20 仮面のメイド1

 とりあえず日記と朝食の食器は窓辺のテーブルにそのままに、私は怒った顔で長椅子に腰を下ろしていた。

 正面に座る彼に倣って傲岸不遜にあごを上げ、悪役……じゃなかった伯爵令嬢たる威厳を醸し出すために両腕も組んでみせる。眉間にもしわを寄せて頑固な職人の親方って感じに重々しさと貫禄を演出した。私は簡単じゃないって思い知らせてやるんだから。


「不機嫌全開って感じだな」


 あっさりそんな言葉で片付けられたけど。


「当然でしょ。わざわざお越し頂いた所で無駄足ね。一緒に寝泊まりなんて冗談じゃないわ」


 さっさと退散しろってオーラ満載で言ってやれば、わかり切ってるけどウィリアムは全く堪えた様子もなく優雅に重ねた膝の上で指を組んだ。


「アイリス、この際ハッキリ言わせてもらうと、毎晩足を運ぶのは面倒なんだよ。君は君の都合ばかりを俺に押し付けて、良いように利用するだけか?」


 ウィリアムからの訴えには思わずハッとなった。

 彼の言う通りなのよね。私、配慮がなかったわ。

 今の私は彼の好意の上で生きていられたんだって思い出した。

 本来の目的が何であれ、彼が来てくれなかったら間違いなく人生終わってたんだもの。


「それは……だけど……十二時近くになったらサクッと来てくれればいいだけじゃない……」


 それでも意固地になって口走っちゃったけど、良心の呵責から口ごもってしまった。視線もやや下がる。


「俺が言いたいのはそれだけじゃない。飴の件も、あると仮定する爆発物もその他も、本当に十二時に発動するのかがわからない以上、一人にはしておけない。下手人がきっちりやったと思っても、誤差や手違いがあるかもしれないだろう? 或いはそう思わせて油断させる罠かもしれない」

「え、そんなまさか」

「そんなまさか? 否定できる根拠があるのか?」

「……ないわ」


 盲点だった。

 必ずしも正常に働かなかったら、予期せぬ時間に離れごとジ・エンドだ。


「だったら昼間だって油断は禁物だ。いつでも対処ができるよう、俺は君の傍にいる」


 これはあれよね、彼が同居を言い出した最初からどの道、私には折れるって選択肢しかなかったってことよね。

 くっ、策士ウィリアム恐るべしだわ。


「あ、そうだ忘れないうちに言っておくけど、この部屋に爆発物はないわ。これは確かな筋からの情報だから安心して」

「……離れを出てもいないでどうやってそんな情報を?」

「え、ええとまあ、詳細は極秘ってことで」


 ウィリアムは私が魔法でも使ってるって思ってるのかも。

 何らかの魔法的な違和を見つけ出そうとでもするように私の上に視線を固定している。

 ドキドキドキ。美し過ぎる猫にジッと見つめられたらこんな気分になるかもしれない。

 うーんでも、夜も同じ部屋だなんて、死亡フラグとは別種の身の危険をひしひしと感じるんですけどー。

 そう思った私はちらと続き部屋の扉へと目を向ける。

 お付きの者の控え室的な部屋だ。


「夜はそっちの部屋で寝てくれるなら、いいわ。向こうもそれなりに広いから、ベッドとか好きな家具を自由に運び込んでもらって構わないし、面倒なら寝袋か何か用意するから、お好きにどうぞ」


 ギッチリきっちりガッチガチに鍵を掛けてやれば入って来られないだろうし、そうすれば気も休まるってもんよね、うんうん。


「寝袋……。公爵家に生を受けて以来、未だかつて使ったことはないな」

「ああそうなの。まあそうよね」


 お貴族様はいつだってふっかふかの大きなベッドでご就寝よね。


「こっちの主寝室じゃないと嫌なら、私がそっちの続き部屋で寝ても良いわ」

「どうしても同じ部屋では寝ないと?」

「当たり前でしょ! これまでがどうあれ、こちとら嫁入り前なのよ!」

「常識的な主張をどうも」


 うわー嫌味っぽ!

