103 現れた馬脚
傷付いた者を時に安心させる柔和な笑み。
「び、びっくりするじゃないですか先生~っ」
私の目の前に居るのは間違いなく、予想通りの軍医のオジサマだった。
なまじホラーな展開同然の登場に息を呑んでいた私は、大きく息を吸って吐いてちょっと責めるように言ってしまった。
おっ魂消て腰を抜かさなくて良かった~。
勿論、取り乱して逃げ出したりはしなかった。
心臓は相手に音が聞こえそうなくらいにバクバクしているし、握り締めた手の中とか背中とかが緊張に嫌な汗で湿るけど、何とか表情だけは取り繕う。
推測による先入観もあって今や王都警備隊の黒い制服が妙に似合って見える軍医のオジサマ……いえうん今はそんな風におふざけしてらんないわよね……ってわけで、改めて、壮年のザックより少し年下っぽいベテラン軍医の男性マクスウェルは、無断でここに入った私を怒るでもなくにこやかに目尻を下げている。
逆にそれが怖い。
それに加えて、視界に入っていた通路への扉は開いたりはしなかったので、こっそり出てきたとしても奥の備品室からだ。角度的にちょうど死角だった。現に奥の扉は細く開いていた。
けれども備品室が外部と繋がっているようには思えない。仮にそうなら備品室へは魔法で移動してきたとしか思えないから、やっぱり魔法使いなのかって確信が強まった。
「いやいや驚かせてしまって済まないね。ところでそれは?」
握り込んだ手の中からだらりと両端の部分が出ていたのに気付いたのか、それとも私がゴミ箱から拾ったのを密かに見ていたからなのか、先の問い掛けをなかったかのように彼は私の手にある黒リボンを示した。
でもそれはって訊いてくるわざとらしさがこの男の本性の歪みを表しているわよね。
だってこれが何かこの人は全部わかっているんじゃないの?
私の推理ミスだった?
……ううんそうは思わない。
「ええと、ここで見つけて、捨てるのは勿体ないな~と。もらっても構いませんか?」
努めて平静を装う。
「ああ、けれどゴミ箱の物だし少々汚れているかもしれないよ?」
「全っ然構いません」
はーッ!? 失礼ね! これは私がアーニーにあげたのよ。この人はそこまでは知らないんだろうけど、でも汚いとか、腹立つ~っ。
思いのほかきっぱり答えた私を軍医マクスウェルは瞬きの中にやや意外そうな色を宿して見つめる。けれどすぐにそれは去った。
「まあそれならいいけれど」
「ありがとうございます。あと、勝手に入ってすみませんでした」
ぺこりとお辞儀をした私は、何とか診察室を出てウィリアム達の所へ行かないとって思っていた。
だけど気持ちの一側面では「あなたがアーニーを攫ったの?」って問いたくも思う。
けど、問い掛けてしまったらお終いなような気がした。
このまま何事もなく薄ら寒い薄っぺらい日常会話を終えてここを辞すべきだ、と私の中の理性的な部分が叫んでいる。
反面、感情的な部分では彼は本当に黒幕なのか、或いは吸血犯なのかを問い質して、もしも真犯人なら魔法でも何でも使ってアーニーの居場所を吐かせてしまえ、と過激に訴えてくる自分がいる。
ただ、相手の手の内が見えない以上、私一人で対決するのは得策とは言えない。
だってこの建物内には心強い味方達がいるのよ。
そんなわけでここは一時撤退と、長居は禁物とばかりにさりげなく軍医から少し距離を取って横を通り過ぎようとした。
「――折角ここに来たのに、そのリボンの持ち主に会わないで行くのかい?」
静かな診察室内で、決して大声を出されたわけじゃないのに、軍医の声はまるでスピーカーから突如発生した大音量を浴びた時のように全身に衝撃的に響いた。
一瞬、動揺と驚きと怒りとその他何かよくわからない逼迫した感情達が胸から咽を競い上がってきて気道を圧迫したように息が詰まった。
反射的に足を止めていた私は、ゆっくりと爪先を彼に合わせて正面から対峙する形を取る。
「……アーニーはどこですか?」
相手の言いようから最早下手な演技や小細工なんて無駄と判断し、私も直球を投げ付ける。
「叫ばないとは賢明だね」
私だって叫んで事なきを得られるならそうするわ。
本音じゃただちに駆け出して助けを呼びに行きたい。
でも彼はどうやら勘付いた私をこの場から逃がしてくれるつもりはなさそうなんだもの。
でなきゃ挑発してくるような台詞をわざわざ吐かないでしょ。
それに、一度ここを出てこの機を逃したら、アーニーに二度と会えないような気がした。
だから女は度胸って決心して向き合ったってわけ。
「マクスウェル先生、アーニーはどこにいるんですか?」
中々答えてくれないからもう一度同じ問いをする。
声が震えないように、努めて一呼吸一呼吸を長くそして深く心がけて。
じっと焦りを押し殺して待っていると、軍医は視線を動かした。
この診察室と扉一枚を隔てた奥の備品室へ。
まさかそこなの?
「今日あの子はずっとあの部屋にいたんだよ。まあ騒がないように薬で眠ってもらってはいたけれど」
何ですって?
じゃあ私は一度目にここに来た時、すぐ近くにアーニーがいたのに気付かないまま帰っちゃったのね、まんまと……。
自分の間抜けさに歯噛みする。あとこの目の前の男の性格の悪さにも。
アーネストとはまた違った性悪男だわこいつ……!
