第24話 代休は動物園へ
今日は二人だけで、動物園へ行くことにした。
動物園というと、客の多くは幼稚園生や小学生なのではないか、とコウは想像していた。そこなら他の生徒に合わないのではないか、と踏んでいたのだ。それに天気の良い日ならのんびり散歩できるし、邪魔者も入ってこないだろうから。
その日は朝から天気が良く、絶好の散歩日和だった。秋の空気はひんやりとしていたが、肌に気持ちよく、日差しを受けて歩くと気持ちが晴れ晴れした。
コウが待ち合わせ場所の駅へ着くと、真由が手持無沙汰な様子で待っていた。まだ十分前だった。
「御免、待った?」
「そんなに……楽しみだなあって、期待して待ってたから……」
嬉しいことをいってくれる。
「秘密のデートって大変だね」
「コウ、疲れちゃった?」
「いや、こうして会えるからいい」
「じゃあまだ秘密にしておこう。さて、何から見ようかな」
ここは、動物園と言っても小動物やキリンやシマウマ、鳥類などを飼育していて、普段は近所の幼稚園児や小学生などが多い。平日なので、客の姿は少なくゆったりと回れそうだった。
「ペンギンを見よう。可愛いじゃない!」
「うん。あっちだ! 行こう!」
二人は、ペンギン舎の方へ向かった。動物舎の間の道沿いには木が植えられていて、風に吹かれて木の葉が揺れている。木洩れ日がきらきらしていて、透き通った葉の緑が映える。
「ほら、あっちあっち!」
「うん。わあ、可愛いなあ……」
コウは思わず目じりを下げて、魅入った。
ペンギンは愛嬌のある格好で歩いたり、水の中へ勢いよく飛び込んだりしている。陸に上がっている時の彼らのしぐさは、よちよち歩きの赤ん坊のようで、思わず笑みがこぼれた。
「可愛いよねえ、ペンギンって」
「ほんと。歩く姿が何とも言えない」
左右に体をゆすりながら、直立不動で前進する姿は愛嬌があり、見飽きることがなかった。
「ペンギンって仲がよさそうだね」
「ああ、そうだね。なんか動物っぽくない」
真由が暫くしてから、しみじみと思い出したようにコウにいった。
「あたしの家ね。父親が単身赴任で、遠くに行ってるんだ」
初めて聞く話に、コウは驚いた。
「それは大変だろうな。一人で働きに行ってるお父さんも、別々に暮らす家族も……うちは一家四人で、騒がしい位だ」
「もう二年だから慣れたけど、母親はそんな生活が辛くて、しょっちゅう会いに行ってる。その間は、兄貴と二人だけ。兄貴も大学生だから、しょっちゅう出かけてて、忙しそう」
「いろいろ大変だなあ」
「まあね。その分独りで気楽にやってるけど。仕方ないね」
真由を見ていると、そんなことは全く想像がつかなかった。いつも凛として前を向いて歩いていて。格好がよかったし、そんな人なのだと思い込んでいた。俺は何も知らなかった。一人で孤独な時間を過ごしていることも、親と離れて暮らす苦労も。俺はいつも自分の気持ちを押しつけるばっかりで、真由の心の奥底をおもんばかることを忘れていたのかもしれない。自分が一緒にいたい気持ちだけを押しつけていたようで情けなくなった。
「俺にできることがあったらいって。一緒にいて気がまぎれるといいけど」
「十分気が紛れてるよ。コウがいてくれて助かってるのよ。まあ、最初はいきなり告白してきて驚いちゃったけど」
「あ、ああ。そうだったね。困った時に俺を頼りにしてくれると……俺としては、とっても嬉しい」
「そんなこと言っちゃって、いつでも電話しちゃうよ!」
「おお、大歓迎! 電話して、いつでも呼び出して!」
二人は、この時ばかりは堂々と手をつないで歩いた。人目を気にしないで手を繋げるのはいいものだ。二人は子供連れなどを横目に見ながら、しっかりと手を握って歩いた。
次は、レッサーパンダが見えた。
柵の向こうでは、数匹の愛嬌のあるレッサーパンダたちが動き回っている。小屋の中から顔を出しているのはこちらをじっと見ている。木の上に上っているのは、するすると滑らかに歩いている。真由は歓声を上げた。
「可愛い~っ! 顔が何ともいえない!」
茶色い体に目のあたりが白く縁どられ、何ともひょうきんな外見をしていて、思わずそばへ寄りたくなった。
「へえ。こいつらも可愛いな」
コウもすぐそばへ寄ってみた。真由が先ほどと同じようにスマホを彼らの方に向けて写真を撮ろうとした。人間たちを興味深そうに見ているやつに狙いを定めた。
「うまく撮れたかな? どう、見て見て!」
真由はスマホをコウの方へ向けて見せた。
「わあ、可愛いねえ!」
二人で、柵から身を乗り出して、レッサーパンダの愛らしいしぐさを観察した。都会の喧騒が嘘のように、木立の間を縫って吹いてくる風が頬に当たり心地よい。
「平日の動物園っていいね。独り占めしてるみたい」
「ほんと。代休があってよかった」
二人は、二人だけの時間を満喫していた。
ところがピンチは突然やってきた。
「あれ、あれあれあれ! ちょっとこっちへ来て。隠れなきゃ」
真由が、コウの腕を取ってトイレの脇へ引っ張っていった。建物の陰から真由が指さした方向を見ると、同じ学校の知った顔が二人でこちらへ向かって近づいていた。彼らは、まだ二人には気がついていないようだ。
「あいつらも代休でここへ来たんだな。別の道を通って帰ろうか?」
コウが焦っていった。
「ああ、でも出て行くと見つかっちゃう。あたしがトイレに隠れるから、コウは向こうの道を通って先に出口へ向かって!」
「わかった! じゃあ、出口で落ち合おう」
真由は、大急ぎでトイレに駆け込み個室に逃げ込んだ。コウは、急ぎ足ですたすたと道を急いだ。ところが、その姿が反対側からでも見えてしまったようで、甲高い声で呼び止められた。
「あら、コウじゃない? 一人で来てるの」
「お、おお。久しぶりに動物でも見ようかなと思ってきたんだ。小学生の時によく来たから、動物たち元気かなと思い出して」
「へえ、一人で散歩してたんだ?」
「そうそう。懐かしかったな。俺ここ好きだったから。じ、じゃあ、もう帰るから。またな」
「もう帰るの? じゃあね」
ああ、見つかってしまった。こんなに人がいないし、遮るものがまるでないんだから、知っている顔があったらすぐに気がついてしまう。
彼らと別れてから、少し先の道で立ち止まった。彼らの動きを観察して真由にメールを送る。二人はのんびりと歩き、トイレの前で立ち止まっている。ああ、早くいってくれ。
再びこちらを見て手を振っている。
「こうまだ帰らないの?」
しつこい奴らだ。
「ちょっと日向ぼっこしてから。アハハ……」
間抜けな言い訳をしてしまった。
「じゃあね」
「ああ、あっちにレッサーパンダがいるぞ。ずっごく可愛いから、行ってみろよ」
「へえ、行ってみる」
そう言ってやっと手を振って歩きだした。もう少しだ。もう少しであいつらの姿が見えなくなる。そして、彼らがレッサーパンダを見て歓声を上げるのを待って真由にメールを送った。真由は、レッサーパンダの方から見えないように、小走りでこちらへ向かって走ってきた。門のところにようやく姿が見えた時はほっと胸をなでおろした。ああ、今日もまた最後に慌てふためいて帰ることになった。
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