65 新たなる異世界生活の幕開け2
「そのまま来てしまったけど、離れに戻って良かったんだよな」
「あ、ええうん」
離れの敷地に一歩踏み入ってから振り返ったウィリアムからやや気まずそうに問われ、私は小さく笑ってしまった。もしも別の場所に行くつもりだったのにって言ったらどんな顔をしたかしら。
幾分胸を撫で下ろした風情のウィリアムと依然手繋ぎしたまま部屋まで戻ると、やっぱりいつもの長椅子に向かい合った。今はいつもと違って、その間には日記がふよふよと浮かんでいたけど。
「さて、話してもらおうか。先に改めての自己紹介をしておくと、俺はウィリアムである以前に星宮葵でもある。美琴と同じ日本からの転生者だ」
開口一番ウィリアムが日記を見据えて堂々と彼の秘密を暴露した。
さすがに私も驚いたけどそれだけ真面目で真剣なんだわ。嘘偽りや誤魔化しは通用しないって目が言ってるもの。
日記は「へえ~そうなんだ」って多少驚きはしたけど概ね平然としていた。
「反応が淡白だけど、実は転生者ってそんなに珍しくもない存在なの?」
「まさかあ~、とてもレアだよ。でも立場上そういう相手と他にも接した経験があるから大袈裟には驚かないだけ~」
「えっ、そうなんだ」
日記って見た目は日記だけどやっぱり中身は日記じゃないんだ!?
ああでも神様の遣いだし天使とかだったりするのかも。今は日記に身を
日記はウィリアムを横目に見ると軽く握った手を口元に持っていった。
「えーコホン、ボクは神様から遣わされ、美琴の転生に関わるあれやこれやをサポートする存在だよ。ゲーム的に言えばとっても有難い助言の数々を授けるNPCだね。でもまさかウィリアム、君まで転生者とは思わなかったけど」
日記はこの世界においては秘密にすべき話を躊躇なく喋った。
「ねえ日記、いくらウィリアムが私と同じく転生者でも、本当に暴露しちゃって大丈夫なの? 実は今度こそ禁止事項に抵触したりしない?」
「平気平気~」
「ならいいけど、もしまた死んだふりで騙したら……本気で暖炉にくべるから。昨日のは完全に赦したわけでもないしね」
まだ根に持っているってわかったのか私の据わった目に一瞬日記は凍り付いたように動きを止めたけど、お気楽口調で「もうしないよ~」とすぐに再起動した。
はあ、今までの私の気苦労や気遣いってなんだったのかしらね……。ハハ、徒労感が半端ない。まあそこはこっちが一歩譲って我慢するわ。
「お互いの秘密がわかったところで、じゃあ早速本題に入りましょ。いいわよね?」
背筋を伸ばしてウィリアムと日記を順に見やれば、一人と一冊は口々に了承した。
「それで、どういうことなの? 私も葵も向こうで死んでなかったのに、またこっち来ちゃったんだけど」
すると日記は待ってましたと言わんばかりに胸を張る。
「ああそれね~。ウィリアムの方は担当外だからわからないけど、君の場合は手違いの手違いだったみたい。またこっちに来ちゃったのは、そのせいで魂の所属世界が曖昧になっちゃったからだよ」
「どういうこと?」
何となく感覚としてはわかるような気がしたけど、もっと深く理解したくて訊ねれば日記は指を一本立てた。
「簡単に言えば君はこっちでもあっちでも生きてるってことかな」
「それってパラレルワールド的な感じ?」
「違う違う。意識の主体がどちらにあるか、だよ。ボクは前も言った通り向こうの世界のことは管轄外で詳しくは知らないけど、向こうじゃ君の意識は眠っている状態なんじゃないの?」
「あ、そういえば確かに気が遠くなったっけ」
私の証言に日記は頷きの代わりに「でしょでしょ~」と言葉で相槌を示した。
「つまり、世界を股に掛けた二重生活ってわけ? 勘弁だわ……」
「まあまあそう言わないでよ~」
ひらりと身を翻した日記から肩に労いの手を置かれた。
「君がいなかったら、アイリス・ローゼンバーグは既に死んじゃっててこの世にはいなかった。性格はどうあれ美少女が一人減るっていう悲しい事態になってたんだよ~。だから折角なんだし楽しんで生きなよね~」
「あなたって口だけは達者よね」
「え~アハハ、ボクの中には文字しかないんだもの、こうやって文字を語る以外、ボクにどんな特技があると思うのさ~」
「……どうせ中身は単なる日記じゃないくせによく言うわよ」
「アハハ~」
少し詰ってやりたい気分でいるとウィリアムが
「ところで、また日本に戻れるのか? だとすればそれはいつだ?」
「それは良い質問だね! 戻れるかどうかは切実だもんね」
日記はピコーンと頭に電球でも点灯したみたいな顔を作った。
「――そこはボクにもわからない!」
「「…………」」
頼りない拳を握り締めての超力説だった。
