二.最弱最強のプレイヤー (二)
緊迫したはずの状況、にしては特にやれることがなく、しばらくぼーっとしていると宙に浮かぶ端末の文字が急に読めるようになった。
時間が経ったからなのかシルヴィがときどき抜けているせいなのか、怒りの感情もだいぶ落ち着いてしまっていた。
人が怒りを持続できる時間は長くて二十分程度とどこかで聞いた気がするが本当だと思う。
「おー」
画面には仁成のプレイヤーネームであるジンと、登録キャラクター、登録操作方法、トーナメント表、そして次の試合までの残り時間──二十一分四十三秒──がそれぞれ表示されていた。
「って! 全然時間ないじゃん!」
仁成が叫んでいる間にも表示された数字は無慈悲に減っていく。
「最初から言ってたじゃないですか。あまり時間もないって」
「二十分はあまりないとは言わない! 具体的な時間を聞かなかった俺も悪いけど!」
黒のワンピースに白衣、そして美貌、総じて見た目からは知的な印象を受けるせいで、無意識に何もかも信用しきってしまっていた。
やはりこの女は意外と抜けている。絶対部屋とかとんでもなく汚いタイプに違いない。
仁成は目の前で浮遊している端末を掴み取り、登録キャラクターと書かれた項目を指で押す。なめらかなに画面が遷移し新たな項目──衆徒理子、新規キャラクター登録──が並んだ。続けて衆徒理子の項目を開く。
上から順に、体型、精神、日常、相関図、契約内容、技表と並ぶ。「なんで一番下なんだよ、設計者はアホか」とぼやきながら、技表を軽く押した。
ギアエフェクト、特殊スキル、通常スキル、ゲージスキル。それぞれの項目に並べられた技にざっと目を通す。
「項目はドラッグ&ドロップで並び替えができますよ」
「後でやっておく。それよりこの技表、コマンドが書かれてないんだけど」
理子の持ち技を眺めたまま、仁成はシルヴィに向かって訝しげに答えた。
「それは登録操作方法が念操作になっているからですね」
「念操作?」
端末から顔をあげ、聞き慣れない単語を聞き返す。
いつの間にかすぐ近くに理子が寄ってきていた。
「あ、私にもなにかやれることってあるかな」
身勝手に命を賭けられたというのに、なんと殊勝な態度なのだろうか。
「今は特にないけど、すぐに出番がくるよ。というか、もっとあいつに怒ってもいいんじゃない?」
仁成は理子のほうを向いたまま、シルヴィを指でさす。
「怒ってないわけじゃないけど、今はそれよりもやることがあるでしょ? ……信用するのは怖いけど、一応、目的は同じみたいだし」
左手で自分の体を抑えながら理子が答えた。少しだけ震えている彼女を見ると、この状況を作り出した元凶に苛立ちを隠せない。
理子の返答に感心するように、シルヴィが続けた。
「理子さんの仰るとおり、私自身のことが信用できないのは仕方ありません。ただ、私の目的だけは信用してもらえたら嬉しいです」
「その割には開始時間を教えるの忘れてたみたいだけどな」
「それはその……こう見えて私も、実は緊張していまして……」
「どうだか。それより念操作ってのはなんだ」
「あっ! えっとですね」
「絶対いま忘れてただろ……」
確信した。こいつは見た目よりしっかりしていない。携帯のアプリも使っていないものが大量にインストールされているに決まっている。この世界にアプリがあるのかどうかは知らないけれど。
「まあ実際にやってみましょう。理子さん、目の前の白いコートの中に入ってください」
「おい、また変な目に合わないだろうな」
「操作の確認をするだけです! ……神納さんはこっちのコートの外に立ってください」
言われるがまま理子と仁成はそれぞれ配置に付く。シルヴィがナビスケをパパッと操作し「TRAINING!」と、こなれた発音のナビゲーションが流れ、理子の目の前に百七十センチくらいあるモノクロの人形が浮かび上がった。
