44 中央塔1

 ニコルちゃんの部屋から廊下に出て壁際に寄ると、早速こそこそと日記に話しかけた。

 中央塔の場所がわからないんだし、無駄にうろちょろするよりは時間を有意義に使わないとね。

 小脇に抱えた日記からの指示に従って進んだけど、さすがにここでは顔を見られたらアウトだろうから、慎重に人目を避けた。

 離れから来た時は外観からじゃわからなかったけど、日記によればここローゼンバーグ家の本邸は、先祖たちが好き勝手に増改築を重ねた結果、通路が行き止まりになっていたり部屋として微妙な面積の部屋があったり、通常の貴族の邸宅からすれば奇妙な場所の宝庫らしいわ。


 わかり易い造りだった離れと違って迷路みたいな廊下をしばらく歩いて、ようやく中央塔に到着した。


 誰にも見咎められずに来られたのは幸運だったわ。

 廊下の先はT字路なのかと思いきや微妙にカーブしているから、この先は円形の建物なのね。建材の違いからか壁の色に明確な差異もある。


「へえ、何だか古風……」


 ここまでは壁に透かし小花だったり蔦模様だったり或いは無地だったり、その時の当主の趣味なんだろうなっていう綺麗な壁紙の数々が貼ってあったけど、この先は剥き出しの石の壁になっている。


「本邸はこの塔を中心に広がってるんだよ」

「ああ、だからまんま中央塔なのね」

「そういうこと~」


 この付近には使用人もほとんど来ないのか、静か過ぎるほどに音がなく、その静寂は気分を落ち着けるどころか日記と私の声がいやに反響して薄気味悪さに拍車を掛けている。

 正直少し心細くて日記を胸に抱え直して奥へ足を踏み入れた私は、緩く曲がっているせいで先の見えない石壁の廊下を物珍しくも思いながら、一歩また一歩と足を動かした。廊下のカーブの大きさから大よその塔の規模を推測すれば、想像していたのよりも大きい。

 窓とは呼べないような明かり取りの小さな穴が壁にはあるけど、それだけじゃ足元は薄暗いからか燭台が点在している。

 そのどれもに小さな炎が灯っていた。


「先客がきちんとウィリアムだと良いんだけど」


 平坦な廊下を少し行った所で、内側に一本ズレるようにして階段を見つけた。


「居るとして、ウィリアムはこの先かしら」

「さあね~。だけどこの塔って昔の名残か中はがらーんとした牢になってるし、居るとすれば確かに屋上の展望台じゃないかな」

「え、牢屋なの?」

「今は使われてないけどね」


 屋敷牢があるなんて思いもよらなかった。何だか不穏な話を聞いたわ。

 廊下や階段の内側だし、きっとその牢には窓一つないんじゃないかしらね。

 うわ~、真っ暗な牢屋になんて入りたくない~。

 石壁一枚を隔てた空間へとそんな感想を抱きつつ、螺旋階段をしばらく上っていって、突き当たった古そうな木の扉を押し開けた。


「うわ、眩し……」


 一気に昼の明るい光が差し込んで、薄暮にも似た場所に慣れていた目が反射的に刺激を嫌った。一方の日記は全然堪えた様子はなく「はー、やっと外の空気だね~」なんて呑気に喋っている。ええもうそりゃこいつはこの上なく紙だものね。

 でも日記の言うように、延々続くかのような階段に若干辟易を覚え始めていた頃だったから、階段が終わって日の下に出られて良かった。

 中央塔の屋上は、本当に展望が良かった。

 階下からの直径そのままにそこそこ広い円形のフロアが広がっている。


 中央部分には小規模の鐘楼とその上には尖がり屋根があって、更にその上には可愛らしい顔の風見鶏が設置されている。


 風見鶏は強弱のある上空の風を受けて、あたかも自らの仕事をはたと思い出したようにくるくると左や右に回っていた。


 円周部分の手摺りは、私がちょっと爪先立ちして肘を置いて景色を眺めるのにちょうど良さそうな高さね。だからまあ普通にしている限りは間違っても落下するような憂き目に遭う事はないと思う。


