112 ホラーは続くよどこまでも……
通路を抜けてさあようやく普通の部屋かと思いきや、私は前方の光景を見やって無意識の呟きと共に呆然となって突っ立った。
少し開けたそこは相変わらず造りは剥き出しの石壁で、部屋には理科の実験室みたいな間隔で頑丈そうな長机が縦三列横二列の計六つが並び、その机上には何と――棺が載せられていた。
「ひいーッ今度は霊安室なのーッ!?」
更に嫌な事実を述べれば、見た限りでは蓋はなく、近くの棺を例に取れば中には白布に包まれた長細い何かが横たわっている。人の太さと長さくらいはある。
ま、まさか……。
嗚呼神様、ホラー展開はまだ終わっていないのですか!?
私の後ろからちょっと首を伸ばして様子を見たアーニーも、この異様な場所にはさすがに絶句したみたい。
しばし二人で強張っていると、逃げてきた通路の方から足音が聞こえた。
「げっ! 追い付かれる!」
我ながら器用だと思うけど心底嫌そうにしながらも狼狽して、アーニーをおぶったまま咄嗟に駆け出した。この奇妙に恐ろしい部屋をさっさと抜けたいって気持ちもあった。
入った場所の対角線上にある出口には扉があったけど半分開いていて、足を進めるうちにその先が見え、きちんと内装を施された廊下が続いているようだってわかった。
今度は窓があるといい。
だけど人間、いつ何時も焦りは禁物よね。
こんな大事な時に私ったら
「おっとととッ!」
咄嗟に片手を棺の端に引っ掛けて体重を支えようとしたんだけど、不運なことに、ぐらっと棺が傾いた。
えっ……。
大きく横に倒れてしまい、白布ごと中身がごろりと転がり出てくる。それはこの世界にもある重力に従って床へと一直線に落下した。
「ひいーーーーッ!」
私は私で絶ッッッ対に中身に接触したくないーッと、火事場の何とやらにも似た馬力でアーニーを背に抱えたまま前方に跳躍していた。
そのまま勢い余ってベースも何もない場所にヘッドスライディングを決めたわよ……。いたたた。
「ア、アーニー大丈夫? 転んだ衝撃で怪我が悪化してたらごめんね!」
「だ、大丈夫です。アイリスお姉さんこそ平気ですか?」
本当は痩せ我慢しているんだろうけど、アーニーが急いで上から退けてくれて、私も私で手と顎先の擦り傷に内心で泣きながらのろのろと体を起こす。
このまま逃げちゃえば良かったんだろうけど、私は好奇心に負けて恐る恐る床の物体を振り返った。
だって、棺は予想外に軽かった。
普通、生物の死体が入っていたならもっとずっしり感があっていいと思うのよね。
中身は死体じゃない何かかも……なーんて考えた好奇心旺盛な私の愚か者おおおっ。
「うわあああああーッ! や、やっぱりこれ、これッ……ししし死体じゃないのーッ!」
だって包んであった白布が半分捲れて、女の人の白い顔がもろに見えている。
ひーっ、しかもしかも目まで開いてるしーッ!
成仏してって念じて仏教的に両手を合わせて拝んじゃったわよ。
「だだだ誰だか知らないけど祟らないで下さいお願いしますーーーーっ!」
「あ、あの、落ち着いて下さいアイリスお姉さん」
「こんなの落ち着いていられるわけないでしょー!」
「だってこれ、――人形です」
「そう! 正真正銘の人形なんだもの怖いわよ……って、へ? に、人形? 生の死者じゃなくて?」
「はい、よく見て下さい。木目があります」
取り乱す私とは裏腹に、アーニーは冷静に観察していたらしかった。さすがは男の子って言うか、その胆力に感心だわ!
