79 洞窟の介抱者

「そっちはアイリスから何か連絡は?」

「何も……。ビル兄様の方は何か掴めました?」

「生憎こっちもまだ何も掴めないな」


 王都の一流ホテルのその最高級の一室で一人掛けのソファに座するウィリアムは、設置に安定のやや大きなおはじき型をした通信石を片手で握り込んだまま疲れた溜息をついた。


「ビル兄様お声がお疲れのようですが大丈夫ですか? 余り根を詰め過ぎてもいざという時動けなくなりますよ。そうなれば姉様のためにもなりません」

「そうだな。この後ちゃんと休む」


 ここの所ろくろく睡眠も取れていない自覚のあるウィリアムは魔法石に触れていない方の手で自身の眉間を揉んだ。


 石から声だけが聞こえる相手はニコルだ。


 彼女は現在伯爵夫妻と共にローゼンバーグの屋敷に戻っている。

 いつでも連絡が可能なようにウィリアムが携帯しているこの通信石と対になる石を向こうの家に置かせたのだ。

 石に触れている間は離れた場所にいる相手の声が聞こえる。ただし相手もきちんと石に触れている必要はあるが。


 アイリスが消えてから一週間以上が経過している。


 王都の魔法使いに頼んでローゼンバーグ一家はあの公開処刑日のうちに彼らの領地へと転送してもらって、それから今日まで間向こうと頻繁に連絡を取っていた。アイリスが故郷に戻る可能性を考慮した結果だ。空振りに終わりそうだが。

 よくよく考えれば彼女は実家に迷惑を掛けないように決して近付かないだろうとは今思い至った。


「姉様は一体今どちらにいらっしゃるのでしょう。日記さんも不死鳥さんもいますからそうそう大事には至らないとは思いますが……」

「ああ、王都内には居ないと考えていいだろうな。こっちでは捜索隊が組まれて既に隈なく捜された後だ。居たなら見つからないわけがない。人相書を刷って急ぎ各地に回してもらっているが、周知までには時間が掛かるだろう」

「早く姉様がそれをご覧になって下されば宜しいですね」

「そう願いたい」


 ウィリアムの思った以上に早く王城前広場の混乱は治まった。


 アイリスが逃亡してまもなく、まるで待っていたようなタイミングで神殿組織が表に出てきたのだ。


 もう心配には及ばないと老齢の神殿長がそう言えば王都の群衆も簡単に信じる。

 実際そうなった。

 その時の様子を思い出してウィリアムは苦々しい思いに囚われた。

 ただ、言葉の端端から神殿長の方でも彼女の逃亡には些か困惑していたように思う。

 託宣の変化にしてもウィリアムには想定外だった。


 何者かが裏で動いている。


 これは確信だ。しかし正確な正体は知れない。神殿を監視しつつ様子を見る必要があるようだった。


「ニコル、何かあればすぐに連絡をくれ」

「はい。兄様も宜しくお願い致します」


 通信が終わろうかという雰囲気の中、通信石から手を離そうとしていたウィリアムは手をそのままに少し沈黙を挟んだ。幸い石の向こうにはまだニコルの気配がある。

 その場を動かないのはおそらくウィリアムの妙な間から何かあると感じ取っているに違いない。ニコル・ローゼンバーグという人間は決して可憐な見た目によらない。


「ニコル」

「はい、何でしょう」


 落ち着いた声が返る。

 ウィリアムは微かな逡巡の後に問いを口にした。


「アイリスについて、どうして俺に何も訊いてこない? 気が付いているんだろう?」

「……この場に他に誰もいなくて良かったですよ兄様。ここはいつでも家族が入って来るんですから一応は先にこちらの状況も確認して下さい」

「それは配慮が足りなかったな」

「まあいいです」


 ウィリアムの悪いとは思っていない口ぶりにニコルが微かに嘆息したのが聞こえた。


「ぼくにとって姉様の存在は、ぼくの全てで絶対的本意なのです」

「それは……中身が別人だろうと善人だろうと悪人だろうとどうでもいいという意味か?」

「そこまでは言っておりませんよ!」


 ぷんぷんと怒るような口調には本気の色は見えない。


「ですが――今の姉様はとっっってもそそられます。ビル兄様がご執心なのも頷けます。世界で一番スーパーキュートな姉様のためだったらぼくはメイドでも抱き枕でも何にでもなります。ぼくの全てを捧げます……っ、はあはあ」

「……言いたい事はわかった」

「はあはあ、はあ…………ふふふ、ですか? でしたら良かったです。ではそろそろ切りますね」


 演技なのか本気なのか判断のつかない興奮を経て最終的には落ち着いた声音が石から聞こえてくる。ニコルの事はこれと言って嫌いなわけではないし時々大丈夫かこいつと思うが、こんな時、案外食えない相手だとウィリアムは感じる。