 頑として譲る気配のない私との応酬に飽きたのか、ウィリアムはハッと短く息を切るようにして嘆息した。


「仕方ない、こっちも譲歩しよう。俺は続き部屋で寝る、それでいい」

「ホント?」

「君こそ、それでいいんだろう?」

「ええまあ」

「……言質は取った」

「言質?」


 意外に思って目を丸くしていると、彼はニヒルな笑みを貼り付けた。


「鍵開けなんて朝飯前だ」

「なっ……」


 思考を先読みされ、まんまと先手を打たれた気分だった。

 絶句する私を余所に彼は廊下に控えさせていた従僕に諸々を命じて、少しするとベッドが運ばれてきた。その間結局前言を撤回できなかった私は、窓辺の椅子に移動して渋々その光景を眺めるほかなかった。


 荷の搬入を終えたウィリアムが長い脚で絨毯を踏んでくる。


「一足早い新婚生活の始まりだな」

「単にお隣さんが入居したってだけよ」


 素っ気なく返せば、近くに寄って来たウィリアムはわざとこっちに身を寄せるようにして窓辺を覗き込む。


「ちょっと! 外見たいなら他の窓がわんさか空いてるわよ。わざわざくっ付いて来ないで」

「一石二鳥」

「は? 急に何ワケわかんないことを」


 もっと浮かんだ追随する文句を口にしようとしたけど、予想に反してウィリアムの注意は窓の外に向いていた。どこか億劫そうな表情で目を少しだけ細めている。

 ここからなんて庭とその先の野原くらいしか見えないけど、実はウィリアムって庭観賞が趣味だとか?

 疑問を胸に外へと顔を向ければ、ある存在に気が付いた。


「ん? あそこにいるのって、離れ付きのメイドちゃんじゃない」


 相変わらずのベネチア風のシュッとした仮面をつけているメイド服の彼女は、庭に佇みこっちを見上げている……のかどうかは正直わからないけど、仮面の角度的に見てるっぽい。うん。


「あのメイドの子、屋内仕事だけじゃなく、庭師の仕事までしてるのね。若いのに何でもこなせるなんて感心だわ」

「……離れのメイド、なのか?」

「ええそうよ」


 さすがに仮面メイドは彼も初めてだったのか、何か変な顔をしたウィリアムと一緒に彼女をちょっと見てたけど、向こうはぼーっと立ったまま微動だにしない。


「え、あの子大丈夫? 実は立ったまま寝てる……とか? 私やった経験あるし」

「君は想像以上に随分と器用だな」

「褒めてないわよねそれ!」


 ってああこんなことしてる暇はないんだったわ。


「ウィリアム、私は早速この離れ内部を調べに掛かるから、あなたはあなたでよろしくね」


 日記を抱えて席を立てば、腕で通せんぼされた。


「さっき言ったことを忘れたのか? 離れの仕掛けが誤作動したらどうするんだ」

「それは怖いけど、ビクビクして時間を無駄にはできないわ。魔法はわからないけど、何か怪しいなって部分に気付くかもしれないもの。あなたに頼り切りなのは何かちょっと……癪なのよ。だから、二人で同じ所に留まるより効率を考えて一つでも多くの場所を手分けして探しましょ」


 ウィリアムには言えないけど、警察犬代わりに日記を連れて行けば何かを見つけられるかもって淡い期待があった。

 彼は黙り込んだわ。癪だって部分にイラッとしたのかもしれない。別に日記と違って役立たずって責めたわけじゃないのにね。


「まあねえ~、もしも十二時じゃない時間に発動して私が途中で終わっちゃったら、気に病まず心を込めて供養してよね。それにほらその時はニコルちゃんと宜しくやっちゃって~!」


 敢えて茶化すように言ってにやりとしてやった。


「――そういう冗談は好かない」


 聞こえたのは、穏やかとさえ言える声だった。


 なのに私の背筋はスッと冷えた。

 内包されているのは静かに感情の底を広がり滾るような怒りだった。

 表情は真剣で、声を大にして罵倒されたわけじゃないのに気圧されて、我知らず息を詰めてしまっていた。

 怒鳴られた方がまだ良かった。


 きっと私は意図せず彼の地雷を踏んだんだろう。


 日記を抱きしめる手にぎゅっと力がこもる。

 自分の命運とは言え、生き死にを軽んじたんだもの、ウィリアムが憤るのは何らおかしいことじゃない。


「ごめんなさい。この状況は決して遊びじゃないのに、不謹慎だったわ」


 心から反省した。


「君が自己を省みることのできる人間なら、それでいい」


 鋭さは解かれ、冷淡さとはまた違った真面目な彼の声音には誠実の響きがある。

 この男は私が考えるよりもずっと思慮深い人間なのかもしれないと思った。


 安堵もあってふと窓外を見やれば、庭にはもう仮面のメイドの姿はなかった。

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