確かに彼からの指摘によくよく目を凝らして見つめてみれば、精巧に作られた人形だった。
入念にやすりを掛けられていて表面は驚く程滑らかだし顔は白く塗られていたけど、木目が薄ら浮き出ているから間違いなく木材だってのはわかった。瞳部分には硝子か何かが象嵌されている。割れてなくて良かったわ。唇も艶っぽく赤く色付けしてあるし、わー私より色っぽいわーこの人形ー。
ホント遠目で見たら生身の人間にしか見えないじゃない。
軽さから言って表面だけが木で、中は空洞かそれとも綿とか新聞紙が詰めてあるんじゃないかしらね。
「な、何だ人形だったのね、良かった」
まだまだホッとはできないけど、その点については安堵した。
でも、気味は悪い。
どうして棺にわざわざ人形を入れておくの?
仮にこれらの設置者に綺麗な人形を愛でる趣味があるにせよ、棺桶に仕舞っておくなんて悪趣味に過ぎる。
もしかして、軍医が安置したものなのかしら……。
だとすればその行動だけでも鳥肌ものだわ。
私は何となく他の棺にも目を向けた。
白い布で中は見えないけど、それらにも人形が詰められているのかもしれない。でも、実は一つだけ本物が……ってあああ怖いから変なこと考えるのはよそっ。
「気にはなるけどそれ所じゃないわ。逃げるわよアーニー」
「は、はぃわ!?」
今度は相談もなく彼を抱き上げて駆け出した。悠長におんぶなんてしている時間はないもの。この部屋を出て適当に距離を稼いでからおんぶに切り替えるつもりよ。
アーニーは問答無用も同然に抱っこされて目を白黒させている。
長机に置かれた棺の横を通ってもう少しで出口って時だった。
「逃がすか!」
背後から鋭く風を切って飛んできた何かが、目の前の扉にトトトッと軽快な音を立てて突き刺さった。
「わあっ!? ななな何!?」
ビックリ仰天もいい所で、私はたたらを踏んで立ち止まる。
飛んできた物は、今やもうピッタリな悪役台詞を口に追い付いてきた軍医が背後から投げた刃物だった。
しかも普通のナイフじゃない。
どう見ても外科手術用のメスだわよーこれ。
彼の専門は確かに外科だったような気もするけど、大事な商売道具を投げちゃ駄目でしょ!
それ以前に人様に刃物投げるなんて危ないでしょうが。私もアーニーも的になるリンゴなんて持ってないのよ。ここはどこのサーカスだってのよ! え!? それとも人形劇屋とか!?
くっ、ナイフ投げまで得意とか、厄介なオジサマね。
私は歯噛みして、投擲後の何かカッコイイポーズを無駄に決めたまま息を切らし反対の戸口に立っている軍医を振り返って睨んだ。ふんだ、イケオジだからって暴挙が許されると思わないことね!
「アーニー、私の後ろに居て」
彼を素早く下ろしてそう指示をした。きっと私に死なれると宜しくないだろうから、私へはメスを投げてこないと判断したわけよ。
このまま私が肉の盾になって後退して廊下に出るのが最善よね。
じりじりと後ろに下がる私の思惑を察したのか、軍医は開いた両手を私たちに向けてきた。
何かぶつぶつ言っていたけど、声が小さくて早口で聞き取れない。
「ええと、何かしら?」
訝しんだ直後、目の錯覚かもしれないしそうじゃないかも知れないけど、彼の手を中心に空間が波紋のように歪んで見えたかと思ったら、急に眩暈に襲われた。
「何、これ……ッ」
三半規管がやられたみたいに気持ち悪い。
これってまさか精神に影響を及ぼす魔法?
