第一章②
放課後の錦景女子高校から脱出した私とマホコは自転車を十分ほど南に漕ぎ錦景市駅の南側にある錦景第二ビルに向かった。自転車を駅前の駐輪場に停めて一度地下に降りて地下街のメインストリートを真っ直ぐに南に歩いていく。火曜日とはいえ放課後の地下街はかなり混雑していた。途中で小さな天使の像が真ん中に立つ円形広場を経由しそこから六本伸びる道の中から南東の道を選び進む。しばらく歩くとマクドナルドが左手に見えてくる。私とマホコは腹ごしらえのためにマクドナルドに入った。お腹ならいくらでも空いていた。二人はクォータ・パウンダのセットを注文しカウンタ席に座っておしゃべりもそこそこに十分も掛からず食べ終えた。そして再び地下街の中を南へ歩き、錦景第二ビルの中に入った。錦景第二ビルの中は飲食店を中心に様々なお店がひしめき合っていてそれぞれにシャッタが閉まる予兆はなくうるさいくらいに賑わっていた。例えシャッタが閉まったとしてもすぐに別の人間が来てそこでお店を開くことだろう。
私とマホコは韓国料理店の向かいにある細くて薄暗い階段を昇って一階へと上がる。すぐ正面にはアマノ・カフェという喫茶店がありその右隣には富士見というお蕎麦屋さんがあり、そしてさらに右隣にはゲームセンタがあった。教室の広さもないくらいのこじんまりとしたゲームセンタだった。入口付近には二台のUFOキャッチャがあり、そのどちらの景品も美少女アニメのフィギュアだった。向かいには世界のアニメショップ、ゲーマーズがあって基本的にこのゲームセンタの客層はアニメ好きの男性が中心だった。ゲームセンタの客層のほとんどはアニメ好きの男性だと思うが、ここはそれが極端なところだった。私はここでアニメ好きの男性だと思えない男性に、あくまで主観だが、遭遇したことはなかった。そうでない男性やあるいは女性をここで見かけたことはなかった。だからここに来る私たちはゲームセンタにしてみればこれほどはっきりしたものはないというくらいの異物に違いなかった。セーラ服姿で、どこをどう見ても名門の錦景女子高校に通っているということが丸分かりな私たちがそのゲームセンタに入り込むと、それぞれゲームに熱中していたアニメ好きと思える男性たちはそれぞれ別のタイミングでさっとこちらを振り返り私たちの姿を、パパラッチが有名女優の決定的瞬間を写真に納める様に手早く確実に、視認した。彼らは私たちの存在に無関心なようでいて実際的にはそうではない。彼らはきちんと異物が入り込んで来たことを知り、そして異物が何か自分たちに不都合なことを行わないように注意を巡らしている。彼らは背中で私たちを威圧している。この場所で好き勝手してみろ、もしそんなことをすればどうなるか分かっているだろうな?
ゲームセンタの奥には格闘ゲームの機械が数台並び、その手前にレーシングゲームの機械が設置されている。ゲームセンタの丁度真ん中くらいにガンダムの対戦ゲームのカプセル型のマシンがあって、肝心のピンボールマシンはそれに追いやられるようにして壁際に四台、斜めに並んでいた。それら四台は全てすでに骨董品のような趣さえ感じられるサイケデリックな色彩をしている。それこそロック・オペラ、トミーに出てくるような派手な色使いだった。私は一つのピンボールマシンの前に立ち、それに触れる。無性に、そして無条件に楽しくなって来る。ここに来てよかったと思う。ここまで逃げて来てよかったと思う。ピンボールマシンは錦景市におそらく、ここにしかないのだ。アルコールを注射したみたいに体が熱くなってくる。
そんな私の高揚していく気持ちとは裏腹に、ピンボールマシンと様々なゲーム機から聞こえて来る明るく激しいBGMのシェイクの中にあってそれとは全く関係のない、不穏な空気が漂い始めたのが私には分かった。
彼らは私たちがこの場所に足を踏み入れたことが気に入らないのだ。
そして私たちをこの場所から追い出そうとしている。
体の免疫機能のようなものだと私は思う。私たちを追い出し一刻も早く正常で健康的な状態に復帰させたい、させるべきなのだと誰もが思っていて誰もが攻撃の準備を整えているのだ。異物が異物らしい動きを見せればすぐにそれがなんであれ、かけがえのない大切なものだったとしても彼らは攻撃を開始出来るように息を潜め、ゲームに集中している振りをする。彼らはそれを上手くやってのける。騒いで声を上げゲームで高得点を叩き出しながらも準備を決して怠らない。そして彼らの攻撃に対処出来ない異物はいとも簡単に潰されてしまう。追放されてしまう。
けれど免疫機能は、私の体のものがそうであるように、完璧なものというわけじゃない。付け入る隙のようなものは沢山ある。あり過ぎるというくらいある。それは選ぶのに迷うくらいにあって、わざわざ考え出す必要もないくらいに満ち溢れている。
私は潰されるつもりはない。
ここは私が逃げて来られる場所の一つ。
つまり楽園になり得る可能性を持っている場所の一つなのだ。ここにはピンボール・マシンがあり、私はそれに触れると何かを忘れられるくらいに体を熱くすることが出来る。錦景女子高校の屋上、保健室、そして錦景第二ビルのゲームセンタ。それぞれに可能性を秘めている。同じようでないでいてそれらはどこかで共通しているのかもしれない。共通しているようでいて、それらの線は結び合うことも角度を変えてみれば交わりもしていなかったことが分かるかもしれない。けれど少なくとも私が可能性を感じているという点でそれらは私を間にして、あるいは中心にして繋がっている。安易に棄却するべきものたちではない。
私は重たい鞄を足元に置き、コインを投入した。
マホコは私の右側の台の前に立ち袖を捲って肩と首を入念に回してから、コインを投入し台に向かって前傾になる。「よぉし、今日こそは勝つ」
「負けないわ」
カンっ、と小気味のいい電子ベルの音が響き、神様のいない月の火曜日の放課後のピンボールが始まった。
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