78 逃亡一路
「ふう、この分だと森の奥にテントでも張って自給自足が無難よね」
「良かったじゃない、本望でしょ~?」
「んなわけあるかい!」
王都から私が逃亡してから丸一日は経った。
現在地はどこかの、たぶん地図でイメージした辺りの森の中……だと思う。
着いた当初はたまたま近くに村だか町があって、そこのごみ捨て場らしい場所から運よく古くなって捨てられたんだろう旅用のフードマントをゲットした。
捨てられるだけあって汚れていて臭かったから見つけた小さな渓谷で一度洗ったわ。まあ洗剤もないただの水で洗った所で染みついた雑巾みたいな臭いは完全には取れなかったけど背に腹は代えられない。
本音を言えば清潔な衣類が欲しかった。
だけど私は無一文だったし、囚人服を着て枷だってそのままだったもの、迂闊にお店になんか入れない。
ゴミ捨て場には生憎マント以外の服はなかったから当分この服なのは仕方がないわね。
渓谷ではついでに全身も拭いた。埃とかで汚れてはいたけど思ったよりは体もべたべたしてなかったとは言え、ろくろく体を洗えていなかったからウィリアムには絶対臭いって思われていたと思う。私の乙女心が血涙よ……っ。復帰したら囚人の待遇改善を訴えてやるんだから。
朝から何も食べていなくてお腹は空いていたけどさすがに残飯は漁れなかった。腹を下して動けなくなっちゃったら元も子もないものね。まあでも極限の飢餓状態になったらその時はどうするかわからない。
一方、過疎が進んでいそうな所だったとは言えさすがに昼間だったし住人の誰にも見られないってわけにはいかなかった。たた幸いにも私の小汚い恰好を見て近寄って来ようとは思わなかったみたい。日課の散歩中だったのか数人のお歴々の方々に不審そうな目で遠目に眺められただけだった。もう既に拾ったマントを羽織っていたし囚人服も長めだったから遠目じゃ枷や鎖が見えなかったのか変に騒がれなくて良かった。
こそこそと少し歩き回ってみれば、田畑には体力のありそうな住人の姿があった。
これは見つかる前にと長居はせずに森の中に戻った。
そして森の中を歩き続けて一晩経って日記との先の会話になったってわけ。
雑菌で化膿しかねないと思って不死鳥には掌の傷だけは治してもらってから帰ってもらった。だって大小どっちの姿でも目立つもの。それからずっとこっち日記との二人旅よ。
まあ帰してから森の中だったら別に関係ない気もするなって思ったけど、召喚する際は血を使うから敢えてまた召喚し直さなくてもいっかな~ってなった。痛いの嫌だもの。
森の木の実を日記に見定めてもらって乏しいながらも食料にしつつ、小川や朝露で咽の渇きを潤しつつ、なるべく水辺に沿ってどことも知れない山中を進んだ……というか彷徨った。
陽が昇って沈んでを何回も繰り返した頃、とうとう恵まれていた天候にもそっぽを向かれたわ。
完全に雨を凌げるような場所を見つけられず大きな木の根元に蹲って一晩やり過ごした。
もりもり繁った枝葉のおかげでビショビショにはならなかったけど、それでも衣服はしっとりと湿った。
しかも日記が濡れないようにボロマントを傘代わりにしてあげたから囚人服だけになった私はちょっと肌寒い思いをした。
体温を逃がさないように小さく丸まってうつらうつらとしか出来ず、更にはここ数日は余り食料を調達もできなくて常に飢餓感に苛まれ、この逃亡旅の中で一番眠れない夜だった。震える自分の体をきつく抱きしめて惨めだなって笑っちゃったわよ。
知識や技術がないと森の中じゃ到底やっていけないって悟った私は、どこかの集落に隠れ住めそうならそうしようって方針を変えた。
話は逸れるけどこれまで狼や野犬なんかの野生の獣に襲われなかったのは私を守護している不死鳥の気配がしているから、野生の本能で避けているんじゃないかって日記が呑気に言っていたっけ。
「――っくしゅん!」
朝にはもう雨も止み動き出した私たちだったけど枝の小鳥が飛び立つ程に盛大なくしゃみが出た。
寒気のせいで両腕を摩っていると日記が私の顔を覗き込んでくる。
「あれ~? 何だか顔色悪いけど、もしかして風邪引いた~?」
「あらかた誰かが私の悪口でも言ってるんでしょ」
