26 ニコルの素顔2

 わあ~うふふふ~、一体ニコルちゃんに何が起きているのかしらあ~?

 不思議ちゃん風に現実逃避しつつ動揺を鎮めた私は、おずおずとウィリアムに問い掛けた。


「ねえちょっと、この子本当に正真正銘の清らかなる伯爵令嬢のニコル・ローゼンバーグちゃんなのよね? 私の妹なのよね?」

「ああ、百パーそうだと請け合うよ」

「そ、そう」


 何だか辟易とした心地で無意識に半笑いを貼り付けていると、ニコルちゃんは私から身を離し、十四歳の割にはお育ちのよろしい胸を凛然と張った。


「――かくなる上は、ぼくが姉様に思い出させてみせます!」


 堂々たる宣言に、小首を傾げる。


「思い出させる……? それはこれまでの記憶をってことよね?」

「はい!」


 うーん、ニコルちゃんには悪いけど無理だわそれ。

 もう元のアイリスの魂は欠片も残っていないし、私は私でしかないし。


「ねえニコルちゃん、具体的にはどうやって? 催眠療法やその他もやった所で無駄だと思うわ」

「それはですね、ビル兄様よりも強い想いで姉様の心と体にぼくをしっかりと刻みつけます。ぼくが姉様の最愛の人という事実はそれでしかとご理解頂けると思います。あとは全てを思い出すまでずっと尽力致します!」

「……」


 聞いた私が馬鹿だった。

 もうブーッて噴く気力もないわ。

 っていうか、え? 何?


 早いとこ思い出さなかったら私この子に食べられちゃうの?


 でも思い出すも何も、元々の記憶がない時はホントどうすればいいのかしらね。

 はあー。物凄く酷い頭痛がしてきたわー。

 ぐいぐい身の危険を感じるわー。

 この子実は百合系のエロゲーやってた日本からの転生者だったりしないわよね?


 まあ転生者がそんなに身近にホイホイ転がってて堪るかって話だけど。


 ニコルちゃんってば何か張り切って、そして振り切ってる感が半端ない分、ウィリアムよりも実はずっと危険で厄介なんじゃ……。

 私が地味に引いていると、ニコルちゃんは甘える猫みたいに身を擦り寄せてきて、あまつさえ上目遣いの物欲しそうな目をした。


「姉様……いいですよね?」

「ニ、ニコルちゃん早まらないで、思い出す、絶対に思い出すから!」


 青春漫画で相手を諭す眉の太い熱血漢の顔で両肩をガシリと掴んだ私へと、ニコルちゃんはじい~っととてもとっても澄んだお目目を向けてくる。


「姉様の意気込みでどうにかなるのですか?」


 心底不思議そうな無垢な顔が逆に私に危機感を募らせた。

 ニコルちゃんの様子は天使そのもので、直前までエロゲー上等な発言を繰り返していたようには見えない清純さを醸し出している。


 え、まさか、この子って打算も何もない天然でこれなの?


 ああこれは早く部屋に戻ってアイリス日記を読破してニコルちゃん対策を練らないと、なし崩しに姉妹百合になっていきそうだわ。


「う……ええと、きっとニコルちゃんへの究極の妹愛で取り戻してみせるから待ってて? それにウィリアムからは何も飲まされてないしされてないから安心して? ね?」


 一瞬の神懸かった判断で、頭を撫でてやった手で頬を撫でてやれば、


「ね、姉様……! は、はい」


 ニコルちゃんは恥じらいつつもお行儀よく小さく頷いた。

 なるほど、この子にはお姉様系スキンシップが有効……と。私は黙って脳内メモに書き入れた。


「ね、ねえウィリアム、この子っていつもこうなの?」


 こそっと彼に問えば、ゆるく首を振られる。


「いや、普段は大人しく控えめで、まさに貴族令嬢というものの鑑だよ。しかしまあ君が少しでも絡むとこうなる。学校生活も含め、そんな場面を運良く他者に見られずにきたから幸いにも変な噂は立たなかった。俺は婚約者になってから一目で何かヤバい奴だとはわかったから、注意して接していたおかげでこういう人間だと知っていたけどな」