「ああ。それじゃあな」

「はい」


 そうして今宵の定時連絡は終了した。





「おっ超久しぶりに同胞が近くに来たなーって思ったら、何だよ炎の旦那だもんなー。長く見ない間にまた丸々と肥えたんじゃねえ?」


 意識のどこか、現実のどこでもないどこかで、私は子供の声を耳にした。


「だけどよ、ハーッハッハ~ッ! おいらの真の力を見たかーッ!」


 ふと目を開けて物を見るみたいに意識を向ければ、髪も目も、何だか印象すらも緑色っていうか風そのものみたいな小さな男の子が、中二病的な台詞を口にふんぞり返ってチビ鳥に息巻いていた。

 いつの間にか意識だけだった私にも自分の体がある。

 彼の芯は強く心優しいんだって感じる風が届いてちょっと頬を綻ばせた。

 小さい男の子って言うのは本当に物理的な大きさって意味で、童話の中の花の国の王子様とかそんなのがいたらきっとこれくらいよねって大きさだった。


「だけど、駄目だなーおいらもさ」


 ふとその横顔が寂しそうに翳る。何だかこっちまで悲しくなってじっと見ていたら向こうも見られているのに気付いたのか、こっちを見ると一度瞬いて何故かにっかと破顔した。


「こんな所に来れるなんて、あんた魔法使いだったのか。まっそうだなあ、あんたを救えたからよしとするか」


 こんな所?

 よくわからないけど、ここって虹の中がこうだったらいいのになって子供の夢の詰まったような綺麗な空間だわ。


「その言いようじゃその他のことは余り宜しくないの?」


 問うと、その子はどうしてだか困ったように笑った。


「おいらはもうすっからかんだ。残念だけどあんたともさよならだ。あ、そうだ、あいつを宜しくな。あんたとなら上手くやってけそうだし」

「あいつ?」

「そ。少~しコミュ障で頑固で、そのくせ純情野郎なおいらの友達。ま、本人は自分が純粋なんだってことは認めねえけど」


 くしししと悪戯っ子そのものの笑みで語る緑の少年はその親しい相手を思い出しているようだった。


「とにかく、よろしくな!」


 最後にからりと笑って姿を薄くしていく。


「あっ待って!」


 私は咄嗟に手を伸ばしてその子の服を掴んでいた……と言うか指先で抓んでいた。

 袖のゆったりした神官服みたいなのだったから上手く抓めたのかも。

 薄れていた少年が驚いたように目を瞠って、その透明度のままその中に豊かな庭でもありそうな澄み渡った緑の瞳で私を凝視した。


「あ、あんた何で……?」

「え? 何?」


 お互いの当惑しきりな呟きが落ちた時、チビ鳥が割り込んできて少年から手を離してしまった。

 そうしたらまた彼の薄れが強まって何となく焦ったわ。

 消えてしまったらきっと駄目だって直感的に思ったんだもの。


「待って消えないで!」

「ハハッ、会ったばっかで案じてくれてありがとな。だけど悪いな。おいらもう行かないと」

「えっちょっとホント待って行かないで! ――お願い鳥さん、その子を捕まえて!」


 言った刹那にはもう三白眼がくわっと見開かれた。

 ちょっと本当にどっかの悪の親玉みたいな極悪顔に見えたわね。


「うおっやべえ顔! って旦那どうしてそんなに怒ってんの? あ、あんたがこの子を助けるよう言ったからきちんと助けただろ! え、何で睨んだままつっついてくんの? いてっいてえって死にゆく者に追い打ちかけんのかよ!? いててて! いやいやいや頼むからちょっと待ってなあおい? ひいッこっち来んな強面鳥! おいらは昆虫じゃねえよ! やっ、えっ、のおおおッうわああああーッッ!!」


 で、パクリ。

 止める間もなく問答無用で不死鳥がその子を丸呑みした。

 ケフッと満足そうな息を赤いくちばしから吐き出した。


 ………………え?


「た、食べ……ッ!?」


 つ、捕まえてとは頼んだけどそういう捕まえ方じゃなくてッ!


「ごごごごめんなさい名も知らない小人さんーーーー!!」


 そう大いに嘆いた所でハッと目が醒めた。


「はッ……はッ……はあッ……」


 何度も息をして瞬いて今のが夢なんだってわかった。

 それにしても何て変な夢なのよ!

 全身がまるで熱が上がった後みたいに汗でぐっしょりと湿っていた。

 すぐに崖落ちした事を思い出し一緒にその時の体調の悪さも思い出す。たぶん実際熱があったんだわ。それが下がった時の妙な疲労感と微かな爽快感がある。


「……っていうか、ここどこ?」


 固いベッドに寝かされていた私はゆっくりと身を起こした。思いのほか長く寝ていたのかもしれない、体が痛い。

 ぐるりと周囲を見てみれば、私はお世辞にも快適そうには見えない見知らぬ粗末な部屋にいた。

 自分の居るベッドも適当に石を盛った上に板を安定させて、その上に藁を敷きつめ、更にその上に薄い布団を乗っけただけのものだった。


「ここって洞窟……?」


 壁や天井、床も剥き出しの固そうな土だったし、窓もない。

 部屋を仕切る扉さえもないから通路が丸見えだった。

 その通路をまっすぐ行った先、角の向こうが外光なのか明るくなっている。

 あれが真実外の光なら今は昼間なのかもしれない。

 反対に直接の光が届かない洞窟奥の私の所には、近くの台上の小さな蝋燭ろうそく灯りしかなかった。でも光があっただけ有難い。目覚めて真っ暗だったら恐慌を来していただろうから。

