105 詰め所の地下牢にて
そんなわけで復讐に燃える男だったが、中々その最良の方法が思い付かないまま徒に月日が流れた。
自らの力量を的確に把握した上で、相手が警戒に警戒を重ねてもまだ足りないだろう強者だと知覚しているからこそ、慎重になっていた感はある。
突破口が掴めずに苛立ちが募るだけだったそんなある日、彼は王都の広場でとある令嬢の処刑が行われようとしていた現場に出向いていた。
正直な所、彼は公開処刑には否定的だ。
しかし上の決定に口は出せない。
広場に足を運んだのも、興味本位で見に来て具合の悪くなる者が出るだろうと予測した上からの指示だった。得てして人は結果を考えもせずに衝動だけで行動してしまう愚かな面があるのだ。彼だって仕事でなければわざわざ見に来たりはしない。
しかしこの日の職務は予想外に彼の行き詰まった事態に好転の兆しを与えた。
何やらひと悶着あってその様子を見ていたのだが、彼は処刑予定の令嬢の血が特別だと気付いたのだ。
かねてから世界にはそのような稀なる血があるのだとは知っていた。
彼女の魔法の血、それがあれば一時的にとは言え飛躍的に魔法力を高められる。故に処刑台に落ちて乾いていた血でも何かの役に立つかもしれないとそこは然して期待もせず回収したのだが……それは間違いで、乾いた物でもとんでもなく魔法的な効果があった。ただそれは魔法使いの魔力に反応するので、そのような場になければ、或いは魔法使いでもない者には無価値で無害な代物だ。
しかしある種の者……男のような者にとって彼女の血は、一滴が千金に値すると言っても過言ではない。
きっとこの時からだ。
少しずつズレてはいたが、男が魔法の徒として大きく道を踏み外したのは……。
男も行方をくらませたその令嬢を捜したものの一向に見つからず、業を煮やしてとうとう令嬢と同じような特徴の若い娘の血を抜き取っては試すと言う暴挙に走った。自分でもよくわからないが焦っていた。早く手に入れなければ誰かに、それこそ憎き相手に見つけられてしまうと感じていたのかもしれない。
彼は令嬢の変装も視野に入れていたのだが、相手は腐っても生粋の貴族令嬢、つまりはお嬢様だ。どうせ少し調べればすぐにわかるような拙い変装だろうと高を括っていた。だからこそ、狙った娘達は茶色い髪の毛と紫っぽい色の瞳の持ち主達だったのだ。
奇跡的に彼女の他にも稀な血を持つ相手がいるかもしれないと期待もあった。
被害者が平民しかいなかったのは、素姓の確かな貴族令嬢たちは標的になり得なかったからだ
まあ結局、そんな気休めをやらかしてみても求める血には行きつかなかったが。
そんな状況の中、獲物襲撃の場に不意に何者かが現れ、護身のためにも令嬢の血も使って魔法を放ったのだが、使うつもり以上の血が反応して魔法が暴走してしまった。
制御が利かなくなり恐ろしくなって一度は退散したものの、通報を受け軍医としてその場に何食わぬ顔で戻った。
そこにいた小さな少年を見た時は、内心凄く驚いたものだった。
あの時は相手の人相すらわからなかったし、少年などいなかった。それでも魔法使いのローブという服装が一致していたので無関係ではないのかもしれないと思ってはいた。
気になったのは、少年の特徴や顔立ちがソーンダイク家の現当主に良く似ていた点だ。
詳しく述べれば、捨て置かれた公爵邸で男がかつて見掛けた肖像画の中の現当主と瓜二つだった。
絵の方は十一、二歳と現れた少年よりは年上だったが、まるで絵の中の時が巻き戻ったようにしか見えなかった。
一時的にザックの店に引き取られた少年を男が見張るようになったのは当然と言える。
最初はとても信じ難かったが、彼とて魔法の妙の全てを知っているわけではない。彼自身もそこは自覚している。魔法という分野は医学同様に広く、未知なる所もあり、そしてその全てにおいて奥が深いのだ。到底その仕組みや構造を一度の人生で網羅できるものではない。
魔法により時間が巻き戻ったような驚くべき事態も決して否定はできない。
もしも、魔法暴走の何らかの作用によって容姿が逆行したのなら、少年は間違いなく妹の仇だ。
記憶がないというのも魔法のせいと考えれば合点がいく。
ただし万一人違いという可能性もある。無関係の人間を害す気はないので慎重を期し、だから十中八九そうだと思いつつも今日まで見極め切れずにズルズルと日を伸ばしてしまったのだ。
監視の中、目当ての令嬢と思しき少女を見つけたのは幸運だったが、ここに来て余計な介入をされると厄介な相手――ウィリアム・マクガフィンが登場した。
彼の出現で令嬢の正体は逆に定まったものの、少年の方は最後まで完全には確証を得られないままに攫わざるを得なかったのは痛い。
だがしかし、とにもかくにも既に復讐の舞台は整っている。
そこで真か偽か、少年の正体を暴くのも悪くはない。
捨て置かれた公爵邸に侵入して魔法的な細工をするのは実に簡単だった。
大貴族の邸宅というわけで庭自体がとんでもなく広く、周囲には民家一つない。
大がかりな魔法を準備しようと、誰に見咎められも気付かれもしなかった。
「愛しい妹よ……きっと今日お前の仇を取るよ」
地下墓所へと繋げた転送魔法陣の光が消えた備品倉庫内、軍医の男マクスウェルはどこか歪な果物が腐るような醜悪さを漂わせながら、うっそりとそう呟いた。
「おい、気分はどうだ? 自分の状況がわかるか?」
