111 おんぶ

 地下から真っ直ぐに伸びる階段を上がった先にも扉があったけど、内心鍵が掛かっていたらまた破城槌出さなきゃ駄目なの、この場所に入り切るかしら~ってドキドキしちゃったわ。でも私の杞憂だったみたいで、錆で軋みながらもあっさり開いた。


「よかった。まだ追いかけても来ないみたいだし、骸骨たちが執念で踏ん張ってくれてるのよ」


 正義の骸骨たちよ、悪人を成敗しちゃっていいわよ。

 フレーッフレーッド・ク・ロ!

 なんて他力本願に思っていたらアーニーからちょっと不可解な目を向けられた。


「執念、ですか?」

「え? あー何となくそう言ってみただけよ」


 まさか第六感的に死者の思念を感じ取ったなんて言えないわよね。

 変に怖がらせても嫌だし、私だってあれは気のせいだって思いたい。


 この時はまだ詳しくは知らなかったけど、地下墓所の骸骨たちはほとんどがソーンダイク家の人間で、彼らには決して低くはない魔力があった。


 そして皆が例外なくこの家の当主や当主が命じた人間、もしくはそれを継ぐ者に殺された。その無念が死に瀕して密かに魔力を変質させたり、または怨念と化しても不思議じゃなかったみたい。

 あの魔法がどんな原理で発動したにしろ、足止めはできたから良しってことにしておこうと未来の私はそう思ってそっとしておいたわ。うん、ソーンダイク家の闇を深く考えたら怖かったからね。お化けとかお化けとかが。


 扉の先は小さな踊り場で、その先にまた細く通路が伸びている。

 壁も天井も今度は規則正しく積み上げられた石の壁だったけど、剥き出しのままで窓もないし、まだ人が居住する空間ではなさそうだった。きっとこの通路の先が普通の貴族屋敷に通じているとそう思いたい。


「早い所行こっか」


 そう言って振り返ると、アーニーは壁に片手を突いてもう片方で体の痛みを堪えるように抱き締めて、大きく呼吸を乱している。


 火を灯された燭台が点在する薄暗い中でも、額に多量の汗を掻いているのはわかった。

 即座に取って返し彼の顔を覗き込み、視界が広くなるように額に張り付く前髪を掻き分けて額の汗も拭ってやれば、苦しさの中少し目を細めて嬉しそうにされた。何かホント健気よねこの子って。


「大丈夫? まだ歩けそう?」

「だ、大丈夫です……――げふっ」


 一歩歩いて血でも吐きそうな勢いで咳き込んだかと思えば力尽きた様に両膝をつく。


 あー……これは全く大丈夫じゃないわね。


 身を案じる常套句を口にした私が馬鹿だった。アーニーなら私に負担かけないようにって大丈夫と返してくるのは予想できたのに。

 この薄暗さの中で見ても正常な顔色には見えないし、随分無理をしているのがわかった。体を動かすうちに私はもうだいぶ感覚が元に戻ったけど、彼は治癒魔法でも使わない限り怪我はそのままよね。

 いつもふにふにしていた可愛いほっぺだって腫れたままだし、ああもう自分の苦しさにかまけて幼子の体調を失念していたのが悔やまれる。保護者として駄目駄目じゃないの。

 こんな小さな体で階段を上るのだって一苦労だったろうし、ううん二苦労三苦労くらいはしたはずよ。気付かなくてごめんね。


「アーニー、おいで?」

「……はい?」


 そう言って私は彼の前でしゃがんで背中を向けた。

 アーニーは痛みも忘れたようにキョトンとして動かない。だからうっかりこっちも肩越しにキョトンを返しちゃったわよ。


「ええとほら、さっきみたいにおんぶよおんぶ」

「えっ!? またいいんですか?」


 大袈裟なくらいに驚いた彼は怪我に障ってかゴホゴホとまた咳き込んだ。

 慌てて背を摩ってやる。


「アーニー落ち着いて?」

「し、してもらったばっかりですよ? それに、リズお姉さんも怪我をしていますし」

「ああ私の方はほとんどもう大丈夫だから安心して。あなたこそ怪我した所を押されて苦しいかもしれないけど、早くここを脱出しないといけないから我慢できる、おんぶ?」

「は、はい、痛いのは我慢出来ます。でも本当にいいんですか?」

「勿論よ。だから早くおぶさって。怖いオジサマが来ちゃうわ」


 内心本気で、噂をすれば影ってやつでこの直後に軍医が来たらどうしようなんて焦りつつそう促せば、アーニーは素直に従ってくれた。

 おずおずと言った感じで最初は肩に掴まって背中に身を預けてくる。その際に小さく「うっ」と呻いたけど、この子ってば気丈にもそれ以上の苦しい声は出さなかった。


「よいしょっと」


 アーニーの太ももをきっちり抱えて立ち上がる。その際アーニーも落ちないようにと私の首に腕を回してきた。

 それにしても子供って一見軽いようで結構重いわよね。思わずババ臭く掛け声なんて出ちゃったわよ。


「すぐに安全な場所まで行って病院に連れて行くからね。それまで我慢してね」

「はい」


 ぴたっと背中にくっ付いて力を抜くアーニーはやっぱりそれだけ体力的に消耗していたんだと思う。後ろの表情は見えないけど、そんなに苦しそうな顔をしていなければいいと思った。