でも魔法じゃなくて薬で眠らせているのねってちょっと意外に思った。
魔法は消耗するからなのか、それともアーニーに魔法を掛けると何か不都合があるからなのかはわからない。
「眠らせる以外であの子に酷いことはしてないでしょうね?」
「安心してくれていい。大事な実験体を損なうような真似はしないさ」
……実験体? 人間をモルモット扱いってどうなのよ。
文句と疑問はあったけど、とにもかくにもまずはアーニーの姿をこの目で直接確認したかった。
「向こうにいるんですね? 嘘じゃないんですね?」
猜疑心を隠さずにいれば、彼は歩いて行って備品室の扉をすっかり開けた。
「疑うなら、あなたの目で確かめるといい。止めはしない」
「……」
いやーどう見ても罠の可能性が高いでしょ。
「心配しなくとも、あなたをこの部屋に閉じ込めたりはしないよ」
やれやれと言った風情の笑い含んだ声で言われてちょっとカチンときたけど、次の台詞に凍った。
「――アイリス・ローゼンバーグ嬢」
な、な、な……?
野暮ったい前髪の奥で両目を大きく見開いて、私は軍医先生を凝視する。
どうして彼が私の素姓を知っているの?
いつ、どこで、どうやってバレた?
たしかに処刑どころには食事だったり報告だったりと、彼はたまに顔を見せていたけど、露見する要因に思い当たらない。
「し……知ってたのに、どうして罪人の私を突き出さないんですか?」
彼は曲がりなりにもこの王都の治安を護るべく軍関係者だ。
それなのに私をのうのうとさせておくなんてどうかしている。情報を秘匿していたとかで軍紀違反で逆にこの人自身が危うい立場に追い込まれる可能性だってあるのに。
「罪人?」
「あ、言っておきますけど、私は自分で自分を罪人だなんて思ってませんから。ですけど、国家転覆だかの容疑を掛けられている逃亡犯って世間では思われているみたいなので、敢えてそう言ったまでです」
律儀に訂正を入れてやれば、キョトンとしていた彼は何が可笑しいのか突然笑い出した。
「あなたはもしやきちんと自分の手配書を見ていないのかい?」
「中身のわかり切った紙キレを見る必要があります?」
憮然として言い返せば、どこか優しいお医者さん的な笑い声を立てながらもその目には冷たいものを浮かべた。
「まあ、今更見た所で、これからのあなたにはそんな内容など大して関係ないだろうけれどね」
……どういう意味?
手配書の内容はともかく、何が含意のある彼の台詞に不穏な気配を感じる。
だけど、みすみすアーニーを残してここから逃げ出すわけにはいかない。
かくなる上は不死鳥を
「さあ、早い所彼の無事な姿を確認しなくていいのかい?」
下手な動きを見せれば逆上されてアーニーが危険に晒されるかもしれないから、魔法にしろ精霊にしろ何らかのアクションを起こす前にアーニーの傍に行かないと、彼を護れない。
どのタイミングが適切かなんてそんな事を考えながら、あからさまな促しに私は虎穴に入る決意をした。
真犯人のすぐ近くを通るのに躊躇を覚えていると、私の警戒を察してか、彼は二歩三歩と部屋の入り口から退いた。
きっと距離を開けていても余裕なんだろうとは思う。
何しろ向こうは精神魔法を使えるんだもの。
でもこっちだって王都警備兵の二人みたいに簡単には魔法に掛からないよう気を張っているし、アーニーの無事を確認したら即座にここをトンズラしてやるんだから。
そう意気込んで備品室に足を踏み入れた。
四方に薬品などの収められた棚が並ぶ狭い部屋の中央に、本当にアーニーがいた。
木箱を二つ並べたその上に寝かされている。
もう一人、現在指名手配中のもう一人の警備兵も意識なく、彼の場合は棚近くの床にそのまま寝かされていた。
「アーニー!」
姿を見たら胸の奥から熱いものが込み上げて、安堵半分と共に名前を呼んで駆け寄り、小さな頭を抱えるようにして抱き起こした。
――刹那。
まるでアーニーとの接触がトリガーだったように私達の下に魔法陣が出現した。
「ななな何これ!? ああもうやっぱり罠があったし~っ!」
あるとは思ったけど、まさかこんな形だとは思わなかった。
くっ油断大敵って思ってたのにこのザマよ。
もう魔法発動に巻き込まれてるから、ここで不死鳥が出てきた所で阻止はできないだろうし、私の魔法だってそうよ。使おうとすれば不都合な作用を起こしかねない。
「二人纏まってくれてよかったよ。これで一度の転送で済む」
声にハッとして振り返れば、備品室の入口に寄り掛かって佇む軍医が満足そうに口角を上げて私達を眺めている。
「悪いけれど、先に向こうで待っていてもらおうか。この兵士を仕掛けたら私もすぐに向かう」
魔法光が強くなり、向こうってどこだと疑問を問い質す暇も助けてって大声で喚く暇もなく、私の視界は眩い魔法陣の光に焼かれた。
眩しくて極限まで細めた目に最後に垣間見えたのは、柔和な医者の顔なんてすっかり削ぎ落としたような軍医マクスウェルの、実に鋭い殺気と憎しみに満ちた眼差し。
不意の表情に思わず射竦められるように心臓が縮まったけど、私とその視線は僅差で合っていなかったように思う。
たぶんきっと、彼が睨んでいたのはアーニーだった。
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