「ん~ふ~? それじゃあ君は毎秒くしゃみしてないと~」
「そんなに!?」
ま、まあ日記の冗談も一理あるかも。世間一般的には大罪を犯して逃亡する悪女なんて非難の的以外の何物でもない。ここしばらく人里には寄っていないから確かな情報はわからないけど少なくとも指名手配はされてるわよねー、ハハハ、ああ笑えない。
「のわっ、きゃあっ」
余計な事を考えて足元を疎かにしていたからか足枷の鎖が地面からちょっと出っ張っていた石に引っ掛かって転んだ。この逃亡中何度もやったわこれ~。
日記は今は自力飛行中だから何ともないけど逃亡初日に一緒に転んだ時もあったっけ。ああもしかしてだから移動中は自分で飛ぶようになったのかしら。
「ねえその枷さあ、いい加減邪魔じゃないの? 外せば~?」
「当然邪魔よ、でも外せたら苦労しないわ……って、え? その言いぶりじゃ外せるってこと?」
「君の頼れる精霊の力を使えば一発じゃないのさ~」
「そうなの? こんな頑丈なのに?」
「ギロチンの刃だって粉砕したでしょ~」
「あ」
余裕がなくてそんな事にも思い至らなかった。そう言うわけで私は不死鳥を召喚した。
枷を外してもらう前にちょっと本気で寒かったしチビ鳥を胸に抱きしめモフモフで暖を取る。ああピカチュ○を抱き締めるサトシってこんな気持ちなのかしら。
大人しくしていてくれるマイ精霊をそのままに、ふと森の先を見やる。
そこに見えたものに私は思いのほか明るい声を出していた。
「あ、ねえ道よ! 久しぶりに道だわ!」
嬉々として行ってみれば少ないながらも馬車くらいは通るのか二本の
道なき道はほとほと疲れていたしどこか隠れ住めそうな場所を探すにしても道を辿った方がきっと早いわよね。
私は上機嫌で早速山道に出るとホッと一息ついた。やっぱり人間の活動を感じる場所はどこか安心する。
刹那、幾つかの蹄の音が聞こえてきた。
何て間の悪いって慌てて身を隠そうとしたけど一歩遅かった。
「おい誰か居たぞ! そこの者止まれ!」
「はあ、ツイてない……」
後で知ったんだけど私ってば不運にもこの時この付近にはこの地域の牢から脱走した超極悪人が逃げ込んでいたみたいで、その殺人犯の女を捜して兵士が動員されていたらしいわ。
「見ろ、枷をしているぞ。ようやく見つけたぞ! 捕まえろ! 屍でも構わん!」
チラと見えた枷と鎖からその囚人を私だと勘違いしたみたい。兵士達は剣を振り上げ目を剥いた鬼気迫る形相で猛烈に追い掛けてきた。
「ひいいーっ! 屍でもってどういうことっっ! 私そこまで凶悪犯として追われてるのおおお!?」
殺気すら漂っていてこれは捕まったら只じゃ済まない殺されるって悟って一も二もなく再び森へと身を翻す。
馬では入れず下馬した兵士達が追ってくる。
枷のせいで逃げにくいし転びそうになって途中でチビ鳥に枷を外してもらった。
そうよね、ギロチンをあっさり木っ端微塵にしちゃうくらいだし枷だって簡単に壊せちゃうわよね。
チビ鳥の炎が触れた途端に枷が砕けた様を追手の兵士達にもばっちり見られていたみたいで、彼らの驚き声が背後から聞こえたっけ。
ああこの際ついでに昨夜の雨で湿ったマントも乾かしてもらおうかしらなんて思っていたら「待てえええっ! 逃がすかあっ!」って思った以上に近い場所から熱血刑事みたいな声が聞こえてそれどころじゃなくなった。
私の体力と兵士の体力には当然差があって確実に距離が縮まっている。
こっちは断食もかくやで体力も落ちていたし息も切れ切れ。
森の先が明るいからもしかしたら森を抜けちゃうかもしれない。開けた場所は余計に不利だしこれはまた魔法を使うしかないのかも。
でも魔法で攻撃はしない、したくない。
それだけは胸に留め、ここずっと野宿してきてへとへとの足で懸命に駆けた。
とうとう視界が開け、案の定の森の終わりがきた。
だけど、そこからの眺めは……――ああ絶景かな。
要するに、断崖絶壁だった。
「うっそおおおおおーーーーんっ!」
「うわ~ツイてないね~」
「ほっといて!」
たたらを踏むようにしてギリギリの所で足を止めた。
これはもう崖っぷちを横に逃げるしかないんじゃないの?