間髪入れずに続けて、理子と人形の上に黄色い体力バーが伸びていき、その横にはそれぞれ歯車のモニュメント、両者の下には青いエネルギーで満たされたゲージが表示される。
「え、今からなにが始まるの……?」
どこからか現れたのっぺらぼうの黒い人形を前に、理子は不安そうに仁成に尋ねた。
「見たところただのトレーニングモードだと思うし、危ない目には遭わないはずだから、そこに居てくれたら大丈夫」
「トレーニング、モード?」
仁成の落ち着いた声を聞いたのか、理子の表情と声色から不安は消えたように思えた。代わりに純粋な疑問を投げかけてくる。
「ゲームの練習のことだよ。空手でも練習で組み手をしたりするでしょ? それと同じ感じ」
「あーなるほどー。じゃあ怪我だけはしないように気をつけないとね!」
理子は息を吐き、両手をスッと構え片足を引くように開き、目の前の黒い人形を真剣な眼差しで見据える。
泥棒と相対したときは遠目だったが、改めて近くで見るとさすがはエースと言ったところ。素人から見ても構えは様になっていて、その落ち着き払った全身からは小柄な体型に似つかわしくない闘気を感じた。
「念操作は、キャラクターの動きを想像して操作する方法です。神納さん、理子さんの技表の中にある技を、どれでもいいので押してみてください」
仁成はシルヴィの指示通り、大会用端末に映る、
「てか普通の人間には無理そうな技でも、このゲームではやれちゃう感じなのか?」
先ほど見た映像を思い浮かべながら、パッと出た疑問をシルヴィに投げかける。
「実際に武芸や魔法の達人だけがまともに闘えるとなると、ゲームである意味がなくなっちゃいますからね。ある程度はキャラクターとなる方の能力や個性を誇張、増幅する仕組みを採用して、キャラバランスが崩れすぎないようになっています」
「なるほどなあ。さすがは異世界文明」
「ありがとうございます。では先ほど見ていただいた技を、コートにいる理子さんが繰り出すように強くイメージしてみてください」
「なんでお前が礼を……まあいいや」
言われた通り、仁成は理子を見ながらさっき見た技をイメージした。
仁成のイメージはすぐさまコート上の理子に伝播する──
「天昇弾ッ!」
轟々と音をあげる突風は、コート上の床を抉りながら理子の眼前の黒い人形に直撃し、人形は桜の花びらを散らしながらコートの端まで吹っ飛んでいった。そのまま透明な壁に背中を打ち付け、重力に沿ってうつ伏せに倒れ込む。人形の上の体力バーは、その半分に少し届かないくらい削れていた。
理子の下のゲージに再び青いエネルギーが灯るのを確認し、仁成はすぐさま同じ技のイメージを理子に送る。
桜舞う突風はうつ伏せの人形にはギリギリ当たらない。
だが人形が何事もなかったかのように起き上がりきった途端、再び風の衝撃で人形はすぐ後ろの壁に叩きつけられる。しばらく壁に張り付いた後、ぬるりと落下し、うつ伏せになる形で床に突っ伏す。
正拳突きによる風が消える直前、理子はその場で真っ直ぐ綺麗な蹴りを放ち、その健康的な艶のある足は空を切っていた。
「──高威力、壁端確定ダウン、壁端ヒット時張り付け、風が消えるよりもギリ先に動ける……なるほどな。動作見た感じ、暗転からは発生保証もありそう」
冷静に技の分析をしつつも、仁成の内心は穏やかではなかった。
小柄で愛らしい制服姿から繰り出されるギャップあるキレの良い正拳突き。巻き起こる旋風と理子に似合う桜の花びら。モーションと風によりチラリと見える眩しい太ももの根本。
なんの武装もないショートヘアーと制服姿のシンプルなシルエットでありがながら、一目動きを見ただけで近接好きの心を掴んで離さない。無骨にして流麗、苛烈にして可憐なキャラクター。まさしくカッコ可愛いという言葉は、いま目の前の理子のためにつくられたのだと感じる……。
……なんなんだこのキャラは──ドストライクなんだが!
