102 転がり落ちる日常7
周辺の景観から逸脱しない煉瓦造りの詰め所に入ると、ロビーにウィリアムの姿があった。彼の前には王都警備兵が三人程並んでいて皆で何かの話をしている。
然程待たせないで済んで内心ホッとして見ていると、兵士達が皆連れ立って詰め所を出て行った。
彼らは締まった面持ちで私とマルスの横をすれ違っていく。
彼らを追ってか視線を動かしたウィリアムがようやくこっちに気付いたようで、傍まで歩いてきた。
私の方からも近寄って行って、最初にまず口から出たのはやっぱり捜査状況についてだった。
「ねえ、どうだった? 教えてもらえた? それに調べてくれそう?」
「ああ、もう何班かに分かれてもらって例の二人の身辺を早速当たってもらうようにした」
「なるほど。今の三人組は捜索班の一つなのね。さすが王子様権力……。あと相変わらず仕事が早いわね。協力ありがとう」
「……協力ありがとうございます」
マルスからも感謝の言葉を向けられて、ウィリアムはきちんとすべき所では感謝できるマルスに少し当初の印象を変えたのか「俺が出来ることをしただけだ」とバツの悪そうな面持ちを一瞬見せた。
ふふっマルスって良い子でしょ~。この調子で仲良くなってくれたら嬉しいわ。
ウィリアムから更に詳しく話を聞けば、犯人は魔法も使えるから、そうなると万が一の時は二人じゃちょっと厳しいってわけで三人組にしたんだって。
誰か一人でも退避して報告だけでも上げられるように。
こう言った有事の際は兵隊さんってシビアな職業よね。
「それじゃあ私達は何をすればいい? ただ待ってるだけなのは御免だもの。アーニーが監禁されてるかもしれない場所を調べに行かせて。人数を増やす方が早期により多くの場所を回れるでしょ?」
「まあ確かにな」
「あ、ところで、運んだ兵士はもう目を覚ましたの?」
たぶん彼はもうここの拘留場所たる牢の中だろう。
「いや、まだだ」
ウィリアムが否定に首を振った直後、詰め所に残っていた警備兵の一人が奥からロビーへと駆け込んできた。その兵士は忙しなく視線を動かしてウィリアムを見つけると急いで傍まで駆けてくる。
「殿下、彼が目を覚ましました!」
彼って襲撃犯の彼よね。何てジャスト・タイミング!
日頃の行いが良いからかしら。
「ホント!? じゃあ早速話を聞きにいかないと。魔法時の記憶があるのかどうかはまだわからないけど、覚えていることだけでも白状してもらいましょ!」
ウィリアムもマルスも異論はないようで、私達三人と詰め所の兵士の一人は建物の奥へと歩き出す。
王都の牢屋は王都のどこにあっても地下と相場が決まっているのか、それとも単に敷地の広さの問題なのか、牢は廊下の突き当たりの階段を下った場所にあるらしかった。警備兵にそう説明されながら歩いて行く。
途中、給湯室や仮眠室、ベテラン軍医の診察室の横も通り過ぎた。
何となく、私は足を止めてしまった。
たった今通り過ぎた場所を肩越しに振り返る。
どうしてなのか、無性に気になった。
私の視線の先には保健室を彷彿とさせる場所、詰め所の診察室がある。
「リズ?」
私が付いて来ないのに気付いたマルスが足を止めて振り返り、彼の声に先頭を歩いていたウィリアムと警備兵も怪訝そうに振り返った。
「あの、ごめんなさい、ちょっと緊張したらお腹痛くて。お手洗いに行ってきても良いかしら……?」
普通のレディならもっと上手く濁すんだろうけど、咄嗟の言い訳がそれしか思い付かなかった。
台詞に合ったもじもじするような私の態度が、まさに我慢しているからだとでも思ったのか、ジェントルマンの三人はこの場で唯一のレディの体面を傷付けないように、決して呆れたり失笑したりはせず、表情を取り繕った。
「なら先に下りて話を聞いておくが、いいか?」
「ええ、宜しく頼むわ。すぐに私も行くから」
ウィリアムに任せておけば大概大丈夫よね。
警備兵は「あ、場所はわかりますか?」って親切にも訊ねてくれる。
「案内の看板に沿って行くから大丈夫です」
「迷うと間に合わないし、念のため僕も付いて行く」
「この広さの建物で迷子になんてならないわよ!」
マルスってば心配性なんだから。
そんなわけで三人には先に行ってもらった。
だって彼らに手間を掛けさせるのは気が引けたし、きっと何を無駄な事をって呆れられそうだったから一人で確かめたかったのよね。
三人が階段を下りて行った後の無機質な廊下は、両側に部屋があるから窓がほとんどない。灯りは煌々と点いているから暗かったり視界に困ったりはしないんだけど、一人になるとちょっと寒々しく感じた。
加えて、今日は奇しくもアーニーの件でほとんどの人員が出払っていて、ロビーや別の部屋に必要最低限の人間しか残っていないみたい。
今日の一度目に来た時はこの廊下にも人がそこそこ行き来していたのに、現在の詰め所には常と違ってひと気がなかった。
でも、私にとって都合が良いのは否めない。
本当はトイレじゃない。
私が入りたい場所は、ベテラン軍医の診察室。
どうしてか記憶に引っ掛かっていた一点が急に思い起こされて、確かめたい衝動に駆られている。
直感的な閃きと言えばそうかもしれない。
診察室の扉の前に立って一拍置いてノックをしたけど、中から
軍医は別の担当区に行っているのかもしれない。
不躾かとは思ったけど、誰の目もないのをいい事に、私はそっと扉に手を掛けた。
ドキドキしながら静かに取っ手に力を加えると、ガチャリという音と共に下に回った。擦り傷なんかを自分で手当てしに来る隊員もいるからか、鍵は掛かっていなかった。
逡巡は一瞬。
私は素早く扉を開けて、誰かに見られないうちにとその開けた最低限の隙間から中へと体を滑り込ませた。
つまり、無断で入った。
案の定室内は無人。
備品を盗むとかそういうわけじゃないんだし、見つかる前にさっさと疑念を払拭して出ればいいわよね。
なるべく物音を立てないように部屋を横切って、私はこの部屋のゴミ箱の前に立ち、中を見下ろした。
見下ろしただけじゃよく見えなかったから、そろりとその中に手を伸ばして奥を少し漁った。
指先がある物を引き当てる。
「……やっぱり」
少し奥に入り込んでいたそれを私は指の先に引っかけてゆっくりと拾い上げる。
それは、黒いリボンだった。
私がアーニーに一番最初に結んであげたリボンだった。
似たような別の黒リボンかもしれないって思いもしたけど、私のと区別が付くように彼のには名前の一文字を刺繍してあげていたから、実は一点ものなのよね。
私が踏んで転びかけた瓶を軍医の先生がゴミ箱に入れた時に、偶然にもほんの一瞬だけ目に入ったから、ずっと小さな違和感が思考回路の片隅で燻ぶっていたみたい。
表層意識では一度は掴めず忘れていた違和感だったけど、再びこの場所を目にした事で想起させられたんだわ。
でも一体何故ここのゴミ箱にアーニーのリボンがあるの?
