51 囚われの悪役令嬢3

 さらりとした金髪が馬車内のランプの明かりを受け、昼間とはやや違った落ち着いた光沢を放つ。


「あ、はは……ウィリアム……ごきげんよう」


 どうして居るの、なんて疑問は湧かなかった。

 ニコルちゃんの様子から、彼が私を転送魔法で屋敷牢から連れ出してくれたんだってわかったもの。

 一方、私の姿を見てもウィリアムはジトッと睨んでくるだけだった。


 あー、まー、そりゃまだ怒ってますよねー。


「あっそうでした、姉様、実はビル兄様が色々と魔法的に必要な準備をなさったので、精霊が暴れようと屋敷が壊滅する心配はないので安心して下さい」

「え、そう…なの……?」


 純粋な驚愕を目に浮かべれば、彼はまだじっと不機嫌に私を見据えたまま「まあな」と頷いた。

 正直、屋敷の皆は助けても、もう私には関わろうとしないと思った。

 悪女なんて疫病神以外の何物でもないもの。

 別に自分を卑下してるわけじゃない。客観的な意見よ。


 だけど、私を気に掛けてくれた。


 そう思うと胸が詰まって込み上げるものがあったけど、その感情が明確な形にならない。

 それに、外されない彼の視線に段々と落ち着かない気分になってくる。

 見ないでとも言えず、ウィリアムの眼差しから逃げるように頭を下げていた。


「ありがとうウィリアム。あと、ごめんなさい。私あなたを誤解してたみたい。私に怒ってもう知らんってなったのかと思ってたから」


 ついぎゅっと日記を握る手に力を込めちゃって痛くて少し肩を強張らせれば、ニコルちゃんが彼女に近い方の私の手首を掴んだ。

 で、反対の手首を何故かウィリアムも。


「ええと二人共……?」


 一瞬痛みを忘れて困惑しきりにすれば、ウィリアムが私の手から日記を引き抜いて向かいの席に放った。


「ああちょっと何するのよ!」

「君は自分の手よりもその暗黒日記の方が大切なのか?」


 彼にお前馬鹿だろって暗に言われたみたいだった。憤慨の色もある。何気に暗黒日記とか言ったし。ほらあニコルちゃんが興味深そうに日記を見つめてるじゃないのよもう。彼女の悪口も書いてあるから見せられないってのに。

 だけどそれ以上に気まずくて掴まれている手を引っ込めようかどうしようかと逡巡していると、ニコルちゃんの方に動きがあった。


「姉様、お待たせしてごめんなさい。その怪我今すぐぼくが治しますね」

「えっ!」


 噴水の時みたいに嘗めようとしてきたからかなり焦って身を引いたら必然的にウィリアムの方に寄り掛かる羽目になった。

 あわわ喧嘩中も同然の相手に何やってるのよ私はってこれまた慌てて身を離そうとしたら急に手の痛みがなくなった。


「ああ抜け駆けは狡いですビル兄様!」


 抜け駆けかどうかは別として、ウィリアムが私の傷を治したみたい。付着していた血も綺麗にしてくれた。


「……ど、どうもありがとう」


 何となく目を見れなくて逸らしたら、あからさまに溜息をつかれた。


「その態度、君は俺が怒っていると思っているんだろう?」

「……実際そうでしょ」

「別に、俺とは日も浅いし、君にそう思われても仕方がない」


 日も浅いという台詞にニコルちゃんが小首を傾げたけど、内心焦った私と違ってウィリアムは気にした様子もなく話を続けた。


「ただ、君に怒っているってのは間違ってないけどな。でも俺の理由と君が思う俺の理由は違う」

「そうかしら」

「君のあの時の過剰演技にはこちらから何も言うことはないが……」


 あの時がどの時かなんて彼に確認するまでもない。


「問題は中身だ。話せばこれ以上俺の協力を得られないと思ったのか? 俺なりに結構尽力したつもりだし、君から信用を得られるようにも努力したつもりだったんだがな。なのにいつ決めたにせよ俺に一切相談もなかった。だから腹立たしい」


 眉間を寄せ目を閉じ、仏頂面をしていても絵になるウィリアム様は横を向いてフンと鼻息も荒く腕組みした。

 私にはピンとくるものがあった。

 え、もしかしてこの人……拗ねてるの?

 そうと気付けば心の底から湧き上がる感情がある。


 ――何か可愛い?


