107 見えてきた真相

 もう貴族たちの中では話題にも上らず、若い貴族たちに至っては知らない者が多いが、かつてソーンダイク家に嫁いだ娘の実家がマクスウェル家だとウィリアムは知っている。


 たまたまではない。

 三大公爵家の一員である彼には、その他の貴族たちよりも多くの情報を得る機会があるし、自分たちの家門と同等の立ち位置にあるのソーンダイク家の特異性故に、あの家の情報は一つでも多くを知っておくべきだと教えられてきたからだ。


 そういうわけで、ソーンダイクとマクスウェル、この二家の符合が彼の心に不穏な影を齎さずにはいられない。


 そして、ソーンダイク家を知っているがために、彼の中ではまだ見ぬアーニーと言う少年への疑問が膨れ上がってもいた。


「……それは、本当にアイリスがそう言ったのか? ソーンダイクと?」


 単なるウィリアムの確認行為と受け取ったマルスは、特に不審がるでもなく首肯する。


「ああ。実はアーニーはそこだけは覚えていたみたいだ。ソーンダイクって確かどこかの偉い貴族の名前だよな」

「この国を支える柱、三大公爵家の一つだ」

「三大公爵家……。あんたもそうらしいけど、アーニーも凄い所のお坊ちゃんなのか。まさか金目当ての誘拐か……?」

「それはどうだろうな」


 マルスが閃いたように推理するも、ウィリアムの反応は芳しくない。

 見当外れと言われたようでマルスはちょっと不満そうにした。

 そして実際、ウィリアムの次の言葉はマルスの推測を否定するものだった。


「アイリスがそう言ったんだとしても、その子供がソーンダイクというのは、普通に考えて有り得ない」

「じゃあアイリス嬢が嘘を言ったって言うのか?」


 アイリスを貶されたようで益々気を悪くしたマルスへと、どうしてお前が不機嫌になるんだと面白くなく思いながら、ウィリアムは小さく首を左右に振った。


「そうじゃない」

「……言っておくけど、アーニーだって嘘をつくような性格はしてない。それよりも、どうして有り得ないんだ? 本家筋じゃなく、分家筋か何かなのか?」

「……それもない。あの家に分家は存在しないからな。直系一本だ」

「じゃあたまたま高貴な家と同じ名前の庶民だったとか?」

「……それもない。三大公爵家以外の貴族は血筋と関係のない同名の家があることもあるようだが、公爵家はそれを厳しく制限されているから一門と関係のない所での同名はないな。まあうちはソーンダイク家と違って分家はあるが」

「そうなのか」


 マルスの相槌を最後にウィリアムは一度黙り込んだ。

 自らの思考に没頭するように表情を真剣にしたウィリアムを、マルスは訝しんで見つめる。


 何故ならウィリアムの否定には矛盾がある。


 本家でも親戚でも庶民でもないなら何に当てはまるのか?


 何にも当てはまらない。


 よってこの議論は破綻する。


「やっぱりあんたはアーニーが嘘を言った可能性を疑っているのか……?」

「いや、それもない。ソーンダイクを騙れば、遅かれ早かれあの家かそれに連なる人間に始末される。それにあの家には魔法的な制約が掛けられているから、本来は他者に、この場合はアイリスに騙った時点でその子供には何らかの異常が生じたはずだ」

「……魔法的制約って、何か凄く恐ろしい家だな。でも見る限りアーニーはずっと普通に生活していた」

「どうも話を聞くにそのようだな。だから解せない。現当主に子供がいるという話は聞いたことがない以上、彼の子という可能性も低い。隠し子の線もあるが、俺の知る限りソーンダイクの当代はそういう性格には思えない。先代も病のせいで幼稚園、いや幼児年齢の子を成すのは無理だっただろうしな」


 だから、不可解なのだとウィリアムは無意識に自身の顎に手を当てる。思考する時のちょっとした仕種だ。

 一方のマルスは謎かけにも似た会話にもどかしさを感じているようで、整理出来ない雑多な気分を紛らわせるように、腰に手を当てた。


「だったらアーニーは、一体誰なんだ?」

「アーニー、か。愛称だな」

「ああ。本名はアーネストだ」


 ウィリアムは一つ、溜息のようなものを吐き出した。


「やはりそうか。アーネスト・ソーンダイク……現当主と同じ名だ」

「そうなのか? 凄い偶然だな」

「ああ、本当にな」


 ウィリアムは前代未聞、荒唐無稽な話でも聞いた後のように眉間を深め、低い声で先を紡いだ。


「もしも少年の名乗りが真実なら、むしろその少年が現当主本人かもしれない」


「……は?」


 マルスは一時何を言われているのか理解できなかった。


「あんた相当疲れてないか? その当主の正確な齢は知らないけど、少なくとも五、六歳ってことはないだろ。こんな時に悪ふざけなんてするなよ。本人だなんて冗談、誰が信じるんだ」

「俺だって自分の考えには半信半疑だ。しかし犯人があの軍医だとすれば、マクスウェル家、ソーンダイク家、そして居なくなったアーネストという少年の名前が一致し過ぎているんだよ。その上で大人が子供になった理由があると考えるのが妥当だ。記憶喪失というのがその弊害だとも考えられる」

