19 離れの現状
「ああもうっ、荷物持って来たって追い返してやるんだから」
ウィリアムに前言を撤回させられず彼の背中を憮然と見送ってしまった私は、朝から無駄に疲れたのもあってベッドに背中からダイブした。
「日記、もう動いて喋っていいわよ」
黒い色のベッドの天蓋を眺めながら呟けば、壁際のテーブルの上から自律飛行をしてきた日記が視界の端にふよ~っと入ってくる。
日記とは話をしたかったし、ウィリアムの一時退室は実は好都合ではあったのよね。
「ようやく行ったみたいだけど、すごかったんだねウィリアムって。魔法使いだったのには純粋に驚いたよ。思わずパンパカパーンッて声を上げそうになっちゃった」
「へえ」
「でも良かったじゃない、部屋にあった魔法具も全部彼が見つけてくれたみたいだし」
綴じ紐で出来てるようなへなへなした腕の先の手袋仕様の掌でわざとらしく口を覆ったり、かと思えば大仰に胸を広げるようにしたりする日記へと、私は白けた眼差しを向ける。
こいつはホントに何も知らないのかって疑問だけがむくむくと湧き上がってくる。日記に書かれていないアイリス・ローゼンバーグに関する沢山の事実や秘密もこいつの頭の中には入っているに違いない。まあぶっちゃけ色々と言いたいことはあるけど、面倒になったから今はいいや。
「ホントあなたとは大違いよね」
それでも、フンと鼻息もぞんざいにこれだけは嫌味たらしく言ってやると、日記はぶりっ子っぽく体を揺らした。
「え~? ボクだって役に立ってるじゃな~い」
「はいはい。だったらもう少し役に立ってほしいものだわ。魔法具は片付いたけど、もし爆発物がこの部屋にあったら、あなたも一緒に吹っ飛ぶかもしれないし安心はできないのよ。わかってる? それを踏まえて警察犬を見習って爆発物を見つけられない?」
「ん~ふ~? ああそれ~? この部屋にそんな物は無いよ?」
…………んッ?
寝転んでいる状態からゆっくり半身を起こしてベッドの端に腰かけた私は、日記をじとーっと凝視した。
こいつ……ホント駄目だ。
「そういう重要なことはもっと早く言って! そもそも日記に書いてなかった発火ドレスとかだって私に話しておいて頂戴よ!」
「いやさあ~、実は君の言っている事がよくわからない」
「トボけないで!」
「トボけてないよ。今だってボクは単にアイリスは爆発物を仕掛けてないからないって事実を口にしたまでだし、あの子はそれ以外だってやってない。書かれている三つの自殺魔法にしか関与してないからね」
「ええと……? じゃあどうして他の魔法具が隠されてるのよ?」
「そこがボクにも不可解なんだよね~」
日記のらくがき顔からじゃ真面目さとか深刻さがイマイチ伝わってこないけど、声だけでみれば日記も本当に疑問を抱いているっぽい。
何だか不穏な雲行きだわ。
日記の言葉を信じるなら、全部が全部アイリスの意向ってわけじゃないみたい。
彼女は他の仕掛けを知らないでいた。
なら、一体誰が仕掛けたの?
「謎はあるけど、とりあえず今の所この部屋での不安は爆発物の有無だけよね」
「そういうこと~。まあだけど……やっぱりこの部屋にそんな物はないよ。君のNPC権限で特別に断言してあげる~。まっ、この部屋の外に関してはボクも知らないけどね~」
ハハ、本格的にこいつ駄目だ……。
憤りつつ器用にも脱力した私の眼差しをどう感じたのかは知らないけど、日記はちろりと落書き顔を飴玉入りのガラス容器の方に向けて、スポンジ何ちゃら風の半眼になる。
え、何それどういう感情の顔? まあいいけど。
「あはっ彼が付いてるんだし命の危険はなさそうだね~。良かったじゃない」
「ああ、飴のこと? まあそこは有難いんだけど、ここに泊まられてもねえ……」
呑気な日記の見解に、私は我知らず溜息をついていた。
「どうやったら阻止できるかしら」
「死亡フラグを?」
「ウィリアムを。死亡フラグは勿論よ。でも当面の悩みの種は彼だと思うの」
「いっそのことお嫁さんになっちゃえばいいじゃない。生活には困らないと思うよ~」
「嫌よ。面倒そうな夜会とか出ないといけないでしょ。要らぬ気を遣うのは会社の飲み会とか花見だけで十分よ。どうせなら伯爵令嬢として悠々自適に目立たずのんびり暮らしたいわ。もう隠居しても構わない」
「枯れてるね~」
「貴族っていちいち格式が~身分の上下が~って必要以上に細かい所まで煩わしそうだし、そんな異世界の規律に縛られるのは嫌だもの。ぼっち伯爵令嬢しながら庶民に混じって気楽に生きるわ」
「なるほどね~。まあそれは君の自由だし、君がそう決めてるならボクは応援するよ」
「あらありがと」
賛同してくれたのは意外だったけど、何かちょっとだけ嬉しい。
と、くぅ~~……とお腹が鳴った。
「はあ、体は正直ね。こっちはこっちで朝食頼まなきゃ」
私って腐っても伯爵令嬢だからか、昨日同様に頼めば食事の用意と配膳をしてもらえるのよね。
部屋に取り付けられているベル紐を引っ張れば、一階のどこかに待機している離れ付きのメイドが用件を聞きにやって来る……んだけど、御用聞きに来るのは決まって仮面をつけた妙なメイドなのよねー。
因みに仮面はベネチアのお祭りに皆が被っていそうなデザインで、色合いは目がチカチカするくらい派手。
仮面の後ろにはメイドに推奨される髪型なのか、後ろでお団子一つにまとめられた輝く銀髪が見えるけど、私に顔を覚えられたくないのか素顔が見えないのは本音を言えば気味が悪かった。声だってくぐもってよく聞き取れなかったし、手先の滑らかさから若い女子だってことはわかっても、見る度に不審感は拭えない。
家の指示なの?