 中身だけ見れば私の方が年上だって感覚はずっとあって、そのせいかな。

 苦笑いを噛み殺し、彼の頭に手を伸ばす。


「何だ?」


 反射的にこっちを振り向いてびっくりしたように手を払いのけようとしたから、強引に手を押し込んで撫でた。


「ふふふふ、ありがとウィリアム」


 ニコルちゃんが指をくわえて羨ましげにする傍で、尻上がりにお礼の言葉を紡いでにんまりした。またちょっと目を瞠った彼は今度は子供扱いに憤ったのか再び不機嫌そうにしたけど。


「……今のうちだけだぞ」

「え? 何が?」

「別に……」


 その後、ニコルちゃんの方も撫でてあげてここまでの経緯をもっと詳しく聞いた。

 ウィリアムは一度ローゼンバーグ家を離れて必要な場所に必要な物を取りに行ってたみたい。移動の大半で魔法を使ったらしいけど、秘密にしておきたい能力を使う辺りそれだけ状況が厳しくて時間を無駄に出来ないって思ってくれたんだわ。

 仕事も早くて、屋敷を防衛するための魔法や魔法具を幾重にも仕掛けてくれたようだし。

 牢に入れられた私の状況は途中から把握したみたいだけど、精霊にも抗し得る魔法網を構築するのに忙しくしていて手が回らなかったみたい。伯爵から私の解放許可が出なかったのもあって勝手に連れ出すのも控えたんだとか。でも魔法的用意が整ったから事後報告でいいやってこうして私を呼び寄せたみたい。

 もう何なのかしらね。屋敷を放棄しようとか言っておきながら陰でそんなヒーローしてくれてたなんて、グッときちゃうじゃない。


「ただ、厳重に魔法を張ったと言ってもおそらく一部は防げないだろう。よって屋敷に残っていた伯爵達は余所へと転送させてもらった」


 ああもしかしてだから誰も来なかったのね。


「それなら安心ね。あ、ねえお父様が魔法使いを呼んだみたいなんだけど、その人は何もしてなかったの?」

「ああ、フードを被ったのが居たが、力が及ばないと感じたのか、屋敷に何かを施す様子はなかったぞ。かえって俺の気配を悟られないように注意しないといけなかったから邪魔だった。そいつも伯爵たちと一緒に転送してやったよ」

「へえ」


 ウィリアムは取るに足らないものでも語るようにしたけど、伯爵が呼んだのは王都の有能な魔法使いなんじゃなかったっけ?

 そう考えるとこの人のチートさを実感しちゃうわね。


「ところで、暴れる精霊の方はどうなるの?」

「気の済むまで暴れて溜飲が下がれば自ずと自らの世界に帰るだろう」

「ええとそれって周辺の街にまで危険が及ぶ可能性は?」

「指定範囲外に攻撃することは確率的には低いだろうが、一応周辺にも屋敷以上の強度の障壁魔法が発動するようにしてある。だから屋敷より安全だよ。無論ここも含めてな」


 じゃあ今居る場所ってすぐ近くの街なのね。

 塔から眺めた景色の中にいるんだわ私。

 思わず好奇心が疼いてウィリアムを押し退けてカーテンを開け窓の外を見やれば、確かにどこかの街の見慣れない建物がある。

 予想通り地面は石畳で、煉瓦や石材の建築物が多い西洋風の街並みが広がっていた。

 ローゼンバーグ家所領の夜の街は控えめな光に満たされ、ベッドの中の領民達はぬくぬくと安らかな夢の中にいるに違いない。


「ねえ屋敷ってここからどっち方向?」

「ちょうど今見えている方角だな」

「ふうん」

「隙を見て戻ろうなんて思うなよ」

「そうですよ姉様、行かせません」


 お見通しでしたー。いくら強固にしたって言っても万一の事があるかもしれないし、だから戻ろうと思ったのに……。これは簡単には馬車を降りられそうにない。


「はあ、二人の気持ちはわかったわ。大人しくします」


 とりあえず今は。

 カーテンを引いて席にお行儀よく座れば二人はどこかホッとした様子を見せた。


 けど、知らないから――私に発動する転送魔法の存在を。


 明日の夜までに隙を見て戻れなければ、どうせ私が何もしないでも転送されるからそれに任せるしかない。


「そう言えばニコルちゃんのメイド達は?」

「ああそれでしたら――……」


 彼女達は後方の馬車に乗っているらしいわ。私がここに転送されたって知らないみたい。一緒に乗っていないのはウィリアムと二人きりを邪魔しないようにって思ってみたいだけど、お気の毒に……。

 当然だけど、日記は貝のように口を開かない。二人がいるし、そもそも装丁が血染め日記になっちゃって怒っているのかもしれないわ。後で綺麗になるといいんだけど。


 そんな時、カーテン越しに馬車内が突如光が閃くように明るくなった。それはすぐに治まったけど、強烈な雷光とか火柱なんかが瞬間的に上がったのにも似ていた。


「い、今の何?」


 窓に一番近いウィリアムよりも先に手を伸ばして急いでカーテンを開けた私は大きく目を見開いた。

 二人もハッと息を呑む。


 ローゼンバーグの屋敷の空が赤い。


「何、あれ……? ――ウィリアム今何時!?」


 窓から離れてそう問えば、ウィリアムが貴族に定番の金の懐中時計を取り出して長い指先でパカッと蓋を開いた。あごを引きやや伏し目がちにした目元が時刻を確認する。この人って意外にまつげ長いわよね~眼福眼福……ってそれどころじゃないんだった。


「もうすぐ〇時だ」

「え……もうすぐ? もうとかジャストじゃなくて? まだなの?」

「それがどうかしたのか?」


 私の狼狽にウィリアムは何かが普通じゃないと気付いたようで「まさか……」と目を瞠った。冷静な彼らしく次には動揺を呑み込んだように黙り込んだけど。他方、ニコルちゃんは顔を蒼白にしていた。無理もない。

 発動は明日の夜のはずだし、〇時でもない。

 全く条件にそぐわないけど、一体何が起きているの?


