66 新たなる異世界生活の幕開け3

 心構えっていう程頑丈じゃないけど、私の心には余裕が生まれていた。俄然やる気も出てきたわ。


「そうよね図太く行こうじゃないの。異世界での大先輩のウィリアムだっているんだし、夢の快適生活を目指してゴーよ! これから当面の間はきっと骨の折れそうな日々になるだろうけど、ファイト~!」


 寄り掛かっていたウィリアムから離れて拳を握って意気込めば、すかさず肩を抱き戻された。思いもかけずまた密着する格好になってごきゅっと生唾を飲み込んじゃったわ。


「ん~? 骨の折れる日々って~? 死亡フラグは回避したし、悠々自適伯爵令嬢ライフの開幕じゃないの~?」


 日記は不思議そうにした。


「そう行きたいところだけど、そうも行かないでしょ。私はアイリス・ローゼンバーグなんだもの」

「どういうこと?」

「自滅フラグに関しての投獄如何は、隠してくれた伯爵……お父様のおかげで心配する必要はなさそうだけど、快適な生活のためには前の私がやらかしたあれこれを各方面に謝罪して回らないといけないなーって思うの。今後のためにも禍根は残さずってね。ウィリアムともそう決めたし」

「へえ、律儀だね~」

「正直俺は、君の心労になる連中なんて放っておけばいいと思う。何なら黙らせるしな。何も君が心を砕く必要はないんじゃないか?」

「ええー今更それ言う? 仕方がないでしょ。あなたと結婚したら社交界で顔を合わせる人だっているだろうし、心穏やかな将来への根回しよ根回し」

「俺と結婚したら……なんて当然のように言ってくれるんだな」

「へ? だって婚約したんだし、するでしょ?」


 キョトンとしていれば、私を抱き寄せるウィリアムの手にぐっと力が込められた。


「安心してくれ、俺は君のためのどんな努力も惜しまない」


 ついでに頭にたぶんきっとこれはキスって感触が落とされる。

 何故か口元を笑みの形のまま日記がいつものイラッとくる半眼になったけど、何よとじろりと睨んでやったら明後日の方向へと目を逸らされた。

 葵の時を一とすれば十くらいに増したスキンシップの極甘さに戦慄さえする私は努めて気にしないふりをする。指摘したら負けだって何か思うもの!


「それじゃあボクも君のためにこの身を捧げるよ~」

「え、捧げる……?」

「さあさあ遠慮せず張り切ってボクの中身を隅々まで精査して~。ボクの何を、そしてどんなボクを見られても、君になら全部許しちゃう~」

「言い方!」


 この破廉恥日記! 絶対わざとね。見てなさいよ、そのうち表紙に立派な口髭を描いてやるんだから。


「と、とにかく、そういう方向で行くから、二人共よろしく!」


 何だか甘い雰囲気になりそうだったのもあって耐えられず、ちょっと勢いを付けて長椅子から立ち上がった私は振り返ってそう告げた後、一先ず別のドレスに着替えたくてウィリアムに部屋から出てもらった。別に日記まで出て行かせる必要はなかったけど、ウィリアムが掴んで連れて行った。


「……ボクさっきは君がアイリスに更にキスの三つ四つはして慰めて、長椅子に押し倒しちゃうと思ったよ~」

「彼女の不安につけ込む真似はしたくない」

「ふうん、婚約者になっての余裕?」

「まあ否定はしない。これからの俺達にはそういう機会ならたっぷりあるしな。焦らず程々に行くさ」


 廊下で日記とウィリアムが密かにそんな会話を交わしていたなんて露知らず、着替えてさあアイリス・ローゼンバーグとして第二の人生(仮)を謳歌するぞーっと気分一新した私は、手始めにまず離れをそのまま継続して自室にすると決めた。

 元々誰が使っているでもなかったし、伯爵にお伺いを立てたら許可してくれたから良かったわ。

 ただ、ウィリアムは続き部屋から出て本邸の部屋に戻るように言われていたっけ。

 伯爵は今までは敢えて目を瞑っていたというか、アイリスとの関係が微妙だったから口出しできずにいたみたい。だけど今はまだ少しぎこちないながらも、娘の私への気遣いというか溺愛パパ心をチラ見せしてくる。

 既成事実はあるものの、やっぱり未婚の娘の部屋に婚約者であろうと男性がいるのはけしからんらしいわ。そこは同棲も珍しくない現代日本とはだいぶ観念が違うみたい。

 他方、ニコルちゃんは私の部屋と遠いままなのをがっかりしていたけど、またメイドをやれば問題ないなんて言い出して私はメイド達から凄い目で睨まれちゃったわ。勿論丁重にお断りした。