 ザックの店で過ごすようになって、今まで自分が見て知っていた笑顔は全部が嘘ものだったんだと彼は知った。

 歪み、不純物が混ざった紛い物で、笑顔とさえ呼べなかったんだと今はわかる。


 店の皆の本当の笑みは初めて向けられる種類の顔だったが、彼はとても心地が良かった。


 特に彼女が純粋に笑いかけてくれると、今まで感じたことのない感情が湧き上がった。

 それはぶわっと一気に心に広がって、我知らず頬が上気し、まるで熱いタオルで頭を覆われたように彼をくらくらさせた。少しどもってしまう時があるのはそのせいだ。

 彼にはどうしてそうなるのか自分でその理由はわからなかったが、誰かがどこかで同じような感情を、その概念みたいなものを教えてくれたような気がしている。


 彼女と居ると、いつになく高揚として嬉しくて飛び上がりそうで舞い上がりそうだった。


 何か思い出さなければならないことを思い出せそうな、そんな気分だった。


 結局今日まで思い出せはしなかったけれど。


「ああそうそう、本当はね、お姉さんの名前はリズじゃなくてアイリスって言うのよ」

「……アイリス?」

「ワケあって本当の名前は名乗れなくて。今までごめんね?」

「い、いえ」


 体重を預けた背中の向こうから声が響いて、直接付けた耳の奥にまで伝播する。

 聞くと元気が出る大好きな声が。

 そう言えば軍医もアイリスと言う名を口にしていたと思い出せば、何だ彼女のことだったのかと納得した。

 そして妙にしっくりくる名前だとも彼は思った。


「じゃあ、アイリスお姉さんと呼んだ方がいいですか?」

「それはどっちでもいいわ。アーニーの呼びやすい方で」

「そうですか。……リズも素敵でしたけれど、アイリスも素敵です。お姉さんにはむしろアイリスがぴったりです。だからアイリスお姉さん呼びにします」

「あらそう? わかったわ。それに素敵だなんてありがと」


 彼ら二人は未知なる通路を進む間、危機感なくもそんな会話をした。

 軍医はまだ追い掛けて来ないが、それも時間の問題だろう。


「アイリスお姉さん」

「何? あんまり無理して喋ったら駄目よ」

「……はい」

「で、なあに? 言いたいことがあるんでしょ?」

「あ、はい、ええと……実はアイリスお姉さんにもらったリボンを失くしてしまって……ごめんなさい」


 彼は地下墓所で紛失に気付いて周辺を見たがリボンは落ちてはいなかった。ここに運ばれる前にどこかで落としたに違いないとは思ったものの、見当が付かない。折角の贈り物だったのに申し訳なかった。


「リボン? ああそれなら見つけて回収したから後で返すわね」

「えっ見つけてくれたんですか!?」

「うん、ちょっと汚物扱いされて業腹……ああいえいえ小さなほつれが気になったから、繕ってから返すわ。いいかしら?」

「あ、はい、宜しくお願いします。それとありがとうございます!」


 嬉しさに緩んだ頬が引き攣って痛んだ。全身は全身で打撲個所が熱を持って酷く痛んだが、彼女がいるから耐えられる……と彼は弱音は吐かないと決めた。

 これ以上の心配をさせたくないと思ったのだ。

 心配顔よりも笑顔が見たかったのだ。


「アイリスお姉さん」

「ん?」

「……嫌いにならないで、下さい」


 ずっとそばに居てくれたらいいのにとも思った。


 ザックとマルスと、そしてアイリスと自分の四人暮らしがずっと続けばいいのにと。


 だから願いを込めて、落ちないよう彼女の首に回していた両腕にぎゅっと少しだけ、彼女が苦しくないように力を込めた。


「じゃあ訊くけど、アーニーはこうしている間にも私を嫌いになるの?」

「な、ならないです!」

「だったら私もならないわよ」

「ほ、ほんとですか? ええと、嘘をついたら針千本ですよ?」


 一瞬、不思議な間があった。


「針千本……へえ、こっちにも向こうと似たような言い回しがあるのね」

「向こう?」

「あ、ううん。針千本なんてよく知ってるなあって思って。周りの人がよく使うの?」

「うーん? そう言えば初めて使ったかもしれません」

「あらそうなの? 一体どこで覚えてきたのかしらね」

「はい、どこででしょうか……」


 彼が悩んだように真剣に考え込めば、そこまで真面目に考えないでいいと肩越しの苦笑と共に諭された。

 そうかもしれない。

 でもそうじゃないかもしれない。

 真剣に知識の出所を突き止めるべきなのかもしれないと、彼はそう思う。


 忘れていることがあるのだ。


 どうして自分が王都の路上に居たのか、それが目下の所の最大の謎。


 加えて軍医が自分を憎む理由にも心当たりがないのに、自分の知っている名前が出てきた。


「……あの、その、本当にわたしが何かしていたとしたら? それでも嫌いにならないでいてくれますか?」


 先の間とは些か異なるような静かな呼吸が数回繰り返された。


「その時は、あなたがそうせざるを得なかった理由が何かあったんだって調べて、考えて、それから答えを出すわ」

「……そう、ですか」


 落胆がなかったと言えば嘘だ。

 しかし誠実だとも思った。簡単に嫌わないなんて薄っぺらい約束をされなくてよかったと彼はどこかで思っていた。

 自分はきっと人間のそういう欺瞞ぎまんを山程知っているのだろう。それなのにどうしてそう思うのかがわからない。


 それでも、彼女はこんな自分を投げ出さず向き合ってくれるのだろうなと、彼は漠然とした安心感と共に確信していた。


 こんな恐怖の館でぬくぬくとした背中に絆されている、そんな自身の可笑しな状況が全然嫌ではなかった。


「――何、ここ……?」


 ただ、そんな温かな夢心地も、彼女の緊張を帯びた声に、まるで柏手を打たれハッと醒めるようにして消え去った。

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