50 囚われの悪役令嬢2
まさに囚人の待遇に相応しいボロ寝台に横になる気にはどうしてもなれなかった私は、その上には乗った。雪やこんこんの冬みたいに凍ったりはしないけど、それでも直に石の床って結構冷えるもの。
「何だ結局使うんだね~。埃臭いからって嫌そうにしてたのに」
「さすがにこのボロ毛布を掛けて寝はしないけど、女の子は腰を冷やしちゃいけないのよ」
気取って言ったら日記は定番の半眼になった。
ハイハイ中身はもう女の子って歳じゃないですけどね!
そんな日記を傍らに、三角座りする。
塔の一番内側にあるせいで窓がないから朝になってもここに光は射さない。蝋燭の補充は必須だわ。予備を頂戴って次の食事の時にでも頼もうっと。
体を丸めてじっとしていると精神的な不安もあってかじわじわと末端が冷えてくる。
「ちょっと寒いわね……。はあ、背に腹は代えられないか」
私はいそいそとボロ毛布を引き寄せて肩から羽織った。埃のせいでくしゃみは出たけど体を冷やすよりはいい。
「何もできずにただその時を待つ身って辛いわね。時計もないから時間だってわからないし。ねえあなたNPCなんだし時間くらいはわからない?」
「わかるよ~」
「ホント? さすがは腐ってもNPC!」
「……も~教えてあげないよ?」
時間がわかるなら気持ち的に少し楽だわ。ちょっとだけホッとしたら何だか食後のせいもあって眠くなって、少し寝ようと膝に回した両腕の間に顔を埋めた。
沢山歩き回って疲れていたみたいでいつの間にか本格的に眠っちゃったわ。
朝が来たって知ったのは朝食の差し入れのために扉の連絡窓を開けた門番が声を掛けてきたからよ。目を擦りながら食事を受け取った私は忘れずに補充用の蝋燭を催促した。
そう言えば連絡窓から押し込んだのか扉の下に綺麗な毛布が落ちてたっけ。もしかしたら伯爵には内緒の門番達の心遣いなのかもしれない。実を言えば夜はほんの少しだけ寒かったけどこれで風邪を引く心配はなくなったわ。
その後も日記を読んだり気分転換に体操をしたりと変わり映えなく過ごしたけど、刻々と時間だけが過ぎていってるんだって思うだけで焦燥が増していく。
自分の血で魔法を試してみる案も浮かんだけど、凶悪なラスボスを前に無駄遣いはしたくないし、ここは風見鶏の真下に位置している。私の血が誤発動の誘因になってチュドーンなんて御免だからやめておいた。
昼食後も変化はなく、とうとう夕食を運ばれた際にはさすがに現状を訊ねたわ。今回もわざわざ二人で食事を運んできた門番達は、伯爵が呼んだ魔法使いは来たけど進捗はよくわからないって言ってたわ。二人は私の監視と世話が主な仕事だから他の事は教えてもらってないみたい。
話は逸れるけど、遅ればせながらも毛布のお礼を言ったら変な顔をされたっけ。
彼らじゃなかったのかしら……。
「ふう、伯爵が呼んだ魔法使いが下手な事して、これが最後の晩餐にならないといいわね」
「同感~」
ボロ机に陣取って、冷めてはいても味は良いスープをスプーンで掬いながら嘆きにも似た呟きを落とせば、こんな明日をも知れない状況だってのに日記の声は妙に呑気で思わず笑いの紐を引かれてくすりとした。思い返せば、短い付き合いの中でも私ってばこいつに結構救われてたのよね。
食事を終え、トレーの上に静かに銀食器を置くと、私は机の端に器用に腰掛けている日記へひたと目を向けた。
