49 囚われの悪役令嬢1
必然、ランプが床に落ちて割れた鋭い破砕音と日記が床にぶつかった重く鈍い音がほぼ同時に上がった。
ランプのオイルが漏れ出して小さな炎を上げたけど、少量だったし石の床だったのが幸いして、そのままにしておいても大事はなさそうだった。
「なっ、ちょっと何なのっ、放して!」
私を拘束してきたのは背後の一人かと思いきやもう一人いて、気付けば立ったまま動けないよう両側からがっちり腕と肩を押さえられていた。
「一体何なの!? 私への仕返し!? そんなことしても解決なんてしないわよ!」
「大人しくしなさいアイリス」
ああ、まだ一人いたのね。
号令の声主を忘れてた。でもどこかで聞いた声ね。
私に見えるように暗がりから進み出てきたその人は、目の前の部屋から漏れる光に輪郭を淡く照らし出された。
「お父様……っ!?」
伯爵ってば逃げたんじゃなかったのね。
まあ確かに養女の暴挙一つで、先祖代々の屋敷をおいそれと棄てるなんて容易にできるわけがないんだわ。
彼の前じゃどうして私を拘束するのかなんて愚問も浮かばない。
よく見れば私を捕まえている男二人は離れの門の見張りだった二人だわ。
「アイリス、取り返しの付かない状況になる前に、魔法を解くのだ」
「それは無理な注文ですわお父様。今はもう夜ですし無理に出て行けとは申しませんけど、明日の早朝にでもお逃げになることを強くお勧め致しますわ」
あくまでも悪役令嬢然として言ってやれば、伯爵は大きな溜息をついた。
「ならばその魔法はこちらでどうにか防ぐしかあるまいな」
防ぐ? 怒れる精霊をどうやって抑え込むの?
ウィリアムでさえ断念したのに無謀よそんなの。
「このわたくしが周到に計画したものを防げるとお思いですの? おわかりでないようですのでお教え致しますけれど、炎の精霊が大暴れするんですのよ」
「精霊、だと……!? 魔法は精霊魔法なのか!?」
教養としての魔法の知識があるのか一瞬伯爵は鼻白んだ。そんな変化を目の当たりにすれば魔法知識の乏しい私でも理解が及ぶ。
そっか、やっぱり精霊魔法って桁違いに強いのね。
「ええ、ですから逃げられるうちにどうぞ。ああそうそうタイムリミットは明後日の夜ですわ。そのような猶予を設けたのも、腹を立てはしましたけれどわたくしだって本音では無為に育ての親の命まで取りたいわけではないからです」
精霊魔法だけじゃなく期限も知り動揺を深めるかと思いきや、伯爵は退かないと言った様子だった。
「なれば精霊にも対処のできるような優秀な魔法使い殿に来てもらうまでだ」
え、そこまで言い切る自信のある超有能なのに当てがあるの? それならこっちだって願ったりよ。まあでも不確実な希望は持てないから顔には出さないように努めた。
「お言葉ですけれどお父様、解除しようとするいかなる魔法も無駄ですわ。誰がいらしてもどうせ徒労に終わりますわよ? むしろ巻き込まれてお気の毒にもその魔法使いの方も昇天ですわ。それでもお呼びになると?」
臆さず全然余裕って感じで嘲笑してやれば、伯爵は何かを言いたげに私の顔をじっと見た。
結局何も言いはしなかったけど、日記を拾うとその分厚さと重さに僅かに眉をひそめてからそれを見張り番の片方に手渡す。即座に燃やせとか言うかと思ったけど違うみたいで良かった。
「お前にはこれ以上馬鹿な真似をされないよう、少し大人しくしていてもらう。――例の場所へ連れていけ」
伯爵の指示に門衛だった二人は「はい旦那様」と短く畏まった返事をする。
「やめて何処に連れてく気よ! 例の場所って何なのっ放して!」
激しく両足をバタ付かせて暴れてみたけど、蹴り付けようとも逞しい男達はまるで堪えた様子もなく易々と私を引っ張っていく。うち片方は伯爵から新たにランプを受け取り、もう片方は変わらず小脇に日記を抱えたまま私の拘束を寸分も緩めないで暗い廊下を進んでいく。
「お父様っ冗談じゃなく放して下さい! わたくしが居ないとホントにここは消し炭になるわ! お父様っ!」
首をギリギリまで回して背後を見やったけど、伯爵はそんな私を見送るでもなく「重々反省するように」と背を向けた。
明かりの漏れていた部屋の扉が開き、中から白髪の執事トムソンが出てきて恭しく主人を中へと促した。
残っていたのは伯爵とその周辺だけだったのか、いくら喚いても誰かが様子見に来る気配はなかった。それでも諦めず声を張り上げ続けた私だったけど周囲の壁が何の装飾もない石壁に変わった所でようやく騒ぐのをやめた。
「ここって……」
私の疑問に答えるでもなく淡々とした二人は、片方に私の身柄を任せてもう片方がとある扉の前に立ってやや大きめで古そうな鍵を取り出した。
