48 令嬢一人、日記一冊

「ねえ、君は本当にこんな展開でいいの~?」

「仕方がないでしょ。皆のためよ。あと私の。人への被害を気にしてたら集中できないもの」

「あーなるほどね」


 私の他に人が居ないからか、ソファに置いていた日記が呼んでもないのにふよふよと空中浮遊で傍に来た。何となく手を伸ばして胸に抱えたら「いやん」ですって。こんな時まで……ううんこんな時だから茶化してくれたのかも。そのおかげで何だか無理に張ってた肩肘から力が抜けたわ。


「ねえアイリス、この方法だと無事に生き残れても牢屋に入れられちゃうかもしれないよ? 悪くすれば処刑だってあり得るってわかってる?」

「う……わかってるわ。その時はどこか遠くに逃げて人のほとんど来ないような辺鄙な森の奥に隠れ住むなんてどう?」

「その前に捕まるよ。脱獄できるなら別にいいけど」

「そうよねどうしよ……ってああもう未来の話で暗くなってる暇はないのよ。よく目先の事に囚われるなって言うけど、今は目先の事こそ最も重要でしょ。さあロープか梯子探しに行くわよ。何処にあるか知ってる?」


 状況が状況だからか勿体付けずに日記が教えてくれた収納場所は何の事はない、中央塔の鐘楼だった。

 そういえば鐘突きのためのスペースがあるみたいだったわね。定期的に掃除や修繕なんかを行うみたいで、大きな物はいちいち運ぶのは手間だからって、梯子もロープも他の諸々の用具共々鐘楼内に置かれているんだって。

 因みに、今では鐘を鳴らしたりはしないみたい。

 行ったばかりの中央塔に向かう途中、誰にも会わないようにって願った。

 私の顔を見た人の反応なんてわかり切ってるもの。そんなの敢えて見たくないじゃない?

 だけど慌ただしい屋敷内の割には、遠くの廊下に使用人の走る姿を見掛けはしても面と向かって遭遇する不運はなかった。

 正直飛び掛かられたり刺されたりしたらどうしようって思ってたからホッとしたわ。


「本当に皆出て行ってるわー。喜ぶべきかは微妙なとこだけど、悪女アイリスの爆破予告は効果覿面てきめんね」


 一応の用具の確認を済ませた私は危険な風見鶏が見守る中、一人屋上から地上を見下ろして何かの模型のように小さく見える人の流れをぼんやりと目で追いかけた。

 屋敷の皆が残らず出ていくまでは、失敗のリスクがある以上屋根に上って解除を試みたりもできないから今は別段する事もないのよね。

 ニコルちゃんはメイド達に付き添われてもう馬車の中かもしれない。

 私の悪事を知って私が居ない理由に納得して素直に周囲の言葉を聞いてくれてればいいけど。

 ウィリアムは、わからない。

 彼も既に屋敷を出たかもしれない。元々この地の人間じゃなく旅行者同然だから支度も早いんじゃないかしらね。


「はあ、あと三日、食事とかどうしよ。絶対誰も用意してくれないだろうし、厨房勝手に使って何か作れるかなー。でもちょっと食欲ないしなあ……」

「へえ~、意外と君も繊細なんだね~」

「失礼ね。精神擦り減らす命がけの博打の前に、いくら私でももりもり食べたい気分にはならないわよ」


 私の足元で手摺も兼ねた石壁に寄り掛かっている日記をちょっと睨んでやれば、日記は目を逸らしてわざとらしく口笛を吹いた。……今度表紙に落書きしてやろうかしら。


「まあまだ時間は掛かるだろうし、今はどこか人に会わなそうな部屋で時間を潰してようかな。離れに戻るのもありよね」

「そだね~」


 あたかも羊が点在して泳いでいるような空を仰ぎ、有名画家の風景画に飛び込んだみたいな地平をのんびり見ていると、明後日の夜に本当に破壊魔法が炸裂するのかを疑いたくなってくる。

