかない。だからこれは捨て身の賭け。

 もしこれがダメだったら、いさぎよく頼りないナイフで暴れてみようか。砂粒ほどのほんのわずかな可能性で、生き延びる事だってできるかもしれない。


「キミは今、クロって言ったかい」

「……え?」


 フィルターの返事は、やけに落ち着いたものだった。冷たいのではない。落ち着いている。穏やかで、どこか優しい。そんな気がする。


「ははあ。なるほどねえ。彼女の名前はクロ…………と。彼女はそう名乗ったのかい?」

「……そうだけど?」

「いやあ、ハハハ。なるほど、なるほど………………クク、フフフ、アハハハハ!こりゃあ愉快だ。面白い」


 一体何がそんなに面白いのか。確かにクロの口ぶりはいかにもその場で考えたようであったので、偽名の可能性はある。けれど、それがそんなにおかしい話だったろうか。

 フィルターは腹を抱えてひとしきり笑い転げた後、目元を拭って傍らの狼の頭をぽんぽんと叩いた。


「何がそんなに面白いの?」

「んん?ああ、いや。ハハ。ごめん、こっちの話さ。いいよ、いいよ。彼女の名前はクロでいい。なにせそう名乗ったんだ。それならそう呼んでやるのが正しい。だろう?そして決めた。キミは彼女、クロに会いたいんだろう。だったら会わせてあげよう、ってわけサ」

「…………え?」

「いや、え?じゃあないよ。キミはボクの狼の嗅覚を利用して、彼女を追いかけたいんだろう?あまつさえ、追手であるボクと一緒にさ。キミが誰かは知らないし、ボクに何の得があるかわからないけれど、キミの提案を、ボクは面白いと思った。なにせ世界中を探したって、こんな提案なかなかないだろう?レアケースだ。それなら受けてみたほうがきっと面白いに決まってる」


 提案した側でなんだけど、彼女もなかなか珍しい返答をしたものだ。がどっちにしろ、クロの元へ連れて行ってくれるならありがたい。

 私を囲んでいた狼達が、音を立てずに離れていく。思わずほっと胸をなでおろす。覚悟があるなんて言ったけれど、足だって震えてる。あの状況でよく提案できたと自分を褒めてあげたい。

 フィルターが再度右腕を振り上げ指を鳴らすと、狼達が一斉に彼女の元へ駆け寄っていった。やはりよく訓練されているらしい。彼女は一声だって発していない。ただ指を鳴らしただけだ。命令内容によって音の出し方を変えているのかな。それにしては同じような音にしか聞こえなかった。


「それじゃあ、さっさと二人で追いかけるとしよう。いやあ、思わぬ道草を食ってしまった。毒虫転じて益虫と化す……ううん、特にそれっぽくは聞こえないかな?うまい事を言える人は、うまい具合に頭が回転しているんだろうねえ。その点ボクは頭がうまく回ってない!こりゃ困った。と、そんなどうでもいい事はさておき、だ」


 どうやってクロを追いかけるのだろう。まずどうやってここまで追ってきたのだろう。フィルターくらいの体格なら狼に乗るのは容易いかもしれない。けど、私はもうちょっと大きい。うまく狼に乗れるだろうか。狼に乗るなんて行為、元の世界でだって味わった事がない。


「……その狼に乗って追いかけるの?」

「いいや、違う。いや、そうかな?うん、狼に乗るって点はそうだ。しかし……なんと驚くべき事に、この狼はこーんな素敵な機能があるのサ」


 そう言ってフィルターはくるりと回って再度おどけて見せると、一箇所に集まった複数の狼の前に立ち、二度拍手した。


「はーい、それじゃあ行きますよー。今回はお客さん付きときたもんだ。張り切っていかなくっちゃいけない!さあ見せよう!いざ見せよう!これがボクの発明品、獣潜む沼スワンプ・ハウンドの真骨頂だ!」


 灰色の狼達の背中が、風もないのにざわざわと波打っていく。全身がぶるぶると震え、次第に狼の形を失い液状化していく。やがて溶け合い一面が灰色の沼になると、中央の一点が盛り上がり渦を巻いて立ち昇り、たちまち大きな狼の姿へと変化した。まるで魔法だ。この世界では、こんな事ができるのか。ボクの発明品、と言っていたっけ。特別なものなのかもしれない。

 見様見真似でいくらイメージしようとも、さすがにレシピにできないらしい。材料がわからなければ、原理だってわからない。しかしいつかこういうものも作れるだろうか。これほど便利そうなものがあれば、いくらでもクロの力になれるだろうな。

 私やフィルターなど一口で飲み込めそうなほど大きな体躯となった灰色の狼の背後から、ぱちぱちと拍手が聞こえた。いつのまにそこに登ったんだろう。


「どうだい、驚いたかな?驚いただろう。驚くべきサ。だって、こんな姿はそう見られないからね。その瞳によく刻んでおくといい」


 フィルターは地面から見上げている私に手を差し伸べ、微笑んだ。


「さ、行こうか。全速力で飛ばすから、狼の背から振り落とされないようにボクのお腹にしっかりと腕を回しておくといい!」



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