何にせよ私に対していい感情がないのかもしれないけど、顔隠すだなんてホント失礼しちゃうわ。
だけどどうやら彼女以外の離れ付きのメイドはいないようだから文句は言うまい。
とにもかくにも、そうやって呼びつけた仮面のメイドに頼んで早速朝食を調達した。
「ふう、発動は三日置きって書いてあったし、今日を含めた三日は新たな魔法は発動しないってことよね?」
「そうだね~。三日目の夜が運命の分かれ道さ」
寝室の窓辺のテーブルで、はむはむと朝食に希望したサンドイッチを
ゲーム的に言えば、この部屋のミッションをクリアしたんだから、必然的に次のミッションに移行する。
つまり、危険度レベル小から中になって、この離れごと木っ端微塵にする死亡フラグが立つ。
それを引っこ抜くのが当面の私の目標になるってわけね。
「前倒しで発動したりはしないわよね?」
「ないない」
「それならいいんだけど」
って危険物を仕掛けた時点でまあ全然良くないけどね!
さてどこをどう探せばいいのかとぼんやり考えつつ、何とはなしに窓から見える庭を眺め下ろす。
ここ離れは本邸とは別区画に位置し、建物は三階建てで内装だけ見ても造りはそこそこって感じだ。建物を囲むようにしてある庭もさすがは貴族の庭だけあって、離れという括りでも十分に広かった。花壇の花の種類や生け垣の迷路は充実してそうだし、果実のなる樹木なんかも植えられてそう。
どこかに噴水もあるみたいで、この部屋からだと見えないけどガラス越しに微かな水音が聞こえてきていた。
私が小学生なら、喜んで探索してかくれんぼやら虫取りなんかをするわね。
窓から見ているだけで童心が
アイリスは実質的には許可がなければ離れに軟禁状態らしいけど、離れの敷地内の庭なら出てもOKみたい。
一昨日の晩餐会は伯爵の許可があって出席できたようだけど、恩を仇で返すとはさすがは悪役令嬢だわ。
朝の陽光が庭の緑を鮮やかに照らしている。
ここって季節はあるのかしら。それとも地中海みたいに年中温暖な気候なの?
でも、ああのどか~。
鬼気迫る状況も今だけは忘れたように、私は好奇心に満ちた目で豊かな庭をしばし見下ろしていた。
「そろそろボクは黙るね~」
日記へと庭の詳細を幾つか訊ねつつのろのろと朝食を摂り終わった頃、誰かさんの気配を察した日記がテーブルの上に沈黙しようとするから、ちょっと慌てた。
だって我ながら愚かにも、庭の花壇の花の種類とか噴水の大きさとか、関係のないことばかり質問してたんだもの。
「あ、ちょっと待って。今度は具体的にどこを探せばいいの? 知ってるなら教えて」
「やんっ、強引~」
「ふざけてないで!」
両手で持って振っていると、形だけのノックの後に、ガチャリと扉が開かれた。
ああ今は鍵を掛けてなかった!
「なっ、ちょっとウィリアム! 入室可否の確認くらいはして!」
焦って叫んだ私は日記から手足と顔が消えているのに些かホッとしつつ、ちょうど両手で重い日記を真上に掲げた変な姿勢で首を巡らせていた。
ウィリアムはそんな私のポーズを目にすれば、扉の取っ手に手を添えたまま怪訝そうにする。
「……筋トレ中か?」
「や、まあこれはそのー……そうね、この立派な凶器でいつでも痴漢を撃退できるようにって」
苦し紛れの言い訳だけど、敢えて強調した「痴漢」が誰を指しているのかわかっているくせにウィリアムは何も言わず、我が物顔で部屋の長椅子に腰を下ろした。ホント図太い。きっと神経が
……なんていう私の心境なんて知る由もない彼は、自身の滞在用荷物の一切を彼の従僕に運ばせ、宣言通り私の部屋に乗り込んできたのだった。
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