「……あ、ああ、何とか。ここは……詰め所の牢屋か?」
「そうだ」
案内され到着した詰め所地下の牢屋前。
そこに立って見下ろすウィリアムに問われ、襲撃犯の一人の王都警備兵は幾分まだぼんやりしているのだろう頭を何度か振りつつ、自身の正気を取り戻そうとしていた。
無論実行犯の彼を牢からは出さず、口頭で尋問という形式を取っている。
「自分が何をしたか理解しているか?」
「自分が……何を……」
必死に思い出そうとしているのか、兵士は緩慢に自身の額に手を当て眉間を寄せる。
「何か、とても嫌な気分だったのは覚えているが、どうして俺はこんな場所に?」
演技のようには見えず、ウィリアムは腕を組むと一つ溜息を吐き落とした。
「魔法を掛けられていた間のことは覚えていないようだな」
「魔法? 一体何のことだ?」
「あんたは魔法で操られて、ザックを襲って怪我を負わせたんだ」
今度はマルスが鉄格子を挟み男の前にしゃがみ込む。
「なっ……お、俺がザックさんを!?」
「幸い命に別条はないそうだ」
マルスからそう聞いて心底愕然としていた兵士はホッとした様子を見せた。やはりこれも演技ではなさそうなので、彼は自ら進んでやったわけではないのだろう。
ウィリアムが一歩鉄格子に近付いた。
「どこまで記憶があるか話せ」
最初から超上からな言動を見せる見目麗しい金髪の青年に、牢の中の兵士はやや不愉快な色を滲ませて怪訝に見上げていたが、どこかで見たような気はしていたようで、暫ししてやっと正体に思い至ったのかハッとして急に姿勢を正すと床に正座した。
「な、なあ、まさかこの方は……?」
直接本人に確認するのは恐れ多いのか、牢の外の同僚へと彼は恐縮したような目を向ける。同僚からしかと頷かれると「どどどうしてここに王子殿下が!?」ととても動揺した。
「聞こえなかったのか? どこまで覚えている?」
相手の態度などお構いなしなウィリアムから冷淡な声で問われ、彼より七、八歳は年上だろう兵士はビクリと肩を強張らせた。
「……あんた何か怖がられてるな」
「……ふん」
マルスから不可解そうな目を向けられて、巷では美形だが決して優しくない王子として知られる彼は鼻を鳴らした。
「それで相手が正直に証言してくれるのなら願ったりだ」
ウィリアム・マクガフィン、彼はただ一人以外に優しくしてやる気はないのだ。
「お、覚えているのは、今日詰め所に戻ってから、喧嘩の仲裁で負った擦り傷を手当てしに医務室に行った所までです。誰もいなかったので自分で適当に消毒液を棚から取り出して、そこで何故か急に意識が遠くなって……あとはこの通り、ここで目が覚めました」
早く何かを言わなければウィリアムの勘気を被るとでも思ったのか、兵士は焦ったように早口になる。
「医務室?」
「軍医の診察室のことか?」
マルスが疑問を口にし、ウィリアムが兵士に確認する。
「あ、はいそうです」
牢の憐れな囚人は頷きを交えて肯定した。
「もう一つ訊くが、お前の相棒の行方を知っているか?」
「相棒ですか? あいつなら非番の日は大抵家にいるかと。まさかあいつも何かやらかしたんですか?」
「あんたと一緒にザックの店に押し入って、アーニーを攫ったと思われる」
「なッ!? そんなまさか!?」
苦々しい様子のマルスへと兵士は仰天し、無自覚にだろうが有り得ない報せを聞いた人のように首をゆるゆると左右に振った。
「更に言えば、あんたに魔法を掛けたかもしれない相手がその相棒だ」
「子供を一人誘拐して、すぐに足の付く自宅に戻るとは思えない。一応はそこも捜索には行かせたが、今後のためにもどこか潜伏しそうな場所に心当たりがあれば正直に話すんだ」
庇い立ては誰のためにもならないと暗に臭わせてのウィリアムの言葉に、兵士は次は自分の意思で首を横に振りながら「自宅以外は、特にはありません」と返した。
「で、でも本当にあいつなんですか? 俺に魔法を? あいつが魔法を使えるだなんて今まで一度だって聞いたためしはありません。それに誰かに酷いことをさせる人間じゃありません、俺が
逆に懸命な眼差しで乞われ、ウィリアムもマルスもしばし黙った。
二人としてもまさかこんな熱い反応をぶつけられるとは思ってもみなかったのだ。ウィリアムは感心していたが、マルスは環境的に年の近しい友人が皆無だったが故に友情パワーを羨ましそうにした。
「その、私からもお願いします。私の知るあいつも悪い奴じゃありません。もしかしたら彼も魔法を掛けられていた可能性はないんですか?」
案内の兵士までが容疑者兵士の肩を持ち、彼から齎されたとある可能性にウィリアムとマルスは顔を見合わせた。
「それは、直接本人を見てみないことには断言できないが、そういう可能性もあるな」
明るい白昼堂々に襲撃するというのは大勢に姿を見られるリスクが高い。
どうして夜にしなかったのか、今まで機会ならいくらでもあったはずだ。そんな急ぐような真似をした理由が何かあるはずだ。
「確かにそうだ。アーニーを誘拐した動機も不明だし」
マルスが悩んだように唸る。
「アーニーは記憶喪失だ。もしも何か可能性があるとすれば、吸血犯を目撃したかもしれないって点だけだろうな」
「記憶喪失?」
意外そうに呟いた直後、ウィリアムは突如ハッとして顔を天井へと、つまりは地上階へと向けた。
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