あのときメインキャラクターにしたいと願った妄想が現実のものになると思うと、仁成は心の芯から湧き上がる高揚感を隠しきれなかった。
「今のが念操作です。念操作最大の特徴は操作ミスをしないこと。プレイヤーのイメージが直接操作に反映されますので、格闘ゲーマーに永遠についてまわる『やった→やってない・やってない→やった問題』を根本から解決した操作方法と言えるでしょう」
「それはすごいな!」
なぜかシルヴィが誇らしげに語っているが、その内容は格闘ゲーマーにとって確かに画期的な操作方法に思えた。操作精度は試合結果に如実に直結する。
「ところで、先ほどの心の声ですがすべて口から漏れていましたよ神納さん」
誇らしげだったシルヴィがジト目でこちらを睨め付けていた。本当に隠しきれていなかった。
「……どこから?」
「小柄で愛らしい制服姿ってところからですね」
「それ全部じゃん!」
熱くなった顔を押さえながらチラッと理子を見てみると、声に出さずともうわぁ……と伝わってくる表情で引いていた。
「安心してください。マズいと思って、なんの武装も……からは理子さんに声が聞こえないようにしましたので」
「ちょっとだけ遅い! あの引いてるのたぶん太もものくだりだろうなあクソ野郎!」
まあドストライクの部分が聞こえていないだけマシだと、仁成は自分に無理矢理言い聞かせた。
「気をつけてください、Regameは絆式対戦アクションです。キャラクターとの信頼関係が崩れれば、キャラクター側が操作を拒むことができるようプログラムされています」
「頼むからそういう大事なことはもっと最初に言ってくれ」
ため息をつきながら、仁成はいま置かれた状況を頭の中で整理する。
自分が嫌われるだけならともかく、今回は理子の人権がかかっている。
つい盛り上がってしまった気持ちを切り替えるため、仁成はパシッと両手で頬を叩いた。
「……信頼関係ね。絶対に壊れないよう、操作に支障がないように都合の良いキャラとしての人格を与えてるってわけか」
カスみたいな倫理観で作られているのに、心が踊ってしまった自分が腹立たしい。
気持ちを吐き捨てるようにつぶやいた言葉に、シルヴィはただ無言で少しうつむくだけだった。
「ねえ神納くん。なんか頭の中にどう動けばいいのか急に浮かんできて、思わずその通りに動いたらとんでもないことになっちゃったんだけど……」
仁成が声をかけられたほうへ顔を向けると、理子が近くに寄ってきていた。そして申し訳なさそうにチラリと、綺麗に抉れたコートの床に目を向けている。
「うーん、たぶん大丈夫だと思うけど」
さっきは引かれているように見えたが、むこうから声を掛けてもらえる分、そこまででもないのかもしれない。
もっとも状況を鑑みるに、底が知れないシルヴィに声を掛けるよりは、仕方なく消去法で選ばれただけかもしれないが……。
「でも……。や、やっぱり、これって弁償しなきゃですよね。……すみません、お金の目処が立っていないので、期日については今はなにも言えませんが、一度考えてみて明日にはお話させていただきます」
理子はシルヴィに向かって深々と頭を下げ、心底申し訳なさそうに謝罪する。
勝手な都合で連れてこられた問題とは分けて考えているのだろうか。なんて真面目なんだろう。
「あー、それは気にしなくて大丈夫ですよ、理子さん」
シルヴィもまた申し訳なさそうに苦笑しながら答える。数秒後、コートの抉れた部分が徐々にフェードアウトし、みるみるうちに元通りになっていった。
「え、え?」
なにが起きたのか分からず目を丸くしている理子に「そういうものですので」と雑な説明を付け加え、シルヴィは仁成に向き直る。
「あと残り時間七分です」
「なっ! しまっ!」
やってしまった。つい癖で派手な必殺技から確認してしまった!
