110 死者たちの残滓

「あそこには、そこの彼に殺された女主人とその息子の棺がある」


 あそこに、と言って軍医が顔を向けた先には棺が二つ仲良く並んでいた。他の棺とは場所的にも離れている。


「ええと、妹さんって貴族に嫁いだんですか? もしかして先生は貴族?」

「ああ。これは私の妹と甥、――と――の棺だ」


 息を呑む気配がした。

 軍医が母子二人の名を口にした途端、呆然となったアーニーが私にしがみ付いていた手から力を抜いた。


「アーニー?」

「まさか……そんな……。義母上と、兄上と、同じ名前だなんて……」


 一瞬、私の方も言葉が見つからなかった。


「た、たまたま一緒だったのよきっと」


 なんて取り繕うように言ってはみたけど、母と子が同じ名前の二つのソーンダイク家がある確率の方が稀よね。それにそもそも軍医はついさっきその家名は一つだけって言っていたし。


「はっ、ははははっあははははははっ! やはりそうだった! ビンゴじゃないか!」


 突然、軍医が発狂でもした人みたいに仰け反って高らかに笑い出した。びっくりしたー。でもそうよね、本人だって証拠とも言える共通項が増えたんだもの。


「ははははっははっ、アイリス嬢、あなたはこれだけ言ってもまだ疑いすら持たないのかい? その子供は魔法で姿が子供に変わっているだけの歴とした大人なんだよ」


 断言さえした軍医はどこか苛立ったように一歩を踏み出した。

 早く決着をつけたいと思っているに違いない。

 逆に私たちは後退する。


「付け加えておくと、彼は魔法の暴走で記憶まで退行しているようだけれどね」


 また一歩向こうは踏み出す。


「記憶の、退行……?」


 更に一歩、近付く。

 心理的にこっちを追い詰めるためか、わざとなぶるようにゆっくりした動作なのが腹立つわ~。普通に怯んじゃった自分にもね。


「証明はできますか?」

「促してやればいいんだよ。己の記憶をしかと思い出すようにね」

「促す?」

「まあ例え思い出せなくとも、最終的には明らかになるだろうけれど」

「……どういう意味ですか?」


 最終的にって、何だか嫌な言い方だわ。


「人違いかどうかは死の魔法で殺してみればわかる。死すればその者に掛かっていた魔法は解け本来の姿が現れるはずだからね」

「何ですって!?」


 ちょっと待って死の魔法って何よ。

 ハリー・ポッターのヴォルデ何とかさんが使うような、一発一瞬で死んじゃうやつじゃないでしょうね? え?

 そんな怖いことはさせないわ。

 私は後退しつつ、手を口元に持って行った。


「――ッ」


 強く噛んで血を滲ませて、その血に魔法を念じる。


「くっ、魔法か。早々に拘束しておくべきだった」


 軍医が毒づくその間にも痛みと共に私から発動した魔法は、魔法陣を広げて輝いた。

 だけどその光が急に消える。


「えっ何で!?」

「どうやら移動魔法を使おうとしたね? この屋敷には外部から魔法で侵入はできても魔法で外部へは行けないような特殊な結界を張ってある。出て行くには自分の足でこの屋敷を抜け出すしかないんだよ。それから、もう一つついでに言っておくと、精霊を召喚しようとしても無駄だよ。精霊侵入防止の結界も張ってあるからね。結界魔法具集めには結構苦労したよ」


