120 目覚めた後で1
「やれやれ、大鳥姿で主人を護ろうとする心意気は買うけど、私がここに来る度にいちいち感情に任せて火種を撒き散らさないでくれないかい」
ソーンダイク公爵家当主の寝室……の隣の部屋で麗しい男声が些か不服そうな色を宿す。言うまでもなくアーネストだ。
「彼女に危害を加えるつもりはないし、君自身だけじゃなく、君から抜けたその炎の羽根は放っておくと火事になりかねないんだから注意してほしいね。この部屋ごと君の主人を丸焦げにしてもいいのかい?」
その部屋の大きなベッドには一人の少女が眠っていて、彼女はこの部屋に連れて来られた日から数日経っても目覚めない。
しかし寝息は健やかそのもので、命の危険がどうという心配はなさそうだった。
金髪を黒いリボンで一つに括った貴公子姿のアーネストから疎まれているのは、その少女……ではなく一体の炎の精霊だ。
いや、一体もしくは一柱などと大仰な助数詞を付けるよりは、現在の形状だと一羽と言い換えることも出来る。
アーネストの言葉を受け一応は身の上の炎を抑え大鳥姿からチビ鳥姿へと縮小し、少女のすぐ上に浮かんだ丸々と肥えた鴨……いや不死鳥が、アーネストを睨んでいる目付きを更に険しくする。
主人たる少女アイリスに不死鳥自身の炎は効かないが、他の物体へと燃え移った火は不死鳥の炎の括りからは離れ、物理的に彼女に火傷を負わせてしまうのだ。
「はっは~、炎の旦那はそんな間抜けな事態には寝ててもなんないって言ってんぜ! そうなる前に炎を始末するってさ!」
意気揚々とチビ不死鳥の無言の言を代弁するのは、小さな緑の髪の少年もとい力を回復中の風の小精霊だ。
彼はここに来てからこっち不死鳥とアーネストの間の通訳だった。
一すら言わずしての相手から十を読み取り巧みに語る能力は最早神業だったが、本人にその自覚はないようで、単に虎の威を借る狐のような得意さで見た目通りの頼りない胸板をそびやかしている。
精霊二者はアーネストが不埒な真似をしないように、アイリスを護るという大きな使命感を胸に燃え立たせている。
小精霊はアーネストが部屋に居ない時は出たり消えたりだったが、不死鳥の方はずっと付きっ切りだった。
不死鳥としては、地下墓所で一時的にアイリスとの繋がりを強制遮断されてしまい助けに行けなかった悔恨もあったし、その不完全なリンク状態で負わされた彼女の怪我が心配だったのだ。常なら大きな怪我をする前に即座に彼女を護るのだが、それが出来ず、彼女の意識も唐突な負傷に限界を超えて失神した。
意識の覚醒と無覚醒、そして血に宿る潜在魔力の均衡は、絶妙に積み上げられた岩の上に立っているようなものだっただけに、たとえアーネストが治癒魔法で傷自体は治しても、魔法的な面からの影響が気掛かりでもあった。
不死鳥が瞬きをすると、小精霊がビシリとアーネストを指差す。
「さっさと出てけってさ」
ベッドの横に立つアーネストは特に気分を害した様子もなく、それどころか腕組みをしたまま楽しそうに口角を持ち上げる。
「ホント、口だけは達者な小人だね」
「おいっ、おいらを小人って言うな! 今はこんなナリだけど力を取り戻したら驚くぜ」
「先はどうだろうと、今はそんなちんちくりんでしかないだろう?」
「ちんちくりんって言うな! 腹黒とっちゃん坊や!」
一瞬、部屋の空気が凍った。
「……へえ。口は災いの元って言葉を知っている? もしもうっかりでも彼女に勝手に私がアーニーだとバラしたら、存在ごと消滅の憂き目に遭うかもしれないからね?」
割とお喋りな小精霊は背筋をブルブルと震わせる。目の前の性悪魔法使いにはそう出来る能力があるのだ。
その様子に留飲を下げたのか、アーネストは「それじゃ、少ししたらまた来るよ」と朗らかに言うと、腹の底の読めない笑みを浮かべて部屋を出て行った。
「……こえ~」
アーネストに一体どんな意図があってバラすな的な台詞を言ったのかは知らないが、小精霊はお口にチャックで自分からはうっかり喋らないようにしようと肝に銘じた。
不死鳥の方は口が硬いというかそもそも人語を発さないのか発せないのか不明なので、アーネストも特に圧を掛けはしなかったのだろう。掛けても逆効果もしくは無駄だと思ったのかもしれない。
そんな外野たちの喧騒の中、アイリスのまつげの先が一度小さく震えた。
少しして、彼女は数日ぶりにようやく自身の
痛みがなくなってからは何だか体調不良のただ中にいるみたいに気分が悪かった。
だけどふわふわのもふもふのお風呂の中に全身が浸るように温かかったから、気分の悪さも次第に薄れていって安心して休んでいられた。
たぶん不死鳥の羽毛だわ。
不死鳥が私を護るように包み込んでくれているんだって感じた。
最高級のベッドだって不死鳥の羽毛には敵わない。
本音を言えばもっとゆっくり休みたかった。なのに最高の羽毛はいつの間にやらどこかに行って周囲はちょこちょこといつの間にやら小五月蠅くなって、ああもういい加減にしてって思っていたら自然と意識がハッキリとした。