 それに本音を言えば、やっぱりまだまだ厳しい目で見られる悪女アイリスだもの、屋敷にいる間くらい向けられる煩わしい視線や心ない陰口から遠ざかりたかった。

 ああそれから、ウィリアムは伝手だかコネだかで屋敷修復の凄腕職人プロ達を手配してくれてこの日のうちに作業が始まった。

 彼はやっぱり中々に仕事が早いわね。伯爵もその厚意には感謝していたしその手際にも感心していた。将来の婿としての評価はちょっと上がったっぽい。


 わかってはいたけど、ウィリアムって本当に有能なんだ。


 立場は王子様だし超絶イケメンだし、恋人なんて言うまでもなく選び放題よね。


 ちょっとだけ、私で釣り合うのかなって考えちゃったわ。


 まあ幸か不幸か、そんなネガティブ思考で悩んでいる暇なんてなかったけど。





 今夜もローゼンバーグ家離れのとある扉が開かれる。

 バーンとド派手な迷惑音と共に。


「アイリス様僭越せんえつながら深夜のお掃除に参りました!」

「え、要らな…」

「深夜の方が人の出入りの多い日中と異なり、埃が床に降りているでしょうから、綺麗になりますよ。さあ皆、取り掛かりなさい!」

「「「はい!」」」


 私は可愛い黒のナイトキャップの下で半分瞼を落とした寝ぼけ顔のまま、ベッドの上で掃除が終わるまで何度も欠伸あくびをして待った。頭と揃いの黒い寝間着もフリフリレースで可愛らしい。

 メイド達はベッドの下からカーテンの裏側まで隈なく清掃してくれた。


「ウィリアム様は出てきた?」

「いえ、どこにも」

「おかしいわね、確かに物音がしたと思ったのに。戻るわよ」


 ぞろぞろと皆で悔しそうに退室していくと、私はようやく無言のまま枕にポスッと倒れ込む。

 だけど、眠れる気がしない。

 何故って? それは……。


「アイリス様美容に良いお夜食をお持ち致しました!」

「いえあの太るからこんな時間に食べな…」

「あなた様はもう少し肉付きを良くされた方が宜しいのです。そうすればお胸の方もより一層お育ちに」

「余計なお世話よ。標準だもの」


 またメイド達が押し入ってくるってわかっていたからよ。

 今度も眠気を我慢して、私は私の口にメイドが突っ込んできたニンニク系の料理を牛が草を食むようにゆっくりと咀嚼そしゃくした。お口がニンニク臭い……。キス防止用かしらねー。

 でもきっとまだ終わりじゃない。

 現に退室してまた来た。


「ウィリアム様はご無事ですか!?」

「ええと彼に何の危険が? むしろ私の方を案じてほしいわよ」


 こんな感じでメイド達は連夜何度も私の寝室を訪れる。

 今夜も怒涛のあらためがようやく終わると、いつの間にやら私のベッドに現れたウィリアムが「執念だな」とうんざりしていそうな声を出した。

 きっと魔法で姿を隠してどこかで見ていたに違いない。


「……執念も何も、あなたが本邸の部屋にいないから、こうして私が安眠妨害を被ってるのよ」


 腹が立って叩き出そうとすれば、逆に両手をベッドに押さえ込まれた。


「なっ……」

「今夜が滞在最後の夜なんだ」

「だ、だから?」

「夜這い」

「……っ、それいつものことでしょ!」


「――失礼致しますアイリス様! 今確かにウィリアム様のお声が……」


 まだ居た……。


「彼女達の嗅覚には恐れ入る」


 あらあら見つかったウィリアム様ってば台詞とは裏腹に全く恐れ入っていないご様子。

 メイド達が見る間に目を吊り上げる。


「「「「アイリス様、あなた様は本当に何という悪女なのですかーーーーッッ!」」」」


 ああもう、何なのよ……私のせいなのこれ?

 メイド達の「ウィリアム様奪還作戦」のおかげで、ここ何日と私の安眠は確実に妨害されていた。メイド達が帰ってからは帰ってからでふと温かさを感じて目を覚ますとウィリアムが一緒に寝ているのだから参る。

 しかも昨日なんて、朝起きたら知らない間に首筋が何か所か赤くなってたし!

 鏡を見て絶句よ絶句。

 彼の事は好きだから別にそういう展開になっても嫌じゃないけど、ここは貴族としての体裁とか一応は気にしないといけないみたいだし、適さない時に軽率な行為には走れない。


 だけどウィリアムは、この夜が明ければここを去る。


 婚約者変更の旨を記した伯爵の正式な手紙を持って、マクガフィン家に一度戻るつもりみたい。仕事もあるんだとか。まあそりゃそうよね。休暇申請してここに来たとか言ってたもの。こうしてみると彼って実は結構忙しい人なのよね。

 しばらくは寂しいけど我慢我慢。

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