 折角転生してきたんだし、どうせなら末永くここで生きてみたい。


「よおーし、一個しかないけど魔法石使って絶対生き伸びてやるわ。失敗は考えない!」


 ニコルちゃんには魔法具の有無を聞けずじまいになったけどそこはもう仕方がないって割り切った。

 もうしばらく居てから気持ちに活をもらった気分で塔を下りれば、屋敷内にはまだ人の姿がちらほらあった。

 あと何人残っているのかは知らないけど、完全に人がいなくなったって確認するためにも面倒だけど後々一部屋ずつの見回りは必要よね。

 でもまだ私は本邸の造りを把握していない。近くに人が居ないからか、浮かんで付いてくる日記をじっと見つめた。時間潰しにちょうどいいかも。


「ねえ日記、本邸を案内してくれない?」


 時間は有効にって思った私はこの複雑怪奇な迷路屋敷を把握しようと決めた。

 道を覚えるなら実際に歩いて足と目で覚えるのが一番ってわけで日記を連れて本邸内をぐるぐると何度も歩き回った。

 ついでに一度離れに戻ってメイド服から定番の黒ドレスに着替えたんだけど、その際撤収したのか逃げたのか門の見張りは誰もいなかった。

 自室で脱いだメイド服を畳んでいると、傍にいた日記がやっぱり適当過ぎる両手を腰だろう場所に当てて疑問符を浮かべた。


「別にメイド服のままでも良かったんじゃないの~?」

「アイリスになってまだ日は浅いけど、何だかこの黒い装束が妙にしっくりくるのよね」

「なるほど~。まっ復活宣言もしちゃったし、似合ってるし、良いんじゃない。でも初めての悪女の割には随分と様になってたよ~?」

「ホホホそれはどうもー」


 嬉しくない。

 それから日記とまた本邸に行って迷路屋敷の探索を再開し、日も暮れる頃には大体の構造をどうにか頭に入れられた。


「はあ~ウォーキングしたらさすがにお腹が減ったあー。食欲出ないなんて嘘ね。厨房に行って何かお菓子でも漁ろうかしら。ビスケットくらいはありそうじゃない?」

「君ね~……」


 お嬢様にあるまじき言動の私に日記は呆れていたけど止めはしなかった。私ってば地獄に居る餓鬼みたいな形相でもしていたのかも。

 厨房には予想通り缶に入ったビスケットが残されていて遠慮なく頂いたけど、他人の家を勝手に漁って道具を獲得するRPGをリアルに体験している気分だった。

 立ち寄ったついでに見ていけば食材も鍋もあったから、後で多めに具入りスープをこしらえようと思う。かまどの火入れからってのはさすがにきつそうだけどね。学生時代の本格的なキャンプ以来だわ。

 調理予定を頭に入れて厨房を出て、今度は人の有無の確認を兼ねて屋敷内を歩いた。

 見落としがないように少なくとも三回は繰り返したいわね。

 屋敷内も窓の外も、薄暮から宵闇、宵闇から夜闇へと一枚一枚ゆっくりと青黒いベールが掛けられていくように暗くなっていった。

 とうとう地平の奥に陽が落ちて、常の灯火の係がいなくなったローゼンバーグ邸は廊下も各部屋も暗闇で満たされている。

 見回った部屋の一つから拝借した小さなオイルランプを手にする私は、自分の足音一つにもビクビクして歩いた。

 たまたまちょうど絨毯敷きの廊下から石が剥き出しの床に代わったから、上がる靴音も高く聞こえるんだもの。


「ひと気のない洋館って不気味……」

「じゃあボクが一緒で良かったね~」

「……ええ、まあ」


 居ないよりはマシって程度だけど。

 懐中電灯よろしくランプの光源がわざわざ下に来る位置で浮いてその気の抜ける顔を照らすのはやめてほしい。そのシュールさが何か怖い。


「ねえアイリス、あそこの部屋に明かりがあるよ」

「えっ」


 角を一つ曲がった所で声を潜めた日記から注意を促され、内心ドキリとして視線の先に目を凝らす。

 ずっと真っ直ぐ行った突き当たりの部屋の扉の隙間から、なるほど確かに光が漏れている。

 うーん何の部屋だったかしら。まだそこまで細かくは覚え切れてないのよね。

 ここは一階だから賓客や家族の部屋じゃあないとは思うけど……。


 何にせよ、誰かが残っている可能性は予測済み。


「はあ、面倒だわ」


 説得……というより脅しをかけないといけないけど、どう考えても楽しくない展開にしかならないだろうし超絶気が重い。

 手を伸ばして日記を抱え込んで心もとなさを紛らわしつつ、扉のすぐ傍まで近付いた時だった。


「――捕らえろ」


 へ?


 腕の中で日記がただの日記になっていたのに気付かなかった。

 予期せぬ言葉に思考が固まる。

 直後、素早く動いた何者かによって羽交い締めにされた。

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