視線に気付いた日記がくるりとこっちを向いて怪訝そうにする。
「何さ~、足りなかった~? だけどそんなに熱く見つめてもボクは食べられないよ。君がヤギだって言うなら別だけど~?」
全くこれだから……。
「ね」
「だから何さ~?」
「今までありがと」
虚を突かれたように日記はぱっちりと両目を見開いた。
私は徐に手を伸ばして日記を両手で持ち上げて筋トレ……じゃなく、小さな女の子が大事なお人形を眺めるみたいにする。
「あなた口も性格も悪いけど、悪くないNPCだと思うわ。私生き残るつもりだから、これからもよろしくね」
感動して言葉もないのか、日記はポカンとしたような顔のまま……かと思えば、急に目を吊り上げて怒り顔になった。
「ちょっと君さ、そういう感動的な台詞は死亡フラグ確定キャラの台詞だよ! ボクは超すごいNPCなんだし、これが神様から頼まれた仕事なんだから、いちいち君がもう思い残すこともないわ~みたいな雰囲気出して感謝するとか要らないから!」
「え、いや別に思い残しがないとか微塵も思ってないけど」
「とにかく、良い人だったのにって惜しまれつつも死んじゃうキャラなんて演じなくていいんだよ。何せ君は悪役令嬢なんだしね!」
威張り腐るガキ大将みたいに両手を腰に当てて睨んでくる日記を、今度は私の方がポカンとして見つめちゃったわ。こいつってば失礼な日記だわ。感謝も薄れに薄れてプロ作の大根の桂剥きの方がまだ厚いわねって程になったわよ。
だけど……。
「天の邪鬼」
嬉しくてにやつきそうになるのを堪えた。
何だか俄然やる気が湧いてきて、今夜もただ徒に牢の住人でいるなんてグータラしてる場合じゃないって思い直したわよ。タイムリミットは明日の夜に迫っているんだし本当ならもっと焦るべきなんだった。
「よーし、もうこうなりゃなりふり構っていられないわ」
「アイリス、何をする気~?」
「まずは目一杯騒ぐ!」
「え~……」
私は頭脳派じゃないから何かと何かで化学反応を起こして云々とかって土台無理。だから昨日は途中で諦めた方法を長々と試そうと思う。
そんなわけで私は扉を何度も何度も何度も何度も叩きまくって叫びまくった。昨日は手も痛かったし時間も半端だったけど、腹を据えた今日は声は枯れて手の皮だって剥けた。見張りの二人は食事運びの時だけこっちに来るわけじゃないって思いたい。きっと定期的に私の様子に聞き耳を立てるように言われているに決まってるわ。ここに一度も様子を見に来ない伯爵だっていくら牢の中とは言え問題児アイリスは問題児アイリスでしかないんだし、私が何かやらかしてないかって懸念はあると思うから全くの放置って線は考えにくいもの。
昨日騒いでも反応がなかったのは騒ぎ度が人並みだったからよね。
だから私は正気の
本当にずっとずっとずっとずっと。
一時間経って二時間経って、とうとう三時間は経った。日記がそう言ったから。
日記は見兼ねてもうやめなよって言ったけど私は頑固にもやめなかった。腕が痛いし扉には手のか皮が剥けて裂けて滲んだ血の跡が付いている。咽の奥だってとっくにもう血の味がして散々よ。血で誤発動の心配はあったけど、そこは魔法を使うとかそういう働きをさせなかったおかげか未だに何も起きていない。
痛くて泣きそうだし、そろそろ軋んだ腕の骨が疲労骨折だってしそうなのに 、私の見当違いだったのか見張りの二人が来る気配は一向にない。
私、本当にこのままなの……?
