73 牢獄の来訪者5
「ですが、このような形で囚われの姉様のお姿を拝見するなど、実に悔しいです」
場所が場所でもあるし惚けてもいられないって自らを戒めたのか、ニコルちゃんは私の姿を見つめて思い詰めたような顔になった。
「ええっとその、そこまで耐えられないわけでもないから、そんなに心配しないで?」
本当は髪だって体だって洗いたいし一日だって早く清潔な場所に移りたいけど、ニコルちゃんをこれ以上心配させたくなかったのもあって多少は強がってみせた。
「……先を越されました」
「先?」
彼女は深刻そうな面持ちを崩さない。
「ぼくなら上質なベッドに繋いで上等なスケスケの寝間着を着せて食事だって口移し一択にしてぼくごと味わっていえいえぼくが嘗めて齧ってたっぷりと姉様を味わって差し上げますのに……!」
「……」
一息に訴えてどこか甘く怨じるような眼差しでこっちを見据えるニコルちゃんを、二人程残った兵士が困惑したように眺めている。何てエロくて倒錯的だって彼女まで投獄されても困るからここは無難に収めないと。
「あらあら確かそれは劇の台詞の一節だったかしらね。ホホホホ!」
「ああ、演劇……」「そうか、台詞……しかしどんな破廉恥な劇なんだよ」
「姉様? 何のこ…」
「――と! ところでニコルちゃん、その包みは何かな~?」
納得の呟きを落とした兵士達は後はもう脳内で勝手に理想の美少女像を補完するだろうと放置して敢えて話題転換を試みれば、一人でエロゲ上等の百合妄想に浸っていたと思しきニコル・ローゼンバーグ伯爵令嬢ちゃんはハッとして「姉様の御前への参上が叶いすっかり舞い上がってしまい、忘れておりました」と慌てたように包みの結び目を解いた。
大仰な台詞にやや辟易としたものを感じつつも、ニコルちゃんの手に現れた物を見て私は身を乗り出して目を瞠った。
「それ私の日記じゃないの!」
包みの中から現れた一冊の分厚い書物はまさしくアイリス日記。
今は兵士がいるからかただの日記のフリをしている。
ニコルちゃんが日記を鉄格子の隙間から差し入れてきた。
「え、いいの?」
「はい。許可は得ております。食べ物は却下されてしまいましたが、個人の日記ならばと」
ああ、数日のうちに処刑される憐れな女への慈悲なのかもしれない。
「一応中を
「あー、うんまあ、何とか検閲通って良かったわー、はは」
アイリス日記は別名黒々日記って言い換えてもおかしくないしね。黒インクびっしりの紙面そのものも怨嗟に満ちた内容そのものも。
中を開いてギョッとし、更には数行読んで心が挫けただろうここの検閲兵の姿が容易に目に浮かぶ。お気の毒様~。この場の兵士達も既に聞かされていたのか、受け取る時も止める素振りは見せなかった。
「重いのに持って来てくれてどうもありがとう」
「はい、これで少しは姉様の寂しさが紛れるかと思いまして」
「ええ、こいつが居れば十分よ!」
ぎゅっと胸に抱きしめてほくほくした気分で相好を崩せばニコルちゃんは自分の事みたいに嬉しそうにした。
「あ、ねえところでウィリアムに知らせたりは……?」
するとニコルちゃんは困ったように小首を少しだけ斜めにした。
「それが、マクガフィン家におられるでしょうビル兄様へはそちらの邸宅宛てに速達をお出ししたのですが、それをお読みになられたか否かはわかりません。姉様が連れて行かれたその日にお出ししましたし、速達ですから、日数的には何とかもう届いているはずだとは思いますが……」
「そうなんだ」
「ビル兄様のことですからこの窮状を知れば即座にここに来られるはずですが……。まだ速達をお読みになっていないのかもしれません」
ゆるゆると横に首を振るニコルちゃんは申し訳なさそうだったけど責める気持ちなんてこれっぽっちもない。だって報せを出してくれただけでも有難いもの。
フォローを入れようとした所で彼女が表情を思案気にした。
「以後はこのような緊急事態に備え、マクガフィン家と我が家との連絡用の魔法石を設置して頂きましょう」
「連絡用の? そんな物があるの?」
「はい。通信石とも言われていて、汎用品として開発されたのは割と最近なのですが。値も張りますし貴族同士で通信石を設置している家はまだ少なく、我が家と先方の間でもまだ導入していなかったのです」
へえ、魔法石ってそういう使い方も出来るんだ。便利~。
「ここ王都の各機関にも、遠方との連絡が可能な通信石が設置されておりますので、何か緊急の際はそれを用いるようです。以前、お父様が王都から即日魔法使いを派遣して頂けたのも、我が家にも王都との通信石だけはあるからなのです」