 暫し静かに揺れる蝋燭の炎を見つめぽつりと呟く。


「私、ホントに生きてるんだ」


 何度も死線と言っていいものを潜り抜けて来たけど、さすがに今回は相当の高さだったからヒヤリとしたわ。気だって遠くなっちゃったし。今度も不死鳥が助けてくれたって、そう考えるのが妥当よね。

 さっきの夢は関係ない……のよね?


 でもこのどことも知れない場所に運んでくれたのは、おそらくは別の誰かだ。


 一体誰が?


 濡れたボロマントは脱がされていたし、同様だった囚人服は別の女物の服に着替えさせられていた。そこらの町娘って感じのね。まあ汗で湿っちゃってるけど。……着替えさせてくれた相手の性別は今は考えないようにする。

 幸い大きな怪我はしていなかったんだけど手足を見れば大袈裟にも包帯だらけで、軟膏でも塗ってくれたのか薬独特のにおいがした。

 因みに不死鳥には小さな怪我は治さなくていいって言ってあったから、枷の跡とかの怪我もそのままなのよね。だって何でもかんでも魔法に頼ったら駄目だもの。不死鳥だって負担だろうし体に備わった自己治癒力を鍛えないと。


「まあ、今は誰もいないし、考えた所でわからないか」


 誰かが来るまで待っているべきかしら。

 それとも明るくなっているあっちを覗いてみるべき?

 少し思案して方針を決めた。

 靴は見当たらず、仕方がなく素足で降りてちょっと最初はふらつきながらも壁際に寄って慎重に足を進める。蝋燭はそのまま置いてきた。

 ようやく明るい洞窟の角に辿り着き曲がる手前の壁に片手を着いたまま少し休憩がてら足を止めた。


「ふう、食べてないからってのもあるけど、結構体力が落ちてるわね」


 空腹続きで小さくなっていそうな胃の腑を押さえこのままじゃ駄目だと溜息を落とした。何か口に入れないと……。


 ざりりと地面を踏む音を耳が捉えたのはそんな時。


 ハッとして顔を上げれば曲がった先から来る何者かの影が地面に長く伸びていて、その主が私の目の前に現れた。


 思わず警戒も露わに後退しちゃったけど、相手は包帯と薬のような物を入れた平皿を手にしている。


 背のそこそこ高い、見た感じ私と同じ年頃に見える黒髪の少年だった。


 上下に分かれた動き易そうな服装は簡素な物ながらも清潔感を感じさせる。やや短くした頭髪の下にはスッとした首筋と鍛えていそうなしっかりとした肩や手足が伸びている。

 腰には短剣なのか武器もある。

 向こうも立ち止まったものの驚いたのかどうかは端正な表情にほとんど変化がなかったからわからない。


「もう起きて平気なのか?」


 少年が発した言葉で急上昇していた警戒心はほとんど下がった。

 きっと彼が介抱者なんだわ。助けて傷の手当てまでしてくれたなら少なくとも今は害される心配はないと思っていいわよね。

 少し心に余裕が出来れば彼が手当て一式とは別に小脇に抱えているものに気が付いた。


「あ、私の日記!」

「ああ、これか。多少湿気っていたから天日に干しておいた」


 傍になかったから没収されたのか日記が自らどこかに行っているのかって思ったけど違ったみたい。すんなり片手で差し出されてズシリと重いそれを両手で受け取った。


「あ、ありがとう。…………見た?」


 少年の顔付きがすごく微妙になった……。

 ま、まあいいわ。日記が一緒にいれば心強い。そう思って表紙を撫でた手が抉られた部分に触れた。


「……」


 あの時の恐怖を思い出し震えた指先をぎゅっと握り込んで少し俯く。

 これは私を庇って出来た傷。

 そんな私の様子をどう思ったのか黒髪の少年がゆっくりと口を開いた。


「警戒するのはわかる。けど、一度戻ってくれ」


 私を刺激しないよう敢えてゆったりした口調で喋った彼は持っていた包帯と塗り薬をちょっと持ち上げて強調してみせた。ああ、手当てをって意味ね。

 そうよね今は自責の念に沈んでいる場合じゃない。

 私ってばしっかりしなくちゃ駄目じゃない。

 頷いて、引き返す前にはたと足を止める。


「あ、えっとその、お世話してくれてどうもありがとう」

「……大したことはしてない」


 表情も薄く謙遜した彼の青灰の瞳も声も、少しだけウィリアムと似ていた。

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