「時間がないのに動作も長くて、いつでも使えるわけじゃない技の確認から入るなんて随分と余裕がありますね」
「っ! 時間がないのはお前が……!」
言いかけた言葉をぐっと飲み込む。今は言い争いをしている場合じゃない。
仁成は急いで端末を操作する。
念操作は頭にイメージを描くことで操作する方法だ。
つまりはイメージの元となる動きが頭に入っていないと、まともに操作ができないということでもある。
「おいシルヴィ! 転移の準備はできてるんだろうな!」
「できてますよ。というか大会用端末を持っていれば、時間になったら自動で会場へ転送されます」
「そいつは結構」
試合開始時刻に間に合わなくて不戦敗、なんて心配をしなくていいというわけだ。
仁成はその場で座り込むと、すぐさま端末でひとつひとつ動作の映像を確認していった。
格闘ゲームキャラとしての理子に惚れたこともあり、一度見ただけで動きがスイスイ頭に入っていく。いいぞ、これなら時間内に一通り技を確認できる。
「さすがにコンボを詰めている余裕はないか……」
「コンボ?」
「ああ、技を繋げて連続で相手を攻撃することだよ……って!」
自室で技の研究をするときと同じ姿勢で座ったまま仁成が顔あげると、理子は仁成の持つ端末の映像を覗き込んでいた。
映像では理子が華麗な回し蹴りを放ち、勢いよくスカートがたなびいて、見えるか見えないか際どい様相を呈している。
その様子を眺めている理子の目からは光が失われているように見えて、仁成は冷や汗が止まらない。
「……盗撮?」
「違う! 断じて、いや仮にそうだったとしても俺じゃない!」
衆徒理子は痴漢を背負い投げで撃退した経歴を持っていた。そして泥棒を一撃で沈める鋭い拳も持ち合わせている。受け身ってどうやってとればいいんだろう。ゲームのように容易く取れるとは思えないが、それでも最悪、足を犠牲にしてでも頭と両腕は守らなければ。いかん、ガード不能を前程に思考している時点でなにかが間違っている気がする。
「ふ〜ん……」
理子の両腕が──ぬるっと仁成のほうに伸びてくる。
これは──殺られる!
「ひぃっ!」
情けない声をあげ、両手で頭を庇い縮こまっていた仁成。その膝に乗っている端末を理子はスッと取り上げた。
「まあ、さすがにそうだとしても神納くんではないよね。私なんとなくそういう気配わかるし、それに神納くんの歩き方見てると気配を消したりできるとも思えないし」
「……ははっ、疑いが晴れたみたいでよかったよ……」
理子が自分の戦闘力を遺憾なく周りに巻き散らす脳筋暴力系ヒロインじゃなくて助かった……。鉄桜は主人公に気安く暴力を振るうヒロインを「そこがいい」とか言っていたが、未来永劫相容れないと思う。
動悸がだんだんと落ち着き、全身に入った力も抜けてくる。なぜだか足の付け根が痛い。変なところに力が入ったかもしれない。
彼女は極力怒らせないようにしよう。次に怒られたら圧だけで心臓が破裂しかねない。
「それにしてもよくできてるね〜、これどこからどう見ても私だよ。あっ! あんまり時間ないんだったよね、ごめん!」
「ああ、それは大丈夫。もう一通り見終わったから」
理子から差し出された端末を受け取り、試合までの残り時間を確認する。あと一分と少し。その画面を、端末を裏返して理子にも見せる。
「衆徒さん、なんか色々とごめん」
「神納くんが謝ることじゃないよ」
「そうかもしれないけど、大会に出ようとしたのは俺だし……いかん、思い返していたらあの銀髪女に腹が立ってきた」
「なんかあんまり緊張感ないよね……負けたらどうなるかわからないのに」
「空手部のエースでしょ? 戦う前から負けることを考えても──」
「──考えるよ」
「えっ?」
「空手の大会は負けてもどうかなったりしない。でも今回は違うよね、私は……私でいられなくなるかもしれない」
負ければ、理子の生殺与奪を相手に譲り渡すことになる。
「ま、まあ俺はアルプレ公式大会準優勝者だから、そう簡単に負けたりしないよ。衆徒さんはちゃんと戦える技が揃ってたし」
「私ゲームに詳しくないから、神納くんがどれくらい強いのかピンとこないんだよ。それにこれはゲームじゃない……」
「いや、シルヴィはゲームだって──」
「そうだね! 神納くんからしたらゲームかもしれない! けど負けたら私は相手の物になるんだよ! 死んじゃうかもしれないんだよ!」
堰を切ったように理子から感情が溢れてくる。
その瞳は潤み、けれどすんでのところでこぼれ落ちまいとしていた。
「神納くんには、分かんないよ……私だけじゃん……負けたらどうかされちゃうのは……」
理性的で、大人で、落ち着き払っているように見えた、空手部のエース。
その頑強そうな鎧から現れた年相応の俯く少女に、仁成は声をかけることができなかった──
「本当に……」
二人の様子を黙って見ていた銀髪の少女は、誰にも聞こえない声で俯いたままそっと呟く──
──暗く重たい沈黙の中、三人は一瞬で蒼い光に囲まれ、後には白いタイルが延々と広がる景色だけが残った。
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