72 牢獄の来訪者4

「おっと。少しやり過ぎたかな、ごめんねアイリス」


 突然の炎にワル魔法使いは素早く手を離すと後方に飛びすさって回避した。

 解放された気道に急激に入ってくる空気で激しく咳き込む私の潤んだ視界には、美味しそうな太っちょのガチョウ……じゃなかった見覚えのある橙色のまるっとしたチビ鳥がいる。

 不死鳥チビバージョン。

 チビ鳥は私を護るようにワル魔法使いとの間に浮かび最後に「ケッ」とでも言うように赤いくちばしからジッポライターみたいな炎を吐き出した。

 もしかして得意の炎で攻撃してくれたの? 咽元を押さえて半ば放心気味に眺めているとチビ鳥はくるりと身を翻して私に突撃してきた。痛くはないけど頬に頭を押し付けるようにしてすりすり……ううんぐりぐりされた。


「けほっ……、鳥さん、助けに来てくれてありがとう」


 この頼れる可愛い騎士の出現に嬉しくなって飛び付くようにして両腕に抱いた。私だけのもふもふ~ッ。涙が出そう。


「おやおや、どうやら私の思う以上に親密なようだね」


 離れた位置に佇んで私と不死鳥の様子を眺めるワル魔法使いは少しも罪の意識を抱いていないのか半ば感心したような声を出す。

 こっちを見るんじゃねえよと言わんばかりに相変わらずの三白眼でチビ不死鳥は威嚇の炎を吐いた。炎の大鳥姿の本性に立ち戻らないのはこの独房をうっかり破壊したら大変と思っているからかもしれない。まあ確かにここは地下だし天井が崩れたら……言うまでもない。

 精霊相手に分が悪いとでも思ったのか、ワル魔法使いは興醒めしたような面持ちで小さく鼻を鳴らした。


「今日の所は退散するよ」

「えっちょっと非常識にも無体だけ働いてちゃんと話し合いもしないうちに帰るの!? 根回しが得意なら早くどうにかしてよってかどうにかするのが筋でしょ!」


 金色の髪をした魔法使いのイケメンさんはワルツのステップでも踏みそうな軽やかな微笑を浮かべた。


「大丈夫大丈夫、君ならそれの力を使うなりして自力で何とか生き残れるだろうからね。私は高みの見物とさせてもらうよ。ああそれと、私は君の血を諦めないよ」

「何をいくら積まれたってあなたになんか大事な血はあげないわよ!」

「ふふっそうかい? ああそうそう忘れているようだから教えておくと、私の名はアーネスト。君は気軽にアーニーと呼んでくれていたよ。またそう呼んでくれて構わない」

「ちょっと人の話聞いてる!? 絶対に呼ばないし!」

「そう? まあいいけれどね。君の監獄生活がつつがなく終わるよう願っているよ。それでは御機嫌よう、我が未来の伴侶アイリス・ローゼンバーグ嬢」


 勝手な言葉を告げた彼は流れるように身を翻した。

 動きに合わせてローブの裾と長い金の髪がふわりと優雅に広がって、不覚にも心のどこかでやっぱり場違いだわなんて思ってハッと我に返った。

 アーネストの姿が空気に溶けていく。


「あっまだこっちの話は終わってないわよ! そもそも何が伴侶っ、自力でどうにか出来るって何っ、あなたが何とかしなさいよおおおーーーーッ!!」


 しばらくわんわんと私のけたたましい怒声だけが虚しく地下牢に反響していた。





 その後は、大声を聞き付けた監視兵達がやって来て牢の中でも枷を付けられたくなければ大人しくしていろって叱るって言うかまあ、脅された。私だって好き好んで騒がしくしていたわけじゃないのにね。


「うぬぬぬぬ……ッ、全部あのアーネストとか言うワル魔法使いのせいよ!」


 ギリリと歯噛みして激しく地団駄を踏んで悔しがってみたところで何も変わりはしない。気遣いの眼差しを見せるチビ鳥を腕に抱きながら消化不良な気分で地べたに座り込む。チビ鳥は気を利かせて兵士が来た時は姿を隠していたから存在がバレたりはしなかった。

 そう言えば夕食に手を付けていなかったって思い出せば少しは食欲も湧いてくる。疲れ果てていた心身もたぶん一時的に怒りのおかげで活性化しているんだわ。食べられる時に食べておかないとってわけで、私はとりあえず冷え切った不味い囚人食を嫌そうな面持ちで口にしようとしたんだけど、チビ鳥が私の腕の中から飛び出して食事に向けて小さな炎を吐いた。


「えっいやあの待って、不味いだろうけど折角の食事を消し炭にするのはさすがにちょっと……って――あ、何だ温めてくれたのね。変なこと言ってごめんね」


 カビなんてほぼ気にならないこんがりトーストパンと塩分ゴリゴリ控えめ熱々スープの出来上がりだった。表面や中身の温度でこうもどん底メニューが普通っぽい食事に早変わりなんてね。不死鳥に大感謝だわ。