目を閉じながら、こうなる以前の出来事が想起されて、寝てなんていられないんだって慌てて目を開けた。
「あ……れ?」
「ん? ――あああっ姐さん!? 炎の旦那炎の旦那っ姐さんが!」
私の声に気付いたのか声からすると借り暮らしの風の小精霊が近くに来て喚いた。
その声の次にはふわりと柔らかな羽毛が頬に触れて、例の如くすりすりをしてきたから、ああこれは不死鳥なんだってわかった。
恐る恐る手を持ち上げて羽毛に触れたら、今度は手にすりすりをしてきた。
あの強面でホント可愛いことするんだから~。
でも、どうしてだろう。
声も聞こえて感触だってあるのに、現実じゃないみたい。
だって何の姿も見えない。
視界がぼやけるとか真っ暗だとか、そんな次元じゃなかった。
確かに私は目を開けているのに、一切が映らない。
光も闇も、見えているって感覚自体が全くなかった。
初めから私には視覚が存在していないみたいに見えている感覚がよくわからなかった。
「ちょっと冗談でしょ。まさか、目を怪我したから……?」
呆然とした私の呟きに、不死鳥がじっと耳を傾けるようにしてか動きを止める。
「姐さん? どうしたんだ? 放心したみたいな顔して、やっぱり傷が痛むのか? 傷自体はすっかり治癒魔法で塞がってるぜ」
見えない分、小精霊の案じ声が耳朶によく響く。
「あ、ええと、痛みは全然ないんだけど……」
そっか、魔法で治してもらったからもう痛くはないのね。
でも……。
見た目の傷がないなら、これは私の感覚の問題だから口で説明しないと彼らもわからない。
少し、口にする勇気が必要だった。
「私、そのね……何も見えないみたい」
「………………は?」
だいぶ間を置いての小精霊の驚きは、一度じゃ理解しかねるって響きを宿していた。
「目を怪我したせいだと思うけど、見えなくなっちゃったみたいなの」
もう一度症状を説明してやれば、今度はしばし押し黙られた。
一時的なものか半永久的なものかはわからないし、まだ自分でも信じられなくて、打ちひしがれるって気分にはならない。
それでも見えないんだって現実を肌で理解しているから、どうしようって漠然とは思った。
「み、見えないって、どういうことだよ? 全然何も?」
「ええ、何も。明るさも暗さも感じないのよね」
目が退化した深海の生物っていつもこんな感覚の中で生きているのかしら。
彼らは繊細な触角とか音波とかで周囲を探知しているらしいけど、そう言う文字通りの肌で感じる周囲の気配的なものに私の意識も自然と向く。
と、不死鳥がまた頬にすりすりをし始める。
「炎の旦那が絶対治す方法を見つけるって言ってる」
「え、あ、そうなの? うん、頼りにしてるわ。だからもうすりすりはいいから、ね? 終了して、ね?」
見えないながらも勘で両手でむぎゅっと不死鳥を掴んで顔から離してお腹に抱いた。
ああぬくぬく~。天然の湯たんぽ~。
……そっか、これが不死鳥なのね。
で、そっちが小精霊。
いきなり何を哲学みたいなことを言ってるんだって感じだけど、私は今初めて不死鳥と小精霊の気配というか存在力みたいなものを認識していた。
「ところで私はどこに連れて来られたの? そもそも助かったの……よね?」
ここが結構質の良いベッドの上なんだってことくらいはわかる。でもそれ以外は全くわからない。
「あー、えーっと、ここはソーンダイク公爵家の本邸だぜ。そんで、ソーンダイク公爵本人が姐さんをここに連れてきて治療して寝かせた」
「ソーンダイク……」
その名を聞いてハッとした。
「そうだわ、私を助けてくれたその公爵様には大感謝だけど、アーニーは無事なの!? それに軍医は!?」
「軍医のおっちゃんは捕まったって話だ。ソーンダイク公爵がそう言ってた。アーニーって子供の方はー……」
無意識にぎゅっと不死鳥を抱き締めて急いたように問えば、小精霊は後半言葉を濁すようにした。
まさか、何か良くないことになったんじゃ……。
だって軍医はあの子を手酷く痛め付けていた。
まさかあれ以上に酷いことになったわけじゃないわよね……?
私はきっと顔から血の気が引いていると思う。
「ねえ、アーニーは無事なの……?」
「それは~、無事っちゃ言えば無事なような~……」
「何よそれ、無事なら無事ってハッキリ言って。それとも曖昧なのはやっぱり何か言いにくいわけがあるの?」
そう勘繰った時だった。
たぶん音の近さからこの部屋の扉だと思うけど、そこが開いて駆け込んでくる足音が聞こえた。
それはすぐ傍に来ると止まって、その後にベッドに乗っかって来たのかマットが沈んだ。
えっ、誰が来たの?
淑女の寝所に断りもなく踏み込んでくるなんてきっとろくなもんじゃない。内心で焦って緊張すると、腕の中の不死鳥が威嚇するように気配を強めた。ああほら不死鳥だって怒ってるし絶対そうでしょ。
「だ、誰だか知らないけど今すぐ出て――」
「――アイリスお姉さん!」
怖くなって思わず声を荒らげたのに被せるようにして、聞き知った声が私を呼んだ。
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