67 波乱は予期せずに
「近いうちにまた来るよ。その時に結婚の日取りも決めよう。まあ俺としてはその前に大々的に婚約式もやりたい所だけどな」
「そこはニコルちゃんと婚約してしばらく経っての変更なんだし、私としても変に目立ちたくないから省きましょ」
要らぬ憶測を浴びたくない一心で告げればウィリアムは不服そうにしたけど、私の言う事も一理あると思ったのかしつこく言ってはこなかった。
結局昨晩は何もなくて……というかメイドさん達の目もやけに光っていたからさせなかったんだけど、まあ隣で静かに寝ているくらいはいいかと許した翌日、つまりはウィリアムの帰郷の日、私は家族や使用人と一緒に本邸の玄関前まで見送りに出ていた。
「まあ結婚してしまえばこっちのものだしな」
「え、それどういう意味? 何か言い方が悪どいんですけど」
「してみればわかる」
その言いようってめっちゃ不安だわ。何か企んでるの?
こっちの猜疑を感じ取ったのかウィリアムは何だか少し拍子抜けしたような面持ちで耳打ちしてきた。
「君が名実共に俺のものになって、正当な理由で他の奴には手出しできないように独占できるから万歳って意味だよ」
「え」
「だから、早くしたいんだ」
「ななな……っ」
「結婚を」
「そっ……そう」
最後ら辺の台詞は声に妙な色気を伴っていて、他意を感じた。わざとなんだってわかったけどわかっていても赤面を避けられなかったのは悔しい限りだわ。幸い際どい会話内容は周りには聞こえてなかっただろうけど、皆がいるのに何考えてるのよこの男っ!
玄関ポーチには二頭立ての馬車が待機して、御者のおじさんの横顔は職務熱心そうだ。
ウィリアムとは前世も合わせれば決して短くはない交際期間だけど、結婚についてはまだ先って感覚だっただけにハッキリ言われるとやっぱりちょっと照れ臭い。
「ところで、本当に一緒に来るつもりはないのか?」
「今はまだやめておくわ。ご両親へのご挨拶はまた改めてってことで。本邸修復の進捗は
「そうか、残念だな。……密室同然の馬車で甘い二人の時間を過ごせると思ったんだが」
「なっ……」
後半部分は声を小さくして顔を近付けられて言われた。俗に言う睦言を囁くってやつね。今度は耳打ちじゃなかったから余計に恥ずかしい。屋敷のほぼ皆が居る前での遠慮のないやりようにとうとう文句の一つも言ってやろうすれば、彼は私より先に言葉を続けた。
「アイリス、俺のいない間、――本当に気を付けるんだぞ。まあ伯爵がいるから平気とは思うが」
「え、気を付ける……?」
一転して向こうの眼差しが深刻さを帯びたようにも見えて怪訝の色を浮かべれば、彼はちらりとローゼンバーグ伯爵を見やる。何? 伯爵の方はさっきからの私達のやり取りをかなり不満たらたらな目で見てるけど。
「くれぐれも悪い男には引っ掛かるなよ?」
釣られて伯爵を見やった直後、頬に軽い吃音と共にキスをされた。唖然と目を見開く私へとしてやったりって笑みを閃かせたウィリアムは後は颯爽と馬車に乗り込んだ。
皆の面前だったから頬ちゅーで済んだのかもしれなかったけど、それでも皆に見られている前でこれとか、大事な婚約者が大いなる恥ずかしさで悶死してもいいの!? ねえ!?
