68 量刑
「ううっ……ちょ、ちょっと停めて……っ」
切羽詰まった私の声に、護送の隊列は本日何度目だろう進行停止を余儀なくされた。
私を見張るために中に一緒に乗っていた兵士の一人がギョッとした顔で叫ぶ。
「おっおい袋を早く持って来てくれ! 壺でも箱でも何でもいいから早くしろーっ!」
「うっ……うううもう限界~~~~ッッ」
「ちょ、待て待て待てえええっうわあああ俺の服があああっ」
ガタガタと小刻みに前後左右の揺れがくる決して乗り心地の良いとは言えない護送馬車の中、私は車酔いと必死に闘っていた。
そしてほとんど、その我慢という闘いに負けていた。
「持って来たぞ新しいゲロ吐き袋――ってああ遅かったか……。アイリス嬢、少し休みを入れるのでそれまでに体調を整えてくれ」
「イ、イエップ……――うっ」
「いいからもう喋るなあああっ」
最後のは中の兵士の絶叫。即席でエチケット袋用にした袋を持って停まった馬車を覗き込んできた兵士はすっごく気の毒そうな顔で同僚を見やっていたっけ。
だってだって仕方がないでしょ、馬車のこんなアトラクション張りの酷い揺れなんて生まれて初めてだったんだもの。ウィリアム達と乗った時は乗車時間が短かったのもあったとは思うけど良い馬車だったのか全然苦じゃなかったのになあ。
この馬車は座席だってクッションもないからずっと座っていたらお尻が痛くなったし踏んだり蹴ったりよ。
もうこうなると突然の連行への不安以前の問題で、しょっちゅう吐き気を催す私のせいで中断されるこの護送が無事に終わるのかって感じだわ。
ローゼンバーグ家から王都まではおよそ馬車で四日掛かるって聞いたけど、今日でその四日目よ。それなのに格子窓の外は未だに王都の影すら見えてこない長閑な田園地帯。
絶対に当初の日程よりずれ込んでいるわよね。
「ええと、ホホ、ごめんなさいね」
「いや、少し安静にしていた方がいい」
「そうね、ありがとう」
弱々しく微笑めば、私が服を汚しちゃった兵士は鼻を抓みたそうな顔で器用に頬を赤くしたけど、外から呼ばれてハッとすると別の兵士と交代して着替えのためか馬車を降りた。ははあ~ん腐っても美少女よね。
出発した最初のうちは兵士達も出発間際の出来事もあって皆にこりともせずどこか態度が硬かったけど、私が悪女にあるまじきって感じのひっどい醜態を晒し続けた結果なのか、普通に会話くらいはしてくれるようになった。怪我の功名ってやつよね。
それにしてもこの先この世界に長くいるかもしれないなら、馬車くらい慣れておかないと駄目だわ。日本じゃ滅多に車酔いなんてしなかったのに何と言うか前途多難。
正直ちょっと吐き過ぎて食欲もなくて力も出ないし、早く王都に着いてほしい……。
言い加えておくと、これは折悪しく馬車内に置いてたゲロ吐き袋が切れちゃった末の惨事だった。
馬車の前後左右には見張りの騎乗兵が張り付いて、道幅によって位置を臨機応変に前後させていた。ちょっと文句を言わせてもらえば、自分からさっさと連れてけって言った手前逃げたりしないわよ。
最初は厳重に手錠を掛けられていたんだけど、あんまりにも私が吐くもんだからって一時的に手錠は外されている。自由が利くのは有難かったものの王都までの間、体調と気持ちの面から知らない景色をのんびり眺めている気にはなれなかった。
ホントまさか、こんな大事になるなんてね……。
国家転覆だなんて大罪じゃないの。
アイリスってばいつそんな悪行を計画したの?
少なくともここ半年の間の日記にはざっと見それっぽい悪事はなかったわよ。それとも細かく読み込んでいけばそういう記載も見つけられた?
ああでもとにかく現状思い当たる節なんてないから王都に行ったら思う存分に申し開きをしてやるわ。
……なーんて息巻いていた私だったけど、更に二日かけての夕刻近くに王都到着後すぐに手足に枷を嵌められて連れて行かれた法廷では、信じられない事にろくな詮議もされず発言もほとんど許されなかった。
だって何か言おうとするとくるくる巻き毛のかつらを付けたバッハみたいな判事がダンダンダンッて五月蠅く木槌を叩くんだもの。発言を認めておらんとか叫ぶし口を噤むしかなかった。
罪人扱いされている私を中央に、通って来た通路以外周囲をぐるりと囲むように一段も二段も高くなっている席には判事以外に貴族なのか身なりの良い男女が座して私を見ていた。さも嫌悪するような目で。あれが噂の悪女、とか故意に聞かせるための陰口まで聞こえてきたわ。いや~な感じ!
