121 目覚めた後で2

「良かった目が覚めたんですね!」

「この声、アーニー!?」

「はい」

「無事だったのね!」

「はい、何とか」


 不死鳥がいるからかベッドの上のすぐ近くにいるんだろうに、アーニーは声を掛けてくるだけだった。


 感動の再会なんだし飛び付いてくれても良かったのに。

 むしろこっちが抱き締めたいくらいよ。

 そんな風に思いながらも、確かに傍に感じるアーニーの存在にすごくホッとした。


「アーニー、怪我の具合はどうなの?」

「あ、えっとすっかり治りました」

「そうなの? 良かった」


 私の傷もそうみたいだし、この子もソーンダイク公爵って人に治してもらったのかも。

 それに今ここにこうしてこの子が居るってことは、アーニーはアーニーなのよね。


「ソーンダイク公爵が助けてくれたって聞いたけど、あなたと同名のその公爵が別にいるなら、やっぱりあなたじゃなかったのね。軍医は散々アーニーだって言っていたけど、人違いだったってことでしょ」

「え、と……」


 アーニーは急に質問したからか口ごもった。だけど私も彼からの返事を想定しての台詞じゃなかったからこの時は気にしなかった。

 でも、そうすると公爵その人が復讐の相手だったってわけだけど、軍医の言葉を信じるなら、公爵は殺人まで犯した人間ってわけよね。助けられておいてなんだけど、そんな人が本当に善意で助けてくれたのかは怪しいかも。

 疑っちゃったら切りがないけど、公爵の人間性も知らないうちから無防備でいる方が余程危険だわ。


「ところで、同じ姓だしわざわざ助けてくれたんたし、アーニーはやっぱりここの家の子だったりするの?」

「あ、はい、実は……」

「やっぱりそうなのね」

「で、でも今の公爵の子供じゃありませんから。公爵に隠し子はいませんし未婚です」


 恋人はいないから安心してって感じで、何だか公爵を擁護するみたいに聞こえちゃった。親戚なんだろう公爵に懐いたのかしらなんて心に疑問を浮かべつつ、私は人違いされて怖い思いをした気の毒なアーニーの頭を撫でてあげたくて片手を伸ばす。


 気配の方向は合っているはずだけど、距離感がまだいまいちみたいで少しうろうろと掌を彷徨わせて、ようやくアーニーの頭頂部に辿り着く。


 そのままサラサラ髪を梳くようにして何度か撫でた。


「全く酷い目に遭ったわよね。あなたが生きてて良かった」


 その間彼は何か言うでもなく黙って大人しかったけど、頭から離した私の手を行かないでって引き留めるみたいに小さな手で握ってきた。

 不死鳥はどうしてか体に力を入れて身構えたみたいだけど、結局動きはしなかった。


「あの……アイリスお姉さん、一体どうしたんですか?」


 その問いには困惑と、彼が抱いた不穏な予感のようなものが滲んでいた。

 まあそりゃ私の仕種とか様子を目の当たりにしたら不自然に思うわよね。

 目の焦点だっておそらくはアーニーに合ってなかったと思うもの。


「お姉さん、わたしの目を見て下さい。お願いです……」


 声を大きくしたわけじゃないけど、どこか必死な声のアーニーが握る手に力を込める。

 聡いこの子はもうきっと気付いている。

 今更取り繕って隠しても意味がないわよねってなわけで、私は軽く深呼吸した。


「あなたの推察の通り、私どうやら目が見えなくなったみたいなの」

「そ……っ」


 きっと「そんな」って言いたかったんだと思うけど、薄々わかってはいても実際に言葉にして告げられる衝撃ってのはやっぱりあるんだと思う。

 アーニーはきっとそうだったから言葉を詰まらせた。


「め、目の傷は痛んだりしないんですよね? きちんと塞がってはいるんですよね?」

「あ、うん、痛みは全然ないわ。外傷そのものはたぶんもうないんだと思う」


 この屋敷の治癒魔法使いか誰かが治癒魔法を施してくれたのよね。だから無傷。


「……ソーンダイク公爵に、アイリスお姉さんの目を完璧に治すように頼んできます」


 ややあって彼はゆっくりと手を引っ込めると、更には声を落としてそんなことを言った。


「え、公爵には私もお礼を言いたいとは思ってるけど、お忙しいでしょ。それに助けてくれて出血を止めてくれただけでも十分なくらいよ」

「事実じゃありませんっ」


 ベッドが軋んでアーニーの気配が遠ざかる。


「すぐに呼んで来ますから!」

「えっいやちょっと急になんてそんな無理言っちゃ駄目でしょ」

「大丈夫ですよー!」

「アーニーってばー!」


 いつにない強い口調が足音と共に遠ざかる。

 えええ~? 大丈夫じゃないでしょー。その妙な自信は何なのかしら?

 はー……。公爵も子供の言うことと思って大目に見てくれる寛容な人だといいわー。


 だけど杞憂だったようで私はその日のうちに魔法使いとしても有能だって評判の若きソーンダイク公爵から、視力回復のための高度な治癒魔法を施してもらえる運びになった。


 わ~、アーニーの可愛さってどこでも有効なのね。

 確かにそりゃああの上目遣いでお願いされたらお菓子だって大人買いするわ。

 まあともかくラッキーよね。

 それで見えるようになるなら万々歳だもの。

 だってこのままじゃ一人で家に帰ることも出来ないし、ウィリアムたちに手紙の一つも満足に書けやしないじゃない。


 だからどうかお願いします、治りますように!