「へえ、それは知らなかったわ」
でも考えてみればそうよね。結局何の役にも立たなかった王都の魔法使いだけど王都から呼ぶためにはまずこっちから連絡を入れないといけないものね。
ニコルちゃんは何かを思い付いたのか「あ」と小さく声を上げた。
「でしたらここ王都からマクガフィン家とも連絡が取れるはずです。三大公爵家ですから王都との通信石は確実にあるでしょう。ここを出たら即刻ビル兄様に連絡してきますね!」
「えっいやちょっと待って!」
居ても立ってもいられずに駆け出そうとした所を慌てて止めた。
「その必要はないわ。手紙も送ってくれたんだし、世間的にもその……私の罪状は大々的に報じられているんでしょう?」
「あ……はい」
「まだ知らないなら知らないで仕方がないわ。婚約者なんだしそのうち耳に入るでしょ。……仮に、知ってて来ないなら来ないなりの理由があるんだと思う。そこの所を彼ならきっと然るべき時に私に説明してくれるって思うから、ニコルちゃんが気に病む必要はないわ」
「姉様……はい。ぼくが気にしたら、それこそ姉様のお心を重くする要因の一つになってしまいますね」
「ふふっそういうこと」
諭せばきちんと理解して、突っ走りそうだった自分を恥じ入るように彼女は首を竦めた。ばつが悪そうな上目遣いが可愛いわねも~。私は心を和ませてにっこりと頬を緩めた。
日記を持って来てくれたのは有難かった。これで打開策について色々と相談できる。
「姉様、ぼくは本当に悔しいのです。どうしてこのようなことになってしまわれたのか……」
「ニコルちゃん……」
それはワル魔法使いのせいよって教えても良いんだけど今は部外者もいるから無理だわ。
「姉様、ぼくもお父様達も姉様が無事釈放されますよう全力で尽力致します。ですがもしも、もしも間に合わないようでしたら、他の一切を気にせずにいらして下さい」
兵士達を盗み見れば、この会話に特に引っ掛かりを覚えた様子はなさそうでホッとした。
明言はしていないけどそれは言外に万一の際にはローゼンバーグ家を無視して逃げろって意味よね。でもそれは……。
「姉様。ぼく達は大丈夫ですから。生きてさえいれば大抵何とかなるものなのです」
私が意図を理解したと踏んだのか、そして曇らせた表情から躊躇したのを察したのか、看守兵の横でニコルちゃんは鉄格子を両手でぎゅっと握り締めたまま縋るようなそれでいて叱咤するような強い眼差しで微かに頷いてみせた。
諦めて処刑されるなんて絶対に駄目って事ね。
私だってそんな気は毛頭ないわ。
「ええ、わかったわ」
もし逃亡してもいつかは再会できるはず。
そうよね、生きてさえいれば…………――ん? 何か引っ掛かる。
そういえば彼女、さっきは必要以上に魔法石の説明をしてくれたっけ。以前のアイリスだってこの子同様に自分の家の通信事情くらいは知っていたはずよね。
それなのに、初心者に向けるみたいに丁寧に教えてくれたわ。私もうっかり知らないとか口走っちゃったけどどうして私にそんな骨を折る必要があるの?
――まさかこの子、私が前のアイリスじゃないって気付いてる?
彼女はアイリスにべったりだったみたいだし違和感を抱いても不思議じゃない。ニコルちゃんは素直でいい子だけど決して鈍い子じゃないもの。ああもう、むしろ今までそう思わなかった私がどんだけ鈍いのよって話でしょ。でもここでは訊けないし、ここじゃなくても勝手な憶測で下手な事は口走れない。
「ニコルちゃん、あなた……」
それ以上は口にしない私からの探るような目を向けられて、彼女は私の言外の言葉がわかっているのか大丈夫だからとでも言うようにふわりと微笑んだ。
えっ、やっぱりそうなの? それでも良いの?
「そろそろ時間だ」
重罪人だらけの中央牢の面会には厳しい時間制限があるのか看守兵が事務的な口調で告げた。もっと色々と話したかったのに……。ニコルちゃんもそう思ってくれているのか促されて歩き出した彼女は後ろ髪を引かれるような顔をしていた。
願わくは何事もなくこの転生――厳密には魂だけの一時的な転移だけど――みたいに手違いだったってオチでありますように。
だけど、その願いは叶わない。
私はこの二日後、この牢の中でとうとう処刑の日を迎えた。
そしてそれまでウィリアムが私の前に現れる事はなかった。
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