彼はとっくに伯爵家の皆にそつなく挨拶をしていて、最後の最後に私のとこに来ていたから好き放題していったってわけだった。
頬を押さえた私に動き出す窓越しに睨まれたまま、更には伯爵とニコルちゃんからショッキングな顔を向けられたまま、彼は涼しい顔で去っていった。
馬車がローゼンバーグ家本邸の庭を出て、そこからも正門まで結構ある道のりを木々で遮られて見えなくなるまで何となく見送ってからゆっくりと踵を返す。
「本当に行っちゃった……」
ウィリアムとはこっちで目覚めてからほとんど一緒にいたから、彼のいない生活が始まる実感という実感がまだ湧かなくて変な気分だった。
「姉様、ぼくがいますからそのような寂しいお顔をなさらないで下さい。姉様がお望みでしたらこのぼくがいつでもどこまでもお慰め致します」
「……ええ、うん、その気持ちだけもらっておくわね、ありがとうニコルちゃん」
屋敷の皆は仕事もあるしで馬車が庭を出た辺りでそれぞれ散っていった中、彼女は見送る私に黙って付き合ってくれていた。頭を撫で撫でしてあげると嬉しそうに両目を細めてどさくさなのか抱き付いてきた。
その後やっぱりウィリアムからのキスを間近で目撃して拗ねていたのかニコルちゃんはより私にべったりで、家庭教師達も苦笑いしていた。
アイリスも彼女も今はもう学校に籍を置いているわけじゃない。だから勉強は揃って家庭教師に来てもらっていた。アイリスは離れで謹慎中だったし
私は、アイリスは心を入れ替えたって周囲に行動で示すためにも手始めにもう一度カテキョに教わりたいって申し出た。伯爵は承諾してくれたわ。この世界の文化や歴史とかをよく知っておきたかったからちょうど良かったのよね。
ただ何故か、先生方は全員年配の既婚女性だった。
話は脱線したけど、そう言えばウィリアムは再訪の時期の明言はしなかった。
まあ当然かもね。彼は多忙だろうから。
時短したかっただろうけど、魔法使いだってバレないよう帰路は普通に馬車と鉄道で何日もかけて戻るんだって言っていた。
鉄道を使っても片道トータル十日前後はかかる程にローゼンバーグ家とマクガフィン家は領地が離れている。
でも十日で行き来できるなら近い方なんだって。この国ってどれだけ広いのよねー。因みに馬車だけだったら月単位はかかる行程とも聞いた。ここを出発して半月以上は経過しているから何もなければ実家には着いていると思うけど、彼からすればすごく不便よね。まあ仕方がないか。
ああそうそう、滞在中気を利かせたウィリアムから沢山の緯線と経線の間に冒険心を擽られるようなセピア色の地図を見せてもらったけど、うーん確かに両家は遠くて近かった。
地図を見れば一目瞭然にも、三大公爵家であるマクガフィン家はさすがに領地も広大で、同じく他二つの公爵家も同程度の規模を有していた。
王都も王城も国王直轄地である王領にあり三公爵家より少し面積の大きなそれはこの国の地図中央にどしりと腰を据えて広がっていて、その王領を中心に正三角形の各頂点のように均等に各公爵家の領地が位置しているのは建国時から意図されたものらしい。決して領地同士が近しくならないようそうなっているんだとか。
領地が離れているのが互いの内情を知るまでの時間ロスにもなって、それが牽制となって内乱を防ぐと期待されているんだとか何とか。
でもそれって昔の話よね? 今じゃもっと早く移動できるし、何より転移魔法があるから厳密には牽制の効果は薄いんじゃないかしら。
この国は王家と公爵家、それら四家の領地の間に大小細々とした幾つもの貴族領が嵌めこまれている。無論ローゼンバーグ家もその一つのピースだ。
いつか色んな場所に行ってみたいなって思うわ。
まあとりあえず、これでようやく平穏なローゼンバーグ家の日々が始まったんだし私はここで少しずつでも地固めしていこうと思う。
悪役令嬢じゃなく普通の伯爵令嬢として周りに認めてもらうのが目下の目標よ。
そのために日記をきちんと読み進め謝罪する相手のリストアップ作業も進めた。相変わらず日記はお気楽でニコルちゃんはシスコンで両親はまだちょっと私に遠慮するようにしつつも魔法の血を時々心配する物言いをしてくれる。
アイリスが雇ったワル魔法使いは実験が失敗した事を知らないのか、知っていても元々そこまで興味がなかったのか、今の所私に接触してくる気配はない。
安心して良いのよね……? 本音を言えば、身に覚えのない借金取りが突然来るかもしれないようなそんな漠然とした不安はあった。日記にも特に有用な情報がない正体不明の相手じゃこっちから有効な対策を取りようもないし、何も起きないのを願うしかない。
