第3話 マラソン大会は目立たぬように
コウはベッドから起き上がり、カーテンを開けた。今日の天気を確かめるためだ。雨は降っていなかった。予定通りマラソン大会は行われるだろう。
「コウ、最近なんだか積極的なんだって。部活の後輩から聞いたわよ」
一歳年上の姉が、何かを感知しているように訊いてきた。
「別に、変わったことはないよ」
ここはごまかすのが一番だ。
「好きな子が出来たんじゃないの。まあ言わなくてもいいけどさ。応援してるから、頑張って!」
姉には知られたくなかった。
「そんなこと、誰が言いふらしてるんだよ」
「やっぱりそうなんだね。まあ、誰から聞いたかは、内緒だけどさ」
本当に困ったことになった。噂だけが独り歩きしているようだ。
学校へ行き教室へ入ると、女子数人が集まって、チョコレートやビスケットなどをつまみカロリー補給をしている。
「コウも食べる?」
クラスの姉御肌の明美が菓子を広げ、声を掛けてきた。
「ありがと、チョコレートもらう」
よく菓子を持ってきているが、この日はいつもより量が多い。
「あたしちょっと、コウの事見直したんだ」
「なんで?」
「今まで思い続けてたんでしょ。勇気出していったんだね? 告白してみなきゃ始まらないもんね」
「そのことはもう言わないでくれよ」
「ああ、そうなの?」
これで、今までのようにさりげなく真由のそばにいることが出来なっくなってしまった。自分は空気のような存在でいたかったのに。空気だったら、無限に近づくことができる。
着替えてグランドに集合し、準備運動をする。ここでもコウはさりげなく真由の行動を観察する。一瞬目が合った。以前ならさりげなくかわせたのに、じっと睨んでくる。悲しくて惨めな気持ちだ。
グランドを出発すると、男子は遠回りするルートを取り六キロ走り、女子は五キロを走る。一キロ分だけ外側のコースを走るだけで、あとはほぼ同じ道を通る。途中河原に沿った道を通り、この辺ではめっきり少なくなった畑の脇へ出る。土手へ入るときにアップダウンがあるだけで、マラソンのコースはほとんどが平坦な道だ。
一斉にスタートし、足の速い生徒は記録更新を目指しどんどん前を行き、後続の集団を引き離していく。コウは、中盤のいくつかのグループの中で、団子のように連なって移動していく。左右を見て、後ろを振り返ってみた。後方はるか彼方に真由の姿が見えた。後ろから走ってくると思うと、コウは思わず興奮してしまう。そしてほんの少しだけスピードを緩めた。記録に挑戦などしていない自分は、真由のそばにいた方がいい。これで真由に近づけるはずだ。
再び振り返ってみると、真由の姿が先ほどよりかなり大きくなってきた。
あんなことがあっても、
――やっぱり嬉しーーっ
近づけば近づくほどうきうきしてくるから不思議だ。マラソン大会なのだから、近くで走っても構わない。自分のペースで走っていることになっているのだから。そういうことにして、さらにペースを緩める。
並んで走るのはちょっとうざいと思われるだろう。それで、少しは距離を取りながら進んでいく。距離感を確かめるために、後ろをちらちら見る。真由は、コウの姿を視界にとらえながら走っていくことになる。
河原が見えてきて、少しだけ土手を登り、登りきったところから次は下り坂になる。
「あっ、痛っ」
真由の声だ。コウは、後ろを振り返る。下り坂で足をひねってしまったようだ。止まって足首を押さえている。
「いたたたたーっ」
コウも止まって後ろへ戻っていった。
「大丈夫? 足捻っちゃったんじゃない?」
「そうみたい。歩けるかな?」
捻った右足をかばいながら数歩歩いてみるが、痛そうな表情をした。
「どうにか歩いてだったら行けそう」
「俺も一緒に行くよ」
「いいよ。私のせいで遅くなっちゃう」
本当に優しい。
「いやいや、俺は記録に挑戦してないからいいんだ」
「わかった。じゃあ好きにして」
真由は、片足をかばいながら歩いた。元々後ろの方を走っていたのだが、さらに後続のランナーたちは、二人を横目に追い越していった。
「これじゃ私たちがびりね」
「ゆっくり戻ればいい」
「痛い、足着くと痛――い」
コウは、肩を貸してあげようと思いつき、いや嫌われてしまうかと迷い、さらに嫌いな奴の肩につかまるものだろうかと悩んだ。
「あのー、もし嫌じゃなかったら俺の肩につかまって。ほんと、嫌じゃなかったら。しっ、下心とかないから」
言い終わってから、顔は真っ赤になり、額からは冷や汗が出ていた。真由は、下唇を噛みしめ、決意した。
「仕方ないわ。ちょっと肩貸して。まだこんな序盤から歩いてたら、二時間かかっても学校に戻れなくなるから」
コウは、得意のガッツポーズを心の中で取った。しかし、表情に出ないように必死で抑える。こんなことは今後二度と無いかもしれない。今日は幸運の神様が微笑んでいるようだ。
「よいしょっと」
コウは、けがをした真由の右足をかばうように、右側で体重を支えた。足をまともにつかなくてよくなったせいか、かなり速度は速くなった。
「こんな感じで戻れば、そんなには遅れないと思う」
「はあ。何で転んじゃったんだろう?」
「今日はついてない日だったんだ」
これじゃ答えになっていない。コウは、左肩に体重がかかり、走っているより大変になってきた。
――これはやばい!
真由のバストが、脇腹に触れて、歩く度に快く圧迫している。真由は、肩につかまって歩くのが精いっぱいで、そこには思考が及んでいないようだ。
――これって……最高――!
心の中でいくら叫んでも聞こえることはない。今日が人生最高の日なのかもしれない。コウはゆさゆさ揺れる真由のバストの感触を味わいながら、優しい男を演じていた。
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