犯人がアーニーを連れて密かにここに寄ったの?
それともどこか道端で詰め所の誰かが拾ってゴミだと思ってたまたまここに捨てた?
いやそんな偶然はないって考えていいわ。もしもあったら丸坊主にしてやるわよ。
だけど何のために寄ったの? 寄る必要があったの?
大体、現在指名手配中の非番の彼が、詰め所の誰にも見られないようにそうするのは難しいんじゃないかしら。
一つ方法があるとすれば魔法ね。
魔法なら、瞬間移動でそれも可能だもの。
「でも……え?……本当に?」
主犯と思しき警備兵の青年は、本当に魔法使いなの?
ここに来てそんな疑問が湧いた。
冷静になって思考を纏めれば、私はこれまで彼を魔法使いだと認識した事は一片たりともない。
何故なら、彼の制服の色は紺色。
この区域の一般警備兵の色で、それを着ている者は基本的に魔法使いでは有り得ない。
まあウィリアムみたいに狡猾にも隠している可能性もあったけど、厚遇されるかもしれないのに隠す必要性が見当たらない。
制服の色と言えば、ここじゃ魔法を使える王都警備兵は基本的に黒い制服を着用するみたい。
黒、と思い出してとある人物の姿が脳裏に浮かんだ。
「確か……軍医のオジサマも黒い制服だったっけ」
うーん、たまたま医療関係者も黒だとか?
でもそうだわ、敢えて訊いたためしはなかったけど、軍医の先生って魔法を使えるの?
広大な花の王都にあって担当区が一つじゃないのはすごく有能な証で、彼が軍医に相応しく治癒魔法が使えるのだと仮定すれば、その抜擢理由にも納得がいく。
治癒魔法の効力が一瞬で瀕死をも快復に向かわせるニコルちゃんレベルじゃなくても、中程度の傷を治せるレベルでも十分に優秀だ。
加えて、魔法使いは基本修練によって多種の属性魔法を広く浅く使えるようになるのも珍しくないみたいだから、軍医が精神魔法を使えても不思議じゃなかった。
ただ、あくまでも浅くだから、苦もなく超級レベルでほぼ何でも使えるウィリアムやアーネストみたいなのは、世間一般の魔法使いから見ればバケモノ……ああいやいや神の如き別格なのよね。
じゃあ血が魔法になる私は何だろうって考えたけど、そこは自分の背中が見えないのと同じようによくわからなかった。
まあ少々脱線したけど、話を戻してよくよく今まで起きたあれこれを順に思い返した私は、大きな思い違いをしていたんだって気付いた。
もう一人が主犯って思い込んでてすっかり失念していたけど、以前も考えたように、アーニーが視線を感じたのは例の警備兵両人と立ち話をしていた時なのよ。
それにザックは襲撃犯は二人って言ってたけど、その他に姿の見えない仲間がいた可能性を迂闊にも考慮しなかった。
アーニーのリボンを握り締める私は、二人共精神魔法を掛けられていたって結論を導き出していた。
なら、少なくとも二人に魔法をかけた最低もう一人がいるわけで……。
一体、真の黒幕はどこにいるの?
精神魔法って気を緩めている時に掛かり易いって、今日ウィリアムと会話した際にちょっと聞いたのよね。
だから魔法を掛けられるくらい、術者は二人に近しい場所に居る可能性が極めて高いんじゃないの?
以上を踏まえて推理する私の中で、急速に犯人の姿が像を結ぶ。
予想通りだとすれば、アーニーのリボンがここに捨てられていても不自然じゃない。
「でもまさか……」
「――まさか、どうしました?」
背後の近しい位置から聞こえた声に、しかもそれが頭の中で今まさに思い描いていた相手の声だっただけに、心臓がぎゅっと握り込まれたみたいに全身が竦み上がった。
思考に夢中で周囲に意識が向いていなかったせいで接近に気が付かなかった。ぬかったわ。
悲鳴さえ咽に貼り付いて出て来ないまま即座に振り返れば、案の定予想通りの人物が、今見れば実に嘘臭い優しげな微笑みを浮かべて佇んでいた。
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