「アイリス後ろ!」
咄嗟の判断を下して踵を起点に体を九〇度回転させたとほぼ同時、日記の声に振り向けばすぐそこに追手の姿があった。
抜き身の剣を手に迫りくる。
日記同様に私の傍に一緒に付いてきてくれていたチビ鳥が闘気をぶわっと膨張させる。
「鳥さん駄目っ! 傷付けないで!」
主人の命令は絶対で、大きく息を吸い込んで鳩胸フォルムになっていたチビ鳥は一瞬ぐっと堪えるとどこか不服そうにして吐いた炎を空中で暴発させた。こんな奴一秒で消し炭にしてやるのにって三白眼が言ってたわ。
うん、それは是非ともアーネストまで取っておこう!
兵士は一瞬怯んだ様子を見せたけど気骨のある男なのか止まらなかった。
むしろ闘争本能を刺激されたみたい。
「覚悟しろこの悪人め!」
その兵士は刺突の構えから足を踏み込んだ。
「アイリス!」
この華奢な痩身なんてひとたまりもなさそうな鋭い切っ先が真っ直ぐに私の心臓目掛けて突き出される。
後退しつつも避けられないと思った。
憤怒を目に宿す兵士に容赦の色は微塵も見えない。
目を瞑るのさえ出来ない。
ああ、今度こそ本当に詰んだかも。
直後、ドンと胸に衝撃が走った。
「――ッ」
あっという間だった。
切っ先は、確かに刺さった。
――分厚い装丁に。
衝撃、それは日記が私の胸に当たったものだった。
剣先と私との間に滑り込んできた日記がその攻撃を一身に受けてくれていた。
「日っ――――ッ!?」
飛来した日記に私も兵士も驚きに目を見開き、だけど次の瞬間私の視界が急にガクンと角度を変える。
双眸には一面の青空が映し込まれた。
え……?
一瞬呆けたようになって綺麗な空だなんて明後日な事を考えちゃったわ。
私は崖の端っこを後退していた。地盤が脆かったのかその足場が崩れたみたい。
幸い兵士の方は崩壊に巻き込まれず這うようにして地面にしがみ付いて無事だった。
急に全身が放り出される感覚にどこか現実感が薄れながらも日記だけはと両腕に抱き寄せてしっかりと放さないよう力を入れた。
随分と高そうな崖だったからこのまま落ちたら生きては帰れまい。
上空でチビ鳥が焦ったような目でこっちに来ようと翼を羽ばたかせたけど、その翼が起こす熱い風が崖っぷちに縋る兵士の害になるのかもしれない。一度そっちを見ると羽ばたかずに一鳴きした。
鳴き声と言っても音としての波を成さなかった。
だけどそれはここいら一帯を震わせるような、声なき声。
まるで全霊で誰かに助力を求めるようなそんな声だと、ふっと薄れゆく意識の中そう思った。
体力が限界だった。
髪が尾を引き裾が膨らみハタハタ鳴って、目尻に滲んだ涙が上に散った。
……ごめんなさいウィリアム、もしかしたら戻れないかもしれないわ。
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