「そ、そうなの」


 アイリスが悪役令嬢なら、ニコルちゃんは天然倒錯令嬢だったのね。


 どちらも想い人への愛がぶっ飛んでる点が一緒。

 私は急激に仙人のような達観した気持ちになった。血の繋がりはどうであれ、人間は環境に左右される面が大きいのかもしれない。

 ぼくっ娘令嬢ニコル・ローゼンバーグがアイリスと一つ屋根の下で育った妹なんだって納得した。





「ところで姉様」


 水よりも濃いと言われる血の妙と人格形成に環境が及ぼす影響との比較で物想いに耽っていた私はハッと我に返った。


「な、何かな?」


 極力ニコルちゃんの無自覚百合エロスイッチを刺激しないように柔らかな口調で応じれば、私の思い出す宣言を一応は受け入れてくれた彼女は顔を曇らせた。


「先程ビル兄様が姉様の命の危険がどうとかと仰っていましたが、この爆弾がその一端と見て良いのですよね?」

「え、あー……」


 ウィリアムをちょっと恨めしく思った。

 ニコルちゃんまで巻き込むつもりはなかったのに、彼の不用意な一言でそうもいかないみたいだもの。


「そうだな。現在アイリスは何者かに命を狙われているんだよ。この離れとそしてローゼンバーグの屋敷全体に及ぶ何らかの危険な仕掛けが仕掛けられている」

「ちょっとウィリアム! 何でより詳しく話しちゃうのよ。関係ないニコルちゃんまで危険な目に遭うかもしれないのよ。ここは適当に誤魔化すとか、関わって来ようなんて思わないように徹底的に突き放すとかする場面でしょ!」

「そろそろ昼だな」

「ボケがあからさま過ぎるでしょ! 全くもう話逸らさないでよ」


 確かに屋敷を探したりしていたからそんな時間かもしれない。

 太陽はもうすぐ真上にくるもの。この世界も太陽は一つだし、日の出と日没もあるから地球と同じような日周運動をしているみたい。だから真上が正午って考えて良いと思う。


「水臭いですよ姉様。ぼくもその危険な仕掛けを探すのを手伝います」

「えっ危ないから駄目よ!」

「ふっ、ニコルならそう言うと思った。何しろアイリスの命が懸かっているんだからな。だから敢えて事情をバラしたんだ」

「ウィリアム!」

「やっぱり先程ぼくを必要ないと突き放したのは、それでも食い付くかどうかという試金石だったのですね」


 憤慨する私とは違って、ニコルちゃんは依然として純粋天使の目ながらも冷静に彼へと言葉を返した。


「理解が早くていい」


 くっ、しれっとしているウィリアムが小憎たらしい。


「試金石ってねえっ、いくらこの子が元婚約者だからって人の激可愛い妹にちょー上からじゃないあなたってば」

「ね、姉様……っ! ぼくも一秒毎に姉様を激可愛いと思っています!」


 ……一秒毎?

 一瞬ぽけっとした私の腕をニコルちゃんが隣から抱き込んで超絶嬉しそうに頬を綻ばせたけど、ウィリアムは私の非難染みた物言いにも何ら悪びれる様子もなく、むしろ噴水の縁から腰を上げるとくっ付く私たち姉妹の正面に立って腕組みした。更には薄らと不遜さが漂う表情で口を開く。


「俺は君を死なせる気はないんだ。俺にとってはニコルの命よりも君の命の方が重要だ。だから君を護るために利用できるものは誰だろうと利用する」

「命に優劣付けるなんて最低よ。ニコルちゃんにわざと聞かせたのだって最悪」


 眉さえ動かさないウィリアムに気分を害した様子は見えなかったけど、その青灰の瞳の奥にはきっちりした取捨選択を後悔しない者の冷たさが垣間見えた。

 この人、私に親身になってくれたり慰めてくれたりって優しい部分があるのに、どうしてそんなに冷めた目をするんだろう……。


「君はそうやって憤慨するけどな、世の中の人間の大部分がそうやって生きている。家族よりも遠方の見知らぬ人間の命を大事だと思えるか?」

「そんな比べ方は卑怯よ」

「そうだな」


 的確に痛い所を突いてきた割にウィリアムはあっさり非を認めた。


「けどな、この世界ではそんな天秤もあり得るんだよ。王族や貴族は領地の統治を行い他国との折衝も行うが、そういう交渉事の中で利権を巡って脅しめいた取引を持ちかけたり持ちかけられたりすることは、珍しくない」

「そう、なの……?」


 私は俄かに愕然としたものを感じながらも、この国の細かな仕組みをまだほとんど知らないんだって気付かされた。

 そしてそれは、彼に関しても同じなんだって今頃気付いた。

 彼の無情な言葉たちは、きっと真実であり本心なんだろう。


「でも、それでも、私は……」

「そんな風には思えないって? 俺から言わせてもらえば、それは偽善だ」

「……ッ、そんな言い方って!」

「でもまあそんな甘ちゃんな君が嫌いじゃないよ。ある意味俺にはもう無い貴重な才能だと思う」


 え? もうない……て? 何か変な言い方ね。でもまさかそんな評価をもらえるとは思わなかったわ。

 だからかもしれない。私は微かに目元を和ませるウィリアムから目が離せなかった。

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