109 地下墓所の危ないオジサマ

 アーニーにはしばらく傍で見ててもらって扉に渾身の力を込めてみたりもしたけど、全く駄目だった。


「ふう、きっとここが唯一の逃げ道なんだろうし、軍医が現れる前に早いとこどうにかぶち破って逃げないと」


 私は扉を押していた自分の両手を裏返して掌を見つめる。


 ふむふむ? 生命線短ッ、これじゃもう死んでるじゃないあっはは~……ああ一度死んでるんだっけー……って違う違う違う。


 かくなる上は、私の血で魔法発動だぜーって決意でしょ決意!


 痛いのは嫌だけど我慢よ。

 だけどナイフなんて携帯してないし、やっぱり噛むしかない?

 こっちに来た当初は絶対に自傷なんてそんな痛そうなことし~ないって思ってたのに、うう、断頭台でもそうだけど私ってばこうも背に腹は変えられないような状況にばっかに直面して、多少心がワイルドになったのかしらね、ホホホホ。ああでも一回深呼吸プリーズ。

 さあやってやんぜって意気込みと、相反する怖気付きを感じながら、アーニーを肩越しに見やる。


「頑張って下さいリズお姉さん!」


 あああ~、何て真っ直ぐな目なのッ。

 私がここで奇跡のどすこいパワーを発揮して扉を張り手で突き破るのを期待するような澄んだ目で見守ってくれているわ。

 ……あと関係ないけど向き的に骸骨壁の骸骨たちの目も一斉にこっちを向いてるんですけどー。扉がある壁とは対面の壁に並ぶ黒い無数の視線たちからさっさと覚悟を決めろって催促されてる気がするわ。もうホントやだ……。

 まあねえ、さすがに奇跡のつっぱりで突破とはいかないけど、魔法でならできるかもしれないわ。ううん、かもしれないじゃなくてきっと突破しないとね。


 ってことで、ええいこれも自分とアーニーのため、ままよっと親指の付け根辺りに噛み付こうとした矢先だった。


「う……ッ リズおねぇ、さ……」


 背後のアーニーから苦しそうな声が上がった。


「アーニー?」


 一体どうしたのかって即座に振り返った私の目には、お腹でも殴られたのか咳き込んで地面に蹲るアーニーと、そして彼の横に立つこの誘拐事件の黒幕たる軍医の姿が飛び込んだ。


「アーニー大丈夫!?」


 いつの間にって言うか、きっとこっちが他のことに気を取られていて気付かなかったんだと思う。軍医との立ち位置的にアーニーに下手に駆け寄ることもできない。


「ちょっとあんた、こんな小さい子に手を上げるなんて医者の風上にも置けないわよ!」


 敬語も忘れ非難の目で睨めば、何が可笑しいのか彼はハハハと場違いにも朗らかな声を立てて笑った。


「小さい子、か。本当にそうなら心より謝罪すると誓おう」

「はい?」


 誰がどう見ても小さい子でしょうに、何なのかしら。


「どうしてアーニーにこんな仕打ちを? その子に吸血犯だって見られたからですか? でも口封じなんて必要ないですよ。彼は覚えていないんです」

「吸血犯か、ああそう言えば目撃者でもあるのだったね……」

「ええと、そのことで捕まえたわけじゃないんですか?」


 ここに来る直前にそう言えばアーニーを実験体がどうとか言っていたっけ。

 でも、何の実験?


「なら、攫った理由は何なんですか?」

「理由? 彼に殺された妹の復讐だよ」


 アーニーの髪の毛を鷲掴んだ軍医は、そのまま腕を持ち上げた。短い悲鳴を上げて痛みに顔をしかめるアーニーは否応なく立たされる。そのまま爪先立ちになって浮かされそうになった所で私は脇目も振らず飛び掛かっていた。


「やめてッ! 可愛いアーニーが禿げたらどうしてくれるのよ! 一休さんも似合わなくはないけどっ」

「は? 一休さん? 何だそれは?」


 怪訝にする軍医だったけど、体当たりしてくるとは思わなかったのかアーニーからパッと手を離して少し退がった。

 私は勢いのままにアーニーを両腕で抱き締めて、絶妙なアクションスタントみたいに靴の裏に摩擦の煙を立てて距離を取る。

 わおっ、自分でも予想外にカッコよく決まってびっくりだけど、無意識に私にしがみ付くアーニーもやや呆けていた。ああきっとこれでまたアーニー限定での私のヒーロー度が上がった気がするわ。