言うまでもなく目の前の扉の鍵で、それにピッタリな大きめの鍵穴に差し込んで回すと溜まった埃と錆を一緒に擦るような独特の音を立てて解錠された。見るから古色蒼然として重そうな木の扉が押し開けられ、鍵同様に久しく使われていなかったんだろう
石のにおいとカビ臭さが混ざったような冷えた空気が、元の木の色の褪せた厚い扉の向こうから漂ってくる。
「では、アイリス様、旦那様のご意向ですので、申し訳ありませんがしばらくここでお過ごし下さい」
扉を押さえて入室を促してくる門番が慇懃に、だけど一片の交渉の余地もなさそうな声音でそう言った。離れじゃ緩かったくせにどうしてここではそんなきっちりしてるのよ。
扉を潜らされ、もう一人が依然私を押さえている前で、ランプ持ちでもあったその彼は同僚から日記を受け取って近くの埃臭そうな机に置いてから、室内の燭台を探してそこに積もった埃を一応は払ったり吹いて飛ばした後に火を移していく。
壁際に沿って取り付けられていた燭台の中には古い
カーブを描く壁に沿ってぐるりと設置された燭台全てが明るくなれば、私にもやっと内部の様子がわかる。
案外広い円形の室内には椅子と机が一揃いと、ボロ切れのような布団が敷かれた簡素な木の寝台と、その他壺とか桶とか必要最低限の物が置かれている。そのどれもに燭台同様に分厚い埃が被さっていて、とてもじゃないけど使いたい気分にはなれない。
「お食事は後ほどお持ち致します」
その台詞の直後にやっと解放され、幽閉なんて冗談じゃないと逃げるつもりで振り返った時にはもう、素早くも扉は閉じられ外から鍵が掛けられた。
くっそ~~~~ですわ!
「待ってよ! 出して!」
ドンドンと思い切って扉を叩いて叫んだけど、二人分の足音が遠ざかっただけだった。
「嘘でしょ……?」
このままここに居たんじゃ解除どころじゃない。
「まさか、ここに囚われの身になるなんて思いもしなかったわ」
ジジジッ……と微かな蝋燭の燃焼音が耳に届くだけの静か極まる場所に、天井の高さ故に私の声もわんわんと響く。
ここは中央塔の内部、屋敷牢
力が抜けてへたり込む私は、こうして囚われの身になった。
「ぷは~っペッペッ、埃が顔にもろにくっ付いたよ~。あの人ボクの表紙を下にするんだもの」
完全に二人の気配が消えると、埃まみれで日記が復活した。
ああそういえば、埃のわんさと積もった机に置かれたものね。
でも悪女の日記なんて汚物よろしく床にポイッとされてもおかしくなかったのに、彼らはよくよく身分の上下を弁え教育もされているのか、内心がどうあれ暴言も手荒な真似もなく礼儀正しかった。
手で自身の表紙部分をはたいて綺麗にした日記は、汚い石の床に力なく尻を落とし周囲をぼけっと眺めている私の傍に来るとぺちぺちと頬を叩いてくる。
「ちょっと~しっかりしなよね~? 君がここで諦めたらボクも君も人生終わっちゃうよ~? あとたぶん残った人達も~」
「それは呼び寄せるっていう魔法使いにも、どうにもできないって言いたいの?」
「魔法って基本的に一度条件を固定しちゃったら覆すのは大変なんだよ。離れでウィリアムがやったように仕掛けた魔法強度よりかなり上の魔法でならどうにかできるけど、ボクの見たところ残念ながら風見鶏の魔法は最高強度も然りで、破壊できる術者を探すのは難しいね~」
「じゃあどうにか脱獄して私が解除しないといけないのね」
「そゆこと~」
だけど、どうやって……?
何となく天井を見上げたけど、屋上の床がここの天井になってるのか、高すぎて明かりが届いていない。
窓はないし、つまり脱出するなら扉からってわけだけど、鍵が掛かっている。
一応牢屋内を隈なく調べてみたけど、扉を壊せそうな道具はなかった。
かくなる上は、扉が開けられた隙を見計らって逃げるしかなさそうって思ったんだけど、結果としてはそれも駄目だった。
「……ああハハハ、料理する手間が省けたわー」
運ばれた食事を前に、脚のガタ付く粗末な椅子に腰かける私は、やっぱりガタ付く小さな机の上に頬杖を突いて冷めた食事を突っついていた。
料理は扉の小さな連絡窓みたいな部分から差し入れられたんだもの。
「まあだけどさ~、女神像の時を考えれば、だぶん最終的に屋上の屋根辺りに転送されるんじゃない?」
「……ぶっつけ本番でやれってか」
「そゆこと~」
ただもし予想通り転送されたら、屋根からうっかり転げ落ちないように気をつけないとね。
転送されなければ……まあ、うん、考えないでおこう。
「アイリス、ボクのためにも、ガンバ!」
「……」
崖っぷち。
そんな言葉が今の自分にはぴったりだって思った。
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