「一致だとかよくわからないけど……百歩譲ってアーニーは関係者だとする。でもじゃあ、アイリス嬢まで連れて行く理由は何だ? もしかして神殿が彼女を聖女認定したせいか?」

「まあ、彼女の体質のせいではあるだろうな」


 どこから情報を仕入れたのか、神殿はアイリス・ローゼンバーグ伯爵令嬢を優れた魔法使いとして認め、何と聖女の称号を与えたのだ。

 その裏には、彼女の血の秘密が神殿側に漏れていたという宜しくない事情がある。

 聖女認定の時期はアイリスの公開処刑の直前で、逸早くそれ知ったウィリアムが処刑回避のためにその決定書を携え現場へと急行し、死刑執行人のザックへと渡したおかげで公式に処刑が取りやめとなったのだが、当のアイリス本人はその旨を新たに記された捜索手配書を見ようとしなかったので、今に至るまで終ぞ自分の身の上に起きている変化を知らないでいた。


 きっと軍医は彼女の魔法の血を狙っているのだろうとウィリアムは確信している。


 公開処刑の場で彼女が自身の血で魔法を発動させた光景を見て、知識の深い魔法使いならばそれが何を意味するのか理解できたはずだ。

 この王都で吸血事件が起き始めた時期は彼女の失踪よりも後だ。時期的なものからしても無関係ではないだろう。

 そしてその延長上に今日の襲撃と誘拐がある。

 既に、ウィリアムの頭の中には緻密な相関図が構築されていた。


「――マルス、ここを離れるぞ」


 ウィリアムは傍に立つマルスを一瞥すると体の向きを反転させて歩き出す。

 早足で詰め所の敷地を出て行こうとするウィリアムへと、当然ながらマルスは困惑した。


「おい、いきなり何なんだ」


 説明も何もなしに言うだけ言って行動を開始するワンマンさに不服そうなマルスが追い付くも、ウィリアムはもう一瞥すらしない。周囲の人の流れを観察するようにして視線を滑らせ進んでいく。


「どの道、アイリスはここにはいない。いつまでもここにいるだけ時間の無駄だ。診察室の魔法陣からでは、どこに飛んだかまではわからないしな」


 もう詰め所に用はないとウィリアムは判断していた。

 そしてこれ以上詰め所で無関係な者に話を聞かれることを嫌ったのだ。

 ただ、マルスは仕方がないと、彼はそう思ってもいた。

 必要最低限の説明をしてやった辺り、ウィリアムにとってマルスはまだ扱いを決めかねている対象でもあった。

 だからこそやりにくい。


「そうだとしても、実行犯の兵士たちから話を聞かなくていいのか?」

「聞いた所で役に立たない。彼らは最初から時間稼ぎに使われただけだ」

「そうなのか……って、おいあんた一体どこに行くんだよ。馬車はこっちだぞ」


 てっきり路上に待機させておいた馬車に乗り込むものと思っていたマルスだが、ウィリアムは全く見向きもせずに通り過ぎ、近くの細い路地を曲がった。


「おい、行き先くらい教え――」


 苛立ったマルスがウィリアムに続いて角を曲がった刹那、予告なく腕を掴まれたかと思いきや、視界が眩しさに染まった。





 アイリスと一緒に山奥から王都へと飛んだ時の感覚に酷似していて、魔法の光なのだろうとマルスは即座に認識した。


 おそらく実際の移動時間は極々短かったのだろうが、あたかもしばらく放心した後のような気分で我に返った時には、どことも知れない屋敷の前に立っていた。


 どこの街でも見掛けるような全体が茶色の煉瓦造りで、煉瓦を接ぐモルタルの色も珍しくもない白系統だ。屋根部屋を一つの階と含めれば五階建ての屋敷で、王都でもその高さの建物はよくある。

 ただいきなり目の前に現れ、しかも建物との距離が近かったせいか、グンと眼前に迫る壁のようだとマルスは一瞬の錯覚を覚えた。

 ちょっと気圧されつつも視線を巡らせれば、前方には屋敷玄関へと一人で歩いて行くウィリアムの背中がある。


「おい待て、ここはどこだ!」


 追い付けば、五月蠅いとでも言いた気な目でウィリアムが肩越しに視線を寄越した。


「ソーンダイク家のタウンハウスだ」

「タウンハウス? ならまだ王都か」


 マルスはどこか帰るのに時間の掛かる遠い地ではなかったのに些かホッとした。とは言え心情的にはまだまだ安心など出来るわけもなかったが。

 アイリスとアーニーの無事を確認するまではそんな心地とは程遠い。

 ウィリアムの後に続きながら、王都内に大きな屋敷を持つなどさすがは大貴族だと感心した。


「ところであんた、魔法を使えるんだな」

「ああ、使える」


 マルスとしてはウィリアムが魔法具を使った可能性も考えたが、彼は潔い程にあっさり肯定した。


「ふん、そうか」


 つくづく自分の周囲はそういう不思議を駆使できる人間がいるなとマルスは少しの羨望を抱いた。そういうものが使えた方が緊急時に取れる手数は増えるのだ。


「けどまあ、僕は僕だ。精進あるのみ」


 腰に挿した長剣の柄先を握り締め、小さな呟きを落とす。

 聞き止めたウィリアムが怪訝な視線を送ってきたが、マルスはしっかりと前を向いて歩いた。

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