第2話 ハーフパンツ紛失事件

 二週間後にマラソン大会を控え、コウのクラス内では悲喜こもごもの反応があった。常日頃から部活動で運動をしていて、今こそ活躍の場と思い意気揚々としているグループ。ただ参加するだけで、記録などには興味のないグループ。走ることすら苦痛だという運動に対する適応能力のまったくないグループ。どのメンバーに対しても時は無常に過ぎ、マラソン大会までの日にちが刻一刻と迫っていた。

 

 コウは敦也に話しかけた。


「俺は普通に走る。必死になって途中で倒れてもカッコ悪いし、最初から最後まで歩くのもみっともない」

「さじ加減が重要ってことか。しかしそううまくはいかない。なるようにしかならないもんだ」


 敦也は、達観しているようだ。調整しながら真ん中あたりを走るのも意外と難しいのかもしれない。

 マラソン大会の場合、一斉に走るだけで特別なルールや、体育祭の様に決めなければならないことは特にない。なぜマラソン大会のある学校に入ってしまったのだろうと嘆いている生徒もいるが、いまさら仕方がない。どうしてもいやなら休むしかない。コウは、クラスの生徒の様々な反応を見て、自分の位置を確認する。走るのはそれほど苦手ではないが、上位に入るほどの運動神経は持ち合わせていない。

 コウが思案にふけっていると、真由がそばへやってきた。体操着を抱えて、つんと澄ましている。コウは急いで、今までの雑念を振り払って、クールな表情を作る。


「ちょっとお! 私の短パン持ってない?」

「な、なんで? 持ってるわけないよ。俺がどうして、ほかの人、しかも女子の短パン持ってるんだよ?」

「だ、だって、さっきあんなこと言ったじゃない。好きな人の短パン持って帰るつもりなんじゃないの?」


 俺は、ひどく名誉を傷つけられ、憮然とした。真由にこんなことを言われるなんて、これからの学校生活をどう過ごしていけばいいんだ。


「いくら何でもそんなことはしない」

「いくら好きでもってこと?」


 もう少し人の気持ちを考えてほしいと、コウは懇願するような口調で真由に食って掛かる。


「ちょっと、みんなに聞こえたらどうするんだ。あっちで話そう」

「わかった。でも、私の短パンほんとにどこへ行っちゃったんだろう。気持ち悪いよ」

「よく探してみて。ほかの場所にあるかもしれないよ」


 コウの心配をよそに、話を聞きつけた数人の男子が、興味ありげにコウの顔を少し離れた場所から盗み見ている。


「何でもないよ。じろじろ見ないでくれ」

「お前、真由のこと好きだったのか? 今まで気が付かなかったなあ」

「いやいや、違う違う。勘違いだって」


 別の生徒も興味ありげに話に加わってきた。高校生にもなって、こんな話に食いつかないでほしい、とコウは心の中で舌打ちする。高校生だから食いついてくるのか。


「なあ、さっき確かに聞いたよなあ」

「うん。別に隠さなくたっていいんだぜ」


 真由は、他の机の上に乗っている体操着を広げ、名前を確認し始めた。それを見ている男子たちの好奇心は、ますますエスカレートしていく。


「いくら好きだからって、短パンとっちゃまずいでしょ。それじゃ変態だって」


 どうやって誤解を解いたらいいんだ! コウの我慢はすでに限界値を超えていた。

無責任な発言をする男子たちの相手をするよりは、一人になりたかった。


「本当に俺じゃないから!」


 コウはそれだけを真由に告げると、教室を飛び出していった。そのあとを敦也が追う。廊下の突き当りまで行って、俯いているコウに、敦也が言った。


「このままじゃ終われない。俺が捜査する」

「敦也、責任感じてるのか。これ以上事を大きくしないでくれ!」

「いつもの穏便に、だろ? 慎重に調査するよ」

「どうやるんだ?」

「体育の終わりに短パンが行方不明になったんだ。最後に教室を出たやつか、最初に入ったやつが怪しいに決まってるだろ」


 コウは気が動転していて、そんなことを考える余裕もなかった。


「お前は動き回らないほうがいい。俺が女子に聞き込みをする」


 告白なんかするんじゃなかった。今までだって十分幸せだった。次の授業が始まる直前にコウと敦也は教室へ戻った。

 敦也の聞き込みが始まった。女子が単独あるいは二人ぐらいで行動しているところへ行き、最後に教室を出た男子を三人に絞り込むことができた。


「コウ、この三人に心当たりはないか?」


 敦也は三人の名前を言った。


「そういえば、そいつら、俺が職員室前で告白したときに、廊下にいた連中だ。話を聞いてたのかもしれない」

「やっぱりな。お前と真由のやり取りを見ていて、からかったんだ。汚い連中だ」

「見ていた女子がいるんだろう。何とか証言してくれるように頼めないか?」

「黒板の横にあるロッカーのそばにいて、何かしていたらしいって。すぐ見に行こう!」


 二人は、男子三人組に悟られないよう、目撃情報をくれた女子と合流し、教室へ戻った。敦也の行動の素早さに感心しながら、コウは、どうしたらこんなふうに行動できるのか考えていた。

 証言者の女子と敦也が、短パンが出てくることを期待しながらロッカーを開けた。

 そこには短パンが……


「あった!」


 コウは、喜びのあまりこぶしを握り締めガッツポーズをした。


「やった、あったぞー」


 敦也も俺の顔を見てこぶしを握る。すぐに名前を確かめる。


「よーしっ」


 そこからは、話は早かった。目撃した女子が三人の男子に詰め寄り、彼らは犯行を認めざる負えなくなった。

 真由がコウの方へ歩いてくる。真由の心の中にも、様々な気持ちが去来している。告白を聞いた時の驚きと、拒絶。疑念と不安。そして安堵。そんな感情が一日のうちに一気に押し寄せ、言葉がすぐには出てこなかった。


「御免。疑って……」

「いいんだ。犯人が俺じゃないってことがわかってよかった」


 その言葉を聞いて、今度は顔を上げてコウの顔をじっと見た。


「ちょっと感情的になっちゃった。言い過ぎたかな」 


 真由は、そこまで言うと短パンをひったくるように受け取りロッカーに隠した男子三人を睨むと、自分の席へ戻った。こんなことがなければ、真由は普通にやさしく接してくれたはずだ、とコウは後悔でいっぱいになった。

 マラソン大会まで、あと少し。どうにか無事に終わるといいけど。コウは嵐が過ぎ去った後の教室で、以前とは違う好奇の目が自分に向けられているのを感じながら、一人祈っていた。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る