 栄養面はさておき物理的に胃がそこそこ埋まれば少しは人心地もつけるってもので、焦っていたさっきまではすっかりどこかに追いやられていた思考もぽっと前面に出てきた。


「はあ、今すぐウィリアムに会いたい……」


 案外私の投獄は世間でそこまで大きく取り上げられていないのかもしれない……なんて楽観はしない。何せワル魔法使いアーネストが丹精込めて立ててくれた超級に迷惑な私の新規死亡フラグだもの。

 だから、ウィリアムが何らかのルートで知るのも時間の問題だとは思う。

 彼なら知ったら即座に魔法を使って素っ飛んで来てくれるんじゃないかしらね。

 でも情報の伝播に地理的な要因で時間が掛かると思うから過度な期待はしないわ。


 でも、だけど、せめて三日後までにはもう一度顔を見て声を聞きたい。


 とは言え、今度ばかりはどうやってフラグを回避すればいいのか皆目見当もつかないから仮に会えたとしても心配しか掛けないわよね。うーん、ジレンマ。悶々と一人で考え込んでいても埒が明かずチビ鳥を湯たんぽ代わりにお腹に抱えていたら温かさのおかげかその日はもう起きていられなくていつしか眠ってしまった。

 私の心細さを察してくれていたのかチビ鳥は精霊世界には帰らず、翌日目が覚めるまで私の傍に居てくれた。

 牢獄生活二日目。

 思う存分に甘えさせた不死鳥を精霊界に戻して、一人粗末な昼食のパンをちびちび口に運びつつあーでもないこーでもないって考えていたら、もう何度も耳にした見回りの兵士達の足音が聞こえてきた。


 だけど二人じゃなくその足音の数が多い。


 医療ドラマの院内回診みたいな大人数での牢内巡回もあるのかしら? まあどうせ囚人Aには牢内事情なんて関係ないけどねー。ちょっと不貞腐れた気分で床に座って壁に寄り掛かったまま私は自分の血を使って脱獄すべきかと悩んだ頭でじっと掌を眺めた。


「姉様!」


 興味もないからと通路に気を向けていなかった私は、突然の少女の声にビックリして顔を撥ね上げた。


「この声……――ニコルちゃん!」


 そこにはこの世界での二人と居ない実妹ニコル・ローゼンバーグが立っていた。


 彼女の後ろにはこの世界での両親の姿も見える。ニコルちゃんはハの字眉にした悲しげな面持ちで鉄格子に突進するような勢いで格子を掴んだ。片手には何かの重そうな荷包みを抱えていたから空いている方の手で。

 私も急いで立つと服に付いた埃を払うのも忘れて鉄格子の前まで駆け寄った。格子越しの接触を懸念したのか彼女は兵士によって牢の前からやや離されたけど、その目はずっと私を真っ直ぐに見つめている。


「ニコルちゃん、それにお父様お母様、わざわざ来てくれたのね」

「ああ。可愛い娘が囚われたのだ、当然だろう。それにどう考えてもお前の罪状は納得がいかん。直談判も兼ねてな」

「お父様……。心配かけてごめんなさい」

「アイリス、具合は大丈夫なの? 護送馬車の中では沢山吐いたと聞きましたよ」


 伯爵と夫人も兵士から止められない距離を保って私を心配そうに見つめた。


「お母様もごめんなさい。だけどもうほとんど大丈夫よ」


 本当はまだ本調子じゃないけど無駄に心配を掛けたくなくて微笑んでみせれば、夫人は基本お人好しで騙され易い性格だからか安堵を浮かべた。伯爵とニコルちゃんの二人はさすがに強がりだって見抜いて微妙な顔をしていたけど。


「あなたへの差し入れも許可が降りなくて……不甲斐ない母親でごめんなさい」

「そんなことないわお母様。それがここのルールなら仕方がないもの。だから気に病まないで。お父様、わたくしは大丈夫だからお母様をもうここから連れ出してあげて? 国家転覆なんて目論んでいないしこれは何かの誤解なのよ。きっとすぐに出られるわ」


 心労もあるんだろうけど、こんな環境の悪い場所に来て伯爵夫人の方が余程倒れそうな顔色をしていた。気を遣って促せば伯爵は私の意を酌んでくれた。


「わかった。くれぐれも体調を崩したりするではないよ。私もお前が一刻でも早く出られるように尽力するつもりだ」

「ええ、ありがとうお父様」

「ニコル、私達は先に地上に戻っているぞ」

「はい、後はぼくに任せて下さい」


 二人が案内の兵士と共に去ると、ニコルちゃんが今日までの皆の大まかな流れを話してくれた。連行された私を追って王都まで来たニコルちゃん達は昨日のうちに面会を申し込んでいたらしいんだけど、昨日は時間の関係か他の関係か許可は降りなかったみたい。ならせめて差し入れの食糧だけでもって粘ったらしいけどそれも却下されたって話。

 だけどめげずに今日も面会を求めたらあっさり許可が降りたそうだ。


「――そういうわけでようやく、一週間ぶりにこのように姉様の御尊顔を拝することが適いました。このニコル、恐悦至極です!」


 相変わらずの私への傾倒っぷりで、ニコルちゃんはこっちを見つめてうっとりした。

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