「え……嘘でしょ?」
「冗談みたいな顔だが、冗談を言ったようには見えないぞ」
そんな上手い台詞は要らないわよ……。
「いつ戻るかなんて特に神様の領域だから、ボクには確かなことは何も言えないんだよ~」
「そんな……神様って意地悪だわ。だったら一時でも日本で目を覚ます必要ってあったの?」
そこは日記としても何とも言えないのか、本当に曖昧に「ん~」としか言わなかった。
「まあだけど半ば強制的にこっちの世界に戻されたなら、今はこっちへの帰属力が強く働いてるんだと思う。だからしばらくはこっちの世界で過ごすしかないよ。帰属力がどちらに向かうかまでは神様にもどうにもできないし、そう責めないであげてよ」
「神様なのに?」
「神様は魂の振り子の紐を切ったり結んだりはできても、その振れ幅は周囲との調和に任せてる、そういう感じかな」
「なるほどな。抽象的な例をどうも」
「えっウィリアムってばなるほどって納得しちゃうの? 出来ちゃうの?」
「現状するほかないだろう」
「それはそうだけど……なるようにしかならないって投げ槍に聞こえるわ」
「そういうことだろうからな」
「そ~そ~」
えー……。
さすがに彼にはNPCはいないようだけど、葵も私と同じような状態だって考えていいのよね。言葉の端端から彼自身もそう思っている節があるし。私と違ってこっちでの生活の方に慣れて長いから落ち着いていられるのかも。彼的にはウィリアムとしての人生の延長だろうしね。だけどこっちは感覚的にはガラリと変わっちゃってて不安の方が大きいわ。
曇らせた表情にありありと感情が表れていたのか、徐に腰を上げたウィリアムがこっちの長椅子に移ってきて私の肩を抱いた。
心配するなとか、大丈夫だとか、気休めの言葉は掛けて来なかった。ただただ不安定に揺れる私の気持ちを優しく包み込んでくれるみたいに寄り添ってくれている。沁みるような思いやりに突っ撥ねる気は起きなくて、私は素直に甘えた。心拍もさっきより穏やかになって気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
「ありがとう、葵……ウィリアム」
彼は返事の代わりに吐息だけで小さく笑うようにすると、肩を抱く手でそっと私の前髪を梳いてくれる。
日記は両手で目を隠して見て見ぬふりをしてるけど、指の隙間から覗いてるのがバレバレだった。
「そうよね、わからない以上文句を垂れても駄々を捏ねても詮無いわよね。よーしわかったわ。こっちでアイリスでいる限りはアイリスをやるしかないのね。その後どうなるかもそのうち自ずとわかるってことで」
悩んだ末に元気を取り戻して告げれば、日記はちょっと困ったように自分の人差し指と人差し指をツンツンと合わせた。しかも可愛らしく……はないけど上目遣い。
「役に立たなくてごめんね?」
更には、傍に寄って来て吹けば飛ぶような手で頭を撫で撫でされて、すっかり日記への憤りは失せてしまった。
「……いいわよ。そりゃあなたは日記で神様じゃないんだし、わからないことはあるでしょ」
「じゃあ、昨日君を騙したことも赦してくれる?」
「じゃあって……どさくさね。だけどまあいいわ、仕方がないからもう赦してあげる。ホントに二度とああいう悪ふざけはしないでよ?」
「ホント!? ありがと~! もう絶対にしない!」
「えっわっちょっと!」
日記ってば私の頭に飛び付いて嬉しがったけど、厚手の表紙がゴリゴリして痛いわよ!
すると何故かウィリアムが日記を引っぺがしてぺっと宙に放った。
日記は自分で難なく浮いたけど、ちょっと手荒だったんじゃ……?
そんなウィリアムは何でもない顔で戸惑った私の頬を撫でてくる。
「何にせよこっちで仲良くやっていこう。美琴、いやアイリス」
彼の顔で優しい葵スマイルをされれば、昨日までのイメージとのギャップもあったし、元よりその美々しさに内心で「はうっ」てなって胸を押さえちゃったわ。一瞬にして顔も体も火照っちゃってこの人ホント危険物だわって改めて思った。ニコルちゃんには朝から興奮するなって言ったのに、言ったそばから私がこうなってどうするのよね。鼻血を出す前に弛んだ心を戒めないと。
「え、ええ。よろしく」
眉の間にグッと力を込めて平静を装っての台詞だけど、きっと頬は赤かった。
彼はそんな私の動揺と見栄をわかっているのか微かに苦笑った。
これからを思い描けばやっぱりまだまだ知らない世界に不安はあるけど、その他全部は彼と一緒なんだって思えば、心強くてこそばゆかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます