106 二転三転の後に

「どうかしたのか?」


 三人は不思議そうに天井を険しい目で見据えるウィリアムを見やり、いち早く口を開いたマルスが代表するような形になった。

 ウィリアムは真面目と言うよりはやや警戒を滲ませた表情を崩さず、依然として上方へと向けていた目を細めた。


「近くで……この建物内で転送魔法が使われたようだ」

「魔法って誰が……」


 まさかアイリス嬢が、とマルスは誰にも聞こえない呟きを口の中に落とす。

 王都に来るのに使った魔法石に彼女が詳しそうだった点からして、もしかしたらと思ってはいたマルスだが、王都に来て得た情報からそうなのだと知った。

 アイリス・ローゼンバーグ嬢は魔法使いだと、彼女の人相書というか捜索手配書にそう書かれていたのだ。

 精霊も操ると記されていたが、あのイケてる炎の鳥がそうなのだと彼は確信している。


「けど、詰め所でどうして魔法なんて必要になるんだ?」

「おそらくは軍医先生だな。他にも幾つか掛け持つ担当区へは診察室奥に設置されている空間転移の魔法陣を用いるから、それだろう」

「凄いな。そんなものまであるのか」


 疑問の答えに素直に感心するマルスの純朴さに少し微笑んで案内の兵士も天井を見上げた。反対に天井から視線を下げたウィリアムは怪訝にする。


「軍医? 王都のそれと言うとマクスウェル卿か?」

「ええはい、そうです。彼をご存知なのですね」

「個人的な面識はないが、警備隊の基本的な配置を一通りは把握しているからな。ところで、彼は彼自身の属性の治癒系統以外の魔法も使えるのか?」


 魔法には術者が魔法具や魔法構造物を使うものと、術者本人の純粋な魔法力だけによるものがある。前者は転送魔法陣のように必要な魔力さえあれば誰でも発動できるものだが、後者は初歩的な類い以外は術者本人の属性に大きく左右される魔法となる。

 因みに通信石のような魔法具は前者だ。物によっては規定回数分の魔力が込められていて魔法使いではない者でも使える。ウィリアムが部下に持たせている物や貴族の家に設置されている物がそれに当たる。

 少し声の硬いウィリアムにマルスは気付いてか微かに眉を上げたが、兵士は普通に気付かず「そう聞いております」と変わらない調子で答える。


「……では、例えば精神魔法も?」


 話題の予想外の飛躍に、マルスがさっと顔色を変えてウィリアムを見やる。

 案内の兵士は困惑したような顔をした。


「生憎自分にはどの属性かまではわかりませんが、軍医先生を疑っておられるのですか?」

「身近にいる魔法使いをまず疑ってかかるべきだろう?」

「それはそうですが……」

「何にせよ、直接本人に確認はさせてもらう」


 厳しい目を向けられて兵士は納得行かなそうな顔をしつつも黙り込んだ。そこはやはりウィリアムとの身分の上下というものが大きく横たわっているのだろう。とりわけ軍人社会はそういう上下関係に厳しい。王子たるウィリアムとの関係もその延長だ。

 他方、マルスは少しでも話を聞こうと牢の兵士に目を向けた。


「あんたは、診察室で記憶が途切れているんだよな」

「そうだが……ちょっと待ってくれ。本当に軍医先生まで疑うのか? それこそない」


 こっちは会話相手がマルスだからだろう、自らの意見を咽元で留め置く様子はなかった。


「あの方は職務熱心だし、何より後々は爵位を継がれる方だ。そんな愚かな真似をするわけがない」

「……貴族だからって犯罪をしない保証はないだろ」


 マルスの声には思い込みへの警告のようなものがある。山賊だった彼は人間の結局の所を色々と見てきた。善悪が人間の地位にかかわらないのを知っている。一方世話になっている軍医を侮辱されたと感じたのか牢の兵士は語気を強めた。


「先生の実家は清廉な貴族で有名だ。マクスウェル家と言えば社交界じゃそうなんだよ」


 マルスが不愉快そうに目の光を消す。ウィリアムに仲裁する意図はないだろうが彼は会話を引き継いだ。


「確かに、マクスウェル家は貴族教育には定評があるな。伯爵夫人に行儀指導を頼む家も多いと聞いたことがある。そうは言っても軍医の息子がどういう人間かは知らない。最悪の予想の通りにはならないように願いたいものだ。あの家は幸運と不運に……とりわけ不運に見舞われた家だからな」


 最後の台詞は同情とも苦々しさともつかない独り言に近く、マルスも兵士達も少し怪訝にしたが、敢えてそれ以上問い掛けはしなかった。


「ところで、あんたはどうして魔法の気配なんてわかったんだ?」


 放たれる殺気ならわかるが、魔法使いでもないマルスには魔法のまの字の気配すらわからない。それはこの場の兵士達も同じだろう。

 マルスからの尤もな問いかけに、ウィリアムは彼を見据えて澄ました顔で口を開いた。


「ああ、それは、――俺だからだ」

「「「…………」」」


 それはもう何がどうしてそうなのかわからない程自信満々な断言だった。


「あー……そ」


 ややあって、そういうものかとマルスは納得した。兵士達も。

 実にその威風堂々とした佇まいから、彼らの誰もウィリアム・マクガフィンが魔法使いかもしれないなどとは考えもしなかった。ウィリアム様だからだと納得した。これぞ何様俺様ウィリアム様オーラのいい作用例かもしれなかった。


「念のため、一度診察室まで行くぞ」


 彼の命令には有無を言わせない圧があり、マルスと案内の兵士はそこは素直に従った。

 話は後でも聞けると牢の中の兵士はそのままに、ついさっき三人で下りた石の階段を上って行く。

 マルスとしては魔法云々はそこまで気にはならなかったものの、正直地上階に戻りたかった。

 アイリスが遅いので、何かあったのではと心配していたのだ。

 会話もなく地上階に上がって診察室を目指す。

 マルスはひと気はないが明るい廊下を進みながら、徐々に不安が増していくのを感じていた。

 アイリスがこちらへ向かっているとすれば、もう廊下の向こうに姿が見えていてもおかしくはないのだ。しかし未だ姿は見えない。


「腹を壊してたようには見えなかったけど……」


 悩んだように小さく独り言ち、思案のために自然足取りが遅くなったマルスを最後尾に、診察室前まで到着する。

 マルスとは裏腹で歩調が次第に急くように速まっていたウィリアムが、鍵の掛かっていない扉を開けてさっさと最初に入室した。

 次に兵士が、二人に続いてマルスも。

 手分けするように室内を隈なく見て回り、奥の備品倉庫室を開けて中を覗いたものの、診察室内は勿論、備品室には棚の他は魔法陣が敷かれているらしい空間があるだけで誰の姿も見当たらない。


「……この部屋から軍医と、他に誰かがどこかへと飛んだのか?」

「どうしてそう思う?」


 魔法陣のある倉庫から出てきて難しい顔になるウィリアムにマルスが問えば、ウィリアムは端的な答えを示した。


「この短時間のうちに、転送魔法は三度使われた」

「三回も?」

「急ぎの薬でも取りに来たんでしょうか?」

「さてな。だが彼一人で三度となると、ここに戻ってまたどこかへと行ってまた戻ってくるという計算になるが、ここに軍医は居ない。不可解だ」

「あんたの察知感覚が間違っていたってことは――」

「――ない」

「……。じゃあここからどこかに行って戻ってまた行ったってことか?」

「確かに一番初めに歩いてこの部屋に戻ってきてそうしたという可能性もあるだろうが、そこはロビーに行って確認すればすぐにわかる」


 ウィリアムの言葉に、案内の兵士が「では早速確認を取って参ります」と急いで出て行った。程なく戻ってきた彼から軍医の出入りはなかったと報告を受ける。


 故に、行って戻ってまた行ってで三回の可能性は消えた。


 戻って行って戻ってという不自然な可能性も排除するなら、残るは第三者がここからどこかへと行った一回が含まれている。そうすれば軍医がどこかから戻ってきてまたどこかへ行ってを足して三回だ。