何だか不思議の国のアリスが裁判を受ける場面みたい。今にもハートの女王が出てきて首をちょん切れとか言いそうね。
異様な雰囲気の中、私ってば殊勝にも弁明のタイミングを待つように大人しく我慢していたんだけど……。
「生家のローゼンバーグ家やその周辺に甚大な被害を及ぼす計画を画策し、実行しようとしたその罪深き身勝手な振る舞いは公序良俗に反し目に余る。改心したように周囲を欺き続け、あまつさえ他者の命さえも巻き込もうとしたその性根の醜悪さは如何ともし難く、酌量の余地もない」
「えっ?」
述べられた内容にビックリした。
それは事実だけど未遂だったし、大体どうして公に知られているの?
伯爵主導で隠蔽したから外部には漏れていないはずよね。
動揺と困惑を浮かべる私を見下ろす判事は尚も厳しい目で続けた。
「この者は悪しき魔法使いとも通じ、ローゼンバーグの屋敷を手始めに国家全体に及ぶ破壊工作を計画し、国家反逆および国家転覆を目論んでいた。この国のどこの領民であろうと臣民は国の宝、国土も国の宝、それを害し損なおうとした罪は非常に重い」
「ええっ? 何よそれ知らないわ!」
寝耳に水だった。やっと遮られずに抗弁できた私だったけど、聞く耳を持ってくれる人間はこの場に一人も居なかった。
そもそも全ては最初から仕組まれていたんだとは、後で知った。
私の量刑は私が何を言おうとも既に決定済みでこの法廷は形式だけのもの、つまりは茶番。
「――よって以上の点から、アイリス・ローゼンバーグ伯爵令嬢を三日後、死罪に処する」
「えっ……?」
私の呆然とした声以外、水を打ったように法廷内は静まり返った。
刹那、娯楽を楽しむ歓声のような声がわっと法廷全体から上がった。
「し、死罪って死罪よね……? え、何で? どうして? 死罪って…………いやーッちょっと待ってどゆことーーーーッッ!?」
おでこの少し上辺りで判事の言葉がぐるぐる回り続けている。
「こんな不公正で理不尽な裁判ってないわよ! 裁判ですらないじゃないの! これはもしかして魔女狩りなの!?」
その時、無情なまでの木槌の音が会場内に高らかにこだました。
「これにて閉廷とする」
「ちょっと待てこらーーーーッッ!!」
喚く私を煩わしそうに見下ろしてのバッハ判事(勝手に命名)は、宣言を最後にさっさと奥に引っ込んだ。
「そんな……」
アイリスが仕込んだ死亡フラグを阻止して安心かと思いきや、まるでドミノ倒しみたいに新たな死亡フラグが倒れ込んできた。ぬりかべみたいにでっかいのが。
アハハ、傍から見れば人生二度も断罪された女よね私って。しかも今回は実家に謹慎で済んだ前回の比じゃない危険度でしょこれッ。
こうして両手両足に枷が嵌められていたら逃げる事だってできない。
ウィリアムは現在マクガフィン公爵家の領地に戻っているだろうから当然ここ王都には居ない。
誰かが知らせない限り私がここに居るなんて思いもしないわよね。ニコルちゃんや伯爵が速達を送ってくれていても、王都よりも遠いマクガフィン家に届くまでは時間も掛かると思うわ。日本だったらメールを送ればすぐだけどこっちの世界はそうもいかないみたいだもの。
まあ魔法を使えば話は別だけど、皆ウィリアムみたいに万能チートを持っているわけじゃない。
知ったらきっとすごく心配するわよね。
心配なんて掛けたくないのに……。
もうどっちが私のメインの舞台なのかわからないけど、こんなならああ今すぐ美琴に戻りたい。
だってこのまま処刑されちゃったら……死んじゃったら、私本当にどうなるの?
日本に戻るだけ?
それとも残機ゼロで人生やり直しも不可能になっちゃう?
いやーっそんなのいやーっ。大体こっちで死んで日本に戻れたとしても葵が一緒じゃなきゃ意味がない。だからそうよこんな所で死んでなんていられない。
「立つんだ」
「……へ?」
枷から伸びる鎖の先を手にする強面の兵士から冷淡に促され私は法廷で無自覚にもへたり込んでいたんだって気付いた。
法廷にいる兵士は護送の兵士とは顔ぶれが異なった。それはそうよね担当とか配置があるんだろうし。
周囲は敵しかいない。
今ここでどんなに嘆いてみた所でどうにもできない。
私はどこか感情が麻痺したような感覚のまま歩き出す。のろのろとしていたせいか時々兵士から鎖を引っ張られて前進を急かされ転びそうになった。たたらを踏んだだけで転ばなかったけど自分に向けられる苛立ちの眼差しに両肩が小さく震えた。
怖い、心細い……とても。
それでもこんな言いがかりも甚だしい現実に負けたくなくて顎を毅然と上げたけど、通路を歩く間見下ろしてくる見知らぬ誰か達からの悪意がきつかった。
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