25 ニコルの素顔1

 えっちょっとニコルちゃん!?

 血だけに血迷った!?

 なんてギャグ言ってる場合じゃないわ。


「だっ駄目よニコルちゃん! 血が付いてて汚いから!」


 咄嗟に手を引っ込めて接触は免れたけど、ニコルちゃんはどこか必死の面相ではっしと私の手首を再び掴む。


「汚いわけがありません! 姉様の女神のような掌、そして姉様の聖なる血が汚いなんて思うわけありません!」


 …………うん?


 女神のような掌?


 聖なる血?


 私は間違いなく目を点にしていたと思う。

 ニコルちゃんはチワワもかくやなうるうるした目で私を見つめ、意を決したようにしてもう一度――キッスチャレンジ!

 諦めない心、大事!……って違う違う! 避けちゃっていいの? どうしよう!?


「――アイリスは心配いらない」


 またもニコルちゃんの口付けは空振りし、私の全身はふわりと浮かんだ。

 立ち上がったウィリアムから横抱きにされたのね。ニコルちゃんには触らせないって感じに距離を開けられてもいた。


「あっビル兄様! まだ治していませんのに!」

「アイリス、悪いが痛いのを少し我慢してくれ」

「え、あ、うん?」


 彼はニコルちゃんに構わずザブザブ歩いて噴水から出ると、その石の縁に私を下ろして座らせた。そして隣に腰かける。

 メイド服のスカートをすっかり濡らしたニコルちゃんも、抗議の声と共に噴水から上がった。


「アイリス、二度とこんな無茶をするなよ」


 私が何らかの返事をする前に、彼は私の両手をそっと握るようにした。

 触れられて余計に痛いかと思ったけど全然で、痛みも傷も波が引くようにして消えていく。ウィリアムの治癒魔法の淡い金色の光が私の手を包んでいた。


「あ、ありがとう」

「どう致しまして」


 手に付いていた血だけは治癒とは関係ないからかそのまま残ってるけど、私はウィリアム同様に噴水の水に手を浸して洗い落とす。水に漂った赤は手を濯ぐために水面を乱すと同時に色を散らして見えなくなった。

 すっかり綺麗になった自分の両手を顔の前に掲げて裏表を確認する。


「はあ~本当にさすがねウィリアムの治癒魔法って。傷一つないすべすべの手だわ!」


 ウィリアムにしろニコルちゃんにしろ、そしてこのアイリスにしろ、指先一つ取ってもモデルみたいよね。ホントどうなってるのよ私と周りの顔面を含めた容姿偏差値。

 眼福万歳と称賛と感激に浸る私の傍らでは、ニコルちゃんが大きく目を瞠っていた。


「ビル兄様は治癒魔法も使えたのですか?」

「まあな。その様子だと俺がそれ以外の魔法を使えるのは前々から知っていたようだな」

「あ、はい。以前からずっと同じにおいがするなあ、と」


 同じにおい?

 ニコルちゃんは噴水の中に散らばるようにして沈んでいるボン○ーマン爆弾へとチラと目をやってから、その目に訝りの色を滲ませた。


「ですがどうして今まで秘密に? 呪文もなしに複数属性の魔法が使えるのでしたら、ビル兄様が今頃は王太子に王手を掛けて――」

「興味ない。面倒臭い。だから他言無用だ。わかったなニコル?」


 平坦過ぎる抑揚の、ニコルちゃんに有無を言わせない声の低さだった。

 現にニコルちゃんは微かに息を呑んだ。

 ウィリアムってばいきなり不機嫌になってどうしたのよ。

 年下女子相手に大人げない。

 だけど何となく口を挟めずにいると、ニコルちゃんは憂い顔で首肯する。


「……わかりました。ビル兄様にも色々と思う所がおありなのですね」

「まあそうだ。アイリスが窮地じゃなければ、君の前でも魔法は見せなかった」


 えーちょっとそれって私のせいみたいな言いようじゃない。有難かったけど失礼しちゃうわね。

 大体、私を挟んで会話してるから物理的に肩身が狭いしー。

 そういえばどうしてニコルちゃんまでここに?