 結界ですって? ご丁寧に二種類も。

 道理で呼んでも不死鳥が出て来なかったわけね。


「随分と用意周到なんですね」

「当然だ。相手は油断禁物な魔法使いなんだから」

「魔法使い?」


 それでアーネストだなんて、まあ奇遇だこと。

 嫌~な男の顔を思い出しちゃったわ。


「逃げ道はないのだし、もう観念して大人しくしてくれると助かるんだけどね。こちらとしてもアイリス嬢の命までは取るつもりはないんだよ。手荒な真似は極力したくはない」

「私の方は命までは不要?」

「人間死んでしまっては、最早それ以上の血は造られないだろうからね」

「血……。ああ、なるほど。私を攫ったのは騒がれると困るからって他に、私のこの魔法の血のためですか。魔法の血の供給源として生かしてはおこう、と」

「その通りさ」

「え、もしかして、だから吸血事件なんて起こしたとか言いませんよね?」


 ふ、はは、と軍医は可笑しそうに小さく笑う。


「アイリス嬢は来世では探偵になるかもしれないね」

「来世……」

「全部終わったら、せめて苦しまないようにだけはして逝かせてあげるよ」

「はっ、ふふっ……先生がまさかここまで卑劣漢だったとは思いませんでした」


 戦慄の殺害予告すら受けながら、相手の油断を誘おうと会話を続けつつ、私はここで諦めるのは御免だと次の魔法の発動を試みる。

 かくなる上は出口の扉をぶち壊して自分の足で出て行ってやるわ。

 だけど身構えた私の動きを察した軍医が素早く肉薄してきて、軍直伝の体術なのか私の腕を捻り上げ、首の後ろに気絶にはお決まりの手刀を振り下ろしてきた。


「あッ」

「リズお姉さん!」


 意地でも気絶するか~って歯を食い縛ったけど、目がチカチカする感覚の中で地面に倒れ込むのはさすがに防げなかった。

 駆け寄ろうとしたアーニーが頬を叩かれて吹っ飛んで、私同様に地面に転がったのが見えた。

 アーニー……!

 手刀の痺れのせいで手足が重く思うように動かせない。

 猛烈に具合が悪い。馬車酔い以来の気持ちの悪さを感じる。

 気を失ってもおかしくない苦しさだったけど、こんな所で骸骨たちと仲良く寝るわけにいかないわって思って、手指を握り込み力んで力んで力んで相当頑張って意識だけは辛うじて保たれたけど、私は荒く息をしつつ力尽きた様に地面の上で四肢を弛緩させた。


 その間にもアーニーはろくに抵抗もできないまま軍医から蹴られて、二つの棺の方へと転がされる。


 動けないまま二人と距離の開いてしまった私には何も出来ない。

 傷口をまた噛んでもっと血を滲ませられれば魔法が使えるんだけど、腕一つを動かすのも苦労しそうだった。だけどやるしかない。

 幸い軍医はうっバタッてなった私が気絶したとでも思ったのか、こっちには注意を向けて来ない。


「さあ、二人の棺の前に跪き、そして額を地に擦り付けて謝るんだ」

「うぅ……リズおねぇ、さ……」


 言われたアーニーは痛みに呻いていたけど、その目は必死に私の身を案じてくれていた。応じないことに業を煮やした軍医が彼を無理無理引き摺っていき、棺の真ん前で乱暴に放り出す。


「早くしろ。お前の惨めな姿が妹たちの魂の慰めになる」


 わけがわからないまでも、きっとこれは屈辱的な何かだってことは子供ながらに察しているみたいで表情を曇らせたまま、だけど彼本来の素直さが前に立ってか、アーニーは何度か地面に倒れ込みそうになりながらも細い腕を震わせて体を支え、何とか上半身を起こして座り込む。


「どうして……二人は、こんなこと、に……?」

「知りたいのか? 当時ここで一体何があって、妹たちは無残にも灰になったのか」

「灰……? 義母上たちは、灰に……?」

「ああ、お前のせいでな」


 愕然と呟くアーニーの背中を、豹変した軍医が蹴り付ける。

 アーニーは喘息持ちみたいにひゅっと呼吸を引き攣らせて咳き込んだ。

 小さな拳を握り締め辛そうに蹲る様子から、もしかしたら肋骨が折れているのかもしれないと思った。


「さっさと謝罪の言葉を口に這いつくばれ」


 まるで知らない別人のように冷徹な顔の軍医が、もう一度足を上げた。


 アーニー……!


 もう彼に酷い事をしないで。


 それだけを願って、私は引き寄せた自分の手を深く噛んで魔法を発動させる。


「何!? 気絶していなかったのか!」


 私を無力化させたと思い込んでアーニーに暴力を振るっていた軍医は、驚いたようにこっちを振り返って苦々しさを浮かべた。


「手加減をし過ぎたか。忌々しい!」


 行動もだけど何だか言葉遣いまで乱暴になってるし、穏やかな軍医先生はホントどこに行ったのよ。これじゃあクライマックスで本性を大いに露見させる典型的なやられ悪役パターンじゃない。まあ彼をどうにか無効化して、アーニーとここから出られるなら別に典型的でもいいけどね。