悔しいけど薄ら涙が滲んできた。石の床に手からの血が滴って赤丸い染みを増やしていく。
ううん、こんなくらいで挫けないわ。発火ドレスの時はもっと怖かったんだし、まだまだこれくらい序の口よ。
少なくとも明日の朝にはこの惨状を見るでしょ。その時に手当てで扉を開けるかもしれないし、チャンスはきっとあるはずよ。
痛みを堪えて更なる行動を開始しようとした時、日記があたふたした声を上げた。
「ア、アイリス!」
「何よ急に焦っちゃって。止めても無駄よ」
「そうじゃなくて、足元!」
「足元?」
大半の人間の天敵とも言える黒い甲虫でもいた? まあこの世界にも生息しているのかは知らないけど。マジにいたらそれはそれで嫌だわって気持ちも抱きつつ怪訝な目を足元へと落とす。
「――えっ!?」
何とそこには魔法陣が出現していた。
しかもきっとこれ転送魔法だわ。そう思うのは同系統の魔法は魔法陣も似るのか、噴水女神の所で見たのと似ていたからだ。
頭が真っ白になって思わず傍に浮いていた日記をぐわしって両手で鷲掴んで揺さぶった。血が付いちゃったかもしれないけどそんな事にまで気を配っている余裕なんて一ミリもない。
「どゆことどゆことどゆことおおおー!? ててて転送魔法ってでもまだ全然発動時じゃないはずなのに、ど う い う こ と !?」
「ボ、ボクにもわからないよ~!」
「こんなポンコツNPCと心中なんて真っ平なんだからあああ~!」
言葉とは真逆にも日記を後生大事に胸に抱き締めたパニクる思考ごと、刹那、足元からの眩い白光に呑み込まれた。
今回もイレギュラーなのかもしれない。
中央塔の尖がり屋根に転送されるなら転げ落ちないように足腰に力を入れないと。眩しくて目を閉じちゃったけどそこは感覚を研ぎ澄ませてカバーよ。私に隠された足裏の真の足つぼパワーよ目覚めよーッ……なんてふざけている場合じゃない。
だけどふと全身の感覚に意識を巡らせれば、腰も足裏も背中もやけに安定してるじゃないの。椅子に腰掛けてるみたいに。それに外って感じでもない。もしかしてまだ屋敷牢?
日記をしっかりと抱き締めているのがわかってホッとした。
だけど、日記はただの日記になっている。……。
「ってゆーかここって……馬車の中?」
尖がり屋根の上じゃなかった。
走っているのか規則的な揺れがお尻の下からくるし、正面にも座席があってその上部に覗き小窓が付いている。こんな内装をテレビや漫画で見た事あるし、紛れもなく馬車よね。
一応は馬がいるか確認しようとした矢先、視界の中にひょいっと人の顔が飛び込んだ。
そう思って確認しようとした矢先、視界の中にひょいっと人の顔が飛び込んだ。
びっくりして咄嗟に声も出なかった私の代わりに相手が悲痛な声を上げる。
「姉様! ああ姉様、見ないうちにこんなにやつれてしまわれて……ッ。それにどうしたのですかそのお手の怪我は!」
「あ、ええとこれは……」
「お声までガラガラに……ッ、一体何があったのですか!?」
目の前の中性的な美少女の顔が今にも涙を浮かべそうにくしゃりと歪む。
だけど菫色の瞳が稀なる宝石みたいにキラキラしていて頬の赤みは最早健康そのもの。
「ニコルちゃんこそ、もう平気なの?」
現在地の疑問よりも、昨日の今日でどうして彼女がこんなにピンピンしてるのって驚きの方が大きかった。だってまだ自己治癒できるような感じじゃなかったでしょ? あと三日くらいは安静にして療養してないと駄目かなって思ってたんだけど。
彼女は私の問い掛けに一旦どこか恥じらうような面持ちになって私の左隣に体を戻すとジッと上目遣いで見つめてくる。ただその両手は隙あらば私の手を嘗めて治そうとしてかいつでも捕まえ準備OKと構えられている。
「早く治せば一緒のお出掛け先で姉様と背中洗いっこをできると思ったら、とんでもなく
「うん? また良くなったなら何よりね。ところで私を転送したのはニコルちゃんなの? 治癒魔法しかできないんじゃなかったっけ?」
「え? いえ姉様その~……お気付きでないのですか?」
「何を?」
ニコルちゃんは戸惑ったように私の顔と、そしてその向こうら辺を見やった。
「そういえばさっきから大きなホッカイロでも右隣にあるような気がしてるのよね」
「え? ホ、ホッカイロ……とは?」
「……アイリス、それはわざとなのか? いつまで俺に気付かないフリをするつもりだ?」
すっごく聞き覚えのある声に、私は気まずさを堪えて仕方なくそちらを向いた。
隣に座るもう一人、ウィリアムの方を。
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