 そんな時、向かいの座席に置かれていた日記にふと目が止まった。


 これは本当に何となくって言っていい直感で、私は何かがあるような気がしてそれを手に取った。日記内容の傾向性を知っているウィリアムはともかくニコルちゃんには読まれたくなかったのもあって一人だけ向かい側に移動して中を開く。


「アイリス、その日記は君の……だよな?」

「そうだけど」


 元祖のね。ウィリアムは日記の表紙を知っているし、どうしてそんな見ればわかるような事を訊いてくるのかわからず不可解に思って顔を上げれば、彼はじっと日記を睨んでいる。


「ええと何か?」

「知らない気配、いやここに来て馴染みになったと言っていいのか、今回の一連の仕掛け人と同じ魔法の気配がするんだよ」

「……」


 ワル魔法使いはアイリスに内緒で一度この日記に隠しメッセージを仕込んでいる。その時の名残を鋭くも察知したの? それとも……ご新規さん?

 後者だったらえらいこっちゃってわけで私は急いで中身をチェックする。とりわけ隠しメッセージがあった辺りを。


「あっ……た……。――あいつううう~っ!」


 ふるふると怒りに肩を震わせる私の目の前には、ワル魔法使いからの新たなメッセージが横たわっていた。


 ――親愛なるアイリス嬢へ。そうそう忘れないうちにもう一つ記しておくと、君がローゼンバーグの屋敷を離れた場合、仕掛けた魔法が一気に前倒しで発動するようにしておいたよ。


「なっ!?」


 ――曖昧な言い方を避ければ、正式な方の正門を出た時点で起動すると思ってくれていい。だから本邸や離れを出て広い庭を散策に出たくらいじゃ問題はないけれど……もしもこれを読んでいるのなら逃げようとでもしたのかい? わざわざ広い敷地を出ない限りはこの文字は浮かび上がらないようになっているからね。


 めっちゃ出ちゃってるじゃない。しかも現在地はもう正門どころか近くの街中だし。


 ――破滅魔法がどの程度残っているのかは知らないけれど、これで確実に逃げ道はないと思ってくれていい。喜ばしくも君の希望は叶うはずだよ。それじゃあ冥土への良き旅を。……親切な共犯者より。


「ぐぬぬぬぬっ、何なのよ、ホンット何なのよワル魔法使いの奴ううう~っ!」


 憤りの余り膝の上に日記を置いて頭を抱える。

 向かいの二人は私の「ワル魔法使い」って呼称に怪訝そうに瞬いたけど、私は日記を開いたままだったからメッセージが見えたみたい。揃って表情から温さを消した。


「なるほどそうか、こんな奴と関わっていたんだな、アイリス嬢は。とにかく落ち着け。防御魔法が機能するはずだ」

「そうですよ姉様! ぼくとビル兄様が一緒ですから余裕でへっちゃらなのです!」

「ああ。魔法具も魔力も大半を使ってしまったから全員でここから転移はちょっと無理だが、障壁を越えてきた攻撃を防ぐくらいは可能だ。だから今から戻ろうなんて思うなよ」

「そうですよ全力でお止めします」


 いやいや今から馬車を降りたって徒歩じゃ間に合わないでしょー。

 心配性の二人に内心ちょっと苦笑しちゃったわ。

 でもそんなに信用ないのかしら私って。


 だけど……それで正解よ。


 私は二人を前に居住まいを正した。


「先に謝っておくわ。これからちょっと二人を驚かせるだろうから、だからごめんね」


 言った直後、私の足元から光が上がってきた。

 わ~見計らったみたいにタイミングい~。

 微かに手先が震えた。

 武者震い? 恐怖? 正直よくわからない。


「なっ、転送魔法だと!?」

「一体誰が!?」


 二人は姿なき第三者に思い至ったようで気掛かりな目で私を見据えた。

 私は私で二人の瞳を順に見つめる。


「落ち着いて。私ちょっと行ってくるわ」

「アイリス!」

「姉様!」


 手を伸ばしてくる二人へと、私は日記を咄嗟に放り出す。


 指先から重さが消える。


 二人が居るのに、日記は一瞬動揺に顔と手足を表出させた。


 あらあらうっかりしてるわよ。


「……少しそこで大人しくしてなさいよね」


 日記へ向けてだけど、二人に向けてでもある言葉を小さく唇に乗せた。


「アイリス!」

「姉様!」


 もうこうなりゃ是が非でもフラグを折ってみせるわ。


 虚勢なのか使命感なのか自分でもわからず微笑んで、私は中央塔に転送される魔法の光渦に潔く身をゆだねた。

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