 なーんて愚問か。ウィリアムと一緒にいたかったのよね。私お邪魔虫じゃない。

 ホホホ後は若い二人で……と気を利かせて一旦その場から離れようと腰を浮かせれば、ウィリアムとニコルちゃん双方から左右それぞれの腕を押さえられて動けなかった。

 もう、何なのよ。

 内心で天を仰ぐと、ニコルちゃんが頬をぷっくりさせてちっちゃく怒る。


「ビル兄様、姉様への恩着せがましい言い方は止めて下さい。姉様を助けて頂いた感謝も半減してしまいます」


 え~何この子すごく姉思い! そういえばアイリスを追うようにしてこの子も同じ学校に入学したのよね。一応は遠方からの生徒を対象にした寄宿舎もあったそこで、姉妹で在籍していたんだっけ。勿論寄宿舎生活だったわよ。

 その学校でざまあされた時も最後までアイリスの肩持ってくれてた。しかも退学後はこの子も一緒に学校を辞めて帰って来ちゃったのよね。アイリスにべったりじゃないの。

 アイリス的には苦々しくしか思わなかったようだけど。

 可~愛~い! 前世でもこんな妹欲しかった~。

 溢れんばかりの萌えを眼差しに乗せてじーっとニコルちゃんを見つめていると、


「鼻の下が伸びてるぞ」


 呆れを滲ませて指摘してきたウィリアムの手に顔の両側を挟まれて、無理やり彼の方を向かされた。


「ぎゃーっ何すんのよ! 今首グギッていっためっちゃいった!」


 ちょっと涙目でその両手を叩き落とせば、彼は存外真剣にのたまった。


「ニコルは、駄目だ。必要以上の接触はやめてくれ。ハラハラする」

「へ? ハラハラ……って?」


 しばしポカンとして考えて、私は稲妻が走ったが如き合点がいく。


 それって黒く焦げっ焦げな――ヤキモチね!


「それは申し訳なかったわ。口では何だかんだ言いつつしっかりニコルちゃんを想ってるのね。全く世話が焼ける。私にお門違いな嫉妬なんてしてないで、安心してニコルちゃんと仲良くして、ほらほら」

「そうじゃない」

「往生際が悪いわね。じゃあどういうことよ?」


 ちょっとイラッとしていると、ニコルちゃんが私の手に何故か頬ずりした。


「それにしても本当に良かったです姉様。以前とお変わりのない指先まで肌理の細やかなこの白魚の御手に触れられて嬉しいです」

「あ、そうよね。ウィリアムのおかげよね」


 するとニコルちゃんは伏し目がちにして拗ねたように唇を動かした。


「……ぼくだって治して差し上げられました」

「ああ、もしかしてあなたも治癒魔法が使えるの?」


 ウィリアムとの会話からそう思って問えば、彼女は下げていたまぶたを大きく押し上げてハッとした。


「ぼくが治癒魔法を使えるのは家族なら皆知っています。やはり姉様はぼくをお忘れなのですね……」

「た、たまたまド忘れしただけよ」


 さすがにまずい。でも中身が別人だって気付いたウィリアムには暴露したけど、ニコルちゃんにまで馬鹿正直に別人宣言するのは時期尚早よね。

 また泣いちゃいそうだもの。


「え、ええとね、さっきどこかに頭ぶつけたみたいなのよね!」

「姉様、苦しいですそれは」

「えッ……あ、はは……」


 どうしよ……。

 ニコルちゃんの眼差しは全く信じてくれてない。


「なら姉様はぼくとの約束も忘れてしまわれたのですか?」

「約束って……?」


 この反問自体が肯定しているに他ならず、見るからに悲愴な顔付きになったニコルちゃんから伏せた顔をトンと寄せられて腕を回された。やや横からしがみ付かれる格好になって、綺麗な銀髪があご先をくすぐる。


「姉様がもう良いって言って下さるまで離れのメイドをこなしたら、ぼくを一番にしてくれるって約束です。ですから部屋にダミー人形を置いたりと、本邸のメイドの皆にはバレない範囲で頑張っていたのですよ」

「なっ何その妹に対する鬼畜な扱い!」

「……一番とは、君はそんな馬鹿な約束をしたのか?」


 ウィリアムから非難を孕んだ目を向けられる。


「わ、私じゃない私の仕業よ!」


 ウィリアムだけに聞こえるように言ってやれば「それもそうか」とあっさり納得。ああもう後で日記に目を通さないといけないわねこれは。


「ええとごめんねニコルちゃん。もうメイドはやらなくていいから」

「そんな……ッ」


 喜んで然るべき場面なはずなのに、嘆いたニコルちゃんは私に抱きついたままキッとウィリアムを睨みつけた。


「ビル兄様、姉様の媚薬の仕返しに一体どんな薬を飲ませたのです?」

「え、ニコルちゃん?」


 そりゃあ彼女も媚薬の件は知ってるだろうけど、直接口にされると気まずい……。

 でも仕返しに何かを飲まされたりはしてないわよ?


「昨晩も同じ部屋にお泊まりになられたようですし、まさか記憶喪失にする薬を飲ませた挙句、自分だけの姉様にしようと、心と体に教え込んだんですか!?」

「ブーーーーッ!!」


 いやいやいやどんなエロゲーそれ、ねえ!?


 予想外の方面からの精神的ボディブローの余り、ゴホゴホと咳き込む私は白目を剥きそうになった。

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