「リ、リズお姉さん凄いです! さすがですね!」


 ほらーやっぱりー。ドヤドヤ~。


「で、でしょ! まっかせて!」


 なんて豪語したけど、うん、ホントは落とした硬貨がたまたま立ったみたいな奇跡の確率でこうなった。でも真実は黙っておこう。


「ところで頭皮は大丈夫?」

「え? と、とう……?」


 一体何を心配されているのかわからなそうにアーニーは戸惑ったけど、私はアーニーの頭をよしよしと優しく撫でてあげた。


「痛いの痛いの飛んで毛~」


 ってああ毛は飛んだら駄目だわ。

 撫で撫でされてこの子ってば照れたようにはにかむから、こんな時なのに和む。アブないおねーさんが再臨しそう。

 だけど今は別の意味で危ないオジサマが近くにいるんだし、アーニーに現を抜かしていられない。

 それにしてもこの子ってば、店での時からそうだったけど、たったのこれしきのことでこんなに嬉しそうにしちゃって、普段からどれだけ愛に飢えてたのかしらね。

 私はアーニーを背に庇うようにして軍医と対峙する。


「先生には妹さんが居たんですか。もうお亡くなりになっていたとは、その、残念ですけども……」


 まあ軍医だって人の子なんだし兄弟姉妹が居ても全然おかしくない。

 ただ、殺されたなんて穏やかじゃない。

 しかも彼は何て言った?

 アーニーに殺されたって言ったわ。


「つまらない冗談はやめて下さい。この子が手を下せるとは到底思えないんですけど」

「いや、アーネスト・ソーンダイクが十四年前に殺したんだよ」

「は?」


 実は軍医は頭がおかしい人なの?

 だって十年以上も前の殺人にどうやって五、六歳のアーニーが関与するのよ。

 やっぱり単に同姓同名なだけじゃない。


「絶対それは人違いですよね。だって彼はまだ生まれてすらいなかったんですから」

「ああ、それは尤もな疑問だね」


 心底不審がっている私へと、彼はさも当然とばかりに頷いた。


「彼が見た目通りの年齢ならね。――魔法で今はその姿なんだとしたらどうかな?」

「魔法……で?」


 それは姿を変えているって意味よね。

 私は少しだけホッとした。てっきり支離滅裂なことを言ってるのかと思ったけど、頭がおかしいわけじゃないみたい。もしそうなら論理立てての建設的な話し合いなんて無理だもの。

 まあ私たちをこんな変わった場所に攫うなんて時点で心を相当病んでるのは確実だけど。


 彼の言うように、魔法と言われればその可能性は否定できない。


 冗談を言っているようにも見えない。

 だけど、このアーニーが?


「その根拠は?」


 私は怖がって首をまるで亀の子のように竦めているアーニーへとちょっと振り返って視線を落としてから、庇うように添えている手に力を込める。あたかもこの子の姿がちゃんとこの子の本当なんだって私自身に確認するように。


「本当は大人なのにわざわざ子供になってまんまと誘拐されるなんて、そんな間抜けな話……」


 ここまで言ってからそう言えばこの子は記憶が不完全なんだって思い出した。でもこの子は自分の歳と名前は覚えてるわ。


「ねえアーニー、お家の住所を覚えてる?」

「住所……ですか。詳しくはわかりません。でもソーンダイク家の大きなお屋敷です。ほとんど部屋から出たことはないですけど」

「そっか。でもこれで人違いかどうか確かめる方法が見つかったわ。ソーンダイク家の屋敷の所在地を調べて行ってみればいいのよ。そうすればきっと人違いだってすぐにわかるはず」


 軍医は失笑のようなものを浮かべた。


「その屋敷がこの墓所の上に建つ屋敷だよ。そもそもここはソーンダイク家の墓所なんだ」

「えっ、そうなの!? じゃあ余計に早く上に行ってご家族にアーニーのことを訊いてみれば一発じゃないですか!」

「この上が、お屋敷……?」


 アーニーは実家の真下だって聞かされたのに、ちっとも嬉しそうにしなかった。そう言えば前に家に帰りたくないって言っていたものね。

 急かす私へと、軍医は緩やかに首を横に振る。


「屋敷には誰もいない。放置……というより放棄か、そうされて久しい。今はもう廃墟みたいなものだね」

「えええ……? ってことはやっぱりアーニーは他のソーンダイクさん家の子供なんですよ」

「他の? ……マクガフィン家と関わりのあったアイリス嬢ともあろう者が、公爵家の常識も知らないのか?」


 軍医は不可解そうに私を見た。

 え……公爵家の常識って、何?

 下方からは「アイリス……?」とアーニーの不思議そうな声も聞こえた。ああまだ私は由緒正しい野暮っ子リズお姉さんだったっけね。後で本名を教えてあげないと。


「この国には二つとソーンダイク家は存在しない」

「あ、あー、そうだったかしら~? こんな窮地に陥った緊張からど忘れしていたみたいですわ~、ホホホ」


 へえ、そうなんだ。きっと元のアイリスだったら当然知っていただろうから、変に思われないよう誤魔化してみた。軍医は尚も不審そうにこっちを見てきたけど、ややあって「まあいい」とその話題を切り上げた。


「だからアーニーが先生の言うアーネスト・ソーンダイクって人本人で、復讐の相手だと決めつけたんですか?」

「そうだ」


 軍医は昏い目で私の背後から少し顔を覗かせるアーニーを見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る