だけど、ウィリアムがいなくなって一月程経ったある日、その不安な予感はある意味的中である意味外れた。
青天の
「――アイリス・ローゼンバーグ、この者を国家転覆を謀った咎で王都に連行する!」
私はちょうど庭先で花壇をいじっていたんだけど、ザッザッと乱暴とも取れる重厚な靴音が近付いてきたから最初何事かってギョッとしちゃったわ。
視線の先から近付いて来たのは何とも屈強な兵士達。
庭いじりをしていたせいもあって定番の黒ドレスを身に纏っていなかったけど、兵士に気付いて駆け付けてきた屋敷の皆とは違ってそんな伯爵令嬢らしからぬくたくたの作業着姿を見ても、やってきた彼らはさすがは職業軍人なのか眉一つ動かさなかった。
そうして私の目の前まで来て「アイリス・ローゼンバーグ嬢だな?」って確認してきたの。
戸惑いからぎこちなくも頷けば、わざわざ書状を広げてまるで国王陛下の宣旨みたいに先の罪状文をでかい声で読み上げたってわけ。
全く以て何を言われているのかわからなかった。
意地悪罪だったらわかるけど国家転覆罪ってのはさすがにレベルが違い過ぎる。
周囲も同様で、思わぬ重罪に目を白黒させていた。
夢でも見ているように誰一人動けない間に、私は両側から拘束されてあれよあれよって離れの門前に停められた窓に鉄格子の付いた護送用馬車に押し込められた。ああドナドナ~の予感がひしひしとするわ。
「姉様っ!? あなた方姉様に何をするのですか! 突然の連行など、このような暴挙が許されると!? 絶対に何かの間違いです!」
あっニコルちゃん!
報告を受けて急いで結構距離のあるお隣の本邸から駆け付けたんだろう彼女は額に汗で息を切らして抗弁しながら私の方に来ようとする。兵士達に阻まれるもめげずに何度も試みた。ニコルちゃん……っ。
彼女に遅ればせながら伯爵夫婦も駆け付けてきて私達の光景にとても驚いたわ。
「これは一体全体どういうことですかな?」
一応は王都からの遣いだからか伯爵の兵士への応対は丁寧だ。
だけどその目は決して
彼らの横ではニコルちゃんが尚も食い下がってくれている。
ああ、アイリスは何て良い家族を持っていたんだろう。こんな時なのに感動しちゃったじゃない。彼女に代わって大事にしなきゃって心底思う。
「姉様を解放して下さい!」
「済みませんご令嬢、我々は連行の命令を遂行するのみです。弁明は王都でアイリス嬢自らがなさるでしょう」
「そんな……ッ」
どうにもこうにも、ここで何を言った所で私の王都連行はもう覆らない決定事項みたいね。
どこか他人事のような感覚で呆然と馬車に押し込められていた私はようやく思考が回り出し、格子窓の隙間からニコルちゃん達に叫んだ。
「大丈夫! だって私何もしてないもの! すぐに帰ってくるわ! だからそれまで無茶しないで待ってて!」
「ですが……!」
「いい加減にしないか! しつこいぞ!」
更に前に出ようとしたニコルちゃんを苛立った兵士の一人が強く押して、彼女は「きゃっ」と小さく声を上げて地面に倒れ込んだ。
「ニコルちゃん!」
伯爵達屋敷の皆も「ニコル」「ニコル様」と口々に叫んで駆け寄った。
兵士はちょっとバツが悪そうにしたけど謝罪はしなかった。
……もう、何なの?
全然事情はわからないけど私が連行されれば文句ないんでしょ?
なのに、よりにもよってニコルちゃんを転ばせるなんて赦せない。
「――謝りなさい」
軋ませる程に格子を強く握りしめ沸々とした感情のままに咽を震わせれば、怒気に満ち満ちた低い声が放たれた。
その声は一瞬皆の意識を私に向けさせるのには十分なくらい殺気を孕んでいたみたい。
「ニコルに、私の大事な妹に謝りなさい」
上げた菫の
私の煮え滾るような叱責にも圧されて無意識に一歩足を引くとその兵士はニコルちゃんに短く詫びた。
「そう、それでいいわ。わたくしを連れて行くのでしょう? ならさっさとして頂戴。もうこうして馬車に乗っているじゃないの。あなた達は愚図なの? のろまなの? 些事にかかずらあっている暇があるなら、とっとと王都まで連行なさい、え? ほら早く!」
最後の方はもうブチ切れた私は不死鳥さながらの三白眼で声高々に兵士達へ罵倒と命令をぶつけた。
出で立ちは農夫みたいだったけど、顔立ちの美しい令嬢から飛び出た粗野な言葉の数々に王都の兵士達は揃って絶句していた。
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