「この塔って予想以上に結構高かったのね」


 日記を抱えたまま端に寄って少し身を乗り出すように下方を眺めれば、迷路みたいな本邸の屋根が視界に入った。

 大半が三階建てっていう建物がこうも上から丸見えなんだから、ここって五、六階以上の高さがありそう。

 遠くを見やれば馬車が必要な方の正門らしき物も小さく見えるし、更にその向こうにはまだ名も知らない地や山々が、くっきりその稜線で空との境界を描いている。


 その時、ハッとする程に風が私の髪を激しく乱した。


 きっと遠くのあの山々さえも通り抜けてきたんだろう風が。

 擦れ合う地上の木々のざわめきまでが耳に入る。

 雲が流れ、明るい光が降り注ぐ、緑の濃淡も鮮やかな豊かな大地。

 背後でカラカラカラと風見鶏が勢いよく回る音が聴覚を刺激してその他の感覚までをも鋭くした。


 異世界を冒険したいなんて柄じゃないけど、ドキドキとわくわくが胸のうちに膨らんだ。


「これが、今私の居る世界……」


 ここに来た目的もすっかり忘れ感動したように呟いた。


「ねえ、私は生き残れると思う?」


 つい弱気になって日記に問い掛けていた。

 気休めでも「大丈夫頑張れ~」とか「君は死ぬ玉じゃないでしょ~」なんて言ってほしかったのかもしれない。

 ……なのに、何なのよ、こいつったらうんともすんとも言わないじゃない。

 でもこんな風にただの日記のフリをして一切反応しないのって……。

 そう言えば先客の姿を見ていない。

 鐘楼の反対側にでも居るのかも。


 はたとそう気付いた矢先、


「一体どこのメイドかと思ったら……。どうしてここに居るんだ」


 後ろに立った誰かが腕を伸ばして石の手摺に手を置いた。

 自分の顔のすぐ横に誰かの腕があるのが視界の端に見える。相手はそれだけじゃなくわざわざ耳元で喋るなんて地味な嫌がらせをしてきたし、いつもだったら声で判断できそうだったけど、急な変化に平静さを欠いた私は動転の余り身を護ろうと日記を思い切り振り回した。見つかったらヤバいから相手が怯んだ隙に逃げようって気持ちもあったと思う。

 刹那、ぽすりと大したダメージもなさそうな衝撃と音を立てて日記が止められた。

 思った以上に失敗だって悟って焦ったけど、視界に映る人物を見て私は大きく目を瞠った。


「あ……、ウ、ウィリアム?」


 そう、彼だった。私の日記攻撃を軽々と片手で受け止めてもいる。

 彼の名を口にしたら何故だか肩から力が抜けた。不本意だけど安堵も感じた。

 ホッとして腕を下ろしたそんな私をどう思ったのか、彼は小さく一つ息をついた。

 身長差から必然的に私を見下ろしてくる。


「もう一度訊く。どうしてここに?」


 直前までの悪ふざけの気配を消し、ウィリアムはどこか不満気な声で再度問い掛けてきた。まあ不意に殴られそうになったんだし怒るのは当然よね。


「いえそのぉ~……ちょっとばかし潜入を」


 素直に白状すれば彼は今度は溜息にも似た深い息をついた。


「……君は全く本当に何をやっているんだ」


 だけど、ウィリアムに離れから出るなとは言われてないし、そもそも彼に私を足止めするそんな権利はない。何だか少し理不尽になってきて私は反撃するように訊ねていた。


「あなたこそ何やってるのよ。ニコルちゃんは中央塔で倒れたって言うのに一人でのこのこ来て。何かあったらどうするつもりよ。ニコルちゃんだけじゃなくあなたまで倒れたら私は……っ」


 ……って、あれ?

 私は、何?

 何て思った?

 文句を言ってやるつもりで言葉を連ねたけど、言ってるうちに段々ウィリアムを案じる気持ちが強くなってそれで、腹を立てたんだけども……。


 どうしてこんな風に思うのか、その感情に含まれる仄かな甘さを自覚したらぶわっと湧き上がった熱が顔全体を循環した。


 そんなまさか!

 ないないない、ないっ!


「君だって一人で来たくせに棚上げか?」

「ああああなたを捜しに来たのっ」

「心配してくれるのか?」

「そ、そりゃするでしょ恩人だし協力者なんだから。だからその…………し、心配させないで!」

「……」


 実際に恩を感じるからそう思う部分もあるし、気恥ずかしかったけどそこだけは素直に認めた。

 ウィリアムは何故か黙り込んだけど、ややあって思い出したようにした。


「そうだ、伯爵に君を自由にするよう話をしたら、俺が帰るまでならと許可をもらった」

「えっそうなの?」

「全く、君が脱走したと騒がれる前で良かったよ。そうなっていれば自由も取り消されて俺の気遣いも無駄になっていただろうからな。潜入なんてしなくても、大人しく待っていてくれれば穏便にここに来られたんだ」

「だ、だって居ても立ってもいられなかったのよ。ニコルちゃんのことも聞いたから余計にね」


 バツの悪さといじけた気持ちがい交ぜで答えれば、視線を寄越したウィリアムがふっと余分な気を抜いたような面持ちになった。


「君のそういう突っ走る所は困りものだが、思いやりの深い所は好ましいと思う」

「えっ……あ、ああそうっ」


 照れ臭くて思わずつっけんどんに返しちゃったのは悪いかなって思った。

 でもウィリアムってば「最初ツンデレなのは同じか」とかわけわからない独り言を口にするから、そんな気は失せたわ。

 失礼ね、私のどこがツンデレなのよ。

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