 そしてそう考えるのが一番妥当だった。

 三人はこの後女子トイレを捜したがアイリスの姿は見当たらず、彼女はこの建物のどこにもおらず忽然と姿を消していた。当然彼女がロビーを通った形跡もなかった。


「仮にここの転送魔法陣を使ったとして、俺たちに何も告げずに姿を消すのはどう考えてもおかしい」

「ああ。たぶん想定外が起きたんだ。目を離すんじゃなかった」


 ロビーで歯噛みするウィリアムとマルスの元に、行方を追っていたもう一人を発見し交戦中との連絡が入ったのは、直後の事だ。

 二人は急遽現場に駆け付けるも、そこでは何と魔法戦が展開されていた。

 現場は王都外れの廃屋で、魔法で攻撃を仕掛けてくる相手にウィリアムもマルスも軍医への疑いを一時的に薄れさせた。

 それこそ真犯人の時間稼ぎ、術中にはまっているとも知らずに。

 戦闘は早々に終了した。

 戦うとなると厄介な魔法使い相手に早期決着が出来たのは、バレないよう密かにウィリアムが魔法で手を下したからだ。


 そして、犯人は確保された。


 これで事件は終息する……かに思われた。


 しかし、ウィリアムもマルスもまだ解決しないのだと悟った。


 縛られそれでも飛びかかろうとする、まるで理性のない野生の獣のような状態を目の当たりにして、自分達がまんまと引っ掛かったのだと勘付いたのだ。

 連続した魔法攻撃が止み、戦闘が終わって落ち着いて周囲を探ってみれば、ウィリアムの、魔法使いの目では一目瞭然だった。


 この場所が囮だと。


「くそっ、放たれた魔法の数々はあらかじめセットされていたものだ。それをこの男が導火線に火を点けるように発動のトリガーを引く役目を担っていた、そんな所だろう」


 ウィリアムの言葉通り、魔法使いではない兵士の身には魔法の発動を促す術具が仕込まれていた。

 そして言うまでもなく、魔法で操られていた。

 侵入者を全力で撃退するように命令でもされていたに違いない。

 喚いて五月蠅いのでウィリアムは彼を昏倒させた。そしてもう一人と同様に牢屋に入れておくように命じたのだった。


 アイリスが戻っているかもしれないと一縷の望みを抱き一旦詰め所に戻ったウィリアムとマルスだが、彼女の姿はなかった。


 可能性は低いが、もしかしたら何か情報を得て時間がないからと密かに一人で出て行ったのかもしれないと考えもしていたのだ。

 しかしそう甘くはないようだった。


「アイリスは連れ去られたと見て間違いない」


 ゴッ、と鈍い音を立て、ウィリアムは素手で詰め所外の壁を殴った。

 荒い石の表面で皮膚が浅く裂け幾つかの関節部分から血が滲み、壁に押し付けられた傷口から赤いそれらが壁を伝って垂れていく。

 自己嫌悪に自棄になる彼はこんな怪我などどうでもいいと思っていたが、思わぬ窘めが入った。

 傍にいたマルスだ。


「おい、そんなことしても無駄に痛いだけだ。それに、アイリス嬢が見たら心配する」


 マルスはマルスで拳を握り締めているが、彼は荒れる心情を自傷へは転嫁しない。

 時に不衛生な環境下に置かれる山賊生活は小さな傷でも細菌感染のリスクがあり、命取りになるからだ。治癒魔法も使えない彼なら当然の我慢だった。

 暗に少し落ち着けと言われ、しかも年下の少年から呆れられ、ウィリアムはちょっとバツの悪い思いに陥った。

 思考が冷え、ゆっくりと壁から手を離し脇に下ろす。


「……一番怪しい軍医が現在どこにいるのかもわからないとなると、手詰まりだ」

「あんたはやっぱり軍医が怪しいと思うのか?」

「今俺の得ている情報から消去法で考えて彼しか残らないからだ」

「だとすれば、アーニーも一緒だよな」


 ここでマルスは何かを思い出したようにウィリアムへと目をやった。


「アーニーと言えば……そう言えばアイリス嬢がここに来る途中の馬車で、この状況下だからって彼について教えてくれたことがある」

「何だ?」


「――アーニーは、ソーンダイクって家の子供らしい」


「何だって……?」


 ウィリアムが大きく青灰の目を見開いた。

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