 とにかく、不意を突いたおかげか軍医が何かの魔法を使うよりも私が魔法を使う方が早かった。


 私の場合呪文なんて必要ないし、自分の属性とかそういうのを考えたこともないしあるのかすら知らないから、魔法使用はほとんどイメージ先行と言っていい。


 扉を打ち破るには何が必要かと即座に思案して思い浮かんだのは、大砲やミサイルのような地球の近現代の攻撃兵器じゃなくて、大陸系歴史ドラマでお馴染みの破城槌だった。しかも城門なんかを破壊する中心となるまさに槌の部分オンリーの。


「は? 何だあれは、空飛ぶ丸太か!?」


 混乱する軍医を余所に、私の真上に生じた白い魔法陣から出現した巨大な丸太が真っ直ぐ扉へとぶっ飛んで行く。


 自分でも唖然として見守る中で、丸太はドゴーンと物凄い衝突音を立てて扉へと刺さるようにぶち当たった。


 まあ当然、木っ端よね。扉が。


 周囲の壁もちょっと壊れてパラパラと土が降るその向こうに、通路が見えた。


 やったわ、ちゃんと出口だった。これで実は先に何もないトラップ扉でしたーとかだったらマジで年甲斐もなくぴえん泣きしたわよ。

 丸太は役目を終えてふっと消えちゃった。御苦労様~。

 固まっていた私だったけど、そんな暇はないんだって我に返った。

 逃げ道は確保したし、アーニーを連れて逃げないとね。

 先手を取ったならその手を緩めるべからずと傷口を絞って更に滴った血へと魔法をイメージする。


「アーニーこっちに来なさい!」


 血が魔法の光を帯びて赤くなくなったのと同時にそう叫んだ。


 でも何の作用か魔法光が今度は黒っぽいんですけど?


 傷だらけのアーニーは痛みを忘れた様に私を見つめよろよろと体を動かし始める。酷でごめんだけど、今は自力で来てもらわないと。私は私でまだじんじんと痺れる体を叱咤して立ち上がっていた。


 逃げるには敵の足止めが有効よねってわけで、自分でも一体何を思い浮かべたのかははっきりしないけど、軍医の足止めは何とか成功したみたい。


「――ってひいいっ何で骸骨うううーーーーッ!?」


 軍医の足には地中から伸びた複数の白骨の手が絡み付いていた。軍医も「ひっ」と恐怖と嫌悪感丸出しの表情をしている。

 墓所だからって、墓所だからって、いくら何でも私の魔法にそれはないでしょ!?

 これじゃあネクロマンサーじゃない! って、え、ネクロマンサーなの私?


「いやいやいやそれは嫌! 他の魔法だって使えたし!」


 なんてついつい取り乱したけど、まあ何でもいいわ。とっとと逃げないと。

 アーニーを促して二人で出口へと向かった。足止め魔法は意外に強力なのか軍医は白骨手を外すのに四苦八苦していてまだ動けずにいる。


「アーニー、大丈夫? 上まで歩ける?」

「はい……ッ、頑張れ、ます……っ」


 彼は腫らした顔を頷かせた。ああ可哀想に!


「じゃあ、急ぎましょ」

「はい……!」


 二人してもたつきながらも地下墓所から地上へと向かう階段通路に出る間際、ふと肩越しに振り返れば、向こうの壁の骸骨たちが見えた。


 ――逃げろ。

 ――生きろ。

 ――縛られるな。


「え……?」


 骸骨たちからどこか哀愁を感じさせるそんな思念を感じた気がした。


 もしかしたら彼らは望まずも命を落としたのかもしれない。


 信じられないけど、ネクロマンサー的な魔法が発動したのは彼らの影響だったりするの?


 ここでこれ以上命が散るのを見たくないと、そう訴えているの?


 自分たちの無念は私たちを……アーニーを生かすことで晴れるって。


 こんなの私の勝手な思い込みかもしれない。


 だけど、確かにそんな死者の意思を感じた。


 奇妙な感覚に一瞬足を止めそうになったけど、頭を振って前を向く。

 ソーンダイク家の墓所。

 きっとここに葬られているのは、その血に連なる者たちで……。


 アーニーの真実が何であれ、この純真な少年をこんな所で死なせないと、強く思った。

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