だけど王都兵たちみたいに操るものじゃなく、これ以上の身動きを取らせないための措置みたいね。実際に具合の悪さでほとんど動けない。
まあもしも精神操作の魔法でも、根性で操られて堪るかっていきんでそんな魔法跳ね返してやるけどね。
だって漫画とかだとそういう展開って大抵片方が正気で片方がアレな状態で、それで仲間同士で敵対なんてするけど、そんなのは悲しいじゃない。アーニーと敵対するなんて嫌だわ。
ただこの現実はこの現実で過酷~っ。
ああもう何てことなのよ。アーニー共々なす術なく魔法の影響下に晒されちゃったじゃない。
抵抗らしい抵抗もできず、傍に来た軍医からアーニーと引き離された。
私へは眩暈の魔法みたいなのを継続したまま、だけどアーニーへのそれは解除したようだった。
彼の腕を掴んで無理やり引きずっていく。
「待っ……、どこに、連れてくのよ……!」
「地下墓所に戻すだけだ。アイリス嬢はそこでしばらく大人しくしているんだな」
冗談じゃない。
眩暈よりも痛みが勝るように、私は強く唇を噛んだ。そうすれば幾らかふらつきはマシになったから、追いかけて軍医の足に見事なスライディングをかましてやったわ。
……いや、うん、本当はコケただけだったのをこれまた奇跡の確率で体が回転して足から突っ込んだだけよ。
地下墓所では不意打ちっぽかったし、奇跡の華麗なるアクションスタントでアーニーを取り返したけど、人生そう何度も上手く行くわけじゃないわよね。
軍に所属しているだけあってやっぱり医術だけじゃないようで、軍医は咄嗟に体勢を立て直すと、服を引っ張って食い下がる私を大きく振った腕で「邪魔だっ」と振り払うようにした。
「きゃあっ」
「お姉さん!」
鍛えた成人男性の腕力で吹っ飛ばされた私は、体勢を大きく崩し受け身を取る間もなく頭から傍の棺桶の角に突っ込んだ。
「――ッ!!」
ゴッ、という籠るような鈍い音と、脳みそが揺さぶられるような激しい衝撃に、一瞬目の前が真っ白になって星が散った。意識共々暗闇に滑り落ちて行きそうになる。
「お姉さん! アイリスお姉さんっ!!」
どくどくと熱く脈打って、ぶつけた所がすごく痛い。
気付けばその場にへたり込むようにしていた私はこめかみ辺りを押さえた。
手にぬるりとしたものが付着した。
血だわ。
「アイリスお姉さん! アイリスお姉さん!!」
正直言って
「くそっ、無駄に血を流させたか。それだけの血があれば蘇生実験の二つ、三つはできたろうに」
蘇生実験……? 何それ?
「それは死者を生き返らせるって意味の蘇生ですか?」
「それ以外の蘇生があるとでも?」
ハイハイ、ですよねー。
もしかして死んだ妹と甥を?
ええとこの男はフランケンシュタイン紛いの何かを造り出すつもりなの?
でも棺にあったのは人形だった。継ぎ接ぎ死体とは似ても似つかない。
ただ、全部の中身が人形かは確かめてないから、もしかしたら本当に本物の仏さん入りの棺もあったりするのかも。そう考えたら徘徊するゾンビが思い浮かんでぞわりとした。
何にせよ死者の復活を目論むなんて、全く以て狂気の沙汰としか思えない。
世界の理に反している。
ん? でも私は一度死んだアイリスに入って彼女を生き返らせたも同然じゃないの?
うっそどうしよ、私っては世界の理から外れた存在!?
中世の魔女狩りじゃないけど異端者として追われる身になったらどうするのよ、あんのおバカ日記!!
……ってああもう追われる身だったっけ、ハハハ……。
日記ってばマジでこの災難を乗り越えたらケツバットで叩き起こしてくれる……!
とにかく、私の事情とは関係なく、軍医は私の魔法の血からそんな歪んだ可能性を見出したみたい。
その執念には、呆れればいいのか憐れめばいいのか怒ればいいのか愛情深いと感心すればいいのか、そのどれもであり、またはどれでもないような複雑さを伴って、明確な一つの形としての感情は定まらなかった。
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