 私はどうやらおやつ時に目を覚ましていたようで、今は色々あってのその日の夜。


 不死鳥を抱きしめるでもなく、私はベッドの上で自分の両膝を抱え込んでいた。

 俗に言う三角座りをして周囲を拒絶するように項垂れてたってわけ。

 不死鳥の気配はすぐ傍に浮かんでいる。きっと頗るわっるい目付きで心配しているわよね。

 何かごめんって思うけど、現在私は私のことで一杯一杯だった。


 だって、目は治らなかった。


 使用人の男性と部屋に来たソーンダイク公爵は治癒魔法を使ってくれたようだけど、効果がなかった。


 しかも彼はどうしてか一言も話さなかったのよね。


 使用人の男性に会話を一任していたみたいだけど、その理由は不明。

 高貴な方々は下々とはお喋りにならないのかも……って私だってこれでも伯爵令嬢だった! 手配書を見てれば顔でバレてるわよね。まあ逃亡犯に興味があって顔を覚えてればではあるけど。

 ……素性を知っていて匿ってくれている可能性もある。アーニーにお願いされたらそうしちゃうかも。

 それとも婦女子とは口を利かないとかいう硬派なタイプなのかしら。

 それにどうやって意思疎通していたの? ……筆談?

 そんなこんなを踏まえてソーンダイク公爵に抱いた印象を正直に申し上げれば、何っか面倒そーな男、だった。


 加えて、彼は何だか……ううん、きっと気のせいよね。


 まだこの感覚に慣れているわけじゃないものね、うん。


 公爵と軍医にまつわる過去のあれこれは私には無関係だけど、冗談抜きに軍医以上の危険人物だったら笑うしかない。

 よく高みに居る人物が実は裏では腹黒いお人でしたーって展開は、読み物の中じゃ決して珍しくないじゃない? その後ろ暗い過去を揉み消すために密かに悪事を重ねているなんて悪役も、悪役としては典型だしね。

 でも、夕食も美味しいのを出してくれたし、無理に食堂まで歩いて行かなくてもいいように配慮して部屋に運ばせる気遣いもしてくれる人っぽいし、しかも普通の医学でも病気治療へのアプローチが一つだけじゃないように、治癒魔法にも幾つも系統や種類があるらしく、後日別の魔法を試すって旨の言葉を公爵の代弁者は言い置いていった。その申し出は破格だったし、素直に心底有難い。


 たぶん公爵は善人じゃないけど悪人でもないのかもしれないって思った。


 たとえもしも悪人でも根っからなわけじゃないのかもしれない、とも。


「はー……。そうは言っても、いつその親切な態度が豹変するとも限らないんだわ」


 不安だけが二重三重に増していく。

 公爵の人間性はもちろんだし、私は自分の状態にだって今になって結構落ち込んでいた。

 だから早々と就寝支度を済ませてこうやってぼーっとしているってわけよ。

 ああ、因みに着ているのは寝間着。

 さっきちょっと出て来てまた戻った小精霊が言うには、色は黒だって。


 ……もしかして私って見るからに悪女感が滲み出ているの?


 だって初対面のレディに黒い寝間着を用意するってないでしょー。もっと無難な色や柄にしない?

 それともたまたま用意できなかったとか? ううん天下の公爵家らしいし、御用達のお店だってそんな失態は許されないわよね。

 まあ清潔な寝間着は有難いから着たけど、着た感じ元祖アイリスのクローゼットの寝間着たちよりは露出は多くない。

 まあ自分じゃ見た目はわからないし、服は着心地と言うか機能性重視でいこう。


 時間もまだ早いからさっぱり眠くもならず、不死鳥に構う気にも小精霊をび出して会話をする気にもなれず、これと言って何もする気が起きないでいると、不意にノックの音が聞こえた。


「アイリスお姉さん、まだ起きていますか?」


 この控えめな声はアーニーだわ。


 昼間はそれ所じゃなかったのかノックの一つも忘れていたようだけど、今は紳士の卵かきちんとノックをしてきた。


「起きてるわよ。どうぞ」


 促せばカチャリと静かに扉が開いて、そんな音からアーニーってばきっとおずおずとして入ってきたんだわって思った。

 本音を言えば、とことん今夜は飲もうっ……じゃなくて、誰にも、たとえアーニーにでも会いたくなかったけど、彼はわざわざ治癒魔法の結果を気にして部屋まで来てくれたんだと思う。

 そんな子を無下に追い返すのも気が引けたのよね。


「……って、え、鳥さんてばどうして怒ってるような波動を出してるの?」


 今は小精霊は出ていないから優秀な通訳もいないわけで、私は内心首を捻った。

 私も人より多少は鳥さんと意思疎通が出来るけど、小精霊レベルでの細かな機微まではちょっとまだ無理。

 不死鳥は気が立っているみたいで、私はアーニーが火傷でもしたら大変と、不死鳥の気配を辿って両腕を伸ばした。


 捕まえておけば一先ず安心って思ったんだけど、あ、届くかなって所で膝がベッドの端を踏み外した。


 うわー絶対痛いやつでしょこれーッ。


 内心そんな悲鳴と言うか泣き事を叫んで体を硬くしたけど、一向に落下の衝撃はこない。

 ああううん、衝撃と言えない衝撃はあって自分がベッドから確実に落ちたのはわかるけど、全然痛くなかった。


 どういうこと?


 不可解に思っていたら、下から呻き声が聞こえた。


「だ、大丈夫ですか?」


 アーニーの声だ。


「え? ……――えっ!?」


 まさかのまさかで下敷きにしちゃったの?


 って言うか、あの小さな体で下敷きになってくれたわけ!?


 いやいやちょっと、某昭和のアニメのど根性を有するカエルさんみたいに潰れちゃうわよーッ!

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